Black3.皇帝とメガネと私
目の前に座る男は、ただ美しかった。
さらりと揺れる銀色の髪、眉は綺麗に弧を描き、筋の通った鼻、髪と同じ銀色の長い睫毛が、切れ長で怪しげな雰囲気を放つ紫の眼を縁取っている……そして、引き締められた口元がその端整な顔立ちを一層際立たせている。
更に特筆すべきは、彼の背中にある大きな黒い翼。
それは、彼が「人間ではない」ということを強く主張していた。
しかし、それは男の現実離れした美しさにとても似合っている――そう、恐怖さえ感じるほどに。
……だがしかし、一言だけ言わせてもらうならば……そう。
「うちの白斗のほうがかわいくてかっこよくてイケメン!」
「いきなり何を言い出すんだ君は!」
野渡君に頭を叩かれる。……痛い。
「痛いじゃないか、何をするんだこのメガネ」
「誰がメガネだ。……元はと言えば、灰澤がいきなり変なことを言い出すからじゃないか。ていうか、あれだけ気合い入れて描写しておいて、君……」
「だって白斗のほうがかわいいもん。かっこいいもん。イケメンだもん」
「もん、って子供か君は……いや、アホだな」
「メガネかち割んぞこの野郎」
わーわーぎゃーぎゃー、と口ゲンカに発展する私達の姿を目の前の男……皇帝サンが首を傾げて見ていたことに私達が気付くまで、あと三十分。
***
「……すみませんでした」
「……申し訳ありません」
三十分後、直ぐにでも(一方的な)殴り合いになろうとしていた私達のケンカは、やんわりとグレゴールさんに止められた。
そして笑顔だが、どこか威圧感を感じるグレゴールさんに気圧され、私達二人は謝った。土下座で。
「くっ、灰澤はともかくなぜ僕まで……」
「だって野渡君から突っかかってきたんだし。それに容赦ない言葉の攻撃で私の心はもうボロボロだし」
「僕は肉体的にボロボロにされそうになったんだが?」
「自業自得じゃない」
「……お二方様」
ケンカが再開しそうになるが、グレゴールさんの冷たい視線を感じて私達はおとなしくなる。
「……すまないが」
と、さっきまでのんびりと見物なさっていた皇帝サンが口を開いた。
凛とした、低いけどはっきりと通る声。
……さっきから騒いでばっかりだったから、機嫌を損ねたのだろうか?
そう考えつつ、皇帝サンのお言葉を待つ。
そして、彼が言った言葉は――……
「そろそろ、お前達の名前を訊きたいのだが――いいか?」
……そういや、名前言うの忘れてたなぁ。
「灰澤 黒乃。あ、黒乃が名前です」
「……至。野渡 至といいます」
「ふむ、クロノにイタルか……こちらにはない響きだな。やはり、異世界の出身だからか」
はぁ、まぁ私にとっちゃ「グレゴール」とか「フェルディナント」とかの方が……ん?
「異世界?」
「お前達は異世界から来たのだろう?」
違うのか? と、皇帝サンは首を傾げながら尋ねる。
いや、多分違わない。違わないけど……。
「何故、僕達が異世界から来たとわかるんです?」
野渡君が訊ねる。
そう、それは私も思った。
何故、私達が異世界から来たとわかるのだろうか。
「ふむ、説明が必要か」
皇帝サンは少し考えた後、私達に目を向けた。
「まずはお前達の服装、だな。そのような衣服はこの世界にはないものだ」
えー、普通のセーラー服と学ランなんですけど。
「それとこれだな」
そう言って皇帝サンが取り出したのはカバン――って、それは。
「私のじゃん」
「すまないが、勝手に調べさせてもらった。……俺達の世界には存在しない文字や道具、料理の類が見られた。ああ、ちなみに何も取ってはいない。安心しろ」
皇帝サンはそう言って、カバンをグレゴールさん経由で私に返してくれた。
「さて、少ないが確実な材料で俺はこのような結論に至ったのだが……納得してくれるか?」
「あー……まぁ、とりあえずは」
そう言って野渡君が頷いたので、私も頷いておく。
しかし、もう一つだけ疑問が残る。
「なんで、異世界人ってわかってそんなに平然としてられるの?」
「……それに関しても説明が要るのか。……まぁ、よく異世界から何かしらこの大陸――ラリヴァーラに召喚されてくるからだ、と言っておこう」
はい?
「恐らくは、お前達も召喚されてきたのだろうが……まぁ、これに関する説明は後にしよう」
え、今して欲しいんですけど。
「……しかし、それにしても」
無視か。
「……ふむ」
皇帝サンは、そのまままっすぐに私の目を見つめてくる。
……すいません、美形に見つめられるとか慣れてないんで勘弁してください。
ていうか、すごい迫力で動けないんですけど。
私の願いが通じたのか、皇帝サンは私から目を離した。
そして小さく笑って呟く。
「灰色の目を持つ人間……か。異世界には妙な人間もいたものだ」
「は?」
皇帝サンは私の疑問の声を気にもかけず、立ち上がる。
同時に、黒い翼が羽ばたく。
「俺は、ラシオン帝国第二十五代目皇帝フェルディナント・ラシオン・ブロムベルク。歓迎しよう、異世界からの客人よ」
一歩ずつ、私達に近付いてくるその姿。
それがとても美しくて――……
私は、瞬きをするのも忘れてそれに見とれていた。
***
「魔法陣?」
「ああ」
私と野渡君の言葉に、皇帝サンが頷いた。
ちなみに言っておくと、ここはさっきまでの玉座があった広間ではなく、皇帝サンの私室である。
あそこでは落ち着いて話ができない、ということでここに移動することになった。
と、さっきの話に戻るが……簡単に言うと、私達が召喚されてしまった理由は【魔法陣】にあるらしい。
「正確に言うと、魔法陣の【失敗】だな」
「失敗?」
「ああ。魔術師いえど失敗はする。
その中でも、まだ未熟な魔術師はよく魔法陣を失敗することがある。
そして、時折だが魔法陣が暴走を起こしてしまうこともある。
魔法陣が暴走すれば、世界から魔力が漏れる。
漏れた魔力は異世界にある何らかの力と反応を起こし――異世界から無差別に何かを召喚してしまうことがある。
……それが人間だった例は数えるほどしかなかったが」
「じゃあ、私達はその魔法陣に……?」
「……巻き込まれた、ということになるか」
その場を静寂が包む。
……なんてことだ。
まさか、そんなうっかりな理由で未知の世界に連れてこられてしまうなんて……。
できることなら、そんなうっかりを起こした魔術師を殴りたい。ていうかここに連れて来い。
「無理だな。魔術師などラリヴァーラには大勢いる。魔法陣の失敗など日常茶飯事、更に言えば召喚は偶然起こるものであり、魔術師に自覚はない。場所の指定もできんしな。……魔術師本人を探し出すなど、不可能に近い」
「な、なんだってー!?」
せめて元凶を殴れば多少なりともすっきりすると思ったのに!
それもできないなんて……!
「……まぁ、原因の魔術師を探すことはできないが、その他のことに関しては努力しよう」
皇帝サンはそう言うと、ぱん、と手を叩いて鳴らした。
それに合わせて、どこからともなく一人の人間が姿を現す。
現れたのは背の高い、黒髪の美女。
しかし来ている服はメイド服。
……ということは……
「お前達の専属メイドだ。今後、何か困ったことがあったら彼女に相談するといい」
「ローシェンナ・ブロイルと申します。この城にご滞在される間、私がクロノ様とイタル様のお世話を努めさせていただきます。何なりとお申し付けくださいませ」
無駄な動きのない完璧なお辞儀と共に挨拶される。
……え、いや、ていうか。
「別にメイドさんつけてもらわなくても」
「そうも行かない。お前達は、今日からここの客人となるのだから」
……はい?
「いやいや困ります。私達他に用事あるし」
「用事?」
「はい。私の弟と親友とその他一名の計三人を探さなくてはいけないという用事が」
そう。
先ほどの話を聞く限り、私の近くに居た白斗達もこの世界に召喚されている可能性が高い。
しかし、白斗達はこの場所にいなかった。
ならば、別の場所に飛ばされたとしか考えられない。
……もしそうならば、探さなくちゃいけない。
「……お前達以外にも召喚された人間が?」
皇帝サンは、少し驚いた顔で聞き返してくる。私もそれに頷いた。
「そうか……いや、五人も一気に召喚されてしまうということは一度しかなかったから」
一応前例はあるのか。
皇帝サンは曖昧な笑みを浮かべながら、こちらを見やる。
「まぁ、その事に関しても心配はいらない。残りの人間の捜索もこちらで出来る限り手を尽くす」
……えーと、少し待ってください。
「一つ、いいですか」
「なんだ?」
「――私達にここまでしてくれる理由は?」
「理由?」
「そうです。どうして「異世界人である」という理由だけでここまでしてくれるんですか?」
だって、そうでしょ?
お城に滞在させてくれる上にメイドさん付き、しかも白斗達の行方を探してくれるなんて。
「――何か、裏があるんじゃないですか?」
その場を、静寂が包む。
しかし、それも一瞬のことで。
その静寂を破ったのは、皇帝サンだった。
「……そうだな。義務、とでも答えておこうか」
「義務?」
「ああ。偶然と事故が重なったとはいえ、お前達をこの世界に喚んでしまったのはこちら側の過失だ。しかもその原因となった魔術師の特定はほとんど不可能……ならば、皇帝である俺がお前達の身の安全と生活を保護するのは当然であり、義務だ」
皇帝サンはそう言いきると、真っ直ぐに私の顔を見つめる。
「……納得してもらえたか?」
***
「今日はお疲れになられたでしょう。ゆっくりとお休みくださいませ」
ローシェンナさん……長いからローさんに略そう、そうしよう。
ローさんが礼儀正しいお辞儀をし、この部屋を出て行った後、私はそこにあるベッドに座る。
「あー、疲れたねー」
「そうだな。……」
……なんか、野渡君が何かを言いたそうにこちらを見ているんだけど。
「どうしたの?」
「あ、いや……君にしては、ずいぶんとあっさり引いたなと思って」
そう。
私は皇帝サンが説明した【理由】に対し、あっさりと「そうですか」と納得したのだ。
……いや、まぁ納得したフリをしただけなんだけど。
「だって、仕方ないじゃん。きっと、どれだけしつこく聞いてもあれ以上の答えはもらえなかったよ」
「それは……そうだろうけど」
「あー、はいはい。この話は終わり! 明日から慣れない世界での生活がはじまるんだから、まずは今日の疲れを取ることが先決でしょ? 今日はもう寝る!」
微妙に納得してないような野渡君にまくしたて、私は早々にベッドに潜り込んだのだった。
***
フェルディナントは執務室にて、書類の山に向かっていた。
積まれた書類を片付けながらも、フェルディナントの頭の中はあることで埋め尽くされていた。
異世界からやって来た、二人の人間。
しかし、彼らが言うにはあと三人も異世界からやって来ているらしい。
彼らを合わせれば、全部で五人。
五人ということは――……
「異世界から来た、五人の人間……か。まさかな」
フェルディナントはそう呟くと、再び机の上の書類に向かったのだった。
せ、説明ばっかりで申し訳ない……!
次は、もうちょっと早く書けると……いいな。