14days(二十三歳売れない恋愛小説家♀×関西弁少年)
エセ関西弁注意です。
至極適当な関西弁になっております。苦手な方はお逃げ下さい。
その夜、絵理子は酔っていた。担当さんとの打ち合わせで、新作の小説をリアリティがないだの、ありきたりすぎるだの、さんざんこき下ろされた帰りだった。いつものことだけど、いやいつものことだからこそ毎回同じことを言われながらも尚それにしがみつくしかない自分が情けなくて、飲まなきゃやってられなかった。
「リアリティがないだとー、当たり前じゃないかぁ、ヒック、彼氏いない歴23年、年齢とイコール、独身ですよ~っだ」
ふらふら定まらない足取りで駅前を歩きながら、絵理子は一人、誰にともなく愚痴りだした。周りから変な目で見られても構わない。……と言うか深夜一時の今現在、周りは自分と同じ酔っ払いばかり。構わないもなにも、みんなそれぞれ浮かれて騒いで、絵理子の独り言など夜の喧騒に紛れて消えていく。
「くそー、柳川め。男作れなんて簡単に言いやがって。それができたらとっくにしてるっつーの! あ゛ー男ほしー!」
ヤケクソとばかりにそう叫ぶと、その声は思いの外周りに響いた。消える喧噪、シンとなる場。ふいに我に返り叫びと共に振り上げた右腕をそっとおろす。酔いが少しさめてしまった。
コホン
咳払いをしてその場を立ち去ろうとした絵理子の耳に、クッ、とのどを鳴らす音が聞こえた。勿論自分のじゃない。横を見るとベンチに腰を下ろした青年――いや、少年、か? ――が、腹を抱えてうずくまっている。ふわふわと色素の薄い猫っ毛が肩と一緒に小刻みに揺れていた。
笑われている。しかもかなりツボに入ったご様子だ。時折堪えきれなくなった声がクク、と口から漏れている。
……か、帰ろ
恥ずかしくなって逃げようとした絵理子を、しかし再び横の方から聞こえてきた声が引き止める。
「ちょお、お姉さん。待ってや」
そのまま無視して通り過ぎてしまえばいいのに、あまりにも好みな声と喋り方につい足を止めた。猫のように間延びした関西弁。男の子にしては低すぎない、ハスキーな声はすとんと耳に落ちて心臓を刺激した。顔を見ずに立ち去るのは勿体無い。羞恥心より乙女心が勝った。
「良かった、立ち止まってくれて」
振り向いてのぞいた顔もこれまた好み。少年はベンチから立ち上がると、ゆっくり絵理子の方に近づいてきた。ひょろりと長い体格で、絵理子を見下ろすように立っている。身長はだいたい170センチ後半といったところか。つり目を細くしてにっこりと笑みを浮かべている様子なんか、どストライクである。こういう猫系の男子に、とてつもなく弱いのだ。あと、関西弁にも。
「お姉さん、面白いなぁ」
「なに、急に」
ナンパだろうか。でもこんな美少年があたしに? ないないない。しかもナンパ相手に面白いはおかしいでしょ。
「名前、なんて言うん?」
「絵理子」
名前を聞かれてあっさり答えてしまった絵理子。普段だったら絶対にそんなことをしないのだが、いかんせん最初に述べたように彼女は酔っていた。さきほど一瞬さめかけた酔いは、美少年の出現であっという間に舞い戻ってきたのであった。
「絵理子さん、ええ名前やね。一人暮らし?」
「うん」
流石にその質問はヤバいだろ。しかしアルコールの回った頭は正常な思考をすでに放棄しており、口から出てきた言葉はあっさりとそれを肯定する。
「そうなんや。ええなぁ一人暮らし」
「そうかなぁ、うふふ」
好みの顔に言われてすっかり上機嫌だ。
「……ところで絵理子さん、お願いがあるんやけど」
「なに?」
「僕んこと飼ってくれる?」
飼う? それは犬や猫みたいにペットになりたいということか……? 絵理子の思考回路が破綻してると同様、目の前のこの子も少しおかしいらしい。酒のにおいこそしないけど、彼もどうやら絵理子と同じ酔っ払いの一人のようだ。
「いいわ」
突然の申し出に、絵理子は考え込むことなく首を縦に振った。酔っ払い同士の戯れ言は、深くつっこんでも意味がない。所詮明日になれば消えてしまう夢なのだ。考えるのは酔いがさめてから。今はただ、心地よさに身を任せ、自分も戯れ言を吐くまでである。
「いいわよー飼ってあげても」
「ほんま?」
「ほんまほんま、だけど条件がある」
「ええよ、なに?」
そう言われるのは予想してたのか、少年は特に驚くことなく聞き返す。ちょっと傾げた首がこれまた可愛らしい。その様子にえへへ、と口元をゆるめた後、絵理子は恥ずかしげに口を開いた。
「代わりに、あたしの処女貰ってくれる?」
喧噪あふれる駅前は、いつのまにやら人もまばらに、広場の真ん中に置かれた時計は深夜二時を告げようとしていた。
※※※※
翌日。
頭が痛い。いや、重いという表現のほうが合ってるかもしれない。のどがからからで、起き上がろうと目を開くと太陽の光が目をさした。
「うぅ……」
かすかに吐き気も感じられる。口の中が乾いてアルコールのにおいがする。完全な二日酔いだ。だるい体をなんとか起こしてキッチンに向かおうとするが目は半開き。ふらふらふらふらさまよいながらようやく流しにたどり着くと、すっとコップ一杯の水が差し出された。
「あ、ども」
なんのためらいもなく水を飲み干すと、霞がかった脳内がすっきりしたような気がする。そして、すっきりついでにおかしなことに気がついた。
「……今の、誰」
この手の中のコップ(もう水は入っていないが)を差し出したのは一体誰。恐る恐る横を振り返ると、見ず知らずの男性……少年? が笑顔を浮かべてこっちを見てる。
「ぎゃあ!」
驚いて飛び退くと、そこは狭いキッチン、ガタンと音を立てて食器棚に頭をぶつけた。
「う……いったぁ……」
頭を抱えてうずくまる絵理子の正面に、さきほどの少年がしゃがみこむ。ぐっと近くなる距離感に、なんだか危険な感じがしてしまう。
「お姉さん、ほんま面白いなあ」
クッ、とのどを鳴らすように笑われて、顔が赤くなる。無様なところをみられた羞恥心。それと、予想外に好みな声と喋りに、最近はめっきり死滅していた乙女心を刺激されたため。よくみれば顔も好みだ。整った顔立ちに、猫のようにつりあがったつり目が印象的。明るい茶色の猫っ毛はところどころ赤や焦げ茶のメッシュが入っていて、三毛猫を擬人化したらこんな感じかな。頭の片隅でそんなことを思いながら、瞳は更に目の前の人物を観察する。ひょろっと長い体躯は、しかし程よく筋肉がついていて、バランスの取れた裸体が……ん? 裸体?
「って! なんで上半身裸なの?! ……ぃっつ!」
叫ぶと共に、飛び退いて、絵理子は再び食器棚に頭をぶつけた。打ち所が悪かったのか今度は酷く痛くて、目に涙が滲んだ。
「あー、気ぃつけや……」
気遣うように言うけれど、その声には明らかに笑いが含まれていた。現に愉快そうに笑みを浮かべているし、その上絵理子とはまた違う意味で涙目だ。
「お、おかまいなく……」
打ち付けられた後頭部をさするべく伸ばされた彼の手を、やんわりと辞去。
水の入ったコップを渡してくれたり、気遣わしげに様子を窺ったりと、まるで親しげな恋人か友人のような態度の彼。しかしまるで見覚えがないのは気のせいだろうか。いやそんなはずはない。二日酔いといえど頭ははっきりしているし(さっき水を飲んだから)、二度ほど後頭部をぶつけたけれど、記憶をなくすほどの衝撃じゃない。まあ、若干昨夜の記憶が抜けているが、それ以前の記憶はしっかりばっちり覚えてる。
……ということはつまり、朝チュンてやつ?
確かに昨日は荒れていた。担当の柳川に新作の小説を散々こき下ろされて、やけになっていたのだ。いつもは全く飲まない酒をガンガン飲み干し、珍しく泥酔状態に。そして気づけば見ず知らずの男の子と……いやいやいや。まだそうなったとは限らない。たとえ目の前の彼は上半身裸で絵理子はキャミとパンツ一枚の下着姿であろうとも(って、あたし下着姿なの!? ギャー、見ないでー)、万が一っていうこともありますし。そもそもこんな美少年があたしみたいなの抱くだろうか。
散々考え込んだ挙句、意を決して聞いてみることにした。
「……あの、つかぬことお聞きしますが」
「ん、なに?」
「その……あたし、っていうかあたし達、し、してない、よね?」
「なにを?」
「え? ……あー、えっと、そのぉ、セッ……クス……を、」
「あぁ、まだしてへんよ」
「本当?! ……て、“まだ”ってなに?」
「なに、言われても。お姉さん昨日言うたやん、僕んこと家に置いてやるから、そん代わりに処女もろてーって」
……は? いやいやいや、そんなこと言うはずないでしょ。第一、あたし関西弁じゃないし。
呆ける絵理子を差し置いて、少年は言葉を続けた。
「昨日はお姉さん、ベロンベロンに酔ってたから、まだ未遂やけど。直に頂こうとは思うてるよ」
「そ、そんな約束、覚えてない!」
「覚えてなくても、したんや」
「なかったことにして!」
「うん?」
「その約束。第一、覚えてないんだから無効よ!」
無効無効! 絶対に無効!
そう言い張ると、少年はちょっと考えて、ジーンズのポケットから一枚の白い紙を取り出した。
「……なに?」
「ええから、読んで」
「……?」
しかたなく絵理子はそれを受け取り、四つ折りにされていた紙をひらいた。
「なにこれ、きったない字」
そこにはふにゃふにゃとした、けれどどこか見覚えのある文字が書かれていた。
「ええと、『わたし、佐伯絵理子は、少年ナオを家に置いてあげることを誓います』な、なにこれ! 本当になにこれ!」
驚いて目の前の少年を見上げると、少年は「最後までちゃんと読んでや」といって続きを促した。
「……『そのかわりとして、ナオはあたしの小説のネタを提供するとともに、あたしの処女を貰うこと! 以上』」
はあああああ?! なんだこれ
しかし書かれている文字は(かなりきったないが)たしかに絵理子ので、ご丁寧に判子まで押してある。
驚きすぎて、呆然とする絵理子に、ナオはにっこり笑って「これから、仲ようしてや」と囁いた。