月明かりにうたう(貴族の少女×奴隷青年 第二話)
『春にまどろむ』の続編です。またも短め。
「シエラ」
優しげに自分を呼ぶ声、愛しげに頭を撫でてくれる手。
ぬくもりは全て過去のもの。
愛情を知らなければこんなにも苦しむことはなかったのだろうか。
※※※※
シエラは一人、夜の廊下を歩いていた。
屋敷の者に見つからないように、ひっそりと足音を抑え注意して進む。向かう先には、三年前、彼女が購入した奴隷青年の部屋がある。
シエラと同じように広い部屋を与えられ、同じように綺麗な服をきて、同じ食事をする。
奴隷から一転、まるで貴族のような生活を許される彼を見て、周囲の者は眉を顰めた。
「シエラお嬢様はあの幼さで奴隷を買われているらしい」
「まあ、なんてふしだらな」
「綺麗な衣服を着させて、お人形遊びのつもりなのだろうか」
「いくらご両親が亡くなられたからといえ、奴隷に家族ごっこをさせるのはいかがなものでしょう」
「ご成長あそばされた後、男を飼っていたなど世間に知れたら、嫁の貰い手がありますかしら」
口々に勝手なことを言う者たちに、けれどシエラは気にすることもなくカイトを慕った。
奴隷の身分であったのに、傲岸不遜。
主であるシエラに決してへりくだった態度をとることなく、堂々とした様子で彼女に接する。
そのことがまた、周囲の反感を呼ぶのだが、シエラは反対に嬉しかった。
両親を亡くし、慕っていた幼馴染までこの世を去った。
叔父は仕事が忙しく、幼いシエラを置いて外に出かけていることが多い。赤ん坊の頃に会って以来顔を合わせることのなかったせいか、どこか他人然として、甘えることが躊躇われた。
「カイト、寝ちゃった?」
光の漏れる部屋に、それでも念のため確認する。
「シエラ?」
少しして、扉が開き、驚きを宿した夜色の瞳が自分を見下ろした。
「眠れないの。眠くなるまで一緒にいていい?」
問いかけるも、答えを待たずに部屋に入り込んだ。背後では予想通り、一つ息を吐く音が聞こえ、次いで扉が閉まる音が続く。
「侍女頭がまた怒り出すぞ」
「大丈夫。ちゃんと私からこの部屋に来たっていうから。カイトは何も悪くないって」
「……それも、どうなんだろうな」
「え?」
首をかしげるシエラに、カイトはベッドの横に置かれたテーブルの上を見る。
薄っぺらで、簡単な文字で綴られた物語の本が乗せてあった。
この屋敷に来て、少しずつ読み書きを覚えだしたカイトに、シエラが記念に贈ったものである。
「私が来るの、眠らずに待っていてくれたの?」
嬉しくてカイトを振り返ると、恥ずかしいのか、乱暴に布団をかぶせられた。その後、カイトもシエラの横に寝転がる。
大きなベッドは、カイトが屋敷にしてしばらくの後、あまりにも自分の部屋を抜け出し彼の部屋へ訪ねていくことの多いシエラのために、叔父が渋々新調してくれたものだ。
三年の月日を経、成長した二人が横たわっても、充分に余裕がある。
十八歳のカイトと、先日十四になったシエラ。
大人になりかけの彼らが、一つのベッドで眠りについていると知ったら、周りの者たちはなんというだろうか。
「カイト」
「ん?」
「子守唄、うたってあげようか」
眠れないといって部屋を訪ねてきたのはシエラだったのに。
けれどカイトは問い返すことなく頷いた。
シエラがうたうのは幼い頃彼女の母がシエラにうたってくれた歌。
もういない母の優しい声を思い出しながら、記憶をなぞるようにメロディーを口ずさむ。