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第二王子の奥様(政略結婚、コメディのつもり)

 夫との結婚は紛れもない政略結婚だった。

 私の父は王国の宰相をしている。

 第二王子である夫は、地位の低い妾の子だということから当時後ろ盾は何もなく、将来を案じた国王陛下から宰相の娘である私との縁談をすすめられた。

 実の親子とはいえ、国王からの縁談を断れるものなどいない。それに、夫も自分の王子とはいえ不安定な身の上を多少なりとも不安に思っていたのだろう。

 私達の縁談はあっという間に整い、当時十三という幼い身であったにもかかわらず、私は第二王子の妃となったのだった。



 それからの夫婦生活は、想像していたものよりは楽で、そして王子様と結婚という傍目から見ると甘そうなイメージからはかけ離れたものとなった。


 まず、夫が家に寄り付かない。

 幼な妻とはいえ限度があるだろう! と、突っ込みたくなるほど幼稚(己で言っていて虚しくなる)な妻に、五歳年上の彼が興味を抱くはずもない。

 結婚当時はそれでも週に一度は顔を見せに来たものだが、週に一度が月に一度、数ヶ月に一度へとかわり、今では夫の顔を見たのは半年も前、現在進行形でその期間は延長されているときた。

「おい、婿殿は今月も顔を見せには来なかったのか」

「お仕事が忙しいと聞いております。しょうがないことですわ」

 眉根を寄せる兄に苦笑してそう返せば、シスコンならぬ妹思いの兄様は顔をくしゃりと歪めて眦を押さえた。

 そのように同情して下さるお心があるならば、兄様こそお義姉様の元に週に一度でいいから通って欲しいものだと思う。

 昨今の男性陣は貴族であれば大半が政略結婚もしくは見合いによって渋々籍を入れる場合が多いため、兄や夫が家に寄り付かないことは仕方がないことなのかもしれない。

 ただ、家で静かに夫を待つしかできぬ妻のことをもう少し、ほんの少しでも気にかけてくださればとも思う。

 お義姉様の愚痴につき合うのは義妹である私なのだから。



 しかし、我が兄はまだいい方である。妻の家以外に訪ねる場所はたがが二つ。妹である私の家と、愛人であるクリスティーヌの屋敷。日常のほとんどを愛人宅で過ごし、たまの気休めに我が家を訪れ、愛人と喧嘩したりお義姉様の実家にけしかけられた時ようやく自宅へと戻る。

 愛人がいるのはけしからぬことだが、貴族のたしなみだと言われてしまえば女がそれ以上口を出すことは許されない。正直、そんなたしなみなどけちょんけちょんにちょんぎって、グリグリと踏みつけ跡形もなくもやしてやりたい! ……とはお義姉様の言であるが、その話をした際には私も小声で賛同の意を示しておいた。

 さて、話は戻り、我が夫には寄りつく場所が数え切れないほど存在する……らしい。

 一言に断言できないのは妻としてのプライドなどではなく、サロンで出会う奥様方から噂として夫の所行を伝え聞くからである。信憑性の低いものから高いものまで、いくら女性が噂好きだからとはいえ多すぎるほどの噂が夫にはある。火のないところに煙は立たぬ。流石に全ての噂を信じるわけではないが、ある程度は真実も混じっているのだろう。

「そういえば聞きまして? 第二王子殿下の新しい恋人のお話……」

 妾腹とはいえ第二王子という地位にあり、見目も麗しい夫は常にサロンの女たちの興味を引くようだ。サロンに行く度に新しい噂を聞き、今では悲しみを通り越してあきれの感情の方が強い。



 そもそも私は、宰相の娘という身分から、もとは王太子妃となるべく教育を受けさせられてきた。決して夫に口答えしてはならない、楚々としておしとやかな控えめな女性であれ。高い教養も礼儀作法も、内に秘めて驕れることはなく、ただただ王太子妃として国民に好かれ、次期王妃として相応しい人間になるのだ、と。

 ――まあ、その全ては、王子とはいえ臣下の地位に落とされた夫と結婚した瞬間に泡のように消え去った訳だが。


 けれど、夫と結婚して良かったこともいくつかある。

 まず、一人で自由に過ごせる時間が増えたこと。それまで、王太子妃となるための教育で日々を埋め尽くされていた私にとって、「家に居さえすれば何をしても構わない」という自由な時間は初めて手にしたものだった。

 それゆえ、最初は何をしていいものか戸惑ったのだけど。

 でも、改めて自分のことを考える良い機会になった。自分のやりたいこと、好きなことはなにか。この年になって初めて自覚し、私は私のために生きることを決めた。

 家に寄り付かない夫のためでも、権力争いに人生をかける父のためでもなく、私は私の好きなことをして、生きていく。



 と、まあこのように述べるとなにか大それたことでもするような気分になるのだが。

 簡単に言えば、私はこの年になって好きだと気がついた勉強(特に化学や物理、数学)と、そして今までも好きだったお洒落により一層力を入れるようになった。

 特に“お洒落”は、今まで王太子妃としておしとやかな女性を目指していたものを、大幅に方向転換した。淡いピンクや水色などのパステルカラーのドレスは脱ぎ捨て、大人の女性らしい渋い色味の艶やかなドレスを選び身に纏う。夫と結婚してから早三年。子供っぽい印象の強かった外見はぐんと成長し、凹凸の少ない体はふくよかな肉つきの良いものへと変わっていった。

 とはいえ、すごい美人に変化したわけではない。元が元なのだ。素朴な顔に成長というスパイスが加わろうと、結局は素朴なままなのだが、まあそれはそれ。お洒落のしがいがあるというものだ。


 そして、私は勉学と自分磨きに勤しみ、夫が居ずとも楽しい人生を送っていたのだった。



 ――のだが。

 話は続く。

 それはちょうど私が十七の誕生日を迎えた頃だった。

 結婚歴でいえば四年目。夫との関係は相変わらず離れっぱなしの別居婚。夫? なにそれ、どなたでしたっけ。とそろそろ顔も忘れてしまえそうなある日、私は兄に夜会に行かないかと誘われた。

 なんで兄様に誘われなきゃいけないのか。

「たまには私の相手をしてくれてもいいだろう?」

 恭しく手に口づける兄だが、結局はエスコートする相手が他にいないから誘っただけのことだろう。クリスティーヌとは別れたと聞いたし、お義姉様とはこちらも相変わらずの不仲だと聞く。

「しょうがないですわね……」

 私は渋々兄と夜会に行くことを決めたのだった。



 さて、その夜会なのだが。

 現地に着いてから兄に聞かされたところによると、どうやら我が旦那様も今日の夜会に参加するらしい。そういうことは是非とも早く行っていただきたいものだ。恨めしいと兄を睨みつけている合間にも、噂をすれば影。

「なんだ、君も来ていたのか」

 黒い燕尾服に身を包んだ夫が人混みからひょっこりと顔を出した。

 ――まずい。夫がいる身で、兄とは言え別の男と夜会にくるだなんて。なんとはしたない女だと思われることか。

 内心冷や汗ダラダラで下を向き顔を隠すが、逆効果だったようだ。夫は不審そうに私の方に視線を移した。

「……そちらの女性は?」

 問いかけの寸前、兄が私の肩を掴み顔を隠してくれる。

「私の恋しい人さ」

 妹相手になにをいうのか。普段なら白い目を向けているところだけど、今は助かった! と言うしかない。

「へえ、クリスティーヌに捨てられたと聞いたが、変わり身の早いものだな」

「君に言われたくはないよ」

「はは、君の恋人ということはさぞや美しいのだろうね。……私にも顔を見せていただけないだろうか」

 ――否定もしない。

「残念だが、彼女は恥ずかしがり屋な人でね」

 ぎゅっと力強く抱き寄せられる。

 そのまま、私達は人混みを掻き分けてテラスの方まで歩いていった。

「いやはや、早速婿殿と会うとはね」

「――噂通りの方なのね」

「うん?」

「いえ、なんでもないわ。ところで、来たばかりで申し訳ないのだけど、少し人に酔ってしまったみたい。このままテラスで休んでいても良いかしら」

「あ、ああ人混みが得意でないのに無理やり連れてきて悪かったね。なにか飲み物でも?」

「じゃあ、お水を」

「了解、かわいい人」

 パチンとウィンクをしてきびすを返す兄。妹に尽くして何が楽しいのか。以前そう聞いたら、女性に尽くすことが全ての男の喜びなのさ、とのたまっていた。それなら何故お義姉様には尽くさないの? と尋ねれば、少し視線を逸らした後、妻は例外、と酷く失礼なことを言っていた。

 夫も、そうなのだろうか。

 さきほどの夫の声を思い出す。甘く、艶のある深い声。兄といるのが私だとは気づいていなかったはず。私以外の女性に話しかけるとき、彼はいつもあのような声を出すのだろうか。

「――やあ、また会ったね」

 背後で聞こえた声に、私はびっくりして振り返った。

 広間とテラスをつなぐ扉のところに、背をもたれるようにして立っている。逆光になっていて見えづらいが、すらりとした長身、一つに束ねた金の髪、そして先ほど聞いたばかりの甘い声。――夫だ。

「――っ」

 すぐに身を翻し中庭へと逃れようとするも、あっという間に距離を詰めた彼の腕に捕まえられる。

「そんなにおびえずとも、なにもしないよ」

 なにかされることではなく、顔を見られることをおびえているのですが。

「放して」

 ふりほどこうとした手は反対に引き寄せられて、夫婦生活で初めてと言っていいほど二人の距離は近づく。

 慌てて顔を背けるも、すでに遅かったようだ。

「君は――」

 夫が息をのむ。

「――なんて、美しい」

 ……は?

「伯爵の恋人というのが惜しいくらいだ。このままあなたを腕の中に閉じこめてしまいたい」

 ……ええと。

「あの……」

「なにかな?」

「気づかないのですか?」

 顔を隠すのも忘れ、夫の顔を見上げる。

「なにに?」

 けれど彼はぽかんとした顔で首を傾げるだけであった。

「私は、あなたの妻なのですよ」

 あまりの呆れ加減に、私は思わず自ら吐露してしまった。

 いくら別居状態が続いているとは言え、半年前に一度会っているというのに、これは無い。

「旦那様、あなたは妻の顔も覚えてないというのですか?」

「……え?」

 一瞬の間。

「は、ええっ!? まさかシェリー? だってきみ、全然様子が変わって……」

 狼狽える旦那様に向かって、最大限の笑みを作る。

「私、ここまで人に侮辱されたのは初めてですわ」

 半年以上顔を見せずとも良い(むしろ大歓迎)、数多の女性たちとの浮名を流すのも良い(もう慣れた)、でもさすがに四年も妻をやっている女の顔を覚えていないというのはどうなのでしょう。

 その日、私は始めて人の頬をひっぱたきました。



 後日談。

 あの夜会以来、なぜか旦那様は一日に一度は我が家に顔を見せるようになった。今までが嘘だったかのように、夜は我が家で休み、朝は我が家から仕事に行く。時々、仕事が忙しい時は王宮で寝泊りをするようだけど、そういったときも必ず一度家に寄ってその旨を伝えてからまた王宮に戻る。

 まるで、貴婦人達の中で幻になりつつある“愛妻家”のようだ(聞くところによると“愛妻家”とは、つまり妻を愛し、妻至上主義、なにがあっても妻第一の理想の夫のことを言うらしい)。けれど、夫と私の関係はあまりかわってはいないように思う。

 私たちの間に艶めいた色事は相変わらず一切無い。寝所は別。顔をあわせはするものの、私は夫が家に帰ってくる以前のようにやりたいことをやり、したいことをして日々を過ごしている。

 しかし、一方の夫は――

「私の愛しい人」

「どうか貴方の肌に触れることを許して欲しい」

「この腕に君を抱きしめた時のぬくもりが忘れられない」

「せめてその手にくちづけることだけでも」

 などとことあるごとに甘く囁いてくる。

 けれどそのどれも私にとっては「なにを今更」と呆れるものばかりで、心の奥まではまったく響いてはこない。そもそも、この間まで人の顔すら覚えていなかった夫なのだ。そんな人に口説かれても、なびく方がどうかしている。

「あの、早く仕事に行かなくてはいけないのではないのですか」

「つれない人だ、私がこんなに身を焦がして愛を請うているというのに」

「貴方に愛を与えて下さる方なら他に沢山いるでしょうに」

「私は貴方の愛が欲しい」

 言って、夫は許可も無く私の手を掴みそれに唇を寄せようとする。

「放して下さい、でないと痛い目にあわせますよ」

「貴方の手になら、叩かれてもいい」

「叩くくらいじゃすみません」

 いいながら、すぐそばの机の上に手を這わせる。確か、このあたりにおいておいたはず……。

「どんな痛みを伴おうと、もう私は貴方を手放すことなど」

「ご忠告は、いたしましたからね」

 私は手に取ったお手製の機械を旦那様の懐にあて、スイッチを入れた。

「いっ……!?」

 その瞬間、ビリリッという音とともに、旦那様が悲鳴をあげて距離をあける。

「な、なにを」

「スイッチをいれると、接触している相手に電気ショックを与える機械ですわ」

 我ながら、上手くいったようだ。

 旦那様が“与えてくれた”自由時間の中で、私はお洒落と勉学に勤しんだ。その勉学の内、私が特にはまっていったのが部品を組み立てて仕掛けや機械を作るというものである。料理や裁縫なども徹底的に仕込まれた私は他人と比べていくらか手先が器用で、何かを作るということにとても向いていた。洋裁や刺繍も楽しいけれど、こういった機械ものを作り、そして実際に使うというのはとても楽しいことである。


 夜会以来、旦那様と結婚してよかったことがもう一つ増えた。

 それは、あまりある自由時間で作った機械たちを、こうして(夫で)試すことが出来ることだ。

「シェ、シェリー……とりあえずその物騒なものをしまおうか」

「旦那様が大人しく仕事に行ってくだされば、すぐにでも」

「……い、いってきます」

「はい、いってらっしゃいませ」



 夫との結婚は紛れもない政略結婚だった。

 夫婦生活は、想像していたものよりは楽で、そして王子様と結婚という傍目から見ると甘そうなイメージからはかけ離れたものとなった。

 けれど、今のところ私は彼との生活に満足をしている。

 愛の一切無い夫婦生活だけど、私の好きなお洒落と発明に好きなだけ時間を費やすことが出来る。

 私は、夫と結婚して初めて本当の自分になれたのだと思う。

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