忘却姫と騎士(騎士と姫君※ムダに長く鬱。R15)
陵辱、妊娠、自殺未遂、流産、近親相姦等々が苦手な方はお逃げ下さい。
また、ヒロインが酷い目に遭います。
そしてムダに長いです。
少女はこの国の王女だった。継母と厳しい父親に虐待を受け、腹違いの妹には恨まれ、頼れる者は彼女付きの侍女と騎士の二人だけ。
けれど、その二人も彼女の結婚の前に侍女が騎士の子供を身ごもり、そのまま職を辞し、城を去る。
信頼していた二人の支えを失い、味方を無くした彼女は、更に政略結婚のためではあるが婚約していた婚約者まで妹に奪われてしまう。しかも、妹は彼女の婚約者を奪っただけでなく、王妃である継母の後ろ盾により王位まで彼女から奪い取った。
少女に与えられたのは、大嫌いな宰相の息子との結婚。
幼い頃から執拗に彼女に言い寄ってきた男は、念願の想い人を手に入れ、ほとんど監禁状態で彼女を閉じ込めた。
それから数年。彼女は夫だけでなく、彼女の実母を好いていた夫の父親からも陵辱を受け、その腹には父親の分からぬ子を宿していた。
――死にたい。
屈辱と絶望に満ちた日々。夫たちの愛玩人形として、かつて王女だった頃の面影もない。
ただ、ただ毎日が過ぎていくのを耐えるしかなかった、ある日。地獄のような日々は突然に終わりを告げた。
「国王軍だ!」
燃えさかる屋敷内。唐突にもたらされた攻撃は、国王の軍隊からのものであったらしい。
一体なにがあったのか、呆然とする少女に、彼女を連れ出しにきた屋敷の侍女が逃亡の道すがら夫が反逆罪で訴えられていることを教えてくれた。
――反逆罪。
屋敷の外には国王軍がずらりと立ち並び、火のついた矢が次々と屋敷へ放たれる。どうやら、国王軍は夫を捕らえるどころか、殺そうとしているらしい。
夫の危機だというのに、無感情に少女は思った。
「ぎゃあっ」
そのとき、彼女を連れ出した侍女が国王軍から放たれた弓に当たり、倒れた。周りには、自分達以外誰もいない。
急所に当たったらしく侍女は既に絶命していた。
ふと、少女は己が自由になったことを知った。
今まで自分を縛り付けていた夫たちはここにはいない。夫に代わり自分を連れ出しにきた侍女も、亡くなった。
さて、どうしようか。少女はしばし考え、ふと窓の外から水音がするのに気がついた。
少女を奪われないように、そして少女が逃げたせないように、夫は森の中の屋敷に少女をすまわせた。屋敷の三方は国王軍が囲んでいる。だが、屋敷の背面は流れの激しい川になっていた。
少女は窓を開け、下に流れる川へと視線を落とした。
国王軍に下れば命は助かるかもしれない。けれど、城には自分を嫌っている妹がいる。
これ以上惨めな生活には耐えられなかった。
お腹の子には可哀相だが、けれどもう疲れてしまったのだ。なにもかも、全て。
燃えさかる屋敷から、少女は自ら川へと身を投げる。
これで、自由になれる。
思い通りにならない現実から、すっかり汚れ果てた肉体から。
少女はうっすらと笑って眼を閉じた。
※※※
次に少女が眼を覚ました時、目の前には見慣れない天井があった。
「お、起きたか?」
視界をずらせば、ヨレヨレの薄汚い白衣に身を包んだ医者らしき男の姿が目に映った。分厚い眼鏡の向こうで、人懐っこい笑みが浮かぶ。
どうやら少女は助かってしまったようだ。
起き上がろうとすると、体のあちこちが痛む。とりわけひどい痛みを感じたのは、腹部だった。思わず腹を抱える少女に、男は気まずげに子どもまでは助けられなかった、と呟いた。
当たり前だろう。真冬の川に飛び込んだのだ。それも、激流の。命があること事態が奇跡のようなものだ。でも、今はその奇跡も少女にとっては不運でしかなかった。
名を聞いてきた男に、少女は「エマ」と本来の名の一部を教えた。
男の名前はレヴァンと言うそうだ。
名前以外己のことを話そうとしない少女に、レヴァンは困ったように眉を寄せたが、しかしやがて「行くあてがないのならここにいればいい」と言った。
レヴァンは王都から程近い町で医者をしている。
エマが初めに目を覚ました場所は、レヴァンの営む病院の一室。
彼女が飛び込んだあの川は、この町の近くまで続いているそうだ。運よく川岸に打ち寄せられていたエマを町の人間が見つけ、医者であるレヴァンのもとへ運び込んだ、彼が言うにはそういうことだった。
一月後、エマはまだ少し痛みはあるものの立って歩けるようになり、少しずつ病院の仕事を覚えていった。簡単なキズの処置や、病院内の清掃。なにより喜ばれたのが入院や通院してくる子ども達の相手だった。
エマは仮にも王女だったので、読み書きは一通り出来る。
幼い子ども達に本を読んでやったり、家に余裕がなく学校へ行けない子ども達に字を教えてやる。
やがて、病院裏の空き地で学校の真似事をやるようにまでなった。
無邪気な子ども達を見ると、子を失った腹が痛んだが、けれどエマは自ら川に飛び込んだのだ。子を殺した自分に、子を惜しむ権利などない。
エマはひたすらに働いた。仕事をしているときは、過去のことを忘れられる。忘れてしまいたかった、なにもかも。
「エマって、あなた?」
ある日のこと。
病院に一人の小柄な女性がやってきた。
赤茶けた髪に、ソバカスの散った勝気そうな顔。まだ少女といってもいいようなその女性は、キョトンとするエマを一睨みすると、何故か不機嫌そうにフンッと鼻を鳴らして立ち去ってしまった。
一体なんだったのだろう。
不思議に思ったエマだったが、その答えはそう時を置かずにもたらされた。
「あの時はごめんなさい!」
そう謝罪するのは、あの日エマにガンを飛ばしてきた女性。勝気な顔が今は居た堪れないくらい萎れている。
女性は、レヴァンの恋人で名をイリサといった。
ずっと聖職者である父親に付き添い遠くの神殿に行っていたそうなのだが、昨日町に戻り、得体の知れない女がレヴァンの元に居着いたと聞き、いてもたってもいられなくなってしまったらしい。
しかも、病院を訪ねれみれば案の定見知らぬ女が我が物顔で仕事をしている。
気に入らなくて、ついあんな態度を……。
「本当にごめんなさい!」
謝ると言う事はすでに誤解は解けているのだろう。なんとなく、誤解の原因を作ってしまった自分にも非がある気がして、こちらこごめんなさい、と謝る。
その後は謝り合戦になってしまい、互いの謝罪が十を超えたところで見かねたレヴァンにとめられた。
レヴァンとイリサはいいコンビだ。
だらしないように見えてしっかりもののレヴァンと、勝気で勘違い屋だけど素直で可愛らしいイリサ。二人はエマの知っている恋人や夫婦のどれとも違って、とても幸せそうに見えた。近いうちに、二人は結婚するだろう。
エマはそれから新しい“居場所”を探して出かけるようになった。
レヴァンもイリサも今のまま病院にいればいいと言ってくれるが、いつまでも二人の世話になるわけにもいかないだろう。
幸い、エマは子ども達に読み書きを教えることが出来る。
どこか別の町に行っても、最初こそ苦労すれ、一人でも教師としてやっていけるだろう。
そうして、近くの町にも足を伸ばすようになった頃、エマは町で一人の男の子に声をかけられた。
その男の子は、以前病院で字の読み書きを教えたことがある子だった。
旅芸人の一座の子どもとかで、たまたまあの町に来ていたとき、他の子に連れられてエマの元に通ってきていたのだ。
先生。
そう呼びながら駆けてくる子の横にはもう一人似た年頃の男の子がいた。黒い髪に同じく黒い知的な瞳。滅多に見ないような美しい容貌のその少年は、この町に住む漁師の夫妻の子どもだという。
どことなく、見知った誰かに似ている。
けれどエマはそれが誰だったか、上手く思い出せなかった。
その後、子ども達とは二、三言会話を交わして別れた。
数週間後、エマは再び男の子達と会った町に足を伸ばした。今日は引越し先を探しに来たわけでなく、近隣の町の中では唯一この町にしかない図書館に寄るためだ。
新しい新居は別の町で見つかった。老夫婦が住んでいた家を間借りして小さな教室を開けることになったのだ。今日はその教室で子ども達に教える為の教材を探しに来た。もっとも、教材を買うお金などないので、図書館で見つけた本の内容をしっかりと頭に焼き付けるつもりだ。
と、数週間前に男の子達と会った所と同じ場所に通りかかったとき、先生、と耳慣れぬ声が聞こえてきた。
馴染みのない声に、エマを呼んだともわからないのに、つい癖で振り向く。すると、そこには先日出合った黒髪の男の子が立っていた。
どうしたの?
聞くと、エマを待っていたという。
驚くエマに少年は彼女の手を掴み騎士の話をして欲しい、とせがんできた。
どうもエマが以前もう一人の少年にした話を彼から聞いて、自分も聞きたいと思いエマを待っていたのだという。先日会った時に言えばよかったのにというと、その時は忘れていたと答えた。
仕方なくエマは、今日は用事があるからまた明日同じ場所で待ち合わせをしようと約束をした。
少年は頷き、翌日二人はまた同じ場所で会うことになった。
騎士の話、というのは以前エマについてくれていた騎士から聞いた冒険の物語だ。
作り話の中に自分の経験も混ぜてあるのだろう、ところどころが妙にリアルで、それが一層子どもたちの興味を惹きつけた。
そういえば、あの二人はどうしているだろう。
ふと思い出すのは、以前自分に仕えてくれていた騎士と侍女の夫婦のこと。彼女たちの子どもも、順調に生まれ育っていればちょうどこの男の子くらいの年齢になっているだろう。
騎士の物語は長く、次の日も、その次の日も話は続いた。
その結果、エマたちは定期的町で約束をし、会うようになった。
そうして男の子との“お話し会”が続いたある日のこと。
既に病院から新居へと引っ越していたエマは、その日も新居から男の子のいる町へと出かけて行った。
ところが、待ち合わせの時刻になっても男の子はやってこない。
一体どうしたのか、なにかあったのだろうか。
ソワソワと待ち続けることしばし。
「エマというのは貴女ですか?」
一人の男がエマに声をかけてきた。
「そうですが」
振り向いてその人を見上げた時、男は驚いたように目を見開き、エマの顔を見た。
「どうかしました?」
けれど、エマには男の顔に見覚えはない。
首を傾げるエマに、男は「そんな」とか「まさか」とか呟いた後、もう一度「エマさんというのは貴女ですか」と聞いた。
「そうです」
エマはもう一度是と返す。
男はどうやらあの黒髪の男の子の保護者だったようで、彼は風邪を引き此処には来られなくなった旨を告げた。
そうか、風邪なら仕方ない。
少年のかわりに謝る男に首を振り、次はどの日に、どの時間にと伝言を頼みその日は帰宅することにした。
それから少年との“お話し会”には、何故かその男性もついてくるようになった。
最初は小さい子の一人歩きは危険だから、付き添っているのだろうかとも思ったが、けれど男性は少年についているというよりは、エマの方に興味があるようだった。
こういうことは、以前にも会った。
レヴァンの病院で働いていた時、一人の男性に付き纏われた。白い肌と、金にも見える蜂蜜色の髪。町の女性は殆どが家事や手伝いなどで外に出ており、肌は健康的に焼けているし、髪も比較的濃い色が多い。
自分の外見が否応なく周りの目を引くのだと知ったとき、エマはできるだけ肌の出ない服を着るよう心がけ、髪もきつく結ってその上から布を被るようにした。
昔から、ろくでもないことばかり呼び込む自分の容姿が好きじゃなかった。
だからエマは今回も、男に対しいい思いを抱いていなかった。
女というだけで力づくで乱暴される恐怖、屈辱。
封印しかけた嫌な思い出が蘇らないように、エマは自然、気を引き締めた。
そっけなく接するエマに、男はけれどいつもめげることなく声をかけてきた。
話の内容はどれも他愛ないもので、今日はいい天気だとか、体調はどうだとか、そんなことをいつも訊いてきた。
帰り際には必ず家まで送る、と一言が投げかけられるのだが、けれどエマは絶対にそれに頷かない。
優しげに見下ろされる感覚も、何故か恭しくかけられる言葉もどこかで経験したような気がするけれど、それを思い出そうとするたびにエマはひどい恐怖感に襲われた。
過去の記憶は彼女にとって忌々しいものでしかなく、彼女は無意識の内にそれにカギをかけ、忘れたものとして振舞っていたのである。
だから彼女は、男がかつて彼女に仕えてくれていた騎士その人であることに気づかない。
“そういう存在がいた”ことは覚えていても、もう彼の顔も声もなにもかも思い出せなかった。自分がどれほど彼を愛していたかも、覚えていない。
“彼”はずっと彼女のことを探していた。
王国の第一王女、エマリア姫。
両親に愛されず、妹姫からも疎まれる孤独な姫君は、けれど王宮の誰よりも気高くいつも凛と前だけを向いていた。
「命に代えてもお守りします」
宣誓の言葉は本心からのもの。自分がこの人を守りたい。彼女を傷つける何者からでも、一生側にいて守って差し上げたい。
けれど、彼は結局彼女を守ることもできずに王宮を去ることになった。
事の発端は姫の父王が姫付きの侍女に手を出したことだ。
王は、前王妃にそっくりな姫を激しく愛すと同時に激しく憎んでいた。
エマリア姫は国王陛下の本当の子どもではない。婿養子として国王がこの国にやってきたときには、もう既に王妃はエマリア姫を身ごもっていたのだ。
しかも、その相手は王妃の実の叔父であった前王弟殿下だという。
政略結婚ながら、王妃を深く愛していた国王はその事実を知って尚、王妃を愛そうとした。が、王妃が亡くなり不義の子である姫君だけが残されると、王の思いは段々と憎しみへと傾いていった。
王妃にそっくりな姫が愛おしい。けれど、自分の子でない彼女が憎い。二つの思いは王の精神を歪ませ、王はやがて姫を苦しめることに楽しみを見出すようになった。
後継者教育とは名ばかりの、虐待に始まり、精神的な苦痛。
王は姫の支えであった侍女と騎士に目をつけ、二人を苦しめることで間接的に姫を苦しめようとした。
――結局、侍女は身ごもるまで王の残酷な所業を姫に告げることはなく、騎士は侍女の腹の子の本当の父親を隠すために、彼女とともに王宮を辞すことに決めた。
だが、それが巡り巡ってあんなことになるとは、思ってもいなかった。
“彼”はずっと王宮を辞したことを後悔していた。
一生守ると誓ったのに、本当に助けが必要な時、彼は彼女を守ることが出来なかったのだ。
宰相の家が国王軍におとされた時、彼は真っ先にエマリア姫の安否を確かめに向かった。
焼け焦げた屋敷跡に、彼女と思しき亡骸は見当たらない。けれど、逃げた者たちの中に彼女がいるわけでもない。
――一体、どこへ?
騎士仲間だった男に尋ねると、屋敷の者たちの中には、火から逃れようと裏の川に身を投げたものもいたと告げた。
「だが、あの激流じゃ助からないだろうな」
そんな、馬鹿な。
昔の仲間たちが川に向かって手を合わせる傍ら、彼だけは頑なに姫の生存を信じていた。
どうしても彼女が死んだなんて考えられない。
ほとんど祈りに似た気持ちだった。
もう一度、彼女に会いたい。
王宮を辞してから後も、彼の心にはずっと彼女がいた。
一緒に王宮を辞めた侍女とは、しばらく同居はしたものの結婚はしなかった。彼女は幼馴染で大切な存在ではあったけれど、互いに愛はなかったのだ。
侍女の方はじきに移り住んだ町で愛しい人を見つけ、その町で漁師をしている男と結ばれた。騎士であった男は侍女夫婦の近くに住み、子どもの成長を見守っていたが、ある程度子どもが大きくなったら自分は旅に出ようと考えていた。
行方不明のエマリア姫を探す為に。
そうして、旅の費用を貯めながら着実に旅支度を整えていた、ある日。
彼はようやく彼女と再会する。
白かった肌は少し日焼けし、長く滑らかだった蜂蜜色の髪はきつく結われ隠されていたけれど、でも彼には彼女が分かった。
どんなに会いたかっただろう。
彼女は彼に気づいていない。もしかしたら、覚えてすらいないのかもしれない。
しかし、彼は自分に誓った。
今度こそ彼女を守ろう。彼女に害為す、この世界の全てのものから今度こそ守ってみせる。
「エマ」
「なにか?」
名前を呼ぶ度に頑なな返事が返される。
けれど彼はそんなことに構わず、ありったけの愛情を込めて彼女の名前を呼んだ。
その呼びかけに、やわらかな返事がされるまで、きっと長く時間はかからないだろう。
遠くない未来、大きくはない家の中、笑い合う二人の男女の姿がある。
男は蜂蜜色の妻の髪を撫で、妻である少女はうっとりと目を閉じ、その身をゆだねた。
彼女の表情にもう憂いはない。
これからは、ただただ幸福な日々が二人を包むことだろう。
「愛している、エマ」
「……私もよ、ディオン」