落とし穴(高校生※ゆるく、意味のない話)
ある日ある時、私は穴に落ちた。
学校からの帰り道珍しく気分のよかった私は、これまた珍しく回り道なんぞをして家に帰った。……いや、帰ろうとした。抜け道として公園を通り、あと少しで家に着く、というところでいきなり、地面が消えた。
そうして、私はちょうど自分の胸元くらいの深さがある穴に落ちたのだった。
「なんとも、マヌケな……」
穴にはまりながら私はあたりを見回した。
まさか、自分が穴に落ちるなんて……鈴木綾子、一生の不覚。
というか、誰がこんなところに穴があいているなんて思うだろう。しかもその穴はちょうど私にジャストフィットで、じたばたと体を動かすが抜け出せそうにない。
さてはてどうやって抜け出そうか、と考え込んだそのときだ。
「人が落ちてるのなんてはじめてみた」
ふと、頭上から声がする。
天の助け!
なんとか体を回転させ声のした方に体を向けると、そこには幼馴染の少年が立っていた。
「あー、谷口健太」
「谷川健人だよ」
「うぐ」
すかさず名前間違いを訂正され、呻く。
仕方ないじゃないか。彼とは幼馴染と言っても幼稚園、小・中・高校と一緒にもかかわらず一度も話したことがない奇跡の関係なのだから。
「で、鈴木綾子はなにやってんの。こんなところで」
「何故フルネーム」
「そっちこそ。間違えていたけど」
うぐ。
「み、見ればわかるでしょう。……穴に落ちてるの」
「はまってるの間違いでしょ」
「そうともいう」
「……楽しい?」
楽しいわけあるかい。
「誰が好き好んで穴になんかはまるのよ! 大体ねえ、なんでこんなところに穴なんか掘ってあるのよ。誰よ、こんなところに穴をあけたのは! 見つけ出して張り倒してやる。……あ、ねえ。ところで足つりそう。すみません。助けてください」
逆ギレしつつ助けを求めると、谷口……あれ谷川だっけ? は呆れた顔で溜息をついた。
「最初からそういえばいいのに」
やかましいわ。乙女が困っていたらまず最初に男の方から手を差し伸べなさいよね。
理不尽なことを内心思いながら、差し出された谷本の手に掴まる。
――が、掴まろうと手を伸ばした瞬間、谷山の手はスイッと避けられ、差し出した私の手は空しく宙を漂った。
「ちょっと!」
何で避けるのよ! こちとら穴から抜け出そうと必死なんですけど!
睨むと、谷原は気まずげに目を逸らした。
「わ、悪い……」
悪いと思っているなら最初からするなっていうの。
もう一度手を伸ばすと、今度はしっかりと手に掴まらせてくれた。全く、なんなんだ一体。
「それじゃ、引っこ抜くよ?」
「んー、頼みます」
再び逃げられることがないように、私の方からもがっしりと彼の手を掴み、引張られるのに身を任せる。
よいしょ、よいしょ。
まだ抜けない。
よいしょ、よいしょ。
やっぱり抜けない。
「ねえ」
「はい」
谷河の問いかけに、私は気まずげに返事をした。
「ビクともしないんだけど」
み、みたいですねー。
先ほども述べたように、穴は私の身体にジャストフィット。方向転換をすることはできるけど、どうにもこうにも抜け出すことはできない。
「……ど、どうしよ。ていうかどうなるの、私」
もしかして一生このまま? 穴から抜け出せず、雨風にさらされひっそりと一人干からびていく。
「み、みじめ……」
そんなの絶対にいや!
「よし、リベンジだ! 谷尾! ……って、あれ?」
見回せど、見回せど、谷川の姿がない。
人が悩んでいる間に、あの薄情者め! 逃げたのか!?
「うわーん! このまま死んだら一番に化けて出てやるからー! 末代まで呪ってやるうぅ」
「……さすがにそれは困るかな」
「え……?」
振り向くと、そこには逃亡したはずの谷川がいた。
しかも、手にスコップのようなもの(というかスコップ)を持っている。
「え、まさか私のためにスコップとりに行ってきてくれたの?」
「うん」
「わー、さすが谷山さま!」
「谷“川”だから」
「谷川さま!」
パチパチ拍手して持ち上げようとする私に、谷川はふと疲れたような溜息をつく。
「やっぱり、このまま放置しようかな……」
「え! なんでっ」
「折角スコップ取りに行ったのに、放置したと思われて呪われかけてたし」
「だ、だってそれは」
なにも言わずに立ち去った君にも非があると思われるんですけど!
「しかも、何度も人の名前間違えるし」
うぐっ……。
だって人の名前覚えるの苦手なんだもの。
「ああ、もう。ごめん! ごめんなさい! 私が悪かったです! お願いだから助けてください」
地面に額をつけて謝ると、谷……川はようやく重たい腰を持ち上げ、穴掘りの体勢に入った。
「しかたないな。じゃ、少し待ってて」
このドSめ!
「何か言った?」
「いいえ、何も!」
ザックザックザックザック。
思ったより柔らかい地質なのか、谷川は慣れた様子で掘り進んでいく。
「ねーねー」
「なに」
「谷川ってさ、家こっちのほうなの?」
「ちがうよ」
「じゃあ、なんでこっちの道通ったの?」
「爺ちゃんの家が、近くなんだよ」
「へー、じゃ、そのスコップも?」
「そう」
ザックザックザックザックザックザック。
ザックザックザックザックザックザック。
掘り返した土やら、泥やらで、谷川はどんどん泥だらけになっていく。
「足、平気?」
「へ? なに?」
「つりそうって言ってたでしょ、さっき」
「あ、あー、うん。大丈夫みたい」
「もう少し我慢してて」
「はいよ」
汗をかいて、泥だらけになって、穴を掘る谷川。……こうしてみると、一度も話したことのない私のために、穴を掘ってくれるなんて彼は意外と親切なのかもしれない。まあ、見捨てたら化けて出るけどね!
「谷川って、いいやつだったんだね」
「なに、急に。褒めても何もでないよ」
「……せめて穴から私を出してくれ」
「ああ、うんそれは勿論。……一応、俺のせいでもあるし」
……え?
「あの、今なんかおっしゃいました?」
「ん? 聞こえなかったなら、別にいいよ」
「いやいやいや、よくないって。今俺のせいって言ったよね!」
どういうこと?
問い詰めるように睨み付けると、谷川は気まずそうに眼を逸らす。
おいこら、眼を逸らせばいいってものじゃないのよ!
「ねえ、どういうこと?」
「……」
にらみ合うことしばし、彼はようやく重たい口を開き言葉を紡いだ。
「俺が掘ったんだ、この穴」
「は?」
なにここにきて驚愕の事実を告白しているの、君!
親友だと思っていた男が実は俺犯人なんだ、と告白するほどの衝撃なんでですが。
「なんのために」
「池、造ろうと思って」
「は?」
これまた意味が分からない。
キョトンとする私に、谷川はザクザクと穴を掘りながら説明してくれた。
いわく、ここは谷川の爺ちゃんの家の敷地内。地元でも有名な庭師である谷川の爺ちゃんは、広い広い自宅の庭に木を植え、花壇を造り、立派な庭を造ったそうだ。我ながら完璧な庭! 自分でも惚れ惚れするような庭を造った爺ちゃんは、造った庭を誰かに見てもらいたくなった(そりゃ、上手にできたものは誰かに自慢したくなるわよね)。
そうして谷川の爺ちゃんは近所の人たちが自由に見て回れるように、庭を開放し私有の公園にしてしまったのだという(そういえば坊ちゃんだったな、コイツ)。
「それで、庭を見に来た客を捕まえようとこの落とし穴を……」
「だから、違うって! 池を造ろうとしたって言ってるでしょ」
「こんな微妙な深さと広さの池があってたまるか!」
「それは、俺……池を造るの、初めてだし」
「そもそもなんで池なんか造ろうとしているのよ」
池なんてなくても、もうすでに立派な庭だと思うんですが。爺ちゃんに触発されて自分もなにか作りたくなったのか?
聞くと、谷川はまただんまりと口を閉じてしまった。
「……」
「いや、別に言いたくなきゃそれでいいんだけども」
「なら最初から聞かないでよ」
ムカッなんていう態度! おじいさん、おたくのお孫さん躾がなっていませんよ!
穴にはまりながらプリプリと怒っていると、ザクザクという穴掘り音とともに、ポツリと何か聞こえてきた。
「……話したの、初めてじゃないんだよ」
「はい?」
「一度だけ、話したことがあるんだ」
キョトンとして見上げれば、谷川の顔はうっすらと赤みを帯びていた。
一体何に照れているんだ、君は。
「……あの、なにを? ていうか、誰が?」
しかし私には何がなんだかさっぱりわからない。
もうすこし具体的に説明してくれるかな?
「……俺と鈴木、前にも一度話したことあるんだよ」
「え、嘘。いつ?」
「一年前。中三の一学期」
中三の一学期……?
一年以上前の記憶を思い起こし、私はようやくそれらしき記憶に思い当たった。
確か中三の夏休み前にあった二者面談のとき。順番待ちでブラブラしていた私は、同じく順番待ち中だった谷川に話しかけた。気がする。
「ねえ谷口、夢とかあるの?」
その頃私は、中三だというのにまだ進路を決められずにいた。
だから参考までに近くにいた彼の進路を尋ねたのだ。
「俺、谷川なんだけど」
「…………谷川は夢あるんですか?」
「……庭師、になるのが夢」
少し恥ずかしそうに、谷川は言った。
「庭師……って、庭造ったりする、アレ?」
「そう。俺のじいちゃん庭師やってて、それで」
憧れて、と小さく呟くように続ける。
「ふうん、そうなんだ。庭師かぁ、すごいじゃん。いつか池とか造ったら見せてね」
「別にいいけど」
「じゃ、約束ね」
そこですぐに私の番が来て、話は終わった。
ニ、三分くらいしか話してないのによく覚えていたな、この人。
「記憶力いいね、谷川」
「鈴木は記憶力悪いよね、何度も名前間違えるし。傷ついているんだからね、俺」
「わー、ごめんて」
何度も言うけど人の名前を覚えるのは苦手なんだって。
「全く、俺馬鹿みたいじゃん。そんな忘れられてた約束のために、毎日泥だらけになって穴掘って、一生懸命池を造って……」
気がつくと、穴は一回り大きくなっていた。
「はい、手出して」
「ああ、うん」
差し出された谷川の手を掴めば、今度は簡単に抜け出すことができた。
「さて、責任とってつきあってよね」
「へ?」
なにを?
「穴掘り」
「あ、あー穴掘り、ね」
ただしくは池堀では?
一年以上前の会話をいつまでも覚えていて、その約束のためにドロだらけになって穴を掘るヘンテコな幼馴染。とりあえず、私はもう彼の名前を間違えないだろう。
「ありがとう、谷川健人」
「どういたしまして」