愛について(おっさんと幼女)
ロウは困っていた。
今日は一日、仕事を休み、家でのんびりしようと考えていたのに、思わぬ来客にそれを台無しにされた挙句、来客の置き土産のせいで自分は今、犯罪者になるかならないかの瀬戸際に立たされている。
「ミスター、ロウ。固まっていないで早く私の告白に対するお返事をいただきたいのだけど」
頭上から降ってくるのは天使のフリをした小悪魔の声だ。
金の巻き毛に父親譲りのエメラルドの瞳。瞳以外は全て絶世の美女と名高い母親譲りの面差しをしたこの少女――否、幼女は今、ロウの腹の上に乗っかって彼を脅していた。
「リゼル、とりあえずそこを退いてくれないだろうか」
「嫌よ、あなたが私の告白にイエスと返すまでここを動かないわ」
風呂上りのロウを紐で引っ掛けて転ばせた挙句、リゼルは彼の体に圧し掛かり熱烈な愛の言葉と強烈な脅し文句を吐き出して“犯罪者になるか自分の恋人になるか選べ”と告げた。ただ幼い少女に圧し掛かられただけなら、自分の手で彼女を退けて起き上がればいい話なのだが、彼女の片手には通報用の番号が押されたピンクのジュニア用携帯電話が握られ、彼がノーと告げた瞬間に発信ボタンを押し警察に通報すると脅してくる。
半裸の男(風呂上りだからまだ服をしっかりと着ていないのだ)の上に幼女がまたがっているとなったら、確かにちょっと誤解を招きそうな状況である。
「ええと、リゼル。なにか不満なことがあったのかな? 私は君になにか嫌われるようなことでもした?」
ロウはできるだけ優しい声を出してリゼルに尋ねた。
確かに今日一日、子守を押し付けられたということに厄介だなと思いもしたが、それは友人たちの手前、しっかり押し隠し表向き快く彼女を預かったつもりだ。けれど、彼女にはその私の本当の気持ちがばれてしまっていたのだろうか? それとも、遊園地――彼女が行きたいと所望した――に行く準備をするからと風呂に入ったのがまずかったか? 起きたばかりだったのでさっぱりしてから外出したかったのだが、入浴中、一人で待たされたのがそんなにも苦だったのだろうか。
幼い子と普段あまり関わる機会のないロウには、なにが彼女の機嫌を損ねたのかさっぱりだ。
けれど、リゼルは尋ねてきたロウに不可解そうに眉根を寄せて「別に不満なんてないわ」と首を振った。
「不満がないならどうしてこんな嫌がらせ――じゃなくて悪戯をするんだい?」
「悪戯なんかじゃないわ。言ったでしょ、私はあなたに告白をしているの」
告白――。
告白とはこんなにもヒヤリとして嫌な汗が流れるものだっただろうか? ロウはしばし頭を悩ませた。
「私、あなたのことが好きになってしまったの。私のダーリンになってちょうだい」
「それは、ままごとかなにかの相手をしろということかな?」
「ままごとじゃないわ! 本当の恋人よ!」
憤慨して声を上げるリゼルに、ロウはその拍子に彼女が携帯の発信ボタンを押してしまうのではないかとまた冷や汗を流した。
本当の恋人だって? そんなの、今通報されなくともいずれ捕まってしまうじゃないか。それに、自分は小学校にも上がっていないような幼稚園児と付き合うような趣味はない。
「未成年でも結婚の約束をしてあれば交際しても罪にはならないと聞いたわ」
「あのねえ、リゼル……」
どこでそういった知識を身につけてくるのか、この子は。ロウはリゼルの教育環境を心の底から心配した。
「君と私ではどのくらい歳の差があるのか、わかっているのかい?」
「たしか二十五、六歳くらいだったかしら」
「そう、私は君の両親と同じ三十歳。そして君はまだ学校にも通っていない五歳児だ」
「愛があれば年齢なんて関係ないわ、ミスターロウ」
「愛があれば、ねえ……」
こんな子どもが“愛”など本当に分かっているのだろうか。ロウは嘆息してリゼルを見上げた。
「リゼル、そもそも君は本当に私のことが好きなのかい?」
馬鹿にされたとでも思ったのか、「どういう意味?」リゼルは少し恐い顔をしてロウを睨みつける。
「私たちは、今日初めて会ったばかりじゃないか」
「愛に時間なんて関係ないわ」
「そうだね、でも君は私の何処を好きに? 私は君に好かれるようなことなど何一つしていないと思うのだが」
「会った瞬間恋に落ちてしまったの。きっと私たちは結ばれる運命だったのよ」
「運命……」
「そう、運命。あなたを見た瞬間ビビビッ! て体に電流が走ったの!」
その妙な電波のせいで、私は今こうして脅されているというわけか。
言うことだけは立派なリゼルにロウは内心拍手を送りながら、そういえば彼女の母はメロドラマが好きだったな、と思い出した。おそらくリゼルのこの語彙力はそのメロドラマから得てきたものだろう。幼い子どもには御伽噺こそがふさわしいと思うのだが、道理で陳腐な言い回しが多いはずである。
「それじゃあリゼル、愛する私のために、君はなにをしてくれる?」
「え?」
リゼルはキョトンとした表情を浮かべてロウを見下ろした。母親そっくりのぱっちりとした大きな瞳が、ロウを映し出す。
「求めるだけが愛情じゃない。それとも、君の言う恋愛は相手からなにもかも奪い、与えてもらうだけのもの?」
ロウが小首を傾げると、リゼルは愛らしい桃色の頬を膨らませる。
「馬鹿にしないで、ミスターロウ。私、あなたのためならなんだってしてあげられるんだから」
「じゃあ、その携帯電話を放してくれないだろうか」
「それはダメ」
即答される。
「……言っていることとやっていることが違わないかい?」
「時と場合によるのよ、ミスターロウ。これはあなたを私のものにするための大切な手段なのだから、あなたが恋人になってくれたら、私は何でも言うことを聞いてあげる」
ふふ、と幼子に言い聞かすように言うリゼルに、「脅して相手を手に入れるのが、君の言う愛なのか?」ロウはついなじるように言葉を紡いだ。
「え?」
リゼルはほんの一瞬驚いたような表情をつくる。が、すぐに笑顔を取り戻すと「じゃあ逆に聞くけど、あなたが思う愛とはどんなものなの? ミスターロウ」と小首を傾げた。さきほどの反撃か、まさかそうくるとは思いもしなかったロウは、ふっと苦い笑いを落とした。
――まさかこんな子どもに愛を問われるとは。
しばしの後、ロウは自分でも驚くほど真摯な声で彼女の質問に答えていた。
「……好きな相手が幸せになれるように祈ること、かな」
「え?」
脳裏に浮かぶ、目の前にいる少女とそっくりの、絶世の美女と謳われる女性の姿。
「例えそれが別の男といる幸せであっても、私は愛しい人の幸福を願う。愛しい人の幸せこそが、私の幸福なんだ」
「……それが、あなたの思う愛?」
訊ねてくる少女に、ロウは「そうだよ」と頷きを返す。
「……ミスターロウ、あなたって」
「ん?」
「不毛だわ」
ばっさりと切り捨てられ、ロウはしかし、ただ苦笑を浮かべ「本当に」と返す。
今の今までリゼルが自分の言っている言葉を本当に理解して使っているのか疑問だったのだが、どうやら彼女はロウが思うほど子どもではないらしい。少なくとも、二十五歳も年上の男の、不毛な片思いを見破れるほどには。
「君は将来、いい女になれそうだね」
言うと、リゼルは顔を真っ赤にして「当たり前だわ」と呟いた。それから、深い深い溜息を落とすと、
「いいわ! 今日のところは諦めてあげる」
「え?」
一体全体どういう風の吹き回しか。頑としてロウの上から動かなかった少女はあっさりと身を引いて立ち上がった。
「今日のところは諦めてあげるといったのよ、ミスターロウ」
ついで、先ほどまでロウを脅していた“手段”である携帯電話を、電源を切りポケットに入れてしまう。
「愛しい人を犯罪者にするのは、私も本意ではないしね。……だから、もう少し私が大人になったとき、ピチピチの肉体で初老のあなたを落としに来てあげる!」
「……それは、喜んでいいことなのだろうか?」
「他人の幸せを願うあなたを、いつかきっと私が振り向かせて、幸せにしてあげる」
にっこりと笑う少女に、ロウはついつられて「それは、楽しみにしているよ」と呟いてしまった。
数年後、彼女は約束通りロウの前に現れる。
母親にそっくりな姿かたちで、父親ゆずりのエメラルドの瞳を輝かせて、そして彼女にしかできないとびっきりの笑顔を浮かべて。
「愛してるわ、ミスターロウ。約束通り、あなたを幸せにしに来たわ」
まるで御伽噺に出てくる魔法使いのように、ロウのところに愛と幸せを運びにやってくる。