表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/27

金木犀の満ちる部屋(病弱青年×同い年女子*身分差*悲恋?)

 病院のような、つんと嫌な薬品のにおいが充満してるのではないかと思っていたそこは、予想に反して全然そんなことはなく。ただすぐそばの庭に生えた金木犀の香りで満たされていた。あまい香りが満ちた真っ白な部屋はどこか現実味がなく、この世ではない別の空間であるかのように思えた。


「やあ」


 彼が言う。元々色素が薄く色白だった肌は更に青白く、浮ぶ笑顔を儚げに見せた。窓から入ってくる風が、彼の綺麗な茶色い髪を揺らす。ひざの上に開いた状態で置かれた本のページがヒラヒラ、と揺れて数ページ分捲れた。


「こんにちは」


 私はそう言って入り口で止まったままだった足を動かして部屋の中に入った。彼を真似して笑顔を浮かべたつもりだったけれど、上手く笑えたかどうかわからない。

 傍らにおいてあった椅子を一脚、移動して彼のベッドの横に置いて、それに腰を下ろした。見下ろしていた彼の顔が、ようやく真正面になる。この部屋での、私の定位置。


「今日は何の本?」

「ん? ああ、推理小説。読む? 裏の金物屋が犯人なんだ」

「……犯人を教えられて、推理小説を読む人はいないと思うわ」


 じと、と呆れた顔をしてみせると、彼は「犯人を教えなくても読む気はないくせに」と言った。わかっているなら勧めないでほしい。私はそんな推理小説なんかよりも、甘い甘い恋愛小説が好きなのだ。相思相愛、主人公が必ず好きな人と結ばれるような、そんな夢のような物語が。


「相変わらずロマンチストなんだね」


 そう笑われて、私は馬鹿にされたような気がして「悪かったわね」と、頬を膨らました。


「いや、別に。女の子らしくていいんじゃない?」


 くすくすと笑いながら言われても、説得力がない。ますます馬鹿にされた気分だ。それにもう、女の子なんていう年じゃない。けれど、ふん、とすねるように顔を背けてしまうあたり、自分でも子どもっぽいと認めざるを得ないのかもしれない。

 やや反省しながら顔をもとに戻そうとした瞬間、棚の上の花瓶に、綺麗な花が生けられていることに気がついた。


「誰?」


 誰が、持ってきたの。最後まで言わずとも、彼にはなんのことか分かったようで「ああ、」と呟いた後「祥子さんが」と答えた。


「へえ、きてたんだ?」

「さっきまでね」

「……」

「どうかした?」

「私もなにかもってくればよかった」


 失敗した、と呟くと、彼はまたくす、と笑った。


「いつもそんなこと気にしないくせに」

「そうだけど」


 なんか、他の人が持ってきてると聞くと、自分もそうしなきゃいけないような気がしてくる。ああ、ここに来る途中にあった花屋でなにか買ってくるんだった。そこの花瓶に生けてあるような、綺麗で上品なバラなんかに負けないくらいの、すごいやつを。といっても、あんな高価そうなバラ以上のなにかを私が買えるわけもないのだけれど。

 恨めしそうにバラを睨んでいると、手首に生ぬるい体温が触れた。ん? と視線を手元に戻すと、案の定彼が私の左手を掴んで自分の手の中に引き寄せていた。


「僕は花なんかよりも、君が来てくれるだけで嬉しいんだけど」


 そう言って私の左手の甲にちゅ、と口付ける。


「……会わないうちに随分と女性の扱いが上手くなったのね」


 嫌味のつもりで言ってやると、分かっているのかいないのか、彼は嬉しそうに「まあね」と言って微笑んだ。私は溜息をついて、手を振り払い、彼にさらわれた左手を取り返した。

 唇が触れた部分が、熱い。


「本当になにもいらないんだ。来てくれるだけで充分」


 そうして彼はまた微笑む。


「でも、もう来れなくなるけどね」


 私は何故だか不意に彼を傷つけたくなって、言葉を紡いだ。彼の顔が曇ってしまえばいい、そう思って。

 けれど、彼は変わらず優しげな顔をして頷いた。


「うん、知ってる」


 窓から入った秋風が、また彼の髪を撫でる。それと同時に、金木犀の香りが少し強くなった気がした。


「学校の先生なんだって? 僕達より四つ年上の。誠実そうな人だったっておばさんが母さんに話してた。いつ頃結婚するの?」


 すらすらと話していく彼。

 私は目の前が真っ暗になった。

 なんだ、全部知っていたのか。そりゃそうだ、私の母と彼の母は大の仲良しで、今までだって情報はいつも筒抜けだった。普段の何気ない話から、あまり知られたくないようなことまで、全部私が言う前に彼のもとに届いてしまっていた。だから、私の結婚の話だって、彼が知らないはずはなかった。

 でも、どうしてだろう。この縁談がまとまったのは一ヶ月も前のことなのに。彼が母親から話を聞いたのも、きっと昨日今日じゃないはずだ。なのに、なのにどうして、彼は今までなにも知らないふりをしていたのだろう。

 どうして、相変わらずそんな優しげな微笑を浮かべているの。


「春くらい、かな」


 出来るだけ平静を装って答えた私に、彼は「ふうん」と頷く。


「じゃあ僕の式の方が少し先になるね」


 その顔に浮かぶ、綺麗な微笑み。

 どうして、そんな風に笑えるの。

 傷つけようと思って吐いた言葉は、回りまわって自分に戻ってきた。

 私は今、きっとひどい顔をしているだろう。



 半年前、彼の婚約が決まった。病弱で、一日中床に臥せっていなければならないような彼に、その話が舞い込んできたのはほとんど奇跡だった。彼の遠縁にあたる親戚の、大金持ちのお嬢様が、なにかの折、この家に親戚同士が集まった際、たまたま窓際で外を眺めている彼の姿を見て、一目ぼれをしてしまったのだとか。

 両親は、最初は反対したらしいのだけど、娘の頑なといわんばかりの恋情についには折れ、また彼の家が代々続く旧家であったこともあり、結局二人の婚約を認めた。相手は一生遊んで暮らせるような大金持ち。また彼の家もそれなりに裕福だ。彼が働くことが出来ぬ体であっても生きていける。彼と結婚できるような娘など絶対現れないだろうと思っていた彼の両親は喜んでその縁談に応じ、この冬めでたく式を挙げることとなった。


 それを聞いた時の、私の気持ち。

 私はその日から何日かふさぎ込んで、部屋から出ようともしなかった。


 母の親友の息子であり、小さい頃からよく知っていた彼のことを、私はひそかに好いていたのだ。病弱でいつも白い部屋のベッドの上にいて、優しげな笑みをこぼす彼が、好きで、好きで、どうしようもなく好きだった。

 けれど、私の家は彼の家のように裕福ではなく、旧家でもない。母親同士が親友であったとはいっても、それは母が彼の母に仕えていた時があり、そこで年が近かった二人が意気投合しただけのことであり、私は彼と決して対等な身分などではないのだ。私達が結ばれることなど、ありはしない。

 私はそのことを、よく理解していたつもりだった。理解したうえで、ただこうして傍にいられる日が長く続けばいいと願っていた。でも、そんな考えは全部自分に対する誤魔化しだったのだ。

 本当は彼とずっと一緒にいたかった、自分だけを見つめて、愛を囁いて欲しかった。まるで都合のよい恋愛小説のように、奇跡が起きて彼と結ばれることを夢見ていた。私のものにしたかった。ずっとずっと、自分だけに笑いかけて欲しかったのだ。


 彼の婚約を知った後、私は見も知らぬ人と見合いをした。

 彼が、私がそうだったように、彼も私の結婚を悲しんでくれればいいと思った。悲しんで落ち込んで、心を乱してくれればいいのに。そうしたら、少しは救われたかもしれないのに。


 じ、と彼を見つめる。相変わらず浮かんでいるのはいつもの優しげな表情だ。


「そんな顔するなら、最初から言わなければいいのに」

「え?」


 不意に、また左手に体温を感じた。思わず顔を上げ、見返したときには、強引な力でベッドに引き上げられていた。

 真正面には彼の顔。でも、いつもみたく椅子に座って眺めるような感じではなくて、ベッドの上の彼の膝の上に、横抱きにするようにのせられている。


「僕を傷つけるなんて、君にはできないよ。だって、」


 抱きすくめられていた腕を緩め、彼が私を見る。

 ゆっくりと、焦点も合わないほど近くに、彼の顔がせまってきて。


「君から与えられるものは、なんだって。たとえ痛みであっても、僕にとっては愛しくてたまらないんだ」


 そうして、彼は笑って私にキスをした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ