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冬の日のこと(駄目人間×しっかり者*従兄妹)

 寒い。

 そう言って一人、真冬の部屋で暖房もつけずに薄着で転がっていた従兄を発見したのは今朝方のことだった。


「馬鹿じゃないの?」

 糸子いとこが心底呆れた声で言うと、泉太郎せんたろうは「だって」とか「でも」とか口を動かした後、結局「ごめんなさい」と力なく頭を垂れた。

 海外赴任中の叔父夫妻に頼まれて週に一度の家政婦バイトを初めて早一月。糸子は四つ上の従兄がこんなにも生活力のない男だとは知りもしなかった。

 電化製品の使いすぎでブレーカーを落とし、直し方が分からないと数日間暗闇の中で過ごしたり、飯の炊き方が分からないからと糸子が飯を作りに来る日以外は何も食べず、餓死しかけたり。もう、本当、人間としてどうかと思うくらい一人暮らしに向かない男だ。

(飯が炊けなきゃコンビニやファーストフードにでも行けっての!)

 しかし彼にとって外食とは、支払いにゼロが幾つもつくような高級レストランでのことを指すらしく、コンビニやファーストフードなど利用したことがないという。それを聞いたとき、どんなに妬ましく羨ましかったことか(あまりにも腹が立ったので蹴りを一つ入れてやった)。

 中小企業勤めの父とパートタイマーな母のもとに生まれ、超が上につくほど一般庶民な糸子と違い、ほんの少しでも血が繋がっていることを疑いたくなるほど、泉太郎の家はお金持ちの家庭だった。父親は世界的な建築デザイナーで、母親は有名絵本作家。才能の塊のような両親から生まれた泉太郎は、これまた天才と小さい頃からもてはやされ、今や生活力ゼロのくせして売れっ子小説家として名を馳せている。

 神様、世の中こんな不公平であっていいのか。嘆きたくなるが、神様はなにも答えちゃくれない。世の中に才能の種をばらまいて、芽が出るも枯れるも後は自分次第ってことなんだろう。枯れる寸前にせめて肥料とか水とかを与えてくれたっていいのに、苦境の中でこそ咲く花は美しいなんて言っちゃってさ。かと言って恵まれた環境で育った泉太郎の書く小説が美しくないかって言ったらそんなわけもなくて。

「あの、イト?」

 コンロにかけた鍋を見ながら、具と一緒に己の思考もぐつぐつ煮詰めていた糸子に、泉太郎はおずおずと声をかけた。

「なに、お風呂上がった?」

 振り向いて言うと、ほやほやと身体から湯気を立て突っ立っている人は「うん」と頷く。

 頷いた拍子にびっしょりと濡れた髪から水滴がポツポツと垂れて、

「ああ、もう髪の毛半乾きじゃないの」

 糸子は泉太郎の首にかけられていたタオルを引ったくり乱暴に頭を拭ってやった。

「いた、いたいよイト」

「あんたは、ドライヤーの使い方も知らんのか」

 水分を吸ってしな、と下に垂れていた髪は、タオルに水を奪われた瞬間縦横無尽に跳ね始める。ああ、元気な癖っ毛ですこと。

 がしがしと、髪全体を拭い終えた後、

「はい、あとはドライヤーかけといで」

 タオルをもとの場所にかけてやると、それまで隠れていたアーモンド型の瞳がじとりと不満げな視線を送ってきた。

「なに、その不服そうな顔」

「イトは面倒見いいくせにガサツだ」

 喧嘩売ってる?

 カッと表情を険しくした糸子に、泉太郎は慌てて洗面所の方に逃げ込む。

 四つも年上で、既に成人して二年たつというのにこの人は。どうにも子供っぽい従兄に呆れながら、糸子は煮詰まってきた鍋の仕上げに専念することにした。


「はいこれ」

 食後、きれいにしめのおじやまで食べ尽くされて空になった鍋を挟みながらデザートのプリンをつついていた糸子の前に、印刷したての白い紙の束が差し出された。

「待ってました」

 糸子は嬉しそうにそれを受け取ると、散らかっていたテーブルの上の物を端に寄せて、そこに紙の束を置く。

 一番上に重ねられた紙には、真ん中に『春』とだけ印字されている。小説家、唯濱ゆいはま泉太郎の最新作。それもまだ出版すらされていない出来立てほやほやの小説で、実はこれが糸子の家政婦としてのバイト代だったりする。

「春……」

 なぞるようにしてタイトルを読み上げ、それから一度向かい側に座る泉太郎へと視線を移す。

「読んでいい?」

「どうぞ」

 許可をとる糸子に、泉太郎が頷く。

 糸子は逸る気持ちを抑えながらゆっくりと、クリップで右端がとめてあるだけの“小説”を捲った。

 一枚目は白紙。

 一呼吸置いて、それから物語への扉を開いた。


 泉太郎の書く物語は流れるように紡がれる文章と、ほのぼのした中にもゆらりと心を揺らす感動が含まれている。幸せなのに、泣きたくなる。切ないのに、心があったかくなる。じんわりと目に熱がたまって、やがて涙が滲み、ゆっくりと頬を伝っていくように。

 言葉自体は難しくなく、子供も読めるように身近な言葉たちが並べられているのだけど、糸子が逆立ちしても出来ないような表現を、泉太郎はする。聞き慣れた言葉を寄せ集めて、親しみのある言葉から、彼は芸術を作り出すのだ。

 国語が苦手な糸子にだって分かる、泉太郎の小説の魅力。


「……ど、どうだった?」

 最後のページを読み終え、パタリと紙を閉じ、表紙に戻した糸子を見て、泉太郎が恐る恐る訊く。

 糸子は目の端に滲む涙を押さえて拭いながら、少し余韻を楽しむように、テーブルの上の小説に視線を向けていた。

 それから、しばし間を置いて顔を上げる。

「まあまあ」

 途端、憮然とした表情で言う糸子に泉太郎はがくりと肩を落とした。

「イトは厳しい……」

 悲しげに呟いて、テーブルにのの字を書きはじめる。

「小説はいつも通りよかった」

 糸子はそう言って、「でもね」と付け加える。

「今回これ書き上げるために何日かかった? 今日あたしが来たとき、寒さに呻いてたのは寝食忘れてこれ書いてたせいじゃないでしょうね……」

 怒りを含んで言う人に、視線をあわすこともできずに泉太郎は来たとき同様「だって」とか「だけど」とか呟いた。

「だって、でも、だけど、でもない! あたしがどうしてここに来てるか、あんた知ってるでしょうに」

「お、おれの面倒を見に……」

 びくつきながら答えが返ってくる。

「そうよ、正解」

 分かっているならどうして本末転倒になるようなことをするのか。新作小説をバイト代の一つとして要求したのは、“無理なく普通に”仕事として泉太郎が書いている小説を一番に見たいと思ったからだ。だというのに、泉太郎は糸子のために仕事とは別に小説を書くようになり、結果仕事と糸子の報酬とに追われててんてこ舞。

「し、仕事の小説はまだ締め切りが一月先だから」

「だからってわざわざ週に一度世話焼きにくる小娘のためだけに短編書き下ろさんでもいいわ!」

 泉太郎は小説を書くとき、生活そっちのけで集中するため、その間の生活が普段以上にダメになる。それを心配しての叔父夫妻の糸子派遣だったのだけど、その糸子が愛息子の不摂生に拍車をかけてると知れたらどんな顔をするか。

「あのねぇ、せんちゃん。もう少し生活力を身につけようよ。あたしはここに来る度泉太郎のミイラを見つけるんじゃないかってヒヤヒヤしてるんだからね」

 ため息をついて言うと、

「ミイラは一週間かそこらじゃできないと思うよ」

 泉太郎は正論を投げかける。

「やかましいわ。それだけ心配してるのよ、分かってる?」

「うん、でも俺、イトが来てくれるのが嬉しいんだ」

 泉太郎はへにゃりと幸せそうな笑みを浮かべた。

 誰かが自分を心配してくれる。

 一人ぼっちの家に、週に一度誰かが訪ねてきてくれる安堵感。

「俺、今まで父さんや母さんとずっと離れたことなかったから。こんな年になって恥ずかしいんだけど、一人暮らしを始めて、まだ一月しか経たないのにすげー不安で、すげー寂しい」

 ブレーカーが落ちても、真っ暗闇の中で朝を待つしか術を知らない。

 誰かが作ってくれたご飯を、ただ食べることしか術を知らない。

 一人になって初めて気づく自分の不甲斐なさ、情けなさ。

「イトが家に来てくれるなら、俺はもっと沢山小説を書くよ」

「あんたは自分がしっかりしようとは思わんのか」

 殺し文句、とばかりに言ってのける泉太郎に、糸子はすかさず突っ込みを入れる。

 たかが飯代、世話代、掃除代でベストセラー作家の最新作を読めることは嬉しいが。しかし、この人はもう少ししゃんと一人立ちするべきだと思うのだ。あんなに素晴らしい物語を書くのに、どうして実物の泉太郎はこんなだめ人間なの。

「泉ちゃん、このまま他人にもたれかかって生きていく気?」

 経済力はあるから、金銭的な面は問題ないけど。

 これを解決するためにはあれか、お嫁さんでも貰うべきか。

「イトがいるからいいよ」

 へにゃへにゃと笑う泉太郎を「あたしを一生家政婦にする気か」一蹴してやると、泉太郎は「そういう意味じゃないのになぁ」と困ったように頭をかいていた。

 じゃあ、一体どういう意味なのよ、とは、満腹になって睡魔に襲われたらしい彼に、訊くことはできなかった。

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