平和的世界の守り方(魔王×女子高生)
「あ、ダウト」
出されたばかりのカードに手を伸ばし、香菜子はそれをひらりと裏返した。
記載された数字はハートの十。直前に香菜子が出したカードは五の番号で、ここで相手が出さなければならなかったのは六のカードだ。つまり。
「はいダウト! ダウトです、陛下! どーんまーい」
嬉々満面の表情で積み重なったカードの山を差し出す香菜子に、テーブルの向かいに座った男は悔しそうに眉を寄せた。
「お前、先程からズルをしておらぬか」
負け惜しみのように言う。
「していませんよう、そんなこと。するわけないじゃないですか」
「しかし、それではどうして吾ばかりがカードを貰わねばならんのだ」
「そりゃ、陛下が弱いから」
歯に衣着せぬ物言いに、男は「くっ……!」とカードを握り締めた。
どこかの世界のどこかの魔界で、王として君臨するこの男。通称、魔王。人々に恐れられ、畏怖される対象の彼と、今年十六になる高校一年生の仁科香菜子はほのぼのとカードゲームをして遊んでいた(相手にとっては本気も本気、世界をかけた勝負のつもりらしいが、対戦方法がカードゲームとあっては危機感も薄れるというものだ)。
種目はダウト。一から順にカードを裏返しで出していき、嘘を見破ったり見破られたりして先に上がったら勝ちという単純なゲームである。
トランプを始めてから三十分。なかなかに魔王は分かりやすく、顔に出やすい性質なのか、着実にカードを減らしていく香菜子とは反対に、魔王の手持ちは増える一方だった。
「あ、あたし上がりでーす」
高らかに宣言して最後の一枚を出した香菜子に、魔王はガバリと顔を上げた。
「嘘だろう!?」
「本当でーす」
空いた掌をひらひら振ってみせると、「ダ、ダウト! ダウトだ!」魔王は慌てて彼女が出したカードを裏返した。
目に映る模様はクローバーの二。魔王から始まって、直前に彼が出したカードがスペードの一であるから、正真正銘香菜子の勝ちだ。
「また負けた……」
打ちひしがれて、カードを集め始める魔王(片付けは負けた人の役目と決めている)。
丁寧にテーブルの上のカードをかき集めていく魔王を見ながら、香菜子は制服のポケットから携帯電話を取り出した。淡いピンク色をしたお気に入りのそれは、高校の入学祝に両親に買ってもらったもの。電波こそ入らないが、時刻を知る為の時計代わりとして利用している。サブディスプレイに視線を落とせば、夜の七時半を少し過ぎたところだった。
「よし、もう一戦――」
「すみません陛下、あたしそろそろ帰ります」
トランプを集め終え、リベンジを申し込もうとした魔王に、香菜子は被せるようにして言葉を紡いだ。
いつもは九時、十時頃まで異世界にいて魔王の相手をしてやるのだが、しかし今日は早々に帰宅せねばならない理由があった。
「来週から中間テストが始まるので、しばらくはテスト勉強に励もうかと思います」
学生の本分は勉強だ。異世界で魔王と対決する(といってもカードゲームだが)使命を負った香菜子も、家に帰ればただの女子高生。世界の危機も重要だけど、赤点を取って追試になることも全力で回避すべき重要な問題だ。
「てすとか……」
負けたまま終わるのが不満なのか、魔王はぽつり呟いた。
「では、しばらくお前とも会えなくなるのだな」
目に見えて落ち込んだ様子の魔王に、香菜子は思わず深読みしそうになる思考を必死で振り払った。
濃紺色の髪に金色の瞳。纏う衣装は真っ黒で、身につける装飾品もちょっと邪悪そうなピアスや指輪など。異世界で“魔”の象徴として畏怖され、忌み嫌われる相手に、香菜子は時々あってはならない感情を抱くときがある。
見た目どこからどうみても“魔王様”なのに、同じテーブルに座り向かい合ってトランプをしていると、なんだか普通の男友達と遊んでいるような気分になってくる。異世界独特の見た目も、コスプレ好きで片付けてしまえば見えないことはないし、なにより負けず嫌いで子供っぽいその性格が、どうしても憎めずに親近感を抱かせるのだ。
「来週の金曜日、テストが終わればまたここに来ますから」
「何時頃に来る」
元の世界に通じる扉の前に立ちながら、見上げる人はどことなく寂しげだ。
「そうですね、午前中にテストが終わるので、多分お昼過ぎくらいには」
「そうか」
頷いて、魔王はふと片手を上げた。
なんだ? 首をかしげる香菜子の傍らに手を伸ばし、その黒い髪を一房掬い上げた。
「早く来るのだぞ」
顎までのショートカットのそれをゆっくりと梳き。はらり。黒髪は呆気なく魔王の手から零れ落ちて元のように戻った。
「しっかりと勉学に励め」
仕上げとばかりにぽんと頭を撫でられて、「陛下も、次会うときはもう少しトランプ強くなっていて下さいね」注がれる視線から逃れるようにして扉をくぐった。
瞬きを一つする間に景色は変わり、荘厳な魔王の城から、自宅の物置へと帰ってきた香菜子は、そのままズルリとガラクタに埋もれ、その場にうずくまった。
※※※※
初めて異世界に行ったのは五歳のときだ。
大好きな祖父に連れられて、異世界に通じる扉をくぐった。
若いときに“勇者”として召喚された経験を持つ祖父は、異世界の伝説の通り魔王を倒し、世界を救い英雄となった。寝物語のように繰り返し聞かされてきた祖父の武勇伝。人々を脅かす悪役を打ち払い、物語はめでたし、めでたしで終わるのだが、しかしこの物語には続きがあった。
祖父に倒された魔王は、一旦は負けを認め今後人間に手出ししないと誓う。世界には平和が戻り、勇者としての役目も終わった、さあ帰ろうかと祖父が踵を返したその時――
「待て!」
魔王がそれを引き止めた。
曰く、自分は勇者に負けた。それは認める。人をいじめるのももうやめるし、大人しく城に籠もって暮らしていこうとも思う。でも――
「リベンジマッチを希望する!」
魔王はなんとも負けず嫌いな性格だった。
戦いで負けた、それは分かっている。でも、もう一度戦ったら今度は負けない! 自分が勝つ! そして改めてその時、世界を征服し頂点に君臨してやる!
言い張る魔王に、祖父はとりあえず疲れているから、リベンジマッチはまた今度日を改めてからと言いひとまず家に帰った。
そして数ヶ月後、祖父は元の世界のカードゲームを持って城に現れた。魔王との決戦で無理をした折り、ぎっくり腰になってしまった祖父は、もう素早く動くことは出来ないので、肉体戦ではなく頭脳戦で決着をつけようと持ちかけた。
それから数十年。全く見た目の変わらない魔王とは異なり、人である祖父は緩やかに年老いていった。溌剌な青年はいつのまにか皺くちゃの老人へ。体力は衰え、病気にも罹った。ゆっくりと、けれど確実に寿命を燃やしていく祖父に代わり、今度は孫の香菜子が勝負を引き継ぐことになる。
魔王が勝つまでは終わらないこの勝負(なにせ彼は負けず嫌い)。
香菜子が役目を継いで二年後に祖父は他界したが、勝負はその後も変わらずに続いていった。
「あれから、十一年か」
スカートの裾を払いながら香菜子は呟いた。先程まで沸騰したように熱かった頬は、少し時間を置いたおかげで大分マシになっている。気を抜くとすぐまた赤くなりそうな頬を叩いて、気を引き締め物置から出た。
祖父から役目を受け継いで、魔王との対戦を繰り返すこと何千回。
初めは世界を救うという使命感に燃えていた香菜子であったが、交流を重ねるうちにトゲトゲした気持ちは徐々に丸く優しく、穏やかなものへと変わっていった。
しかも。
どうしてだろう。最近魔王の自分を見る目が変わってきたような気がするのは気のせいか。さっきだってあんなふうに髪に触って――
「あああああ……!」
自ら墓穴を掘った香菜子は、再び熱くなった頬を押さえ、そそくさと自室へ引っ込んだ。
彼の態度が特別に思えるのは自分が彼を特別に見ているせいなのか。
世界を救う戦い(カードゲーム)よりも、最近ではライバルである魔王の一挙一動が気になる香菜子だった。