第9話:禁術研究所襲撃。盗まれた魔導具と“黒髪の影”の噂
その夜、学園都市アルケディアは深い静寂に包まれていた。
街灯の魔導光が淡く光り、夜風が寮の壁を撫でる音だけが響く。
寝静まるはずの時間。
それでも僕の胸の奥では、《完全適応》が何かを訴えるようにざわついていた。
(……また嫌な感じがする)
布団に入っても眠れず、窓を開けると、ひどく冷たい風が吹き込んでくる。
その風に混ざる“魔力の乱れ”。
遠くの方から、耳では聞こえないはずの“悲鳴の残響”が伝わってくるような錯覚。
(……これは、ただの気のせいじゃない)
胸騒ぎに耐えられず、僕は上着を羽織り、寮を静かに抜け出した。
夜の学園は昼の喧騒が嘘のように静まり返っている。
生徒の出歩きは禁止されているはずだが、今はそんなことを言っていられなかった。
気配を辿るように校舎の奥へ進んでいくと、冷たい空気がさらに濃くなってゆく。
学園裏の区画へと近づくほど、嫌な圧迫感がのしかかってきた。
(……この先だ)
魔法学園には、生徒の知らない裏施設がいくつかある。
そのひとつ——禁術研究所。
危険な魔導具や封印術を扱い、厳しく管理されているはずの場所。
その前に着いた瞬間、視界が乱れた。
「……っ!」
建物の前の壁が破壊され、冷たい灰色の煙が漂っている。
結界は破られ、魔力が乱流として外へ漏れ出していた。
(まさか……本当に襲撃……?)
胸の奥で嫌な予感が確信に変わった。
周囲を見回すと、倒れている影がひとつ。
「大丈夫!?」
駆け寄って身体を支えると、そこには実戦科の上級生らしき男子が浅い呼吸を繰り返していた。
額に汗を浮かべ、魔力が吸い取られたように衰弱している。
「だ、だれか……助け……」
「しゃべらなくていい。今、助けるから!」
僕は反射的に彼の腕を肩へ回し、引き起こした。
彼の体温は異常に低い。
まるで魔力の源そのものが抜き取られたような状態。
(魔力吸引……? そんな魔導具、研究所に……)
その瞬間、風が鳴った。
横目に、闇が揺れる気配。
(——来る!)
振り返る前に身体が勝手に動いた。
倒れた生徒を抱えたまま後方へ跳ぶ。
次の瞬間、僕の前に“闇の爪”が突き刺さるように出現した。
黒い霧をまとった魔力の触手。
あれは、昨日の廊下で生徒を襲った“影”と同じ気配。
(こいつ……また……!)
体勢を整える暇もなく、影はさらに襲いかかってきた。
だが僕の身体は、まるで見えない線を通るように最短の回避ルートを選んで動いた。
一歩、また一歩……
影の打撃をすべて紙一重で避ける。
(くそ……このままじゃ倒れてる人が危ない!)
分析が走る。
影の魔力の脈動、攻撃の起点、霧の密度の薄い箇所……
最適解が無意識に浮かんでしまう。
そして——
僕は倒れている生徒を片腕で抱えたまま、もう片方の手で影の核を弾いた。
「——っ!」
影が一瞬にして霧散し、黒い欠片が風に消えていく。
静寂。
倒れた生徒の荒い呼吸だけが響く。
(行かなきゃ……教官を呼んで……!)
僕は彼を抱え、全速力で裏通路を駆け抜け、教官棟の近くまで運んだ。
生徒を安全に引き渡したあと、僕はすべてを隠すためにその場を離れた。
「……はぁ……何だったんだよ、これ……」
そのまま夜の闇に紛れるように寮へ戻ろうとした時、遠くで見えた。
禁術研究所の窓。
そこから運び出された“空の箱”。
(あれ……研究所の目玉の……魔力吸引型魔導具……)
盗まれた。
確信が胸に突き刺さった。
翌朝、学園は騒然としていた。
「研究所が襲撃……?」「封印が破られたのかよ……」
「危険魔導具が盗まれたって本当か?」
「黒髪の男子が誰かを助けたらしい……」
(……黒髪って……僕しかいないじゃん……!)
昨日の事件のせいで、また噂が加速していた。
教室に入った瞬間、視線が一斉にこちらへ向かう。
「ねぇ、聞いた? 夜に襲撃された生徒を助けた“黒髪の影”の話」
「影の守護者じゃね?」「いやもう正体バレてんだろ……」
(ほんとやめて……!)
僕が席に座る前に、ヒロインたちが囲んできた。
フィアが真っ先に詰め寄る。
「リオ、昨日の夜……どこにいたの?」
「え、いや……寮で寝て……」
「嘘。あなたの魔力、ほんの少し“影の魔力”を弾いた痕が残ってる」
「……!?」
セレナも鋭く言う。
「君、また誰か助けたな? 影を相手にできるのは……限られている」
エリスは心配で胸に手を当てながら、震える声で尋ねる。
「リオ……危ないことしてないよね? 本当に……?」
ミュリスだけが、楽しげに微笑んだ。
「助けた生徒、言ってたよ。“黒髪の男子に助けられた”って。
……ねぇリオ、もう隠すの無理じゃない?」
「ち、違うんだ! 本当に違う!
僕はただ……通りかかっただけで……!」
「通りかかるだけで影を弾ける人は普通いないのよ!」
フィアの鋭いツッコミ。
「無意識に誰かを助けるなんて……それこそ異常だ」
セレナの言葉が刺さる。
「リオ……お願いだから、一人で抱え込まないで……」
エリスの声は揺れている。
ミュリスは目を細め、僕の周囲の空気を感じ取るように言った。
「やっぱり……強い。
あなたの中の“欠片”が、事件に反応してる」
僕は両手で頭を抱えた。
「ちょ、ちょっと待って……みんな本当に誤解してるんだよ……!
僕は普通で……無能で……本当にただの基礎科で……!」
「「「「それが一番信用できないの!!」」」」
また四重ツッコミ。
もう反論できる気がしない。
(……ああもう……どんどん隠せなくなってる……)
胸の奥が締め付けられる。
そんな僕を遠くから見つめる視線があった。
クロード教官だ。
彼は生徒たちの騒ぎをよそに、僕の背後の“気配”を感じ取るように目を細めていた。
(……完全に気づいてる。僕の異質さを)
その視線に気づかないふりをしていると、校内放送が響いた。
《昨夜、禁術研究所が襲撃されました。生徒の皆さんは十分注意を——》
緊張が校内を包む。
(魔族狩り……影の襲撃……盗まれた魔導具……
これ、全部つながってる……?)
嫌な予感は、さらに濃く深くなっていった。
そして、誰も知らない場所で——
黒い外套を纏った男が静かに呟いていた。
「黒髪の影……か。
噂は正しく広がっている」
仮面の奥の瞳が細められる。
「次は……私が直接確かめる番だな」
教国の執行者、ノア・アルベント。
彼の影が、確実に学園へ近づいていた。




