第8話:学園に広がる不穏な影。最初の事件は“魔族狩り”から始まった
学園の朝は、いつもなら明るく活気に満ちている。
魔導具の音、魔力の気配、談笑する学生たちの声、訓練場から聞こえる魔法の衝撃音……。
そのすべてが“日常”の象徴だった。
けれど今日は、ひどく冷たい空気が漂っていた。
風が肌を撫でるたびに、背筋がひやりとする。
(……何だ、この感じ)
胸の奥がざわつく。
《完全適応》が無意識に危険を察知しているのだろうか。
嫌な予感が、いつもより強く響いていた。
教室にたどり着くと、すでにクラスはざわついていた。
「聞いたか……?」「ああ……あれ、本当なのか?」
「魔族系のスキル持ちが……」「まさか、学園内で……?」
不穏な噂が飛び交っている。
僕が席についた瞬間、隣の席の男子が小声で囁いた。
「天城……知らないのか? 今朝、基礎科のDクラスで“事件”があったんだよ」
「事件……?」
「ああ……魔族系の魔法を持ってる生徒が襲われたんだ。
魔法も、護身具も全部無効化されて……」
喉の奥がひりついた。
「怪我したの?」
「重傷らしい。命は助かったけど……“影の爪痕”が残ってたって」
(影……?)
その瞬間、胸の奥で何かが反応した気がした。
ミュリスの魔族特有の気配に似ている。
でも、同じではない。
もっと冷たく、もっと粗雑で、もっと……殺意の混じった何か。
「犯人は? 見つかってないの?」
「全然。結界をすり抜けてるみたいで……教官たちも困ってるらしい」
(……やっぱり、嫌な予感が当たった)
胸の奥がざわめくのを抑えられない。
それでも僕は“気づかないふり”をして席に沈んだ。
だが——午前の授業が始まってわずか十分ほどで、嫌な予感が現実になる。
廊下の向こうで、悲鳴が上がった。
「きゃあ——っ!!」
黒板に向かっていたクロード教官が眉をひそめて振り返る。
「……皆、ここで待っていなさい。外へ出ては——」
言い終わる前に、僕の身体は勝手に動いていた。
(行かなきゃ……!)
理由は分からない。
でも、胸の奥で《完全適応》が叫んでいる。
“行け”と。
「リオ!?」「ちょっと……!」
フィアの声が聞こえたが、振り返る余裕はなかった。
廊下を駆け抜け、悲鳴が響いた方向へ曲がると——
薄暗い角の奥で、生徒が倒れていた。
彼の周囲には、黒い痕が刻まれている。
(……これが“影の爪痕”……)
床が焼け焦げたようにも見えるが、実際は違う。
魔力そのものが抉り取られたような、異様な痕跡。
倒れている生徒は震えていて、力が入らない様子だった。
「だ、誰か……たす……け……」
「大丈夫、無理に動かなくていい!」
瞬間、影の気配が僕の背後に迫った。
(……来る!)
振り返るより早く、身体が勝手に反応する。
影の裂け目のような黒い腕が伸び、爪のような魔力が僕を薙ぎ払おうとする。
だが僕は、紙一重でその攻撃を避けた。
(くそっ……何だこいつ!)
一瞬だけ視界に映ったそれは、人型のようで人型ではない。
人の形をした“闇”そのものだった。
分析が走る。
動きの癖、魔力の質、弱点となる動線——
勝手に脳が「最適解」を弾き出す。
(ここ……!)
僕は影の腕をほんの軽くはじいた。
それだけで闇は崩れ、ぼろりと霧散する。
黒い霧の残滓だけが空気中に舞い散った。
「……え?」「なんだ今の……?」
後ろから追いついてきたフィアが呆然と呟く。
「リオ、今……影魔法を……弾いたの?」
「いや、ち、違う……! ただ、たまたま避けて……その勢いで……!」
「“たまたま”で影の腕を弾けるなら、私たち苦労しないんだけど!?」
フィアが完全に食いついてくる。
セレナも険しい顔で僕の動きを見つめている。
「今の避け方……尋常じゃなかった。あれは実戦科でもできない動きだ」
「り、リオ……怪我してない? 本当に?」
エリスは純粋に心配してくれる。
目が潤んでいて、僕の袖を強く掴んでいた。
ミュリスは、倒れた生徒の周囲を嗅ぐようにして、小さく呟いた。
「……やっぱり。これは“魔族狩り”の気配だね」
「魔族……狩り……?」
「そう。魔族の力を持つ人を狙って、闇を送り込む術。
こんなのを学園の中で使うなんて……普通の犯人じゃないよ?」
ミュリスの紫の瞳が、僕をじっと見つめる。
「ねぇリオ。さっき、影の腕を弾いた時……あなた、魔力の干渉点を正確に狙ったよね?」
「……そ、それは……偶然だよ。ほんとに!」
「偶然にしては……ねぇ?」
フィア、セレナ、エリス、ミュリス。
四人の視線が僕に集中する。
僕は両手を振って必死に誤魔化した。
「違うんだ、本当に! ただ……助けようとしたら勝手に身体が動いただけで……!」
「「「「それが一番怪しいのよ!!」」」」
四重のツッコミが飛び、僕は背中を壁につけて固まった。
四方向から詰め寄られると、逃げ道が本当にない。
その時、後ろから足音が近づいてきた。
「ここか……!」
クロード教官だった。
倒れた生徒と、周囲の黒い痕を見て、表情が一瞬だけ険しくなる。
そして、すぐに僕へ視線を向けた。
「……天城リオ。君は、何を見た?」
その目は優しげに見えて、奥底で“何かを確信しようとしている”光が宿っていた。
(……やっぱり、この人……気づいてる……)
僕はあいまいに微笑むしかなかった。
「ほんとに……偶然なんです……」
クロード教官は目を細めた。
「……偶然、か。
ふむ……君の“偶然”は妙に精度が高いな」
(ぎく……!!)
フィアたち四人が、同時に険しい顔になる。
本当に偶然だとは思ってない——全員の目がそう言っていた。
倒れた生徒は保護され、教官たちが対応に動く。
事件現場には、闇の魔力と恐ろしい静けさだけが残っていた。
(誰が……こんなことを……)
胸のざわつきは収まらない。
これから何かが起きる予感が、ひどく濃くなっていく。
そしてその夜——
学園の外壁付近で、黒い外套の男が静かに呟いていた。
「……魔族狩りの痕跡。
やはり、反応しているな……“完全適応”」
闇の中で光る仮面の奥の瞳が、学園を見つめている。
「近いうちに……接触する必要があるな」
その声は冷たく、裁きを告げるようだった。
僕はまだ、その“影”が確実に近づいていることを知らなかった。




