第7話:影から見つめる視線。リオの異質さに気づく者たち
基礎科の実技授業で“上級魔法を再現してしまった”翌日、僕はできる限り目立たないように、息を潜めるようにして学園へ向かった。
いつもなら清々しい朝の空気が気持ちよく感じられたのに、今日は妙に重たく感じる。空の色も澄んでいて、校庭を渡る風も心地よいはずなのに、胸の奥だけが落ち着かない。
(……お願いだから、昨日の噂が消えていますように)
そんな願いを込めて教室へ入ったのだが——
その瞬間、全員の視線が突き刺さった。
「……来た」「あれが昨日の……」「上級魔法を一発で再現したって本当?」
「基礎科の、しかも無能って言われてたやつが……?」「いや、もう無能じゃねぇだろ……」
どこを見ても僕の視線を避けてくれない。
むしろ興味と警戒の入り混じった目ばかりだった。
(……やっぱり……広がってるよね……)
昨日の実技授業で魔導石を一刀両断した光魔法の“余波”は、すでに学園の隅々まで届いているらしい。噂の速度は魔力通信に負けないくらい速い。
静かに席へ座ろうとすると、すぐ近くにいた男子がひそひそ声で囁いた。
「お、おい……天城ってさ、本当に魔力ゼロなのかな……?」
「ゼロのわけないでしょ。だって上級魔法だよ? あれ、光属性の才能がないと無理だって……」
「実戦科どころか、特別科でも難しいって噂なのに……」
僕は椅子の上で体を小さくした。
隠したい。
とにかく目立ちたくない。
だけど、すでに噂は学園中を巡ってしまっている。
(……どうにか普通に過ごせないかな……)
そう思って俯いていると、教壇からクロード教官の視線がそっとこちらへ向けられていることに気づいた。
あの目は、ただの教師のものじゃない。
僕を“注意深く観察している者”の目だった。
(……クロード教官……完全に気づいてる……よね)
彼は何も言わない。
けれど、放たれる気配には確かに“見極めようとする”意志があった。
授業が始まっても落ち着く暇はなかった。
昼休みになれば、どこからともなく声が聞こえてくる。
「昨日の魔法、見た?」「いや、見てないけど噂だけで十分すごそう」
「影の守護者って呼ばれてるらしいよ?」「いや……それは流石に……」
影の守護者?
また知らない名前がついている。
(僕がそんな呼び方されるほど何かしたっけ……? いやしたけど……したくてやったわけじゃ……)
胸の中で混乱が渦巻く。
フィアも、セレナも、エリスも、ミュリスも……昨日の件以来、僕を注意深く観察するようになっている。
何かを問い詰めたいのに、問い詰めきれない距離感が続き、僕はただ逃げ腰になっていた。
(……本当に、隠しきれなくなる……?)
そんな不安が胸を締めつけていく。
だが——その頃。
僕が知らない場所で、まったく別の視線が僕をずっと監視していた。
学園都市アルケディアを取り囲む外壁。その上には、精霊結界と魔力探知網が張られ、街中に不審者が侵入できないようになっている。
その防衛網の境界線。その外側の森の影に、ひっそりと立つ黒い影があった。
黒いローブ。
光を吸い込むような布。
風が吹いても揺れないほど、静止した気配。
男は、遠くの学園を見据えていた。
「……完全適応の気配。間違いない」
かすかな声が、影に吸い込まれて消える。
「学園に潜む“異質”。
姿を隠していたようだが……あれほどの魔力操作をみせれば、隠しおおせるものではないな」
男の目は細く、獣のように鋭い光を帯びていた。
その瞳は、獲物を追い詰めた猛禽の眼差し。
風が吹き、外套の裾がひらりと揺れた。
「……古代封印に反応しているのだろう。
ならば——放置はできん」
彼は冷徹に、淡々と告げる。
「完全適応は世界の均衡を壊す。
ゆえに、抹消する。」
その響きは、まるで裁定の宣告。
そう言いながら、男は森の闇に溶けるように姿を消した。
教国の執行者——ノア・アルベント。
世界各国が恐れる“闇の執行者”が、ついに動き始めた。
一方その頃、学園の昼下がりを歩く僕は、まだノアの存在を知らなかった。
校内の廊下を歩くたびに、誰かの視線が僕に向けられている。
半信半疑の好奇、警戒、興味、噂。
それらがまるで渦のように僕を包み込んでいた。
(……普通にしたいだけなのに)
本当にそれだけだった。
勉強して、授業を受けて、みんなと同じように生活したかっただけ。
だけど——
「リオくん、今日の午後……ちょっと時間ある?」
フィアが声をかけてくる。
「昨日の戦い、ちゃんと説明してもらうわよ」
セレナも後ろにいる。
「リオ、本当に怪我してない? 怖かったでしょう……?」
エリスの心配そうな声。
「ねぇねぇ、今日も面白そうな気配してるよ?」
ミュリスの無邪気な笑み。
囲まれた瞬間、逃げ場が消えた気がした。
(……うわぁ……)
どう言い繕っても説明にならない。
どう逃げても追いかけられる。
そんな状況が続く中——
遠くの外壁の向こうで、ひとつの影が学園へ向けて歩み始めていたことを、僕はまだ知らない。
影は静かに、しかし確実に近づいていく。
やがてその影は、学園の運命を大きく揺るがす存在へと変わるだろう。
そして僕自身もまた、普通ではいられなくなる未来が待っている。
(……何かが、動き始めてる……)
胸の奥でそんな予感がかすかに響いた。




