第2話:天才少女フィアの疑念。「あなた、本当に無能なの?」
午前の授業が終わった直後、教室の空気が少しざわつき始めた。
魔法理論の講義は、基礎科にしては驚くほど専門的だった。魔力の循環式、魔法陣の干渉領域、属性の相性計算——どれも初日から習うような内容とは思えない。うんざりした顔の生徒が半分、諦めてノートすら閉じている生徒がもう半分。
そんな空気の中、僕だけは静かに胸の中で焦っていた。
(……やってしまった。あの回答、明らかに普通じゃなかった)
フィアに疑われたことが、頭の片隅にずっとこびりついている。
彼女の金色の瞳は鋭かった。まるで“真理を暴く光”そのものみたいで、下手に誤魔化せばすぐに見抜かれそうだった。
教室を出ようとしたその時——
「天城リオ、ちょっといい?」
背後から、澄んだ声が肩を掴んだように響いた。
振り返るとフィアが立っていた。
距離が近い。心臓が跳ねる。
「さっきの授業のことなんだけど」
「あ、あれ……? いや、その……たまたま……」
「たまたま、ねぇ?」
フィアは細い指を顎に当て、こちらをじっと見つめた。
その観察するような眼差しは、まるで魔法陣を解析する時のそれに似ていた。
「“魔力ゼロ”のはずなのに、どうして魔力循環の不安定点がわかったの? あれ、普通の生徒じゃ絶対に気づけないわよ。私だって初学年の時は気づけなかった」
「……えっと……なんとなく?」
「その“なんとなく”が怪しいって言ってるの」
食い気味の返しに、完全に詰んだ気がした。
彼女の問いは正確で容赦ない。
天才と呼ばれる彼女だからこそ、違和感を敏感に察知するのだろう。
「いい? あなた、何か隠してるわよね」
「……か、隠してないよ。本当に無能だし」
「さっきの答えで、その言葉が一番信用できなくなったのよ」
「…………」
言い返せない。
否定すればするほど怪しく見えるという最悪の状況。
逃げたい。全力で逃げたい。
だがフィアはさらに一歩近づき、声を落とした。
「別に責めてるわけじゃないの。ただ……気になるのよ。“普通じゃない”って」
その瞳に嘘がないのが逆に困る。
僕は誤魔化すことが苦手だ。
心臓がどくどくと脈を打ち、額に汗がにじむ。
「ほんとに何でもないんだ。ただ、たまたま……」
「その言い方、信用できないって言ってるのに」
フィアが眉を寄せた瞬間、後ろからクラスメイトたちの視線が突き刺さり、僕は耐えられなくなった。
「ごめん、ちょっと用事あるから!」
そう叫んで、半ば逃げるように教室を飛び出した。
廊下から外へ出ると、昼休みの喧騒が広がっている。
中庭では生徒が弁当を広げ、魔導具店の方からは明るい笑い声が聞こえてくる。
僕はその全てを避けるように、木陰と廃棟の狭間にある、ほとんど使われない回廊へ向かった。
昼下がりでも薄暗く、人も滅多に来ない場所。
誰もいない。
ここなら落ち着ける。
(はぁ……フィア、鋭すぎるな……)
壁に背を預けて息を整えていると、ふと、微かな気配が風の流れに混じった。
柔らかい気配。
闇に溶けるような、でもどこか甘い匂い。
「やっと見つけた」
耳元に声が落ちてきたかと思うと、影の中から小柄な女の子がふわりと姿を現した。
黒髪、紫の瞳、そして小さく笑う唇。
ミュリス・ナハト。
魔族の血を継ぐ少女。
「……どうしてここに?」
「なんとなく、あなたの気配を追ってきただけ。リオって、すごくわかりやすいから」
にこっと笑うその表情は、人懐っこいようで、どこか底知れない。
僕は背筋を伸ばした。ミュリスが近くにいるだけで、体内の何かが微かに反応する感覚がある。
「さっきの授業での答え、聞こえちゃった。あれ、絶対に普通じゃないよね?」
「……またそれ……」
「だって本当にそうなんだもん」
ミュリスは僕の周囲の空気を嗅ぐようにして、顔を近づけた。
紫の瞳が僕を覗き込む。
「ねぇリオ。あなた、普通の人間じゃないよ。魔力の流れ方が……ほら、こんな風に歪んでる」
ミュリスの指が僕の胸元の空気をなぞると、見えない魔力が微かに波打った。
(……やばい。完全に勘づかれてる)
「気にしないで。私は“同族の因子”を感じられるだけだから」
「ど、同族……?」
「うん。リオの中に流れてる力、少しだけ私たち魔族に近いんだよ。だからね——」
ミュリスは小さく笑った。
「あなたは“無能”なんかじゃない。むしろ……とんでもなく異質」
心臓が跳ねた。
今朝から何度も隠してきた秘密が、簡単に暴かれていく。
「安心して。私は誰にも言わないよ。だって……」
ミュリスが一歩、僕に近づいた。
「あなたが普通じゃない方が、絶対に面白いから」
その言葉は、囁きというより予言のように聞こえた。
昼休みの小さな回廊で、僕は気づく。
逃げても、隠しても、僕の“異質さ”はすでにいくつもの瞳に捕らえられ始めている。
そして——それは、まだ序章にすぎなかった。




