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元禄美装録  作者: 月音
第一章

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其ノ五 夕霧太夫のマーメイドドレス

ーー玄斎の影


その夜、玄斎の屋敷。

玄斎が報告を受けていた。


「加賀屋に、紗江が現れたと?」

「はい。見たこともない着物を加賀屋に持ち込みました」

夜鴉が報告する。


「女将が、すぐに取引を申し出たとのことです」


「ほう……」

玄斎は微笑んだ。


「才能ある者は、利用価値がある。引き続き見張れ」


夜鴉が消える。


「紗江……お前は、葵を陥れる鍵になるかもしれぬ」



翌日、加賀屋

紗江の着物が、店の一番目立つ場所に飾られた。

淡い水色に桜と蝶の刺繍、大きなリボンが目を引く。

通りを行く人々が、次々と足を止める。


「あれは……」

「見たことない着物だわ」

「二部式着物って言って、楽に着られるらしいわよ……!」

噂は瞬く間に広がった。


ーー加賀屋の奥座敷

障子越しの柔らかな光を受けて、紗江が仕立てた着物が飾られていた。淡い水色の地に桜と蝶。


大きなリボンが風もないのに、ふわりと揺れているように見える。

「華やかに見えるのに普段着として着られるって所が良いわね」


店の娘たちが頬を寄せ合い、瞳を輝かせていた。


「普段着とよそ行きの、ちょうど中間くらいかね」

「生地を変えて仕立てれば、かなり使えそうだよ」

「いままでにない便利な仕様じゃないかい」


女将は満足げに腕を組み、お客の様子を眺めていた。



そのとき――

「……誰か、いらしたようだね」

女将の声が低くなった。娘たちの笑い声がぴたりと止む。 


店の入口から、ざわめきが近づいてくる。


障子が開くと、一人の女性が静かに座敷へ上がった。


淡い藤鼠の小紋に、帯は藍と白の献上柄。


羽織の裏地には紅梅が見え隠れしている。


一見すると町娘の姿でも、人の視線を集めずにはいられない。


「ゆ、夕霧様……」

娘の一人が小さく呟いた。


女将は深々と頭を下げる。

「これはこれは。本日は何用で……」


夕霧は答えず、飾られた着物へとゆっくり歩み寄った。


娘たちは息を殺して見守る。加賀屋に夕霧が足を運ぶことなど、年に一度あるかないか。その夕霧が纏う衣装は、翌日には町中の娘が真似をすると言われている。


夕霧は立ち止まり、着物を見つめた。


長い沈黙。

やがて、細い指がそっと布地に触れた。襟を確かめ、裾の広がりを見て、縫い目をなぞる。


「……面白いねえ」


低く呟いた声に、店中の空気が震えた。


女将が一歩進み出る。

「ちょうど入ってきたばかりの新作でございまして」


「誰の作だい?」


「紗江と申す娘でございます」


夕霧はその名を繰り返すように、小さく呟いた。

「紗江……」


そして顔を上げる。


「女将、この娘に会わせておくれ。あたしの衣装をあつらえてほしい」


女将の顔が一瞬で輝いた。

「かしこまりました。すぐに手配いたします!」


翌日

紗江は女将に連れられ、吉原の見世へ向かった。

格子戸の奥、薄暗い廊下を抜けると、豪奢な座敷が現れた。金屏風、漆塗りの膳、天井から吊るされた灯籠。空気そのものが艶めいている。


「お待ちしておりました」


間近で見ると、その美しさは一層際立った。白い肌、切れ長の瞳、紅を引いた唇。座っているだけで、絵のように美しい女人だった。


「あなたが紗江様かい」


「は、はい……」

緊張で声が震える。


夕霧はくすりと笑った。


「そんなに硬くならないでおくんなまし」

そして立ち上がり、紗江の目をまっすぐ見た。


「あたしは花魁としての衣装は山ほど持っているし、

どれも美しいんだけどね――」

夕霧は窓の外を見た。


「花魁としての私を引き立てるための衣装」

「……」

「見たことがないような、華やかな着物。あたしは、そういう衣装がほしい」


紗江の胸が高鳴った。

「夕霧様……私、精一杯作らせていただきます」


夕霧は微笑んだ。

「期待していますよ」


紗江は自室に戻ると、すぐに構想を練り始めた。

「花魁の衣装……見たことがない華やかさ。夕霧様らしさも出したい」


机の上には、加賀屋から選んできた最高級の反物が並ぶ。

黒漆のような艶を持つ無地の生地と、もうひとつは、最も透け感のある薄布を選んだ。


(従来の花魁装束とは違う、夕霧様をより引き立てるように!)

紗江は夕霧を思い出しながら、筆を走らせた。


胸元を覆う黒い布に金の帯、膝下から幾重にも広がる裾。

透ける素材の長い布を、腕にふわりとかける。


一週間、あれこれと思案した。

行灯の灯りの下、何度も縫い直し、布を裁ち、形を整える。お蘭が夜食を運んでくれるが、ほとんど手をつけなかった。


黒猫のクロだけが、いつも足元で寄り添っていた。



ーー見たことのない衣装


約束の日

吉原の座敷に、完成した衣装が運び込まれた。

夕霧はそれを見て、言葉を失った。


「……これは」

夕霧は震える手で、衣装に触れた。


「着てみてもいいかい?」

「はい、ぜひ」


黒と金の二色しか使っていないのに艶やか。

透ける素材の長い布から身体の線がうっすらと見えるのが艶かしく、裾からのぞく細かなひだが躍動している。

金の帯が腰を彩り、身体の線が艶っぽい。


夕霧が衣装を纏った瞬間ーー

座にいた全員が息を呑んだ。


艶のある黒い生地が灯りを反射し、まるで夕霧自身が光を放っているかのよう。ドレスの裾が床に広がり、波のように揺れる。

一歩踏み出すたびに、衣装全体が身体の一部のように美しい。


「夕霧様……」

侍女たちが声も出せずに見つめる。 


夕霧は鏡の前に立ち、自分の姿を見つめた。


長い沈黙の後、ゆっくりと振り返る。


「……ありがとう、紗江様」


「夕霧様……」


夕霧は紗江の手を取った。


「あなたは本物の職人ですね」


その夜、吉原で最も格式高い宴が開かれた。

座には、江戸を代表する豪商や武士たちが連なる。


ーーそこへ、夕霧が姿を現した。

黒い衣装を纏い、髪を高く結い上げ、後ろで丸く巻いた洋風の髪型。普段の島田髷とは違い、簪一本で留められたその姿は、まるで異界から降りてきた女神のようだった。


座がしんと静まり返った。

やがて、誰かが小さく呟いた。


「……美しい」


その言葉を皮切りに、座中から感嘆の声があがった。


「あれは……どこの衣装だ?」

「見たことのない」

「夕霧が、今日はまた……」


噂は瞬く間に広がった。

翌朝には町中で、人々が囁き合っていた。


「夕霧の衣装を見たかい?」


「加賀屋の紗江という、二部式着物を作った娘が仕立てたらしいよ」

こうして、江戸の町に紗江の名が知れ渡った。


やがて加賀屋の前には長蛇の列ができた。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました!


次回更新は11月8日を予定しています。

引き続き、よろしくお願いします!


感想、評価、ブックマーク、とても励みになります。

よろしくお願いします!

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