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元禄美装録  作者: 月音
第二章

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23/33

其ノ八 京への道、光の糸【京都編】

――秋風と決意

江戸の町に秋の風が吹き抜けた朝。

加賀屋の蔵で、誠一は一枚の反物を広げていた。光の角度を変えながら、何度も何度も見つめている。


「誠一さん、何をそんなに?」

紗江が声をかけると、声に気づき、誠一がはっと顔を上げた。

「紗江様……これを、ご覧ください」

差し出された反物は、淡い金色に輝いていた。光が当たるたびに、まるで水面のように色が揺れる。

「綺麗……」

紗江が息を呑む。


「これはよい生地ですよ。昔、私がおりました京都の織物場から届いたものです」

誠一の声が、わずかに震えていた。

「若い者が……育っているようです」

紗江は誠一の横顔を見た。その目には、懐かしさと、どこか痛みのようなものが浮かんでいる。

「京都の生地ですか……実際に見てみたいですね」

紗江の言葉に、誠一の目が揺れた。


「……紗江様」

「はい?」

「もしよろしければ京都に……私が昔いた織物場に行きませんか」

紗江は驚いて誠一を見つめた。

普段は慎ましい男が見せた真剣な顔に、紗江は驚いた。

「良いんですか。一度、織物場を見てみたかったんです」

誠一は深く頭を下げた。

「では、決まりでございますね」

顔は笑っていたが、その背中がわずかに震えていた。



その夜。

誠一は一人、月明かりの下で古い布を見つめていた。

若き日、自分が織った布。今はもう、こんなものは作れない。

腕の古傷が、かすかに疼く。

(弥吉……お前は、元気にしているか)

(あの日、何も言わずに去ってしまって……すまなかった)

誠一は目を閉じた。

(だが、今度こそ——)

(お前に、会いに行く)


――旅の準備

数日後、澄月庵。

紗江とお蘭が旅支度を整えていると、葵が訪ねてきた。

「京都に行くそうだな」

「ええ。誠一さんが昔働いていた機織場をみせていただけるの」

葵は少し考えてから、言った。

「私も同行する」

「え?」

「女二人と、老人一人では心もとない。護衛が必要だろ」

紗江は微笑んだ。

「ありがとう、葵様」

「礼を言われることではない」

葵が素っ気なく答える。

お蘭がクスクスと笑った。

「葵様、素直じゃないですね」


その時、蒼馬、蓮、隼人、無刄が揃って現れた。

「俺たちも行くか?」

蓮が尋ねる。

「いや」

蒼馬が首を振る。

「お前たちは江戸でやることがあるだろう」

「ああ……確かに」

蓮が頷く。

「松雲様からも、修行の呼び出しがあった」

無刄が付け加える。

隼人が少し残念そうに言った。

「京都、行ってみたかったな」

「また機会がある」

葵が肩を叩く。

「それに、お前たちがいないと、誰が澄月庵を守るんだ?」

「そうだな!」

隼人が胸を張る。

「任せとけ!」

紗江が微笑む。

「お梅ちゃんとお絹さん、すみませんがクロのこともお願いしてもいいですか?」

「はい!」

お梅が元気よく返事をした。

「皆さんのお食事も、しっかり作ります!」

お絹も頷く。

「安心して行ってらっしゃいませ」


出発の前夜。

葵が誠一を訪ねた。

「誠一殿」

「葵様……」

「京都に、何か因縁があるのか?」

誠一は少し黙ってから、ゆっくりと語り始めた。

「……昔、私には弟子がおりました」

「弟子?」

「弥吉と申します。真面目で、才能のある若者でした」

誠一の目が、遠くを見ている。

「ある日、織物場で火事がありました」

葵の表情が引き締まる。

「弥吉が逃げ遅れて……私は、彼を助けに戻りました」

「そして……」

「この腕に傷を負いました」

誠一が右腕を見る。

葵は何も言わなかった。ただ、黙って聞いていた。

「機織りができなくなった私は……織物場を去りました」

「なぜだ?」

「私がいると……弥吉が辛いだろうと思ったからです」

葵の目が、わずかに揺れた。

「腕を失った姿を見せ続けるのは……弥吉が自分を責め続けることになる」

「だから、姿を消すことを選びました」

誠一の声が、震えている。

「でも……今回、弥吉の反物を見て……」

「彼が、立派に育っていることを知りました」

「だから……もう一度、会いたいと思ったのです」

葵はしばらく沈黙していた。


やがて——

「……お前は、優しすぎる」

「え?」

「だが、その優しさが……お前を苦しめている」

葵が誠一の肩に手を置いた。

「今度こそ、本音で話せ」

「はい……」

誠一は深く頷いた。


――旅立ち

翌朝。

一行は江戸を発った。

紗江、葵、お蘭、誠一。総勢四人の旅である。

紗江とお蘭は駕籠に乗り、葵と誠一は徒歩で護衛する。誠一も杖をつきながら、ゆっくりと歩いていた。

「いい天気だな」

葵が空を見上げる。秋晴れの青空が、どこまでも広がっている。

「ああ。旅日和です」

誠一が頷く。

葵は紗江の乗る駕籠のそばを歩き、時折中の様子を確かめていた。

「紗江、大丈夫か?」

「ええ、とても快適よ」

紗江が駕籠の簾から顔を出して微笑む。

お蘭も駕籠の中から、景色を楽しんでいた。

「久しぶりの旅ですわね、紗江様」

「そうね。今回はゆっくりと景色を楽しめそう」


最初の宿場、品川に着いた頃には、もう夕暮れだった。

「疲れたな」

葵が伸びをする。

「茶屋で休みましょう」

紗江が提案する。

四人は茶屋に入り、一息つく。

誠一が団子を頼んでくると、お蘭が微笑んだ。

「誠一さん、京都は久しぶりですか?」

「ええ……十年ぶりでしょうか」

「楽しみですね」

「……はい」

誠一の目が、わずかに潤んでいた。


――箱根越え

旅は順調に進んだ。

川崎、神奈川、戸塚——宿場を重ねるごとに、一行の絆も深まっていく。

そして、箱根。

「うわ……すごい坂だな」

葵が見上げる。険しい山道が、霧の中に続いている。

「気をつけて進もう」

駕籠を担ぐ人足たちも、慎重に足を運ぶ。

山道の途中、紗江の駕籠が少し揺れた。

「きゃっ」

小さな悲鳴。

「紗江!」

葵が駆け寄る。

駕籠から顔を出した紗江は、少し青ざめていた。

「だ、大丈夫……少し、揺れただけ」

「無理するな。俺が横についている」

葵が駕籠のそばを歩く。

紗江は安心したように微笑んだ。

「ありがとうございます」

誠一はその様子を見て、静かに微笑んだ。

(良い方々だ、弥吉もきっと喜んでくれるだろう)


――京都へ

箱根を越え、さらに西へ。

名古屋、大津——。

旅は続く。

ある日の夕暮れ、宿場の茶屋で休んでいると、誠一が遠くを見つめていた。

「誠一さん?」

紗江が声をかける。

「……もうすぐです」

「え?」

「もうすぐ、京都です」

誠一の声が、震えていた。

「弥吉に……会えます」

紗江は優しく微笑んだ。

「大丈夫。きっと、喜んでくれますよ」

「……ありがとうございます」

誠一の目から、一筋の涙がこぼれた。


そして——

旅立ちから十日後。

一行の目の前に、古都の町並みが広がった。

「……京都だ」

葵が呟く。

紗江が駕籠から降りて、町を見渡す。

「わあ……綺麗」

お蘭も感嘆の声を上げる。

「本当に、美しい町ですね」

誠一は、ただ黙って京都の町を見つめていた。

十年ぶりの古都。

十年ぶりの故郷。

そして——

十年ぶりの、弥吉との再会。

(弥吉……待っていてくれ)

(俺は、帰ってきた)

誠一の胸に、熱いものが込み上げてきた。

一行は、静かに京都の町へと足を踏み入れた。

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