第98話 天候と地形
〈インゴベル国王視点〉
黒いローブを纏いし者は、目深に被ったフードを取った。その素顔が顕となる、と思ったが、その素顔は魚の頭部を模した覆面で覆われていた。
「……」
私だけではなく、この場に集まった六将軍のアーデンやその従者に都市ロスベルグの都市長や兵士達は沈黙する。
すると直ぐに魚の口が開き、中から褐色肌の若い女性の顔が顕となった。
彼女は放蕩の魔導師ランディル・エンバッハである。国や人種問わず、様々な所に現れては英雄の様な活躍をする。私の父であるクライン王時代の時もランディル・エンバッハの活躍は至る所で語られていた。
だから魚の覆面の中が年若き女性であったことに我々は驚いた。
ランディルは言う。
「何やら良くないことが起こると聞いて馳せ参じた」
女性にしては低い声だが、その声は都市ロズベルグにある催事場によく響いた。
私は答える。
「ソ、ソナタのような英雄に助太刀頂き、誠に感謝申し上げる……」
「ん?何か?」
歯切れの悪さに勘づいたエンバッハは尋ねる。私は正直に答えた。
「その被り物は…なんでありますか?魚?」
「あぁ、これは私の思考を敵に読み取らせない為に作った魔道具だ」
「ほぉ…ど、どうして魚なのですか?」
「可愛いからだ」
この催事場に集まる兵士達は口々に言った。
「可愛いか、あれ?」
「魔導師様が言うのなら、そうなのだろう?」
「ちょっと変わってるな?」
「それよりも魔導師様はあんなに若いのか?」
「それは私も思った」
ざわめきを抑えるために私は口を開く。
「このような危機的状況において助太刀してくれるのは大変ありがたいのだが、今まで国の争い事においてエンバッハ殿がどこかの国に協力すること等なかったと記憶している……それがどうして今回我々に力を貸して頂けることになったのですかな?」
ランディル・エンバッハは答える。
「正直言って、アンタとその弟の兄弟喧嘩に興味はない」
兵士達は先程よりも大きな声でざわつき始める。アーデンすら、このエンバッハの言葉に苛立ちを覚えているのがわかった。エンバッハは続ける。
「しかし、此度の内乱は世界中に波及する。最後の1国が残るまで無辜の民は血と涙を流し続け、兵士達は喜んで虐殺を行う。そんな光景は見たくない」
アーデンが言った。
「ならばどうなさるおつもりですか?私と共に王弟軍と戦ってくれるのですか?」
エンバッハ殿は答える。
「いや、兄弟喧嘩には手を出さん」
「ならば──」
「それに乗じて侵略してくる輩を止める。恐らくだが北西のバロッサを止めれば、南の帝国と北東のハルモニアの動きが鈍る」
三国が接する三竦みの国境付近では、一番初めに動く国が最も被害が大きいとされ、最後に動く国が有利である。だが、一番初めに動く国は戦況を決められる利点もあった。
アーデンは言った。
「今回、我々の背後である北西は確かに守りが薄い。バロッサが侵略してくる可能性は十分にある。しかし、そこから我々が侵略して来ないと想定していれば、バロッサは軍を大胆に南と北東に分けて、帝国と神聖国に攻め入る可能性もあるではないのか?」
エンバッハ殿は答える。
「だが、そうならんかもしれない。だから私がそれを確定してやろうと言うのだ。バロッサは全軍を二分し、それらをそれぞれ南、そして北東に移動させるとなると時間が掛かる。つまり──」
私は言った。
「その間に王都を奪還しろと?」
「そうだ」
ロスベルグ付近にある小都市や都市から兵をかき集め、何とか4万の軍勢を集めることができた。しかし北西のバロッサとの国境付近に防衛の為、1万の軍は置いておかないとならなかったが、エンバッハ殿のお陰で、4万全軍をエイブルとの戦争に割ける。シュマールの領土に拘りのあるエイブルは、自身の軍をハルモニア神聖国とバロッサ王国の北東の国境へ、そしてヴィクトール帝国とバロッサ王国の南南西の国境にも派遣している。
その数は4万ずつの合わせて8万にも上る。そして私を打ち倒そうと6万の兵が隊列を組んで王都とロスベルグの間に陣形を整えているとのことだ。この大軍はその後、攻めてくると思われるバロッサの軍に対抗しての規模なのだろう。
我らの派閥の軍もまた北東と南に兵を派遣すべきかどうかをこの催事場で討論していたのだが、エンバッハ殿の乱入によって、弟エイブルとの短期決戦を実行する運びとなった。
しかしアーデンを始め、多くの兵士達はエンバッハ殿のことを信じられないでいる様子だ。
アーデンは言った。
「一体、どのようにしてバロッサの侵略を防ぐと言うのか?」
エンバッハ殿は言った。
「天候と地形を変える」
─────────────────────
─────────────────────
〈マシュ王女の護衛ファーディナンド視点〉
現在、封鎖から解放された小都市バーミュラーから、私達はヌーナン村を目指して馬車に揺られていた。
深夜、星の瞬きはいつもの様相を呈しているがしかし、この地上のシュマール王国は存亡の危機に直面している。
この馬車には王女であらする殿下とメイナーと私、それとメイナーと契約関係にあるという宿屋の子供セラフとその護衛であり給仕のジャンヌが乗っている。共同経営者であるスミスは馬車の馭者として、馬車を走らせていた。
因みに、私が殿下と共にここへやって来た馬車はよく洗浄し、あらゆる痕跡を落としてから──ケルベロスのようなモンスター等の追跡を避けるため──私達の後続を付いてきている。その馬車にはヌーナン村で働く鍛冶師と建築工事をする大工職人が数人乗っていた。
初めてこの、ヌーナン村へ身を隠す作戦をメイナーに聞いた時、正直不安でしかなかった。
確かに、マシュ殿下のお父上であるインゴベル国王陛下の元へ行くとなると長い旅路になるだろうし、その途中暗殺者や王弟派閥の手の者に襲われる可能性が高い。だったら王弟派閥や国王派閥すらいない田舎村へと身を隠すのは最適なのかもしれない。
心配なのはこのシュマールの内乱を聞きつけ、各国がシュマール王国を侵略することだ。もう王都を奪われてから幾日経ってしまった。各国は軍を集め、それぞれが配置に着く頃である。
──もし、王弟エイブル殿下にインゴベル陛下が破れ、他国が攻め込んできたら……
そう思うと、不安で仕方がなかった。殿下もさぞや不安だろうと思い、殿下の顔を覗くと、目をギンギンにして見開いた殿下がいた。
「ね、眠れないのですか?」
「ええ、何だか目が冴えちゃって……」
もう夜も遅いが、かくいう私も全く眠くなかった。この緊張した状態で眠れる方がおかしいのだ。私はこちらの事情を何も知らないでスースーと寝息を立てながらジャンヌという美しい女性の膝枕で眠っているセラフという子供を見た。
殿下が言った。
「この寝顔……守りたくなりますわね……」
ジャンヌが言った。
「はい。いつまでもこうして私の膝の上でお守りしたいと存じます……」
するとそのジャンヌは一瞬険しい表情をしてから殿下に言った。
「セラフ様のことを少しお願いしても宜しいですか?」
「え?」
ジャンヌはセラフを起こさぬよう、大事そうにセラフの頭部を手で持ち上げ、抱き上げると、殿下のお膝へと運んだ。
「よ、宜しいんですの!?」
「なにをして!?」
我々は狼狽えた次の瞬間、馬車が止まった。メイナーはスミスに尋ねる。
「どうしましたか?」
「野盗だ」
スミスは馭者席より降りるのがわかる。私もメイナーと殿下に目を合わせて長剣を手に取り外へと出た。
星の瞬きがよく見える雲1つない夜空だった。野盗達は松明など持たずに暗い闇の中にいる。
スミスが10人近い野盗に、馬車を背にして相対していた。
──数が多い……
私の乗っていた更に後続の馬車も守らなければならない。
私はスミスの隣についた。
10人の野盗は私とスミスの2人が相手だと悟り、5人で1人を襲おうと陣形を整え始めた。
「5人殺れるか?」
スミスが私に言った。
「誰に言っている?私はバルカ様の元で訓練を積んだ兵士だぞ?」
「じゃ、そっちの5人は任せた」
スミスはそう言うと、私から最も遠い野盗に向かって攻撃を仕掛けた。私もそれに倣い、自分から最も近く、スミスから最も遠い野盗に攻撃を仕掛ける。
「はぁぁぁぁぁぁ!!」
私は長剣を横凪に振り払った。野盗の胴体を見事斬り裂くことに成功する。傷付いた野盗は膝をついた。私はそんな野盗の頭部を掠めるようにしてもう一度長剣を振り払う。狙うはその奥にいる3人の野盗だ。振り払ったことにより飛翔した斬撃が標的の3人の野盗を傷付ける。その隙に私は、最奥にいる残った1人の野盗の元へと向かって走った。
何だかいつもより身体が軽い気がした。それだけではない。飛翔した斬撃もいつになく威力が高いように見えた。
もしかしたらこれは夜の闇のせいかもしれない。視界が悪い闇の中では、光の有り余る日中よりも動きが早く感じられる。つまりは、私だけでなく野盗の攻撃も素早く感じられる筈だ。
私は最奥の野盗のところまで距離を詰めた。その野盗から見れば前にいた3人の仲間が突如として倒れたことに怯んだ筈だ。暗闇であの飛翔する斬撃を目で追うのはやはり困難だろう。
──六将軍バルカ様から教わったこの剣技!とくと味わえ!
剣を上段から斜めに振り下ろし、スミスより任された全ての野盗を倒すことに成功する。
隣の戦場ではスミスが素手で5人の野盗を倒し終えたところだった。それを見て私は肩の力を抜く。
するとこの野盗達のリーダーなのだろうか、坊主頭で傷だらけの顔の男が闇の奥より現れ、言った。
「良いのか?前線に戦力を集めて?」
男は背負っていた弓を構えて、上空へと矢を放った。矢には笛がつけられており、放った瞬間その笛の音が鳴り響き、矢とその音が上空へと消える。
──しまった、これは陽動か!?
私は後ろを振り返り、後続の馬車を見た。
──大工達の乗った馬車を狙われた?
しかし後続の馬車が襲われている様子はなかった。私は前へ向き直して野盗のリーダーとおもしき坊主頭の男を見つめた。その男も動揺しているようだった。
「ちっ!何してやがる!?早く襲いやがれぇ!!」
やはり何も起きない。私は長剣の切先をその男に向けながら言った。
「なんだかわからないが、作戦は失敗したようだな!?」
すると男はヤケになったのか、掌から火を顕現させ、それを馬車に向かって投げ始めた。
──火属性魔法!?馬車に火をつけて逃げるつもりか!?
──殿下が危ないッ!!?
しかしその火球は突如として吹いた突風により消えてなくなった。
「え……はぁ!?」
野盗のリーダーは驚き、慌てふためいている。その最中、危うく火がつけられそうになった馬車の上に、1人の女性が降り立った。
ジャンヌだ。
「後衛にいたお前の仲間達は始末した」
「……な、なんだと!?」
野盗のリーダーはそう言うと、またしても突風が吹き、リーダーの男やまだ息のある野盗を吹き飛ばす。
──これは風属性魔法か……
しかし、野盗達はまだ生きていた。ジャンヌという護衛の女は言った。
「我々にこれ以上近づけばお前達は死ぬ。それが嫌なら今すぐ消えろ」
野盗達は悔しがりながらも、我々の前から姿を消した。
馬車から降りるジャンヌ殿に私は尋ねる。
「あのまま逃がしてしまっても良かったのですか?」
その美しさと佇まいで思わず敬語を使ってしまった。
「問題ありません」
そのあまりの自信のありように私は、彼女がそういうのだから問題などないのだと思ってしまった。
それよりも彼女は、誰よりも早く後衛の存在を悟り、私達に前線を任せ、自分はその後衛にいる野盗を殲滅しに行ったのだ。一体何者であるのか、私はそれが気になった。
「出発できそうですか?」
彼女はスミスにそう尋ねると、スミスは問題ないと答え、我々はヌーナン村へと再び向かった。
彼女の正体を探るよりも、まずマシュ王女殿下を安全にヌーナン村へ届けることが最優先である。
私は、再び野盗が襲ってこないか辺りを見回しながらジャンヌ殿と共に殿下とセラフの待つ馬車へと乗り込んだ。