第86話 ケルベロス
〈セラフ視点〉
目が覚めた。
ヌーナン村と違って、小都市バーミュラーは騒々しかった。人口が多いのもその要因であると思うが、何やら外が騒がしい。
するとジャンヌが宿泊部屋の窓から入ってきた。
「おはよう、ジャンヌ」
「おはようございます。セラフ様」
「どこ行ってたの?」
「はい。外が少々騒がしかったもので、調査をしていたところでございます」
「あ、やっぱりこの騒ぎはバーミュラーの日常じゃないんだね?何があったの?」
「それが──」
ジャンヌは説明する。ミルトン・クロスビーというAランク冒険者とそのパーティーメンバーがバーミュラーに訪れ、ここに逃げ込んだ罪人を探しているとのことだ。
「へぇ~!Aランク冒険者かぁ~。ジャンヌは見たの?そのミルトンって人を」
「ええ、見ました」
「どうだった!?」
「どう…と言われましても……」
「まぁ、確かに人を見て感想を言うのは難しいよね。ごめんね。変なこと訊いちゃって……」
「あ、謝らないでくださいませ!私が言葉にできなかったのが悪いのです!」
僕らは支度をして、メイナーさんのところへと向かった。宿部屋を出る時、それとなく昨日仲良くなったマーシャお姉ちゃんの泊まる部屋を見た。マーシャお姉ちゃんとは、メイナーさんのレストランで一緒にご馳走になっている最中に、マーシャお姉ちゃんのお兄ちゃんがやって来て、メイナーさんと話をしに僕らのいた個室から出ていってそれっきりだった。
僕は彼女らが泊まる部屋の扉から視線をそらして、宿屋から出た。
通りを歩くと、昼前だというのにたくさんの人が行き交う。Aランク冒険者を一目見ようと走る者や彼等の捜索に伴って一時封鎖されたバーミュラーから出られないと不平を漏らす者もいた。
「あぁ、ミルトン様ったらなんて逞しいの?」
「ヒルダ様は相変わらずお美しい」
「ホワイト様はああ見えて40歳を超えているらしいぞ?」
「ちっ、罪人が逃げ込んだか何だか知らねぇがよぉ。早いとこ、ここを出ねぇと商売あがったりだぜ」
「その罪人ってのは男と女のパーティーらしいぞ?」
「てか見たかあれ?ケルベロス?あんな恐ろしいモンスターをテイムしちまうだな?すげぇな冒険者は」
ケルベロス。僕も一目見たいと思った。そんなことを思っている矢先、メイナーさんのいる『レ・バリック』に向かう途中、曲がり角から人集りが徐々にこちら側に向かって溢れ出す光景が見てとれた。
「あッ!アレじゃない?Aランク冒険者のパーティー!?」
「そのようですね……」
しかし人集りはこちら側にはやって来ず、溢れ出た人達は曲がり角を引き返すように戻っていった。
「ありゃ……引き返しちゃったね?」
「そのようですね……」
「まぁ、いっか!取り敢えずメイナーさんのところへ行こう!」
メイナーさんのレストラン『レ・バリック』に到着した。女性の店長さんは僕らのことを覚えていてくれたようだが、しかしメイナーさんとスミスさんは朝一番にヌーナン村の領主様の元へと向かったとのことだった。
そう、ここで領主様より許可が取れなければ、僕らは何か別の方法を取らなければならない。領主様に僕の父さんの息がかかっていた場合でも、流石にメイナーさん達に危害を加えるようなことはしないだろう。
メイナーさん達が戻って来るまで、僕らはこの小都市を散策することにした。僕は歩きながら何気なく声を漏らした。
「ケルベロスに会いたいなぁ~」
ジャンヌが驚く。
「え!?お会いしたかったのですか!?」
ジャンヌの意外な反応に今度は僕が驚いた。
「え!?そんなに驚くこと?」
「いえ、その…ですね……実は昨夜よりそのケルベロスがバーミュラーの外にいるのがわかっておりまして、少々威嚇をしていたのでございます……」
「え、そうなの!?」
「はい。先程も曲がり角を曲がろうとしておりましたので、私が追い払ってしまいました」
「ああ、そうなんだ…そのケルベロスはテイムされてるんだから心配しなくて大丈夫だと思うよ?」
「し、しかし……いえ、わかりました……セラフ様がお会いしたいのであれば私は遠く離れてセラフ様のことを見守ろうかと存じます」
ジャンヌ曰く、一度威嚇してしまうと威嚇されたモンスターはジャンヌには近付かないとのことだった。
「ここより北東に、そのケルベロスがおります」
僕はジャンヌの指示に従ってケルベロスに会いに行った。
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〈Aランク冒険者ミルトン・クロスビー視点〉
ヒルダがテイムしたモンスター、ケルベロスの様子がおかしい。
3つの頭をもつこのモンスターには3つの自我が芽生えている。
バーミュラーに到着する前までは、3つの頭の意見が一致し、ここまで何の迷いもなく来れた。しかしバーミュラーに到着すると、このモンスターの持つ3つの意見がバラバラになってしまったような印象を受ける。
それを昨日の夜は単なる疲労によるものだろうと思ったがしかし、今日のこれは明らかな異変である。
ヒルダは「どうしちまったんだ?」と疑問を呈する。小都市に入ってから同じところをグルグルと回っては、一向にマシュ王女やその護衛の影すら見えてこない。
するとそのケルベロスが立ち止まった。
宿屋の前だ。
俺達はその宿屋を見上げる。ホワイトが両手を後頭部に組ながら言った。
「やっと見つかった?」
ようやく目的地へと到着したことに将軍フースバルから派兵され500人の兵の部隊長コーディーが興奮気味に尋ねてきた。
「こ、ここにいるのですね!?」
ヒルダは自信なさげに答えた。
「お、おそらく……」
しかしその宿屋とは反対側のところから声が聞こえた。
「うわっ!格好いい!!」
子供のはしゃぐ声だった。それと同時に野次馬達が歓声を上げている。何事かと俺達は声のする方を見た。
そこには10歳くらいの子供に頭を垂れたケルベロスがいた。
「は?」
「えっ?」
「なにこれ?」
ケルベロスがヒルダ以外にこのような姿勢を取るのを初めて見た。
その子供は言った。
「さ、触っても良いですか?」
ヒルダは答える。
「え、ええ……」
何が起きているのかわかっていないヒルダは、そこに更に質問という付加が追加された状況を和らげる為か、子供の質問に是と答えた。
子供がケルベロスの真ん中の頭を撫でた。
その瞬間、凄まじい殺気が俺達を襲った。まるで巨大な口に飲み込まれるような感覚。俺は一瞬怯み、一歩下がる。
──何が起きた!?
殺気の出所、ここを見下ろすように建てられた塔の上を見たがそこには何も誰もいない。
俺は戦闘体勢となり、背中に背負った大剣に手をかけ、周囲を窺った。
しかし、ヒルダもホワイトも周囲にいる兵士も野次馬もこれまでと変わらず、何事もないように過ごしていた。俺以外で唯一、その殺気に気が付いたのはケルベロスである。その場に緊張しながら硬直しているしかなく、子供に頭を撫でられ続けていた。
ケルベロスが立ち止まったのは、あの殺気に気が付いたからだ。子供はたまたまそこに居合わせただけである。
だとすると昨夜の奇行も、この殺気を発する者に気づいていたからだと俺は納得した。
「どうしたんですか?ミルトン様?」
ホワイトが俺の異変に気が付き、俺は大剣から手を下ろした。
「いや、なんでもない……」
冷静となった俺は思考に沈む。
──あの殺気……
俺は過去を思い出す。かつて一度だけあの殺気と同等の殺気を経験したことがあった。それは俺達の所属する冒険者ギルドの本部にいるギルドマスター、ガーランド・ビスマルクによる殺気だ。
──ということは必然的にあの女も関わっている……
俺はこのマシュ王女捜索依頼を出した王弟エイブルの裏にいるあの女、ウィンストン・ヴォネティカットを思い浮かべると同時に、この依頼の背景を推測する。
──俺達の評判を下げる為か?
──それともウィンストンの狙いと、この依頼は別にある?
──確かに王弟エイブルが依頼を出し、それをウィンストンが断れなかったと仮定すればどうだ?
──王弟に何かを悟られないようにしたかった?
──この瞬間的な殺気を俺にだけわかるように飛ばしてきやがった……
──ケルベロスはそのとばっちりを受けたに過ぎない?
ウィンストンに直接質問できれば良いのだが、王弟が近くにいた場合、アイツが素直に答えることなどありえない。
──ちっ!?何が狙いだ!?王女は捕らえなくていいのか!?
俺が思案していた間に、ケルベロスを撫でていた子供はいなくなり、フースバル将軍の部隊長達は宿屋の捜索を終えて戻ってきた。
「い、いませんでした……」
俺は答える。
「今日の捜索はこれで終わりだ。ヴィスコンティ卿とザッパ都市長と話をさせてもらう」




