第59話 羽目を外して
〈帝国宰相マクベスの親衛隊バンコー視点〉
我々は宿屋『黒い仔豚亭』に着いたが、何も食べず、宿泊もせずにそこを後にした。
村の外に繋ぎ止めていた馬に股がり、帝国へ向かって急いで走る。
嫌な予感がした為、後ろを振り返った。そこには2人の仲間しかいない。安堵した私は再び帝国へ向かって走った。
──急がねば……
何故、我々が急いでいるのかというと、あの『黒い仔豚亭』にハルモニア神聖国三大楽典の1人ミカエラ・ブオナローテがいたからだ。
血の気の引く思いがした。今日で2度目だ。
怪しまれないよう、あそこで食事を取るべきだったか?いや、早くあの場を出たかった。
これでまず間違いない。魔の森及びヌーナン村はハルモニア神聖国によって支配されている。
村長はリディア・クレイルによって精神支配されていた?やはり会わなくて良かったか?村は支配されていないのか?我々を殺さなかった理由は?それともあの村の感じからして村長もヌーナン村の連中もハルモニア神聖国の魔の手が伸びていることを知らないのではないか?
確かにヌーナン村襲撃作戦の際に導入した400人隊と2千もの騎兵隊が原因不明のまま行方知らずとなった方が向こうにとっては都合が良い。我々が迂闊に行動ができないからだ。
──それに魔の森の活性化……
様々な思考が浮かんでは消えていった。しかしその様々な思考が1つとなって私に答えを示してきた。
──ヌーナン村を拠点に魔の森を支配しているのではないか?
魔の森をリディア・クレイルが支配しようと秘密裏にことを運んでいたが、そこに我等のヌーナン村襲撃作戦とバーミュラー攻略戦が起こり、リディアとミカエラがそれを防いだのだ。
三大楽典1人の兵力は1師団以上と言われている。魔の森を支配したリディアが相手をするならば、たかだか400名の帝国兵と暗殺者ギルドの連中は瞬殺されてしまっただろうし、ミカエラと協力すれば2千の騎兵隊を葬り、残りの千人に幻覚を見せることも簡単だ。
そしてリディアお得意の精神支配を駆使すれば我等の作戦などあっという間に聞き出せる。シュマール王国のバーリントン辺境伯についてやヴィクトール帝国の作戦のあらまし、全てが筒抜けだっただろう。
──これは由々しき事態だ……それともこれを機に何かできることがあるのではないか……?
いや、とにかく報告だ。
我々は国境を渡って、帝国の地を踏み締めた。
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〈ハルモニア神聖国3大楽典ミカエラ・ブオナローテ視点〉
宿屋に宿泊し、一夜を過ごした。
あの大浴場は素晴らしい。ハルモニアからの長旅の疲れが吹き飛んだ。家を出てからこの村に到着する直前まで土属性魔法で身体に土を纏わせ体格を変え、そこから大きめのローブを羽織り、襟巻きとフードをして顔を隠していた。
自分のことを偽るためとはいえ、あれは全身に汗をかき、蒸れるのだ。だから田舎村に到着した際は、直ぐにそれらを脱いで、解放感を味わったものだ。
この村にはたくさんの冒険者が来訪しているが、その冒険者達の視線はなるべく避けるようにして、今日のこの任務まではなるべく宿泊部屋から出ないようにした。情報収集の際は食事処に赴いたが、カウンター席に座り、客達に背を向けていたから問題ないだろう。
──だが、昨日はあの大浴場に感動してしまい、少々無用心であったことは認めるとしよう……
宿泊部屋は何の飾り気もないが、寧ろそのくらいがちょうど良い。それにあの食事処で出たオークのジンジャーソテーも変わった味だったが、とても美味だった。酒はやめておくつもりだったが、あまりにも美味だった為、羽目を外してワインを飲んでしまったのはここだけの話だ。
得られた情報は、魔の森の活性化くらいだった。リディアに関する直接的な情報はなかった。冒険者に直接尋ねればまた、詳細な情報が手に入ったかもしれないが、次の日に備えて私は眠った。
朝となり、私は今魔の森へと入る。
場合によっては魔の森で野宿するかもしれないが、早く任務を終えて再びあの『黒い仔豚亭』に戻りたい。
ハルモニア神聖国の誇る三大楽典は私とリディアとプリマの3人だ。それぞれ得意とする攻撃方法が違い、私は彫刻によるゴーレムの創造、リディアは音による精神支配、プリマは舞による直接的な武力が特徴的だった。
──まぁ、我らの特技のどれもが神の生まれ変わりであらするソニア様と繋がる為の行為であるのは違いないが……
プリマは直接的な武を、私は間接的な武を極めて聴衆に称賛されているが、リディアのそれは武を志す者からすれば卑怯な手に思えてしまうのも無理はない。
だから私やプリマの称賛を目の敵にしていた節がリディアにはあった。そのリディアが教皇猊下に命令され、魔の森の攻略を行った。確かにリディアにはその力があった。また、ここなら彼女の力を存分に発揮できる。この作戦が成功すればシュマール王国侵略作戦が大きく動き出す。過去に神と一体化したソニア様を殺したシュマール人に天罰を下すことができるのだ。
しかし、リディアからの連絡が途絶えた。
魔の森のモンスター、特に最深部のモンスターは危険極まりない。そんなモンスターに殺されてしまったのならばそれで構わないが、仮に奴が魔の森の攻略をし終え、ハルモニア神聖国を裏切っていた場合、我が国の脅威となりかねない。
傲慢で欲深いリディアならば裏切りもあり得るとの意見が枢機卿達の間で囁かれていた。リディアが裏切ったとなると、それを命じた教皇猊下の責任が問われる。教皇を引きずり下ろす良いネタになることだろう。だから枢機卿達は調査として同じく三大楽典の私をこのような場に送り込んだのだ。これには教皇猊下も賛成せざるを得ない。寧ろ教皇猊下派閥も私に調査をしてほしいと思っていただろう。
仮にシュマール王国とリディアが手を結ぶとしたら、その見返りとして魔の森の自治権をシュマール王国に認めて貰うことは十分にあり得たし、ハルモニアのシュマール王国侵略作戦のあらましを知られてしまった可能性もある。
リディアが裏切ったとすれば、同じく三大楽典の私がノコノコと1人で魔の森にやって来るのは絶好の機会であり、私に攻撃ないしは、接触を試みて然るべきである。
しかし魔の森は静かだった。その静けさは不自然さを覚える程だった。
──魔の森を支配しているのなら何故私を襲わないのか……
──罠だと思い警戒している?
──最後の報告では数多くのモンスターを精神支配したとのことだが……
──やはり死んだだけか?
──それとも……
私は魔の森の入り口から中間部へと歩く。
やはり、モンスターが現れない。
そこで私は土属性魔法を唱えて、72体のゴーレムを造った。土の質にもよるが、ゴーレムの強度は創作者の魂に作用する。精巧に造れば造る程よりゴーレムの強度は増し、私を守ってくれる守護者となるが、これは広大な魔の森の調査を兼ねた作戦であるため、私はゴーレム製作にそこまで時間をかけなかった。そして魔の森に解き放つ。
また、それらとは違って強度の高いゴーレムを4体造った。これはそこそこ時間をかけた。というのも、魔の森では何が起こるかわからなければ、いつリディアの精神支配がふりかかるかもわからないからだ。
──よし……
私は完成した4体のゴーレムの内、人型のゴーレムを3体、魔の森中間部より最深部に向けて前進させた。モンスターがいれば先行するゴーレムが倒してくれ、多少面倒なモンスターならば迂回して魔の森最深部方向へと私を案内してくれる。そして残る1体は狼型のヴィルカシスのような形のゴーレムである。これに乗って移動する。
このゴーレム達の連携によって私は魔の森を容易に駆け回ることができた。ゴブリンにホブゴブリン、ヴィルカシス、マンティス、ネルスキュリア、リザードマン、オークにハイオーク、ポイズンスネーク、エビルセンチピード、ツインヘッドホース、アーミーアンツ等のモンスターにエンカウントしたが、どれもリディアの精神支配の証である黒い縞模様が浮き出ていなかった。
放った72体のゴーレムも攻撃はされても、リディアが知っているようなゴーレムの核を狙った攻撃はなされなかった。
一日中魔の森の中間部をゴーレム達は駆け回ったがリディアからの接触は一切ない。
──これだけ動いたのだ、必ずやリディアは私のことを認識している筈……あとは最深部か……
夜も遅い。私は72体のゴーレムを土に返し、土属性魔法を唱えて簡易的な家を作った。立方体の何の意匠も凝らしていない家。中もベッドが1つと簡素な作りだ。大浴場もなければ、美味しい料理もない。
私は溜め息をつきながら、自分で作った家に入った。出入り口は固く閉ざし、周囲をゴーレム達に守らせる。寝る前にもう一度魔力を流して、私が起きるまでの間稼働できるようにした。寝ている間にリディア、及びリディアが精神支配したモンスターに襲われないようにする為だ。
土を柔らかく固めて作ったベッドに横になり、マントを毛布にして私は眠った。
──明日は最深部の調査か…骨が折れるな……