第42話 バーリントン辺境伯
〈バーリントン辺境伯視点〉
「それではこれより軍を率いて小都市バーミュラーを我が一族の元へ戻して参ります」
長男のグレッグが挨拶を済ませて、ここから出て暫く経つ。バーミュラーより急報がようやく入り、夜の内に、凡そ8千の兵がバーミュラーの小都市を目指し、行軍した。着くのは明日の早朝になる。
援軍と勘違いし、我が私兵を無防備に小都市内に入れることだろう。そして内側から侵略する。後は門を開けて、戦場に出た王国の歩兵隊や魔法隊を帝国と挟み撃ちにするも良し、バーミュラー全体を人質にするも良しだ。それらは現場でのグレッグの判断に任せている。
私は辺境伯としてこのバーリントン家が代々受け継ぐ屋敷の執務室にいた。もう夜も遅い。これから就寝し、起きた頃には全てが終わっている。
考えるだけで口元が緩む。善き睡眠をするために、私はクリスタルガラスで作られたワイングラスを2つ用意し、それらの中に血のように赤いワインを注いだ。
1つは自分用に、もう1つはこの素晴らしい計画を支えてくれたスレイに渡す。
スレイは長い包帯のような白い被り物を頭に巻き付け、腰の左右に双剣を差している。見たところまだ年若い、18歳の少年と言われればそれを信じてしまうかもしれない。
私がグラスを渡そうとしたが、スレイはそれを断った。
「申し訳ありません。仕事柄、飲まないようにしているのです」
普通なら私が注いだワインが飲めないなんてことは言わせないが、スレイは私の従者ではない。酒に酔って仕事が疎かになる等あってはならないだろうが、ほぼほぼスレイの仕事は終わっている筈だ。
スレイの仕事はこの素晴らしき計画が滞りなく行われるのを監視、或いはテコ入れすることと、私の護衛を兼ねている。
そう、この計画を立案したのは私ではない。シュマール王国内で影響力を持つ、あのお方である。
──対インゴベル王にただなるぬ殺意を秘めたあのお方……
私はグビッとグラスの中のワインを口に入れた。芳醇な香りと深みのある渋味が口内に広がる。
「お味はどうですか?」
「実に旨い」
私はスレイに用意したグラスを机の上に置き、このワインの蘊蓄を語る。
「このワインは古代12英傑、今では6英雄と6蛮勇に分けられているが、その6蛮勇最後のソニアの時代に作られたワインなのだ」
「…それはまた古い年代のモノを……」
「ハルモニア神聖国の者達ならば喉から手が出る程に欲するワインよ」
まだグラスに残ったワインを蝋燭の炎に掲げて、その色を確かめた。そして再びスレイに尋ねる。
「スレイ、お前は食に興味があるのだろう?」
「ええ…ですがやはり、それを頂くのはこの仕事が終わってからに致します」
「ガハハハハハ!それでは明日、共に飲もうではないか!?」
「はい。楽しみにしております……」
そう言って、スレイは執務室より出ていった。心地の良い眠気が私を襲う。
──明日、目を覚ませば……
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〈ジャンヌ視点〉
戦場を横断するよう一直線に駆け抜け、バーリントン辺境伯の屋敷の敷地内に入った。何度かここを訪れたことのあるアルベールとセツナの案内によって簡単に入ることができた。
しかし、入る直前、この屋敷全体を禍々しい魔力が覆っていた。
私はアルベールとセツナを止め、この魔力に触れないように促したが、その直後魔力は消え去った。2人に不思議な表情で見られたが、あの魔力は一体なんだったのだろうか?
──もしかしたら屋敷内に誘き寄せられたのか?
戦闘はなるべく避け、速やかにバーリントン辺境伯を生きたまま捕らえる。約8千の兵が小都市バーミュラーへ向かったのをこの目で見た。辺境伯の裏切りが誰の目からも明らかとなったその時に、アルベール、もしくはセツナによって捕らえたバーリントン辺境伯を前へ差し出す。そうすることによって小都市内は混乱してしまうかもしれない。最悪、辺境伯の8千の兵が武装蜂起する可能性もある。そうなったら、私の手で全軍滅ぼすことも可能だ。勿論、私の手が加わったことを誰にも悟られぬようにすることも可能である。
そう。私の風属性魔法を使えば全軍を容易く葬ることは簡単だと思っていた。しかし先程屋敷内で感じた魔力は我々の計画を阻むことのできる実力者によるモノだ。
──今は、その魔力を感じないが、十分に注意を払うべきだな……
ゴクリと生唾を飲み込み、バーリントン辺境伯の屋敷へと入った。赤い絨毯を踏み締め、等間隔に廊下に並ぶ絵画や美術品の間を通り過ぎた。息遣いや装備品の擦れる音、靴音やらは私の風属性魔法によって消す。
魔力探知によってどこにバーリントン辺境伯の屋敷を警備している護衛がいるのかわかる。その護衛達の目を掻い潜った。屋敷全体を魔力探知すればよいのだが、先程の強力な魔力を発していた者に見つかる可能性があるため、範囲を最小限に、主に我々の視覚から見えない通路の曲がり角や通り過ぎる扉の向こう側を中心に知覚した。
アルベールは言った。
「ここを曲がれば辺境伯の寝室があります、姉さん」
アルベールとセツナは私のことを姉さんと呼ぶ。
「わかった」
私は返事をして、まずは風属性魔法を使って曲がり角の空気の乱れや護衛の息遣いが聞こえてこないか確かめた。
「護衛は2人だ。一番奥にある扉を護衛しているな」
「どうします?」
「魔力探知をする。2人は周囲を警戒していろ」
「はい!」
「承知しました!」
私は魔力を通路の全体に行き渡らせ、2人の護衛兵の更に奥の扉の向こう側まで探知の範囲を広げた。そして私は悟った。
「いない……」
「え?」
「あの扉の奥には誰もいない……他に思い当たる場所はないか?」
セツナが答えた。
「執務室……私達はそこでバーリントン辺境伯と会っておりました。まだ寝室には入らずそこにいるのではないでしょうか?」
アルベールもセツナの意見を肯定した。
「では、そこまでの経路を思い出せ。念のため、私は奥の扉とその前の護衛に尋問してみる」
「え?」
「はい?」
私は風属性魔法を使って速度を上げ、廊下を駆け抜けた。
──あの魔力の持ち主ならば、私の魔力探知を掻い潜るか無効化するような魔法を使えるのではないか?しかしその場合、私がそう悟る筈なのだが……
私は一旦この思考を止めて、2人の護衛の内1人を気絶させた。突然共に護衛をしている相方が倒れたのを見てもう1人の護衛は驚きの声を漏らしたが、その直後、私はその護衛の背後に回って首を締め上げた。
「もごッ!?」
全身が硬直し、暴れようとした為に私は告げる。
「暴れるな。さもなければ殺す」
この言葉で、護衛の身体が一瞬弛緩したが、同時に全身が震え始めた。
「バーリントン辺境伯はどこにいる?」
私は首を絞めていた腕を少しだけ緩める。
「し、執務室──」
答えが聞けた私は再び腕に力を入れてその護衛を気絶させた。この尋問中、背後の扉がいつ開いても反応できるように準備していたが杞憂に終わる。念のため、中を開けて寝室を調べたが誰もいなかった。
アルベールとセツナのいる元へと戻り、2人に命令した。
「バーリントン辺境伯は執務室にいる。急ぐぞ」
2人は頷き、再び屋敷内を走った。私は2人に付いていく。
──あの魔力を発していた者はもうこの屋敷にいないか、もしくは執務室にいる……
私は戦闘の準備を静かに始めた。




