第4話 羊
〈セラフ視点〉
「お~い!!誰かぁ~!!」
僕は声の主の元へと駆けつけた。
「どうかしました?」
宿屋『黒い仔豚亭』の隣で牧場を運営しているルーベンスさんだ。
「おう、セラフ!うちで飼ってる羊が1匹いなくなっちっまったんだ!!見かけなかったか!?」
最近、家畜がいなくなる事件が相次いでいる。僕の宿屋で飼っていた雌牛のリュカも行方がわからない旨をルーベンスさんに伝えた。
「実はうちの雌牛もいなくなってしまって……」
「そうなのか!?モンスターに襲われたんじゃないのか?ああ、心配だ!!」
「ちなみに、ルーベンスさんの牧場にうちの雌牛はいないですよね?」
僕がリュカの話題を出した時に、これと言って反応がなかったのだから、迷い込んでいる可能性は低かった。
「あぁ、牧場の隅から隅まで探したがセラフんとこの雌牛は見てねぇ」
予想通りの答えを聞き、僕はルーベンスさんにリュカの捜索にこれから出ることを告げた。そしてついでと言ってはなんだが、ルーベンスさんの羊も見かけたら保護しておくと伝え、僕は村の中心地へと走った。
「おう!宜しく頼むぜ!」
中心地に到着した僕は、深呼吸をして一旦落ち着く。
そして感覚強化の付与魔法を自身にかけてリュカとルーベンスさんの羊の捜索を試みる。
研ぎ澄まされた感覚によって周囲の生活音や人々の立ち話、動物や虫の鳴き声に風の音と木々の擦れる音等が聞こえてくる。その研ぎ澄まされた感覚にプラスして魔力を込めると、一時的ではあるがより鮮明に、そして広範囲にどんな人がどこにいるのかがまるで触れているかのようにわかるのだ。そしてこの状態から魔力強化の付与魔法を自分にかける。こうすることでより広範囲に捜索が行えるのだ。
するとこの村より南東の魔の森へ向かうモンスター達を発見した。ゴブリンだ。ゴブリン達に囲まれながら生き物が引かれていくのがわかる。おそらくルーベンスさんの羊だ。
なるほど、最近行方がわからなくなった家畜達はゴブリン達によって拐われていたようだ。
──リュカも拐われたのか……
僕は悔いた。何故ならば、買い物に行ってないでもっと早く捜索していれば良かったと思ったからだ。
──もしかしたらリュカはもう……
僕は身体強化をかけて南東へ走り、小柄で薄い緑色の表皮を纏ったゴブリン達の元へ向かった。
ルーベンスさんの羊の首に縄を括って無理矢理引いているのが遠くに見える。僕は後をつけた。直ぐにゴブリン達を退治しないのは、ゴブリン達のアジトを突き止め、さらわれたリュカを救うためだ。ここでもう一度感覚強化と魔力強化を使っても良いのだが、魔の森にはたくさんのモンスターが生息しており、それを取捨選択してリュカを探り当てることは、ここからだと困難であると判断したのだ。それと魔力を節約する為でもある。
──使うなら、もう少しアジトらしきところがわかってからだ……
ルーベンスさんとその羊には悪いが、しばらく捕まっていてもらおう。
リュカは僕が6歳の頃から一緒に育った、謂わば家族と同じくらい大切な存在だ。アビゲイルだって何事もなく仕事をしていたけれど本当はとても心配している筈だ。
ゴブリン達はそのまま魔の森へと入っていく。僕は訝しんだ。
──ここら一帯にはゴブリンの集落なんてない筈なんだけど……
母さんに内緒で、魔の森には何度か足を踏み入れたことがある。しかしゴブリンの集落はヌーナン村から東へ進んだところにあり、こんな南東にはない。僕はそう思いながら、後をつけていく。森の奥地は生い茂る木々によって日の光も入ってこない。
しばらく歩いていると、大地に突き刺さるようにして聳える巨岩が木々の隙間から見えた。ゴブリン達はその岩に向かってルーベンスさんの羊を引いていく。
僕はここで感覚強化と魔力強化の付与魔法を使用し、周囲にリュカがいないかを今一度捜索する。するとその岩の前でリュカが無惨に食されている光景を知覚してしまった。
リュカの腹を裂き、前足を切り取り、それにかじりつく筋骨隆々としたホブゴブリン達の存在を知覚した。
僕の全身から血の気が引いていく感覚がした。感覚強化を使用したせいか、リュカが無惨にも食されているところを鮮明に知覚してしまい、それに伴ってより一層悲しみが込み上げてきた。どうかこの感覚が間違っていることを願いながら、リュカの元へと走った。いくら感覚強化でわかると言っても、百聞は一見にしかずだ。
しかし、僕が知覚したのと同じ光景が目の前に広がっていた。
「リュカ!!!」
引いていた血の気が腹の奥底に溜まり、グツグツとした怒りが僕の内側に沸き上がる。
口元をリュカの血で汚したホブゴブリン4体が僕を見てニヤリと怪しく微笑んだ。新たな獲物が来たのだと思ったのだろう。
討伐難易度D+ランクのモンスターが村の近くにいることやゴブリン達を従えて村の家畜を捕らえていたこととか、ホブゴブリン達の棲家はもっと奥にある筈だとか、コイツらがこの場所までやってきたということは、この更に奥にはもっと強力なモンスターがいるのではないかとか、僕は瞬時に考えたが、そんな思考は胸の奥に燃え立つ、怒りの炎にくべられ灰と化した。
家族同然のリュカが食べられている。
その事に僕は猛烈な怒りを抱いた。モンスターとの戦闘は初めてであるし、ホブゴブリンに勝てるのかどうかもわからない。しかしこの怒りの衝動を僕は抑えることができなかった。
無意識に身体強化を自身にかけ、その場から駆け出した。まずリュカの腸を汚ならしい口に咥えているホブゴブリンの前で立ち止まった。ホブゴブリンは立ち上がり、僕との体格差を自慢するように僕を見下ろしてきた。もう一度ホブゴブリンはニヤリと嫌らしい笑みを浮かべたが、僕はその場で跳躍して頭に膝蹴りを入れて、ホブゴブリンの頭を粉砕した。
ゴパッとホブゴブリンの顔面を形成する骨と鼻と眼球が音を立てて潰れ、膝蹴りの衝撃に耐えきれなかった首が千切れた。ホブゴブリンの首なし死体はしばらく立ったままだった。僕は残る3体のホブゴブリンに睨みをきかせる。
立ったままだった死体が倒れ始めると、ようやく恐怖を知覚し始めたのか3体のホブゴブリンは死体の倒れる音を合図にそれぞれが散り散りとなって逃走を試みる。
その1歩が最も早かったホブゴブリンに僕は狙いを定めた。高速で移動し、追い付いた。前方へ駆け出すホブゴブリンの足を僕は払った。ホブゴブリンは僕が移動した速度についてこれず、目線は先程まで僕がいたところを見たままだった。
足を払って転ばすつもりだったのだが、払った僕の蹴りに、ホブゴブリンの足が耐えきれず、切断されたかのように取れてしまった。その場に転んだホブゴブリンはさっきまでついていた足を必死に動かそうとするが、自分の足がなくなっていることにようやく気がつき、痛みに喘ぎ出す。
僕は転んだホブゴブリンの背中を足場にして、逃げ出す2体のホブゴブリンを始末する為、強く踏み込んだ。足場となったホブゴブリンはその場で落石に潰されたようにペチャンコとなり絶命した。
僕は足場を強く蹴った勢いを利用して、あの場から3歩駆け出したホブゴブリンに追い付くと、背後から上段蹴りを食らわせ、上半身を抉るようにして破壊し、もう一度その場を踏み込んであの場から今までで4歩駆け出したホブゴブリンの背中を手刀で一突きして、体内にある心臓を掴みながらホブゴブリンの胸を突き破る。そしてホブゴブリンの眼前にその心臓を突き付け、握り潰し、腕を引き抜いた。
「リュカ!!」
前足を失くし、腹を裂かれ、腸を食い千切られて苦しそうに横たわるリュカの前に僕は跪いた。
「あぁ、リュカ……」
涙が溢れてくる。
「女神様…どうかリュカを……」
しかし僕はとあることを思い付いた。
──付与魔法を使えば……治るかもしれない……