第155話 クォ・ヴァディス
〈ファーディナンドに乗り移ったレシェフ視点〉
身体が軽い。ファーディナンドの身体はやけに軽いと感じた。王女でなく、この者の身体だけで十分な気もしたが、王女となり、あの四執剣をも超える超越者達を意のままに管理──そうでなくともそれとなく利用──できれば、私の神に対する復讐も遂げられる。
私は『黒い仔豚亭』に足を踏み入れ、目的の2階の最奥の部屋を1階吹き抜け部分から眺めた。
──あそこか……
厨房横の階段に足をかけると、木製の階段が軋んだ。その音に反応した者がいた。
「どこに行くんだ?」
私は厨房より顔を覗かせた者と目を合わせる。坊主頭であるが、私は直ぐに理解し、驚愕した。この男はデイヴィッド・リーンバーンだ。忘れていた。この者がこの村にいることを。
「殿下のところへと向かおうと……」
何も余計なことを尋ねるなと念じながら、私は答えた。すると、デイヴィッドは言う。
「じゃあよ、これをマーシャんところに届けて貰えないか?」
茹でた卵をスライスし、ハムと葉物野菜を挟んだ美味しそうなパンがおぼんの上に複数乗っていた。
「…マーシャ?」
思わず疑問を呈してしまった。
「殿下のことだよ。やっぱ慣れねぇよな、この呼び方」
私は無意識に脳内のファーディナンドに問うてしまった。そして直ぐにその回答が返ってくる。
「殿下のことは、マーシャとお呼びするようになっている……」
「ん?」
「い、いや違うんだ。つい忘れてしまう……」
「だよなぁ?」
「そ、それじゃあ私がそれを届けに行こう」
「おお!頼むぜ」
私はおぼんを受け取って、2階へと上がった。
その短い道中、私は考えた。
──くそ…デイヴィッドの身体に乗り移るべきだったか……
今乗り移る対象を変えてしまえば私が抜けたことにより、ファーディナンドが意識を取り戻すだろう。長時間、私が乗り移っていればファーディナンドは記憶の混濁により脳を回復させる時間を要する。だが今回はそうはならない。ファーディナンドは直ぐに意識を取り戻し、一部記憶がないことに気が付く。そうなれば、警戒されることになるだろうし、あの化け物どもを呼び寄せるかもしれない。勿論、マシュに乗り移る際も同様のことが起こるだろう。だが、仮に乗り移りがバレても、マシュの身体を人質にすれば奴等は手出しできない筈だ。だから私はグッと乗り移りたい欲を抑え、階段を昇った。
王女のいる部屋の前に到着する。
私はおぼんを片腕に乗せ、空いた方の手で部屋をノックした。
中から声が聞こえた。私は言う。
「ファーディナンドでございます」
扉が開き、子供の頃からよく知る王女マシュが出てきた。
「あら、ファーディナンド?何のよう?」
マシュは私の持っているパンに視線を合わせる。私は一先ず、この料理をマシュの部屋へと運ぶことにした。
「これを届けに来ました」
「そう」
と言ってマシュはおぼんを受け取ろうとするが、私は言った。
「お部屋にお運び致します」
「ありがとう」
マシュは私を部屋の中へと何の疑いもなく案内した。
私は部屋に入り、目についた丸テーブルにおぼんを置く。
──よし!
そして私はマシュに目を合わせ、乗り移りの魔法を唱えた。
「ッ!?」
その刹那、私の視界が揺れた。
──何が起きた!?
私は膝をつき、下を向く。全身に寒気を催し、心臓が痛いくらい早く胸の内を叩いた。
「ちょっと!?大丈夫!?」
──落ち着け!
私はまだファーディナンドのままだ。
──一体何が起きた?
私は混乱していたが、悟る。魔法が弾かれたのだ。
──何故だ!?マシュはギヴェオンの血をひいているわけではない。なのに何故!?
下を向く私をマシュは覗き込み、私の顔を心配そうに凝視する。マシュの碧き瞳が私の魂を津波のように飲み込んでいく。たった一瞬の眼差しで広大な湖の中心を頼りなく浮遊しているような感覚が押し寄せた。
「う、うわぁぁぁ!!!」
私は恐れ慄きながら尻餅をついた。マシュはそんな私に迫る。
「ちょっと!?どうしちゃったの!?」
私はそんなマシュから逃れようと、手足をバタつかせながら、這うように部屋から出ていった。私の声を聞き付けたのか、デイヴィッドが様子を見に2階へやって来る。
──そうだ!デイヴィッドに乗り移って…いや、ダメだ!さっきマシュに乗り移ろうとした際、何故だか魔力を殆ど持っていかれた。子供ならまだしも、デイヴィッドのような強者ではまた、乗り移りに失敗する!?
私はデイヴィッドを突き飛ばすようにすれ違い、階段を飛び降りる。
「おい!?どうしちまったんだ!?」
早く外へと出て、魔法で拘束していた文鳥に乗り移ろう。私は『黒い仔豚亭』を急いで出た。そんな私をデイヴィッドは何故だか追いかけているのがわかる。
──私の正体がバレたか!?早く文鳥のところまで……
思うように上手く走れない。早くしないとデイヴィッドに追い付かれる。
「ッ!?」
その時、私の目の前に10歳くらいの男の子が歩いているのを発見した
──一旦、この子供を介して、文鳥のところまで行こう!
ファーディナンドの身体は倒れ、きっとそれにデイヴィッドが気を取られる筈だ。私はその子供目掛けて、魔法を唱え、乗り移った。
一瞬、浮遊感を覚えた。
──え?
声が出ない。だが直ぐに私はまた乗り移りに失敗したのだと悟った。しかし今回はファーディナンドの身体に戻ったわけではない。私の魂がファーディナンドと男の子の間を浮遊している。いや、男の子には何やら目に見えない障壁のようなモノが張られ、私はそこを通過できないでいる。
魂だけの存在となった私に男の子は視線を向けた。
──うっ…あ、熱い!!!!
私は燃えた。私の魂が何故だか燃える。
──うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
──こ、これは神の審判に下る永遠の火!?
──何故このようなことが起こる!?
──熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!
──おお、神よ!私の罪を赦したまえ!!
燃え尽きる寸前、私は男の子を見た。
慈愛のこもった眼差しを私に向けていた。
──あぁ、神よ…そこにいたのですね……
熱による痛みが消え、私の意識はそこで途絶えた。




