第127話 生きる理由
〈マシュ(マーシャ)王女視点〉
宿屋の前の広場で騒ぎが起きている。私がそれに気付いたのはこの宿屋の店主デイヴィッド氏が、やって来た騎兵隊に対して拳を構えるところからだった。
私は清掃の仕事をし終え、酒場の洗い物を手伝おうとして食事処に入った際、お客様も誰もいないことに驚いた。いつもなら賑わっているのに、店内にはファーディナンドしかいなかった。彼は宿屋の玄関口の隙間から外の様子を覗き見ている。
私は何が起きているのかファーディナンドに訊くと彼は、口元に人差し指を立て、私に静かにするようにと示してから、外で何が起きているのかを説明してくれた。
この村の領主が、何か勘違いを起こしてメイナー氏を糾弾していることや、自分の配偶者としてアビゲイルとセラフのお母様であるマリーさんを指名したとのことだ。そしてそれを止める為にデイヴィッド氏が一言物申し、戦闘が始まりかけているらしい。
「じゃあ止めに入りましょう?貴方がデイヴィッド氏に加勢すれば問題ないでしょう?」
ファーディナンドは「しかし」と言い淀み、外にいる騎兵隊を睨みながら続けて言った。
「あれは、ヴィスコンティ伯爵の騎兵隊のようで……」
私は「えっ」と声を漏らした。ヴィスコンティ伯爵は王弟エイブルの支持者であり、バーミュラーを実質支配していた人物である。その騎兵隊がこのヌーナン村の領主を引き連れてやって来たということは、私を捜索していると思われた。
私は窓から外の様子を隠れながら見た。
するとデイヴィッド氏の奥に膝をついたセラフが今にもその騎兵隊の1人に襲われそうになっているのを発見した。それを村人達がどうしたものかと手をこまねいて見ているのがわかる。
私自身、どうすべきかよくわからなかった。だけど何かをしなければいけない気がしていた。モヤモヤと自分の内側に立ち込める様々な感情が私を襲う。
──このまま黙って見ているつもり?
──そうよ、私は王女なのよ?
──村人達が私のせいで襲われたらどうするの?
──私は捕まっちゃいけない人物なのよ!?
──私は王女…私は王女…私は王女……
この時、セラフの言葉を思い出した。
『僕が不幸にしてしまった人達の求めていた幸福を、より多くの人に感じてもらうことが僕にできる唯一のことなのかなって』
──王女なら、民を幸福にするのがつとめじゃない!?
私はファーディナンドに告げる。
「ファーディナンド、貴方を私のお守り役から解任致します」
「な、何を!?」
「私のせいで、誰かが不幸になるのはもう嫌なのです」
「し、しかし──」
「バルカ殿や同じ仲間達と一緒に戦いたかったのでしょう?」
戦士としての誇りや忠誠心、それらを全うしたかった彼を、私のせいで傷付けてしまっていたのを私はずっと心苦しく思っていたのだ。
「そ、それは……」
「今、この時を以て貴方が自由に生きることを許します。いえ、自由に生きるのです。私は最後に貴方のような従者に守られてとても幸せでした。私はシュマール王国の王女としての責務を全うしたいと思います」
私は宿屋の入り口を開け、『黒い仔豚亭』の従業員達、私の仲間の横を通り過ぎ、槍を構える騎兵隊を通り抜け、そのままセラフの元へと走った。隣にはセラフのお母様も一緒になってセラフの元へと走ってきていた。
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〈セラフの母マリー視点〉
セラフが殺されてしまう。そう思った。何となくだが理解してしまった。この領主様はエイブルの命令で動いているのだと。
今までが夢のように幸せだった。この夢が終わりに近付いている。
奴隷の時、何度も死のうと思った。その度にお母様のことを思い出す。
◆ ◆ ◆
夕暮れ時、お祖父様が亡くなってから幾日か経ち、それでも落ち込み続ける私にお母様は声をかけた。
「マリーは優しい子ね」
私の頭を優しく撫でるお母様に私は言った。
「どうしてお祖父様は死んでしまったの?」
「もう長く生きていたから身体が弱っていたのよ」
「どうしてもっと長く生きられないの?私、もっとお祖父様と一緒にいたかった……」
「ずっとは一緒にいられないわ。私だってマリーだっていつか死んでしまう」
私はそのことがとても恐かった。
「どうして私達は生きているの?どうせ死んでしまうのなら、生きてる意味なんてないわ!?」
思ったよりも大きな声で言ってしまったことに私は動揺してしまう。しかしその後のお母様の言葉に私は更に動揺した。
「生きる意味なんて初めからないわ」
「え……?」
「これはお祖父様自身が言っていたから間違いないことよ。でもねマリー、生きる理由ならあるの。どんなに辛いことがあっても、生きる理由があれば生きていけるわ」
「生きる…理由?」
「そうねぇ、例えばこの綺麗な夕陽とか?」
「夕陽ぃ?」
「そう!後は、美味しいご飯とか楽しいお喋りとか、新しい出会いとか、可愛い我が子とか」
そう言って私を抱き締めるお母様。
「マリーはこれからたくさん見付けていけば良いわ?今度、その見せ合いっこしよっか?」
「うん!」
そして村が焼かれた。村の人達は私とお母様を生かそうと、秘密の山洞へと私達を誘導した。私とお母様は抜け道を駆け抜けた。だけど、後を追う者に追い付かれるとお母様は私を風属性魔法を使って山洞の奥へと私を送った。
「いや!お母様!!」
どんどん小さくなっていくお母様を見ながら、私は風で運ばれていく。
その風に乗ってお母様と私達を捕えようとしてきた者との会話が聞こえた。
「…まさかこんなところに分家がいたとは……」
「…アンタらも執念深いねぇ」
「だけどこれで潰えるわ」
この言葉を最後に山洞は崩落した。私はその崩落に巻き込まれそうになったが、気付けば山洞の出口に到達していた。
◆ ◆ ◆
それから奴隷商人に捕まり、エイブルに買われた。聞けばエイブルはギヴェオンの家系の女が受け継ぐと言われる金髪の女を欲していた。たったそれだけの理由で私を買ったのだ。
村が焼かれたあの日から、私は生きる理由を失った。
しかし、それからセラフが生まれ、この村に移り住んでからたくさんの生きる理由が生まれた。
──お母様?見てください!私の生きる理由がここにはたくさんあるのです!
そしてあの時のように奪われようとしている。あの時、私を1人にしたお母様を恨んでしまったこともあった。だけど、私にも愛しい我が子ができてわかりました。
私は槍を向けられるセラフの元へと走った。隣には私と同じ金髪の少女マーシャもセラフの元へと走っていた。
私とマーシャはセラフと槍を向ける騎兵の間に収まり、盾となった。
「セラフは渡しません!」