第120話 途轍もない魔力
〈マルティネス・ベルガー視点〉
魔の森の最深部に足を踏み入れた。
防御の陣形を敷き、リグザードを中央に置いて、どこからプリマ・カルダネラが攻撃を仕掛けてきても対応できるようにした。昨日の失態──左軍の壊滅──によって彼は私の言うことをすんなりと聞いてくれた。また、神聖国軍にとっては昨日の戦果によって、こちらに攻め込んで来るのがわかっていた。そこを打算的ではあるが、昨日死んでいった帝国兵や神聖国兵の死体を求めてモンスターが姿を現し、戦場を乱すだろうと私は予想する。
そして私は今、向かってきた魔の森最深部のモンスター、ミノタウロス達の死骸の上に立っている。このモンスター達は、リディア・クレイルの精神支配を受けてはいない。単純に縄張りに私が入ったから攻撃しに来ただけだ。そこには誰の意思も介在していない。
残るミノタウロスはあと1体。私は拷問をする際にいつも両手に装着している黒い手袋を、嵌め直し、ミノタウロスに向かって歩いていった。しかし仲間を失ったミノタウロスは私を相手にすることはせず、魔の森最深部の更に奥へと逃げていった。
「ふぅ、所詮はモンスターですね……」
倒れているミノタウロスを尻目に私は最深部の奥へと、リディア・クレイルを探しに向かう。
すると視界の端で何かを捉えた。
私はその何かを視認するために、魔の森の違和感を探る。しかしその違和感の正体はわからなかった。視線を元に戻そうとすると、またしても視界の端に何かが見える。
ようやく気が付いた。魔の森に生える木の幹に彫刻が施されているのだ。
精巧に造られた少年を模した彫刻だ。
どことなく神聖な雰囲気を漂わせていることに私の胸がざわついた。
──いけませんね…ただの木彫りに対して嫌悪感を抱くなんて……
いやただの木彫りではない。何故なら人間が住むのに適さない魔の森の最深部にある奇妙な彫刻なのだ。
私は顎に手を当てうつむき、これは誰がどのような目的で彫ったものなのかを考えた。暫し考えても何も浮かばなかった私は、俯いた視線を再び戻すと、この先に、この木彫りの彫刻と同様の彫刻が奥の木の幹にも彫られているのを発見する。そしてその更に奥の木の幹にも刻まれている。
まるで道標を辿るように私は魔の森最深部を奥へと進んだ。そして開けた場所へと出る。最深部にこのような円形に開けた場所があるのかと思った。そしてその円形の土地の真ん中にこの最深部に最も似つかわしくない建造物が建っているのが見える。
魔の森最深部の木々達と同じくらい高い位置に木造で出来た神殿のような建物が建造されていた。その高い神殿に届くようにと、長い直線の階段が緩やかな傾斜で建設されている。横からこの巨大な建造物を見れば直角三角形の形を成しているのがわかる。
──これはリディア・クレイルが建設させた神殿か?
私は階段を一段一段、罠がないかを確かめるようにして上る。100段近く上り、大地よりだいぶ離れた。ここは地上とは違い、冷たい風が強く吹く。そして最上階にある神殿の入り口の前に立った。
上っている時にも思ったが、この木造の階段と建物は比較的新しいものだ。
──いや、建設途中か……
神殿の中にくすんだ金髪の男が柱に彫刻を施しているのが見えた。逞しい身体に、不釣り合いな細かい装飾を施している最中だった。その男は、モンスターの牙だろうか?それを彫刻刀に見立てて柱の装飾を彫り進めている。
──やるか?
先ずは、脚の腱を切って行動不能にさせてからゆっくりと尋問しよう。
静かに戦闘態勢となる私はその建設中の男の背後に忍び寄る。爪を立て、男の脚の腱に狙いを定める。
「……」
私は瞬時に自身の爪の届く間合いまで移動し、男の腱を切り裂いた。
男の足首から血が吹き出たが、手応えがない。
──思ったよりも頑丈だな?
しかし私の鋭い爪は欠けることもなかった為、加減のし過ぎかと思った。たまにこういうことがある。あまり本気で切り裂いてしまうと足を切り落としてしまう恐れがあったからだ。血が大量に飛び散り服が汚れ、死んでしまうと非常に面倒である。
私は後ろへ飛び退き、その謎の男と距離をとった。何故なら私の攻撃のせいで彼が手を止めて私を視認しているからだ。
先制攻撃が失敗した私は言葉を交わすことにする。
「どうも初めまして、ここは貴方の造った神殿ですか?」
「ぅ…ぁ……」
男は口をパクパクとさせながら恐怖に慄いている様子だった。
──まぁ、無理もないか…加減したとは言え、それなりの痛みが伴っている筈……
私は彼を傷付けることを一旦中断し、そのまま尋問することにした。
「貴方の主は誰ですか?」
「…ァッ……ェッ…」
まだ口を開けたまま、私に対しての恐怖に喘ぎ声をあげている。少し話を進めよう。
「リディア・クレイルはどこにいる?」
「…ァッ…ラフ様です……」
モゴモゴしながら男は言った。
「何ですか?」
私は多少イライラしていた。
「わ、私の主様は……」
男は今にも泣き出しそうになりながら言った。
「私の主様はセラフ様です!!」
神殿の中で男の声が響き渡る。その残響が消えた辺りで私は口を開いた。
「は?だれ?」
セラフ?クレイルのクの字も出ない。私が困惑していると男は続けた。
「セラフ様を……ご存知ない?」
「はい。全く」
「いや、しかしセラフ様の気配が致しますよ?」
私は直ぐに振り向き、神殿の入り口へと視線を走らせた。そこには誰もいないが、しかしこれがこの男の作戦であることに思い至る。
──ちっ!!小癪なマネを!?
私は再び振り返り、男に視線を戻したが、男が私に襲い掛かるようなことはなかった。
寧ろ俯き、何かをブツブツと言っている。
「は?…コイツ、殺気を…セラフ様に……?」
男は次第に魔力を漲らせて、私に言った。
「貴様の主は……誰だ?」
私が先程問うた質問をこの男に返された。
私は一瞬答えるのを躊躇した。本当の主を言おうか、それとも偽りの主を言おうか。私は偽りの主を言った。
「ヴィクトール皇帝陛下ですよ?」
次の瞬間、私の眼前に牙を剥きながら男が迫ってきた。
─────────────────────
─────────────────────
〈セラフ視点〉
魔の森最深部にこんな神殿があるとは思いも寄らなかった。僕とジャンヌは十分距離を取って1人で最深部へと足を運ぶマルティネス・ベルガーの後をつけていた。
思った通りの強敵であり、討伐難易度B+のミノタウロス達を難なく倒していた。そして最深部の奥へと歩みを進め、巨大な木造建築を発見する。
僕らはそこにリディア・クレイルがいるものだと思っていたが、実際はくすんだ金髪の男性が熱心に柱に装飾を彫り進めているだけであった。
この男性がリディアなのかと思ったが、ベルガーの問いの答えに僕とジャンヌは度肝を抜かれた。
「私の主様はセラフ様です!!」
僕とジャンヌは顔を見合せ、驚きと困惑に苛まれているとベルガーが言った。
「は?だれ?」
そりゃそうなるわ!!
でも、え?どういうこと?あの人だれ?
僕の頭の中はクエスチョンマークで一杯だった。
「──セラフ様の気配が致しますよ?」
男性が気配を消した筈の僕の気配を何故だか感じ取っていることにより、僕とジャンヌは瞬時にその場から離れた。
そして森に潜み、遠目から神殿を眺めていると、神殿から途轍もない魔力が発せられた。