第117話 明日に向けて
〈セラフ視点〉
戦闘が終わり、帝国軍・神聖国軍の両軍は明日の戦闘に備え本陣に戻っていった。戦況は神聖国軍に軍配が上がったと言えるだろう。
帝国左軍を壊滅に追い込んだ神聖国右軍。そこに一際腕の立つ、燃えるような赤い髪の女の人がいた。彼女は舞を躍るように帝国兵を次々と斬り付け、倒していた。
そしてそのまま帝国の本陣を攻め込むものと思ったが、帝国左軍を壊滅させた後に自分達の陣営に戻っていった。というのも帝国中央軍が本陣付近まで戻ってきていたので彼女達はそれを悟り、これ以上帝国軍の陣を崩すことはしなかった。
このようにして無用な戦いや犠牲、或いは犠牲を出しても行う囮作戦なんかが魔の森で繰り広げられている。お互いの戦力が神聖国5000人、帝国7000人だったのに、今日の攻防で神聖国4500人、帝国5800人まで縮んでいる。依然帝国の方が数だけを見れば有利である。だが、その差はまた今日のような戦闘が繰り返されればいずれ逆転することになるだろう。
しかし明日以降、戦況はまた変わっていく。何故なら、気配を消しながら戦況を観察していた際、最も戦闘力が高いと思われた者がグリフォン時代のジャンヌよりも強いと判明したからだ。
ジャンヌが自分でそう言うなら間違いない。
討伐難易度A+のグリフォンをたったの1人で倒すことのできる者等、最早英傑レベルである。そんなモンスターに向かっていった僕をあの時デイヴィッドさんが心配したのは当たり前だった。
帝国四騎士やハルモニア三大楽典等霞む程に、その者は強いらしい。
マルティネス・ベルガーという人だ。
ベルガーが何故、そんな実力を隠しながら四騎士のドウェイン・リグザードの下についているのかわからない。それに拷問好きの危険な奴らしい。いち早く対処すべき人物であったが、そんなベルガーをリディアのいる魔の森最深部に派遣させたい、とも考えた。
危険ではあるが敢えて、ベルガーをあの時確実に仕止めず、剣だけをジャンヌに折らせたのだ。いや、確実に仕止められないかもしれないから剣を折らせたと言った方が正確である。
そうすることでただの敵でもなく、勿論味方でもないような第三者がいることを演出し、疑念を生じさせ、最深部へと誘う。僕らはその様子をベルガーとリディアに気付かれないように観察する。それが僕らの明日以降の作戦である。
僕は家族会議の際に、そう報告し、明日も営業をジャンヌと共に休むと伝えた。皆、緊張した面持ちの中、家族会議を終え、其々の部屋に戻った。
僕も自室の、ベッドに横になっていると扉をノックする音が聞こえる。僕はいつものようにリュカかな?と思い、扉を開けると母さんだった。
意外な訪問者によって僕は怯む。母さんは言った。
「入っても良い?」
僕は「うん」と頷く。そういえばバーミュラーより帰ってからあまり母さんと話せていないことに気が付いた。
母さんは部屋に入るなり、空いているベッドに座ると口を開く。
「セラフ……」
僕は母さんを見た。なんだか様子が変だった。母さんはもう一度僕の名前を口ずさんでから言った。
「セラフが、皆の為に色々とやってくれているのは凄いことだと思うの」
僕は相槌を打ちながら母さんに先を促した。
「あんなに小さかったセラフが、今では色んなことができるようになって……だけど、少しね、お母さん少しだけセラフが、このまま遠くへ行ってしまいそうで、何だか心配なの」
「僕はどこへも行かないよ?だってこの村が好きだし、守らなきゃ!」
「この村を守りたいって思うことはとても立派なことよ?セラフにはその力もある。だけど、力が有りすぎて全部自分で抱え込んでしまいそうで…あの時のように──」
あの時というのは、僕が帝国兵をリュカに命令して大量に殺してしまった時のことだ。
「傷付くのも背負い込むのも、村や私達を守る為なら全部自分だけに降りかかれば良いと思ってそうで……」
確かに、母さんやアビゲイルが傷付くくらいなら僕が傷付いた方が良い。アビゲイルはそれを一緒に抱えてくれるって言ったけど──その言葉に救われたけど、やはりアビゲイルや母さんに傷付いてもらいたくない。
母さんは言った。
「だからね、今度はお母さんがセラフを守るから!セラフに守ってもらうばかりじゃお母さん失格だもの。それと、何があってもセラフの味方だからね?それはデイヴィッドさんもローラさんも、アビーも皆同じ気持ちよ?」
僕は頷いた。視線は頷いた時の俯いた視線のままだ。今、母さんを見ると何だか涙が込み上げてきそうだったから。
温かくて心地の良い感情が胸の中に込み上げてくる。母さんが立ち上がったので僕は母さんに言った。
「あ、ありがとう……あ、あのさ、母さん?」
「ん?どうしたの?」
「今日、久し振りに同じ部屋で寝たい、かも……」
少し、いやかなり恥ずかしかった。だけどそうしたかった。僕は俯いた視線を上げて母さんを見た。母さんは笑顔を向け、フワリとした天使の羽がシルクの布にそっと触れるような声で言った。
「そうしよっか」
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〈六将軍カイトス視点〉
2日目の戦闘が終わった。
俺は昨夜同様、フースバルのいる天幕に入った。ミルドレッドとザクセンは少しでも休ませておく為に今回は俺1人でフースバル達と会った。
最も目に付きやすい大男のタイロンが俺に目を合わせながら言った。
「大義であったぞ?お陰で敵の中央はだいぶ押し込めた」
俺は今日の戦で起きたことを思い起こす。
◆ ◆ ◆
フースバルの中央軍がインゴベルの中央軍に突撃し、遅れて俺の指揮下にある両翼も前進させた。
陽が昇りきり、後は下るだけといった時間帯だった。
インゴベル軍は、昨日同様、短期決戦を望んでいると思われたが、今日は突撃してくることはなかった。
──やはり、何か引っ掛かる……
午前中はにらみ合いが続き、お互いの出方を窺っていたのだが、こちらもエイブル新国王陛下の命令によって、短期での決着を命令されている。
そして暫くのにらみ合いの後に、こちらから仕掛けたのだ。
「うらぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「うおぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「おぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
中央のフースバル軍を先頭に、鳥が1羽を筆頭に、左右の後方を1列に並んで集団飛行する雁行の形を取った。
しかしその形を歪ませようと、昨日の俺達のように敵の弓矢隊が矢を放ち、そして次に、昨日とは違って正攻法である魔法隊の攻撃が俺達を襲った。
隊列を崩すには持って来いの水塊はフースバルの中央軍の先頭集団に当てられる。しかしそれを読んでいたフースバルは、先頭集団に主力である魔法剣士隊をぶつけ、水塊を軽減させた。
大炎は両翼の俺達にそれぞれ放たれたが、俺の魔法兵達がそれぞれ対応した。初めに放たれた矢を軽減させる為の魔法使用を禁じていたのが功を奏する。
後は歩兵と騎兵による集団戦だ。
正直言って、フースバルの主力である魔法剣士隊とあの距離でぶつかれば一溜りもない。勿論、俺の軍でも殺られてしまうだろう。
──ひょっとすると今日でこの戦いも終わるな……おっ、あそこにタイロンがいる。
昨夜俺に突っ掛かってきた大男だ。そのタイロンは両手に斧を握り、風属性魔法を使って斬撃に切れ味を伴わせている。ウェスタンは水属性魔法を使って、矢のように鋭い水滴の雨を降らせている。
俺の隣にいるミルドレッドが言った。
「終わりですね」
俺はその言葉を肯定した。何故ならインゴベルの中央軍が徐々に後退しているからだ。
「ああ、終わりだ。見ろ、どんどん後退している」
しかし暫くしてその後退がおさまった。
「おっ、アーデン将軍様の右腕、シェストレムのお出ましだ。ん?後バルカんところのサミュエルもいるな」
敵の主力である2人はタイロンとウェスタンを止めている。それに呼応して敵の中央だけでなく、両翼の後退も止まった。
しかし左翼にはヌーヴェルがいる為、相対している敵右翼は後退を止められない様子である。その時、また敵中央が後退し始めた。こちらの右翼も押し始めるがその速度は中央と左翼の動きよりも鈍い。
嫌な臭いが立ち込めた。これは俺達の軍が押しているように見えるが、そう見せているようにも見える。
そして次の瞬間、敵中央と敵右翼が一気に後退し始めた。俺は悟った。
「行くなヌーヴェル!誘われてるぞ!?」
アーデンの戦略に気付いた俺は中央を指揮するフースバルの元へ走り、忠告する。
「敵をこれ以上、追うな!」
「何故だ?敵は今、我が兵の攻撃を受けて後退しているではないか?」
「わざと後退してんだよ!」
「ならばそれに乗り、圧倒的な武力で上回れば良いだけのこと」
「ちげぇ、危ねぇのは──」
危ねぇのは俺の軍なんだよ。だが俺はそれを言わなかった。自ら助けを乞い、弱みを見せるべきではないと思ったからだ。
俺はフースバルの元を去り、急いでミルドレッドを孤立した右翼に送る。また左翼のヌーヴェルにこれ以上前進するなと伝令を送った。
しかし、伝令係の後ろ姿を見送りながら思った。
──イケると思った軍の前進を止めるのは至難の業だ。ましてや左翼にいるのはヌーヴェルだ。このまま前進しちまうだろうな……
俺は全軍を再び見渡し、戦況を確認する。
──やはり、中央と左翼が敵を押し込み、後退させたことによって、中央と右翼に距離ができている。
その距離が十分空いた頃に、敵中央の後方にいる軍が右翼に向かって進行しているような土煙が上がったのを目撃する。
そして、俺の有する右翼にいた兵士達が被害を被った。
◆ ◆ ◆
予想通り、孤立した右翼は敵中央軍の後方からきた敵の増援によって、損害を被る。
中央にいたミルドレッドと俺の精鋭部隊を右翼救出に向かわせた。お陰で1万はいた右翼が今では6千にまで減ってしまった。右翼にいたザクセンや援軍へ向かったミルドレッド達がいなければもっと被害が出ていた筈だ。
そんな事が起きた2日目の終わりに、タイロンから嫌味を言われたのだ。
勿論イラっとしたが、タイロンの言うことも事実だ。俺達右翼が、ある種、囮のようになって、敵中央の厚みを削いだ形となった。アーデンの作戦は上手くいったが、フースバルの主力である魔法剣士隊がアーデンの思惑以上に強かったせいで、この2日目は同じくらいの損害をお互いが受け、痛み分けで終了した。いやヌーヴェルの左翼が敵を押し込み、被害を与えているのでこっちに歩があると言える。
俺は苛立ちを抑えながら言った。
「で?明日はどうすんだ、フースバル将軍様よぉ?」
「明日は早朝より、今日と同じ様に攻める。本来なら1日で終わらす予定が明日を入れて3日もかかってしまったか……」
俺は了承の返事をして天幕から出た。
敢えて何も言わなかった。おそらくアーデンは明日何かを仕掛けてくる。何故なら孤立した右翼が俺が思った程の打撃を受けなかったからだ。先程まではミルドレッドや俺の精鋭の兵達が被害を抑えたと思っていたが、それでも俺が思っていたよりも被害が少なかった。それには右翼を攻撃した敵兵にアーデンがいなかったからというのが理由として挙げられる。
何故、右翼を潰す絶好の機会にアーデンがいなかったのか。それはわからない。
──だがあの爺がこのまま何もしないわけがない……
そんなことを考えながら俺は自分の軍のいる野営地に戻った。