第107話 王vs王弟
〈インゴベル王視点〉
我々はランディル・エンバッハを信じるしかない。天候を変え、地形を変えてバロッサ王国の侵略だけでなく、こちらの情報を自国に届かなくさせているとのことだ。
エンバッハが嘘をついていた場合は我々は背を討たれ、シュマール王国だけでなく多くの国の兵士と民が犠牲となるだろう。
風が吹いた。マントははためき、白髪混じりの髪が靡く。下草を揺らし、平原全体を駆け抜ける。湖面のように波打つ平原は軈て相対する武装した兵士の足元でその動きを止められた。
──エイブル……
弟のエイブルが寄越した兵士達だ。その数凡そ6万。敵中央より左側にある戦旗は紋章のような魔法陣が描かれている。これはカイトスの戦旗である。その反対の右側に掲げられた黒馬の頭部が描かれた戦旗はフースバルのそれだ。
六将軍の内の2人を相手取らなければならないようだ。対して我々はその六将軍のアーデンと王都を追われた哀れな王の軍のみだ。戦力差は凡そ2万。
私は国王だ。国王を守らなければならないという潜在的に抱く兵士達の気持ちを昂らせ、士気を上げなければこの戦に勝つことはできないだろう。
隣にいるアーデンは歳の割に毛量豊かな真白い短髪を靡かせながら言った。
「勝機は我らにありますぞ、陛下」
アーデンは私の王という肩書きに物怖じすることなく忌憚のない意見を述べてくれる。だからこの発言が根拠の有るものだと理解することができた。これから行う我々の作戦が本当に上手くいくのか。私はアーデンのいう勝機について、尋ねる。
「その根拠はなんだ?」
「はい。敵は6万の軍勢ではありますが司令官が2人おります故、連携や統制を取るのが難しくあります。また、敵は我々が早期に決着を望むものと考えていることでしょう。そして早期に決着をつけたいのは敵も同様であります。それらは付け入る隙となるのです」
「そうか……私はどうすれば良い?」
「後方へ下がり、軍の士気を保つことにご注力願います……」
私は頷いた。
「わかった。だがその前に兵達に声をかけさせてもらう」
アーデンは馬に乗ったまま頭を垂れ、私は白馬を走らせた。
重装騎兵、重装歩兵、魔法兵、騎兵に歩兵の間を通り過ぎ、横に広がって整列する兵士達の前に立った。
兵士達の視線を一点に集め、私は檄を飛ばす。
「義は我らにある!」
兵士達は各々の武器を高く掲げながら、雄叫びを上げた。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「おぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「うおぉぉぉぉぉぉ!!!」
私は腰に差した宝剣エフライエムを抜き、掌に刃部分を押し付け、一気に引いた。
鋭い痛みが掌に走り、赤い血が溢れ出る。私はその血を兵士達に見せつけるように手を上げ翳した。
「先王クラインの長男として英雄ギヴェオンの血を色濃く受け継いだ私こそが、シュマールの地を治めるに相応しい!」
私は掌を握り締め、溢れ出る血を掴み取るような仕草をする。この動作によって血が戦地となるナルボレンシス平原に飛び散った後、滴り落ちる。
兵士達は再び雄叫びを上げる。
「歴史を見よ!英雄ギヴェオンの子孫であり、我が祖先、この宝剣の名の由来となったエフライエムは、奪われた聖地を奪還する為、北西より進軍し、蛮族に侵された聖地を見事奪還した!歴史は繰り返す!今度は我々が新たな歴史の勝者としてその名を刻もうではないか!!」
私は祈りを込めながら、代々伝わる豊穣の祭、カルネイア祭の時のように血の儀式を行った。
「このチに豊穣と繁栄を……」
血を草原に滴り落とす。
「このチに安寧と安らぎを……」
草原が赤く染まる。
「このチに服従と平伏を……」
本来ならばここで終わる筈の祝詞だが、私は続けた。
「そして、勇猛なる戦士達に勝利と祝福を!万物を司る女神セイバーよ!我が上奏に応えたまえ!!」
私の祝詞を受けて兵士達は今までにない声量の雄叫びをあげた。
「全軍に告ぐ!敵を殲滅せよ!!」
戦いが始まった。
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〈四大将軍(旧六将軍)カイトス視点〉
インゴベルの軍──実質アーデンの軍と言っても良いだろう──は横に広げた俺達の戦列の中央に向かって突撃してきた。
「予想通りですね」
近くにいる水色髪の部下、ミルドレッドは俺に言った。
「そうだな」
インゴベルは背後にいるバロッサ王国の侵略から身を守るために、短期でこの戦いを終えたい筈だ。
指揮系統に正攻法による攻略が好きなアーデンがいるとなると俺とフースバルの左右に分かれた陣の中央を狙ってくることも予測できた。また、敵4万の軍勢を囲い込むように広げた俺達の陣を見て、アーデンが薄く横に広がった列を中央より厚みをかけて突撃し、突破したくなるよう俺達は仕向けていた。
右翼左翼に俺達の戦旗を分けて掲げているのもその為だ、俺達が協調していないように見せかけている。しかしその実、中央はフースバルの軍で固めていた。そこに分かりやすく俺の軍の切り込み隊も一部に混ぜて、統制の取れていない軍を装ってもいる。
俺の前方にいるフースバルが自分の中央軍に指示を出した。
「弓を構えろ」
その指示が一斉に弓矢隊に届き、弓を引き絞るギチギチとした音がこちらまで届いてきた。
突撃してくるインゴベルの兵を一定まで引き付けて、フースバルは命令した。
「放て」
一斉に矢が黒鳥の群のように空を飛び、インゴベルの兵達に命中する。矢に倒れ、矢に怯え、矢に怪我をする者達を増産した。
しかしインゴベルの兵は止まらない。思ったよりも士気が高い。
「武器を構えろ」
フースバルの命令を受け、前列の兵が武器を構える。
フースバルは剛の将軍だ。俺だったらもう一度弓を構えさせ、前列の兵とぶつかる前に第2波を射出させているところだが、こちらもエイブル新国王陛下の意向によって、早期に戦いを終結せよと命令を受けている。フースバルの最も得意な白兵戦によって、縦に侵入してきたインゴベルの兵を止め、削り、俺の両翼に広げた兵達で蓋をすればそれでもう詰みだが、そうはさせまいと、アーデンは直ぐに第2陣をこちらに突撃させてくるだろう。
先を見据えながら戦況を見つめいていると、インゴベルの戦列の両翼に僅かな動きがあった。
──早いな……
俺の見立てよりか少し早かったが、矢によって止まりかかった第1陣の勢いを再びつけるために第2陣を動かしたと予測できる。
そして、いよいよ突撃してきたインゴベルの兵がフースバルの兵とぶつかる。何百人もの武装した兵と兵とが一斉にぶつかり合った時に鳴る音がこの戦場に鳴り響くだろうと身構えていたが、俺の予想は外れた。
中央より右側を巨大な炎が、左側を津波のような水塊がフースバルの兵に襲いかかる。なんと、突撃してきた軽装歩兵達の中に多数の魔法兵が混ざっていたのだ。
「イカれたことしやがるな!!」
矢よりも射程が短く、その矢よりも攻撃力の高い魔法兵達の魔法は一斉に唱えることで、戦況を変えてしまう程の強味があった。
だからこそ、最初の突撃に合わせて矢ではなく、魔法で対抗する将軍もいる。俺もその将軍の1人だ。
しかし、剛の将軍フースバルの兵達は身体強化や魔法剣士等の武道派が多く所属しており、魔法兵による魔法の同時発動を手札として持っていない。
──そこは俺と連携を取るべきだったか……
いや、流石に貴重な魔法兵を第1陣として突撃させてくるなんてことは全く頭になかった。やはりそれだけ、奴等が決着を急いでいる証拠だ。
炎に焼かれ、水塊に押し潰され流されたフースバルの兵達はたちまち隊列を崩した。
──あと、俺の切り込み隊もそこに含まれている……
そしてインゴベル兵の第2波である騎兵隊が突撃してきた。
──こりゃ、結構やべぇな?
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〈カイトス軍の切り込み隊長ヌーヴェル視点〉
カイトス様の軍の切り込み隊長としてその任を全うする。俺はフースバルの指揮する中央軍に──俺の部下と──混ざって、突撃してくるインゴベル王の兵を迎え討とうとしていた。
しかし、正面を駆ける兵はただの軽装歩兵ではなく、魔法兵だった。
巨大な水の塊がフースバルの兵に混ざった俺らカイトス軍の切り込み隊に襲い掛かる。俺は反射的に、向かってくるその水塊に大剣を振り下ろしていた。今まで水なんて斬ったことないが、俺の本能がそうさせる。
水塊は俺の剣撃によって縦に亀裂が入り、俺の身体が入れる空間を作った。しかし俺の振り下ろした剣撃は分厚い水塊を貫くことができず、迫りくる水塊の表面から中間部に渡って次第にその亀裂が狭まり、塞がっているのがわかった。
そうこうしている間に、水塊は押し寄せ、前列の者達を飲み込み、押し潰す。兵士達の悲鳴が水流の音にかき消された。俺は自分で作った水塊の亀裂に入り込むが、狭まった亀裂は軈て俺を飲み込むだろう。だから振り下ろした大剣を今度は振り上げて、亀裂を更に大きくし、今度は水塊を真っ二つに斬ろうと考えた。
「うらぁ!!」
力一杯振り上げたが、左右から俺の足場を侵食するように水が流れ込み、思ったような威力の剣撃を生じさせられなかった。その為、俺は水塊を浴びることになった。
「うおぉっ!!?」
水圧に耐えられず立っていられなかった。俺は激しく背中を地面に打ち付ける。剣撃を2回も浴びせたにも拘わらず、尚この威力を持つ水属性魔法に俺は驚いた。
「ぶはっ!」
ようやく、打ち付ける水から解放されて起き上がった。敵の騎馬隊がやって来る。俺の前にいた最前列の兵が水属性魔法によって流されたお陰で、俺が最前列を担うこととなった。自軍の状況を確認するために、辺りを見回す。
俺の背後にいた切り込み隊の部下達も何とか起き上がり、戦闘体勢に入っているのが見える。おそらくは俺の放った剣撃の恩恵をたまたま受けたのだろう。しかし多くの者が倒れている。俺のように剣撃を飛ばさないで諸にぶつかった兵はあまりの衝撃に致命傷を負ったかもしれないが、多くの者は気を失っているだけのように見える。しかしここは戦場の最前線だ。今にも敵の第2陣が迫ってきている。早く起こすなり、後ろに退避させるなりしないと止めを刺されかねない。
また隣では大炎に焼かれた筈のフースバルの兵にも生き残りがおり、前を見据えている様子が窺えた。どうやら魔法剣士達のようで長剣に炎を打ち消す水属性魔法や炎をかき消す風属性魔法を纏わせている。また土属性魔法で防壁を造ったり、俺と同じように剣撃を飛ばして火の威力を消しにかかった者もいただろう。
戦況がわかった今、俺は自分の好奇心に従った。
敵の第2陣である騎兵隊に熱い視線を送る。
「ハハハハハッ!!俺んところに来い!!俺んところに来い!!」
騎兵隊は先程の魔法攻撃によって、気を失い倒れているフースバルの兵を踏みつけながら、俺のところへとやって来た。
「きたきたきたきたきたぁぁぁ!!!」
俺は大剣を構えて、目をかっ開き、正面から突撃してくる騎兵に集中した。どうやらその騎兵は馬を俺にぶつけて俺を蹴散らすつもりらしい。
俺は自身の間合いに入った馬の首目掛けて、大剣を斜めに振り下ろして両断する。頭部を失くした馬は1歩、2歩と走ったが3歩目は大地を蹴りあげることごできず、膝から崩れ落ち、失速した。本当ならばこの一撃で馬の首だけでなく、その馬に乗っている騎手をも殺すつもりだったのだが、その騎手は身体を反らしながら手に持つ剣で俺の攻撃を弾いていやがった。
──やりやがる……
しかし、馬の突然の失速によって、鞍から投げ出され、大地に伏したのを背後にいた俺の部下達が止めを刺した。
俺は文句を言った。
「おい!俺の獲物だったんだぞ!?」
「ヌーヴェル様、前を!?」
「後ろ、後ろ後ろ!!」
そんなことは言われなくともわかっている。
今度の騎兵は乗っている馬をぶつけての攻撃ではなく、乗り手による槍の攻撃だった為、背後から俺の背を突くような刺突を、俺は振り向きながら躱し、その振り向く遠心力を利用して大剣を騎手の首目掛けて弧を描くように振り払った。騎手の首は切断され、今度は首なし馬ではなく、首なし騎士の完成だ。
──なんかそんなアンデッドのモンスターがいた気がする……
首なし騎士を乗せた馬は中央軍を駆け抜けるが、俺達はそれを無視して続々とやってくる騎兵を迎え撃った。