第105話 狩りの光景
〈帝国四騎士ドウェイン・リグザード視点〉
タイタン山脈を越え、魔の森が眼下に広がっていた。頂上付近は吹雪によって野営に適さない。だから深夜眠たい身体を懸命に起こしながら下山した。
正直言って、この山越えに伴って千人は息絶えると思っていたが、俺の引き連れた7千の兵は殆ど死ぬことはなかった。それは──認めたくはないが──急遽、帝国情報局から派遣されてきたコイツのおかげだ。
──マルティネス・ベルガー……
優男のように肩まで伸びた黒髪をセンター分けにしている。突如として派遣されてきたこのベルガーのことが俺は苦手だった。いや嫌いだ。
何故なら俺がまだ四騎士に就任していなかった頃、バロッサ王国に対する侵略命令に従って、進軍した際に、とあるバロッサの村人を女子供、年寄り構わず虐殺しろと命じたのは、他ならないこの男だからだ。
おかげで俺は世界中から恐れられ、敵視されることになった。しかしそのおかげで鮮血帝と名高い皇帝陛下のお気に入りとして重用され、今の四騎士の座についている。
あの虐殺の時は俺も狂っていた。村人を殺さなければ、何故だか世界は平和にならないと思ったのだ。殺さないことが悪だと思い、恐怖した。その恐怖を克服した瞬間に、歓喜が俺を、あの場にいた兵士達全員を支配した。
ベルガーは俺の隣にやって来て言った。
「いやぁ、私がたまたま土属性魔法の使い手だったから良かったですねぇ?おかげで兵が死なずにすみました」
やはりコイツのことは好きになれない。それに初めて会ったあのバロッサの村からコイツの見た目はまるで変わっていないことに薄気味の悪さを感じる。
だが、確かにベルガーの言う通りなのだ。コイツの土属性魔法のおかげで険しい山道や雪の障害物を広く通行しやすい道に変えてくれた。
「……」
俺は素直に感謝できなかった。するとベルガーが言った。
「私が派遣されたのはきっとこの為なんですねぇ。陛下の言う通り、魔の森で起きている神聖国との戦争はリグザード様にお任せ致しますよ?」
「ならお前は、その間どうしてるつもりだ?」
「ゆっくりと魔の森を観光しようかと思います…あぁ、もちろんリグザード様が危うくなれば参戦致しますよ?しかし、流石に疲れましたね?麓まで下山してそこに野営をしては如何ですか?」
「んなこと言われなくたってわかってる。お前ら!?あそこで野営すんぞ!」
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〈ファーディナンド視点〉
昨日からマシュ王女殿下と共に、正体を隠しながら働くこととなった。ここ宿屋『黒い仔豚亭』の店主剛力のデイヴィッドとそこで給仕として働いている目のクリクリとした少女リュカと一緒に狩りをしに魔の森へと私は入った。
現在、殿下や宿屋の従業員達と、あまりにも美味しすぎる朝食をとった後、それぞれが任された仕事に従事している。
私の任された仕事は主に力仕事であり、このような狩りも、おそらくはこの少女リュカの代わりの為だろうと予測できる。
村から出て、魔の森まで歩いた。仮に王弟や帝国がこのヌーナン村を襲いに来た場合、この経路を辿って魔の森まで逃げれば良い。
魔の森の中は入ってすぐに、迷ってしまいそうになった。たくさんの木々に鳥や虫、モンスターの鳴き声がこだまし、方向感覚を狂わせる。そしてその鳴き声の主が襲ってくるかもしれないという緊張感と恐怖が常につきまとう。
デイヴィッド氏とリュカを見失わぬよう、ついて行きながら、私は現在のヌーナン村にいる戦力について考えた。
私の前を歩く剛力のデイヴィッドは元Bランク冒険者であり、私も彼の名声を知っている。魔の森をかき分け、狩りの対象であるモンスターの痕跡を先頭で辿っているデイヴィッドの義足を私は凝視した。
Aランク冒険者ミルトン・クロスビー──当時はミルトンもBランク冒険者だったか?──率いる『聖なる獅子殺し』と共に行った地竜討伐クエストによって彼は片足を失い、冒険者活動の引退を余儀なくされた。あのクエストを見事達成できたならば彼は間違いなくAランク冒険者となっていただろう。
──また、その後の馬車の事故によって生まれたばかりの息子を失った…確か落雷による事故だったか?
この魔の森で宿屋を開いているのは、魔の森へクエストをこなす冒険者の為の支援であり、こうしてモンスターを近くに感じながら、過去の冒険者としての感覚を思い出す為なのかもしれない。
王女殿下の護衛戦力として、このデイヴィッドも数に入れて申し分なさそうだ。しかしてっきり狩りにはあのジャンヌ殿がついて来るものと思っていたが、まさか戦闘の経験すらなさそうな、このリュカという少女がついてくるとは思わなかった。背中には到底振るうことすら叶わぬようなゴツいハルバートを背負っている。
魔の森を探索して数分。
オークが1体、腰まで伸びた雑草の海原をかき分けるように歩いていた。
──さぁ、お手並み拝見だ。
デイヴィッド氏は「よっ」と声を張ると、その場から跳躍し、一瞬にしてオークの背後を取った。それに気が付いたオークは後ろを振り返るが、デイヴィッド氏は既にハンドアックスを振り下ろす最中であった。
刃部分ではなく、その側面をオークの脳天に叩き込んだのは、鮮度を保つためと持ち運びをしやすいように考えてのことだろう。
しかし、現役を退き、義足になっても尚あの速度で動けるのかと私は驚いた。
──一体現役時代はどのような豪傑だったのか……
私がデイヴィッド氏の現役時代に想いを馳せていると、リュカという給仕の少女が言った。
「お見事ですぅ~」
なんて呑気な少女なのか。するとリュカは背負っているハルバートを手に取り、構え、近くに生えた細い木を1本薙ぎ払って伐採する。
「ぇ……」
振り払われたハルバートの速度があまりにも速く、一瞬風属性魔法を使って木を伐採したのかと思った程だった。しかしリュカの構えたハルバートが所定の位置から振り終わったと思われる位置に移動していた為、ハルバートによって斬られたのだと私は納得する。
──たったの一撃で木を両断した!?
いや、そこまで太い木ではない。両手で輪をつくった程度の太さだ。
──人間の首の太さくらいだな……
自分にも同じ芸当ができるだろうか、と考えていると木は音を立てて大地に横たわり、その木を2mくらいの長さにリュカは切り分け──今度はハルバートが振り下ろされるのをしかと目撃できた──、それを軽々しくデイヴィッド氏に向かって投げ始める。
「は?」
デイヴィッド氏はオークとリュカの切った丸太を縄で結び付けるようにして縛った。村に持ち運びやすくする為だ。
──いや、それにしても……
デイヴィッド氏は仕留めたオークを丸太から落ちないか確認した後、それを担ぎながら声を出す。
「よっこらせ」
デイヴィッド氏はその丸太の端を持ち、肩に担ぐ。そしていつの間にかデイヴィッド氏のそばに移動していたリュカが丸太の反対側の端を持ち、両腕を高く掲げた。丸太を水平にし、持ち運びしやすくするために、デイヴィッド氏の肩の位置まで丸太を持ち上げる必要がある。
デイヴィッドは言った。
「よ~し、帰るぞぉ」
ここへ来てから、驚くことばかりだ。料理の美味しさ、給仕達の美しさ、大浴場にも驚いた。あとはあの巨大なヴィルカシス。メイナーがここへ殿下を避難させようと考えるのも納得がいく。
あとは、この村をより堅牢にするだけだ。懸念される王弟軍と帝国軍の侵略に備えよう。
私はリュカに近付き、声をかけた。
「それでは腕が疲れてしまうでしょう?私が代わりに持ちます」
「え~!?良いんですかぁ?」
「はい。そのくらいさせて下さい」
「じゃあお願いして、リュカはお2人の護衛に徹したいと思います!!」
そう言ってリュカは私に丸太を手渡した。ズシンと両手に重みが加わるが、何とか堪えて、肩に担いだ。
反対側を担いでいるデイヴィッド氏は首を回して私に目を合わせてから、言った。
「よし、行くぞ!」