第102話 不幸にした
〈セラフ視点〉
マーシャお姉ちゃんがお風呂に入っている間に、僕は狼型のモンスターであるヴィルカシスのオーマに会いに行った。おっと、その前にお風呂のお水をお湯にする付与魔法をかけ直しておこう。
それを終えてからオーマのいる庭に向かった。
尻尾を振りながらやって来るオーマを抱きしめ、モフモフの毛を撫でたり、吸ったりして、オーマを堪能する。
「ただいま~」
わん、と返事をするオーマを暫く抱き枕のようにして抱き締めてから、尋ねる。
「ご飯は食べた?」
「わん!」
どうやら食べたようだ。僕はオーマの頭を最後にもう一撫でしてから別れて、今度はアーミーアンツに会いに行った。
綺麗な青色の甲皮と軽自動車くらいの大きなアーミーアンツが魔の森の入り口から現れた。
そのアーミーアンツから女王様の声が聞こえる。
『おかえりなさいませ、セラフ様』
「ただいま!」
『お変わりありませんか?』
「うん!そっちはどう?」
『今のところ、魔の森は何も問題ありません』
僕の訊きたかったこととは違った意で捉えてしまったアーミーアンツの女王に僕は訂正する。
「ごめん!魔の森のことも気になるけど、アーミーアンツの皆は元気かな?って思って訊いたんだ」
暫し、間が空いてからアーミーアンツの女王様は答える。心なしか、僕の前にかしずくアーミーアンツは更に平伏するように頭を下げたように見えた。
『…なんと、なんと慈悲深きお言葉……我々1万のアーミーアンツ全員がセラフ様のお言葉に感激しているところでございます……』
「え?今1万に増えてるの?」
『はい。魔の森最深部の入口を重点的に監視するために、魔の森の中間部全域の監視が疎かになっておりますので、数を増やして対応しているところです。もしよろしければ魔の森の生態系を変えない程度の数……後5千は増やしたいところでございますが宜しいでしょうか?』
流石に8千だけでは、中間部とはいえ、広い魔の森を監視することはできない。
「うん。無理のない範囲でね?」
『御意に……』
アーミーアンツと別れて、僕はヌーナン村に戻った。村の人達が、帰還した僕に挨拶をしてくる。
「おかえり!」
「おかえりなさい、セラフ」
「今日、出勤するのか?」
「バーミュラーはどうだった?」
僕は数日ぶりの皆と挨拶と簡単な会話をした。すると村長の息子さんがやって来た。
「やぁ、セラフ」
「村長様の息子さん!」
「ジョーセルだ。いや呼び方などなんでも良いか……」
村長の息子のジョーセルさんが来たと言うことは、僕に訊きたいことがあるのだろう。
──おそらく……
「オルマー様の許可証は頂けたのかな?」
やっぱり気になるよね。僕は言った。
「はい!僕はお会いしていませんが、メイナーさんは営業許可証と建築許可証を頂けたようです!これでこの村はもっと発展しますよ!」
「そうか、それは良かった」
ジョーセルさんはどこか安心した様子だった。それもその筈、現在僕の父さんと叔父さんであるインゴベル国王陛下が内乱中なのだ。
帝国との国境にも近いヌーナン村に、この内乱に乗じて帝国がこの前のように襲ってくる可能性がある。
だからその前に、ヌーナン村を強固にするべきだと村長家族も思っているのだろう。自分達が犯した罪は、それこそ、この内乱に乗じて有耶無耶になるのではないかとも思っているかもしれない。だから僕らに今後協力的になってくれる筈だ。
僕は息子さん──ジョーセルさんだ。ここで名前で呼ばないと僕はまた彼の名前を忘れてしまうだろう──と別れて、手伝わなくても良いと言われているランチ営業中の『黒い仔豚亭』へと戻る。
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〈マシュ(マーシャ)視点〉
お風呂から上がり、服の着方と脱ぎ方を覚えた私はアビゲイルに『黒い仔豚亭』の仕事を教わった。私のお風呂上がりに合わせてファーディナンドと2人でこの宿屋の仕事について学んだ。
長旅で疲れているだろうから今日はゆっくりしてて良いと言われたのだが、何故だか私もファーディナンドも全く疲れていなかった。
──お風呂の効果かしら?
王宮のお風呂よりも自然を感じさせる造りとなっており、湯煙によって外の景色がより幻想的な風景に見えた。湯加減もちょうどよく、私の体温を心地よく温めてくれた気がする。王都より抜け出し、今まで緊張した日々を過ごしてきた。そんな私をあのお湯やその風景が癒してくれた気がしてならない。
そんな疲れのとれた私にアビゲイルは宿屋全体の清掃や客室のリセット等を教えてくれた。後でわかったことなのだが、メイナー氏によって、なるべくお客さんの前に立つような仕事はさせないでほしいとお願いされていたようだ。
私は水属性魔法が多少使える為、こういった宿屋では重宝されるに違いないと思っていたのだが、先程入った大浴場があるように、水源の確保は簡単にでき、洗濯や床磨き、皿洗いなんかで私の水属性魔法が役に立つことはなかった。
それよりも洗ったばかりのシーツを干すのを手伝った際、折り重なったシーツを外へと運んでいる最中に地面につまづいてしまい、シーツは中空を舞いながら落下して、土をつけてしまった。
アビゲイルに「初めてなんだから仕方ないよ」と慰められ、次の仕事に従事する。しかしそこでも失敗を繰り返す。
具体的には、ランチ営業終了後、お皿洗い中に手が滑ってそのお皿を割ってしまったり、その後の掃除の際に、階段を磨こうとバケツに水を入れて、ブラシで階段を擦っているとその手が、勢い余ってバケツにぶつかり、階段下にたまたまいたお客様に水をぶっかけてしまったりと散々だった。
水属性魔法だけでなく、私自身が全く役に立たなかった。
「はぁ……」
休憩を貰って、朝食を食べた食事処──現在は本営業前なのでお客様はいない──の席で休みながら自責の念に苛まれているとセラフがやって来て私の隣に座った。
「お疲れ様、マーシャお姉ちゃん!」
そう言って私の前に、三角形に切られた黄色いパンのような食べ物を置いた。
「これ食べて休憩しよ?」
「これって……」
「フレンチトース……えっとパンに牛乳と卵と砂糖を混ぜ合わせた調味液を染み込ませてバターで焼いた食べ物だよ!」
パンペルデュのことだ。私の好物の1つである。
するとリュカという天真爛漫でお胸の大きな娘がセラフの背後からセラフを抱き締めながら言った。
「リュカもマーシャちゃんが食べてる奴を食べたいです~!」
──マーシャちゃん……
そういえばこのリュカとも同い年くらいだ。思えばお友達と言えるようなお方等、私にはいない。アビゲイルは私のことをお友達と思ってくれているだろうか?ただのできの悪い従業員としてしか見ていない気がする。
セラフはリュカの胸の谷間に顔を挟まれた状態で言った。
「リュカのも厨房にあるから食べて良いよ」
「ぃやったぁぁぁ~!!」
リュカは、いえ、リュカちゃんはそう言って厨房の方へスキップをしながら駆けていった。
──こういう心の声でも『ちゃん』を付けないとね!
私はセラフの作ったパンペルデュをナイフとフォークでお肉を食べるようにして切り分け、口へ運んだ。
卵の焼けたような香ばしい香りにバターと砂糖のコクのある確かな甘さを感じる。
「美味しぃ……」
今まで食べたパンペルデュと比べモノにならないくらい美味しかった。
「そうでしょ!?」
私はもう一口食べようとすると、セラフが言った。
「ちょっと待って、次はこれかけて食べてみて!?」
セラフは黄金に輝くドロッとした液体をパンにかけた。
「これって……ハニー?」
「そうだよ!でも凄い高級品らしいから内緒にしてね?」
私が切り分けたパンにトロリとハニーがかかる。私はそれをフォークで刺して口に運ぶ。
「ん~~!!美味しいですわ!!」
「よかったぁ~!」
セラフは安堵した表情となる。しかし私は先程まで落ち込んでいたのに、急に上機嫌となってしまった気分の乱高下によって、逆に自分を冷静に見始めてしまった。
セラフは急にまた落ち込む私に声をかける。
「どうしたの?」
「私ったら皆様に迷惑かけてばかりで……」
するとセラフは言った。
「迷惑だなんて思ってないよ?皆、お姉ちゃんが来て賑やかになったって言ってるし」
「でも私のせいで、皆様のことを不幸にしてしまっていますわ……」
私は『黒い仔豚亭』の方々だけでなく水をかけてしまったお客様、バーミュラーで傷付いた人達、それとファーディナンドや私を逃がしてくれた王都の兵士達を思って言っていた。
セラフは質問する。
「誰かにそう言われたの?」
心配そうな表情でセラフは私を見つめた。
「いえ、でもきっとそう思っておりますわ……」
「そんなことないよ?」
「どうしてそう言いきれるんですの!?」
つい大きな声を出してしまった。セラフはそんな私とは対照的に静かに口を開く。
「…僕も、自分のせいで人を不幸にしてしまったことがあるよ」
まだ子供の筈であるセラフだが、その口振りや立ち振舞いで、ついそのことを忘れてしまいそうになる。セラフは続けて言った。
「今でもまだそのことを思い出すことがあるんだ。自責の念に打ちひしがれることもある。けどね、いつまでもそうしていることが、その人達の為になるなんてことはないのかなって思うんだ」
「では、どうすれば?」
「より多くの人を幸福にする!不幸にしてしまった人も、幸福を求めて生きていた筈だからさ。僕が不幸にしてしまった人達の求めていた幸福を、より多くの人に感じてもらうことが僕にできる唯一のことなのかなって……」
だからセラフはあの時、お腹のすいていた私にご飯をご馳走してくれたのか。
──そして今も私のことを元気付けようとしている……
「…私ったら、とっても悲観的になっておりましたわ」
なんだか力が湧いてくる気がする。
私はもう一口、セラフの作ったパンペルデュを口に運ぶ。咀嚼を終えてから私は言った。
「私も、もっと民を幸福にできるように頑張りますわ!!」
セラフは笑顔になりながら言った。
「フフフ、なんだか王女様みたいだね」
「あっ……」
ドキリとした。するとそんな私をちょうどアビゲイルが呼んだ。
「マーシャ?そろそろ次の仕事手伝える?」
私はセラフの料理を急いで平らげ、セラフにお礼を告げてからアビゲイルに言った。
「ええ!のぞむところよ!!セラフ、ご馳走さま!!」
セラフは私に言った。
「頑張っ──」
セラフが言い淀んだ。私は首を傾げる。するとセラフは言い直した。
「…頑張ってね」
「はい!」
私はアビゲイルの元に向かった。セラフはというと、急いで『黒い仔豚亭』から出て行こうとしていたが、来店してきたお客さんと鉢合わせる。私とアビゲイルは振り向いてお客さんの方を見た。短髪で冒険者のような出で立ちの男性だった。
セラフは言った。
「アルベールさん!?」
アビゲイルは私に告げる。
「知り合いよ。セラフに任せて大丈夫だから、仕事をしましょう?」
「わかったわ!」




