第101話 没落
〈セラフ視点〉
姿勢を正して両腕を広げて、僕の正面に立つマーシャお姉ちゃん。僕がやってしまった抱っこしてポーズのように、脱がしてポーズをしている。
──そうだ……マーシャお姉ちゃんは没落貴族なんじゃないかと、僕は初めてお姉ちゃんと会った時にそう思ったのだ。
僕は意を決して、お姉ちゃんの着ている服を脱がそうと一歩踏み出した。
「わ、わかっ──」
すると僕らの会話に割って入るようにしてアビゲイルが遮った。
「ダメぇぇぇぇぇ!!!!」
アビゲイルは箒を持ちながら女湯に入って来た。
僕は自分がとてもイヤらしいことをしようとしていたことに何だか後ろめたさを感じて、アビゲイルに取り繕う。
「ち、違うんだよアビー!!」
「何が違うの!?セラフの変態!!」
僕はアビゲイルの手を引いてマーシャお姉ちゃんから背を向けて少し離れた。
「マーシャお姉ちゃんはその……」
僕はマーシャお姉ちゃんの正体をアビゲイルに小声で打ち明けた。
「実はマーシャお姉ちゃんは、没落した貴族なんじゃないかと思うんだ……」
するとアビゲイルは少し驚いた表情になったが、それでもと言ったように僕に小声で囁く。
「だからといって服を男のセラフが脱がすのはダメ!」
「じゃあアビーがやってよ」
「私が?」
僕は頷いた。訝しむマーシャお姉ちゃんに僕とアビゲイルは向きなった。そしてアビゲイルが口を開く。
「何となく事情がわかったわ!だけどマーシャさん?ここで働くのなら自分でできることは自分でやらなきゃダメなの」
マーシャお姉ちゃんは頷く。アビゲイルは続けた。
「だから先ずは服の脱ぎ方と着方を覚えなきゃダメですよ?」
「わかりましたわ!アビゲイル様!」
「様って……どうもジャンヌやリュカの影響で呼ばれることに違和感を覚えなくなってきちゃったな……貴方の年齢は今いくつ?」
「15歳よ」
「じゃあ私と同い年ね?だからお互い敬語はやめましょ?」
「わかったわ…ア、アビゲイル」
「アビーでいいわ」
マーシャお姉ちゃんは、何か感じるものがあったのか、アビゲイルが愛称で呼ぶことをお願いした時、とても嬉しそうな表情で、でもそれを悟られるのがどこか恥ずかしいような顔で呟いた。
「アビー……」
「宜しくね、マーシャ」
─────────────────────
─────────────────────
〈シュマール王国に潜むバロッサ王国の密偵視点〉
王弟エイブルは王都へ居座り、軍をそれぞれに散らした。対してロスベルグへ追い詰められたインゴベル王は、募った兵を分散させることができない。
シュマール王国のロスベルグと王都の間、ナルボレンシス平原にてインゴベル王は王弟エイブルに自軍の全勢力をぶつけるつもりだ。
ナルボレンシス平原に向かう王弟エイブルの兵は凡そ6万、インゴベル王の兵は4万。この戦、王弟が勝利することは目に見えている。王弟側もなるべく早く決着を着けたい筈だ。
何故なら、インゴベル王の背後に我々バロッサ王国の兵が押し寄せるからである。
計画は幾つかあった。
例えばインゴベル王の背後はがら空きであることから、そこに兵を敢えて向かわせず、南にあるシュマールとヴィクトール帝国の国境と、北東にあるシュマールとハルモニア神聖国の国境に兵を二分して向かわせ、それぞれの兵を削り、その部分の領土を自国のモノにする作戦もあるにはある。
しかし欲深いバロッサの王はなんと、その3箇所全てに軍を送ることを選択した。勿論、軍を3等分する為、攻撃力は2等分した時よりも低くなるが、それぞれの場所で満遍なく領土を拡大できることに利点を見い出しているようだ。
確かに元々の領土から遠く離れた地を支配するのは中々に難しい。
私は密偵として、先程述べたようにナルボレンシス平原で行われるインゴベルとエイブルの兄弟戦争の規模等を記した手紙を鳥の足にくくりつけ、少しでも早くバロッサ王国に知らせるために飛ばした。
ここはバロッサ王国との国境に最も近い小都市リード。私は手紙をつけた鳥が無事バロッサの国境を通り抜けることを祈りながら、翼をはためかせて飛ぶ鳥の後ろ姿を目で追い、自分の仕事が終えたことに安堵するが、
「ん?」
その鳥の飛ぶ先の天候が雷雲に覆われ始めているのを目撃する。
──さっきまで天気は良かった筈なんだが……
それに先程まで天候を占うカササギという鳥が穏やかに空を舞っていた筈である。
雷を帯びた黒い雲が、渦巻くように空を覆い始める。天気の良いこの場所とあの雲のある場所が別の世界であるかのように見えた。雷の轟く音が不吉に聞こえ始め、そこに向かって飛翔した手紙をつけた鳥は、旋回を余儀無くされ迂回していくのが見えた。
──マズイ……
私は急いで支度をして、馬を走らせ、バロッサとシュマールの国境へ走った。
──このシュマール王国への侵略は早さと頃合いが重要になる……
南と北東に派遣された2つの軍が位置に着く前に、3つ目の軍がシュマールへ侵略を始めてしまうと、それを好機と思ったハルモニア神聖国とヴィクトール帝国がバロッサの領地に侵略してしまう可能性がある。また、シュマールの北西から侵略しようとする我がバロッサ軍はシュマールの国境警備兵にもたつくとシュマールの援軍が来るかもしれないと思い、焦って軍を進めてしまう可能性もある。そうなればいらぬ犠牲を出してしまうおそれがあった。
──援軍など来ないという私の情報を待っているのだ……
そして兵の召集具合からみて明日にでもシュマールの内戦がナルボレンシス平原で行われる可能性がある。王弟が現国王のインゴベルを討ち取る前に侵略を始めねばならない。
優先順位をつけるならば南と北東に軍が着き次第、全軍同時侵攻をするのが最も良い。情報が行き届く時間差を考慮すれば、明後日の早朝にでも進軍を開始すべきだ。
そうすれば南と北東に侵略の情報が行き届く頃には、その2箇所に軍も到着していることだろう。
その情報を先程の鳥にくくりつけているのだが、この天候によってその鳥が到着する頃には手遅れになっている可能性が高い。
私の功も給料も出世の道も、この天運の悪さだけでついてしまうと思うと、いても立ってもいられない。
私は鳥に頼らずに自らの足──いや馬の足か──で情報を届けることにする。
雷雲の下に辿り着いた。雷による轟音と明滅によって、私の股がる馬は嘶き、怯んだ。まるで大地が揺れているような錯覚に陥る。
しかしここで立ち止まる訳にはいかない。
怯える馬に鞭を打って嵐の中を前進させた。
激しい雨が打ちつける。目に雨が入り込み、前を向けない。顎を引いて、上目遣いのようにして国境を目指して走った。
国境が見えてきた。雨によってキチンと前を向けないせいもあって、思ったよりも国境が近くにあることに気が付かなかった。
シュマールとバロッサの国境は崖のようになっており、上の地をシュマールが取り、その下の大地がバロッサの領地となっている。国境警備をしているシュマールの衛兵はその崖に沿うようにして建てられた防護柵からバロッサの領地を眺め下ろせる。
この激しい雨の中にも拘わらず、シュマールの国境警備兵はみんな外へ出て、バロッサ王国の領地を眺め下ろしていた。
──まさか……我が軍はもう進軍を始めてしまったのか!?
私も馬から降りて、急いでその防護柵まで走った。
そこに兵等いなかった。
そして大地もなかった。
まるで神がバロッサとシュマールの国境をその巨大な御手によって引き裂いたように、大地に亀裂が入り、シュマールとバロッサの領土を二分していた。底の見えない谷底、向こう岸にあるバロッサの領土は10m以上離れている。
「なんだ…これは……」




