涙が線を引いた
ロッセが、はじめて桜工房に姿を現してから、4日後のこと。ロッセは、また桜工房にやってきた。今度のロッセは、店内に身体を入れたその一瞬だけ、ハルトをみて、微笑んだ。
ハルトは、その笑顔を直視することができず、目をそらした。理由は?このときのハルトには、まだ認識できていない。そういうものだ。
「後払いのつもりだったけど、お金できたから、持ってきた」
可愛らしい手作りの封筒に入れられた、金貨3枚。
「次からは、ちゃんと、前払いできるようにする。あと、しつこいと思われるだろうけど、絶対にコーティングはしないで、絶対。私にとって、本当に大事なことなの」
ぶっきらぼう。
(少し、話しかたをやわらかくするだけでも、印象がよくなるのに)
ハルトは、ロッセのいいところにたくさん気づいて、すっかり尊敬するようになっていた。今日もまた、ロッセのいいところが、たくさんみつかる。
まず、お金ができたらすぐ支払う。まだ、リペアは終わっていない。どのような結果になるかもわからないのに、信用だけで、大金を支払うのだ。ハルトが、大金を持ち逃げしないとも限らないのに。
次に、お金なんて、そのまま皮袋から出せばいいのに。それなのに、手作りの封筒に入れてくる。ロッセのことだ。きっと、心を込めて作っている。
そして、次からは、前払いをすると宣言をしている。ロッセは、今回の後払いは特例であると理解している。それを申し訳なく思っている。
(閹剣様、ぶっきらぼうなところ、本当にもったいないよ)
そういえば、桜工房の仕事として、リペアの代金がもらえるのも、これがはじめてだ。ハルトは、ロッセのように立派なエルフと、これからずっと取引ができそうな予感に、とても嬉しい気持ちになっていた。
「昔、僕、閹剣様をみたことがあるんです」
「え?」
「僕、10歳の時に戦争孤児になりまして。その後、たったの3ヶ月でしたが、教会の孤児院にいたんです」
「いつ?」
「6年ぐらい前です」
ロッセが、ハルトに対して感じていたなにか。そのなにかが、6年前から続いている。ぼんやりとしている。けれど、希望のような。なにか、前向きな、なにか。ロッセの気持ちが乱れた。
「そのとき、私、あなたと、なにか話をした?」
「いや、閹剣様がお美しすぎて、僕はただ、みとれていただけでした」
ロッセがアーマー左胸のレースをモミモミしはじめた。
「やめてよ」
「でも、本当にお綺麗で。僕の中では、夢のような記憶なんです。当時は、両親を亡くして、絶望していたんです。その絶望が、あの瞬間に、消去されたって感じたんです。お世辞とかじゃなくて、僕は、閹剣様に感謝をしています。尊敬しています」
「・・・ありがと」
「いえ、僕にお礼をいう理由なんてないです。こっちが、ただ、一方的に、尊敬しているだけなので。色々、僕なんかが想像もつかないような世界で、お忙しいとは思いますが、これからも応援しています。頑張ってください」
「は、はい。嬉しいです」
ロッセの中に湧き上がっていた、自分では説明できない感覚が、逃げていく。ハルトとのやりとりに、意識が向き過ぎたのか。ロッセには、一つの暖かい波がやってきて、去っていったように感じられた。
「無駄話して、すみません。コーティングは絶対になし、で承りました。コーティング、だめ、絶対!」
「金貨3枚、ちゃんとお支払いしました。領収書って、いただけますか?」
「はい。確かにお金、受け取りました。領収書、もちろんです。高額ですし、もちろんです。これで、うちの父さんと母さんに、美味しいものを食べさせてやれそうです」
「それは、いいわね」(小さな笑顔)
「ボコボコにされた盗賊団の皆様には、ちょっと同情しますけどね」(笑いながら)
ロッセの頬に、1粒の涙が、ゆっくりと線を引いた。ロッセにとって、盗賊団とは、冗談にならない存在なのだ。なにげない日常を楽しむ時間を、それを思い出すだけで、一瞬で破壊してしまうほどの。
そのまま何も言わず、ロッセは店を出ていった。
ただの冗談のつもりだった。ハルトは、これまでの人生で、一番、後悔した。それからハルトは、しばらく、ロッセの涙の意味を考えて、ぼーっとしていた。
(あんなに高貴なお方を、泣かせてしまった)
誰かを泣かせてしまったのだけれど、どうして泣かれたのかわからないとき、みなさん、どうしますか?リアルでも、そういうこと、ありますよね。え?ない?