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レースの装飾が必要な理由

 それからロッセは、魔物討伐をはじめ、ありとあらゆる戦場に動員されるようになった。まだ八歳の、持たされる剣よりも、むしろ身体のほうが細いくらいの少女が、である。


 本来なら、戦場など遠い世界の話であるはずの年頃。しかし現実は、彼女の小さな手に握られる剣が、幾度となく命を奪う道具となった。


 アムール王国の法律では、公式な戦闘行為への参加は十四歳以上と厳しく定められている。その規定は、未熟な心と体を戦場の過酷さから守るための、最低限の人道的な盾であったはずだった。


 だが、その法の網をすり抜けるためには、一枚の簡単な書類に、王の名が記されるだけで良かった。王令として「特例措置」が下されてしまった。ロッセは、例外であると。


 この背後には、ロッセの父——かつては誇り高きロレーヌ家の当主だった男の、切実であまりにも現実的な思惑があった。


 家の財政はすでに崩壊寸前。屋敷の壁は崩れかけ、家具も質に入れられ、残る誇りは形ばかりの家名だけ。蔵書を売ろうにも、足元を見られ、安値で買い叩かれるようになっていた。


「ロッセ、おまえはすぐに、家を背負う立派な当主になるのだ」


 父は、そう口にしてはいたが、その瞳の奥には葛藤と諦めが見え隠れしていた。愛する娘を、戦場という名の地獄に送り出すこと。


 それがこの家を守る、唯一の手段だと知っていながら、なお父は自らを責め続けていたのだ。


 だが事実として、ロッセはすでにベルハイムの騎士団長よりも強かった。年端もいかない少女の身に秘められた力は、人々の想像を遥かに超えていた。


 もしかすると、人型種族の中では、すでに最強と言っても過言ではない。


 戦場では、その小さな体が翻るたびに、剣の銀光が空を裂き、屈強な男たちが次々と倒れていく。


 その光景はまるで一陣の嵐のようであり、ある者は畏怖し、ある者は呪詛の言葉を吐き、そしてまた彼女は「閹剣」と呼ばれる。


 だが、ロッセ自身は知っていた。自分は「閹剣」などではない。ただ、一度も戦いを望んだことのない、小さな少女にすぎないということを。



 ロッセの母もまた、まだ幼い、幼すぎるロッセを、戦場から遠ざけようとしていた。それでも、母の預かり知らぬところで、ロッセの動員は、勝手に決定されていく。


 母には、戦場で、ロッセが「どんな恐ろしいことをさせられたのか」も、わからない状況が続いた。


 ロッセの母は、この王国でも指折りのレース編みの名手だった。


 貧乏貴族の家に生まれながらも、その繊細な指先から生み出されるレースは、まるで雪の結晶がそのまま形を成したかのような美しさを誇っていた。


 その作品は家名を冠し「ロレーヌ・レース」として、密かに貴族の間でも噂となり、上流階級の淑女たちがこぞって求めるほどだった。


 貧しい生活の中でも、母の編むレースだけは家族にわずかな誇りと安定をもたらしていた。


 陽だまりの差し込む小さな居間で、母はいつも窓辺に腰掛け、やさしく微笑みながら糸を操っていた。その姿は、ロッセにとって幼い頃から変わらぬ「家の光景」だった。


 細く白い糸が指先で舞い踊り、まるで魔法のように次々と美しい模様を紡ぎ出していく。


 そして、ある日・・・母はロッセのアーマーにそっとレースをあしらい始めた。冷たい鉄の鎧に、信じられないほど繊細な純白のレースが縫い付けられていく。


 その作業は、まるで呪いを解くための儀式のように、静かで、厳かだった。


「ロッセ。どれほど、戦いに身を置いても、心まで戦いに染まらぬようにと、私は、このレースに祈りを込めているのですよ」


 母の手は細く、美しかった。しかし、その指には長年の労苦による小さな傷跡が無数に残っていた。


 その指が、ロッセの鎧に一針一針、まるで祝福のように糸を通していくたび、ロッセは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。


 鉄の無機質な重さの上に咲く、一輪の純白の花。


 そのレースは、ロッセにとってただの装飾ではなかった。戦場にあっても、自分がまだ人の心を持っていることを思い出させてくれる、唯一の「帰る場所」のようなものだった。


 しかし、それは『罪の記録』となってしまう。


 遠征から帰還したロッセのレースが、返り血で赤黒く染まっているのを認めると、母は、ロッセとともに罪を懺悔し、声が枯れるまで泣いた。


 母は、純白ではなくなっていくレースを、何度も丁寧に、聖水で洗った。しかし、いくら洗っても、洗っても、手持ちすべてのレースが、もはや、白とはいえなくなるほどに、ロッセは戦場にいた。


 だから母は、新しいレースの装飾を編み続けた。帰還した、ロッセの罪を、洗い流すために。


 そんなことが半年ほど続いたころ、ロッセの母は、正気を失っている。そこにいない、幻のロッセに対して、母は、レース編みの技術を教えるようになった。


「ロッセ、かぎ編み針は、こう持つのよ・・・」「レース針は、基本の10段階に加えて、特別な8種を使うの・・・」「レース編みに使う糸は、ものすごくたくさんの種類が・・・」


 以後、母は、本物のロッセを、ロッセであると認識できなくなった。遠征から帰還したロッセのレースが、どんなに返り血で汚れていても、母は、それを気にもしなくなった。


 母に代わって、8歳のロッセが、返り血で汚れたレースを洗いはじめた。ロッセのために、罪を洗い流してくれていた母が、もう、洗ってくれなくなったから。


 あるころから、ロッセは、小さな手桶と聖水を、戦場に持っていくようになった。返り血の汚れは、レースに付着してからすぐに洗えば、よく落ちることを知ったからだ。


 アーマーに装飾された、レースが綺麗な状態で帰還すれば、母が正気を取り戻すかもしれない。ロッセは、そんな期待も持っていた。しかし、この期待は、現実にはならなかった。


 いつも、どこでも、返り血で汚れたレースを洗っている。彼女の二つ名を「閹剣」ではなく、親しみを込めて「洗濯屋」と呼ぶものも、少数ながらいる。


 ロッセのことを本気で心配している、他人の心配をする余裕のある、ハイレベルな冒険者の大人たちだ。彼らは、ロッセのお兄さん、お姉さんのように振る舞う。


 お兄さん、お姉さんたちとの交流は、そう多くはない。けれど、戦友である。たまに、どこかで出会えば、フランクに会話ができる。そのどこかとは、だいたい、戦場なのだけれど。


 両親が他界してからも、ロッセは、レースを洗い続けている。最強の勇者ロッセ。ロッセは、大量の返り血とともに、大きすぎる罪を背負う。そして洗濯をする。


 罪を、洗い流しているのではない。ロッセは、その罪を、決して忘れないために、洗い続けている。


 ロッセの亡き母は、きっと、洗濯することに、罪の消去を期待していたのだと思う。しかしロッセは、レース装飾は、罪の記録媒体だと理解していた。


 記録された罪のデータを消去しても、犯した罪はなくならない。


 だからロッセは、返り血で汚れたレースを洗うとき、殺した相手のこと、その家族や友人のことを想い、心の中で謝罪をしながら洗っている。返り血の主人が人間ではなく、人間を襲う魔物であったとしても。


(ごめんなさい)


 おそらく、ロッセが、心の中でもっとも多く発声した言葉である。発声する回数が増えるごとに、発声はむしろ丁寧で厳かになっていった。



 両親が他界したとき、ロッセは、ちょうど14歳だった。先にも述べた通り、14歳は、この王国では、公式な戦闘行為への参加が認められる年齢だ。


 それまでロッセは、8歳の初陣から、6年もの月日を、殺戮の中心で(特例措置を受けて)戦ってきた。


 最強の勇者、閹剣ロッセの評判は、王国中に知れ渡っている。当然、ベルハイムを飛び越えて、王都の軍部から、騎士団長ポストのオファーがあった。王国剣士としての、最上位職だ。


 このとき、父がもし生きていたら、ロッセは、王都の騎士団長をやらされていただろう。ロッセの父は、ロッセのポストに相当こだわっていたから。


 ロッセの両親の死因は、本当に、事故死なのか?そうした疑惑の背景が、これだ。ロッセの父は、軍の要職にある者たちからすれば、自分のポストを脅かす存在だった。しかし、証拠はなかった。


「恐悦至極にございますが、お断りさせていただきます。私では、実力不足で、とても務まりません」


 ロッセは、騎士団長ポストのオファーを、あっさり断った。そして、ベルハイムで、冒険者登録を行っている。


 それから何度となく、ロッセは、騎士団長への就任を打診された。騎士団がダメならと、軍部の様々な要職もオファーされた。しかしロッセが、軍部の公式なポジションに就くことは、ついになかった。


「恐悦至極にございますが・・・」


 14歳から、17歳になる現在まで、ロッセは、ほとんど、ギルドを通した依頼のみ受注している。ロッセご指名の依頼は、返り血を浴びることが必須の案件ばかりのため、好まない。


 ロッセが受注するのは、薬草取りや迷い猫探しといった、血の流れない依頼ばかり。そこから、わずかな収入を得て、古ぼけたお屋敷に一人、読書と紅茶を愛しながら、暮らしていた。


 それでも、魔物との偶発的な戦闘はある。要請され、いくつかの戦争にも参加した。実際、昨年のスタンピードでは、ドラゴンを討伐し「閹剣」の名に恥じぬ活躍をした。


 軍人でなくても、王令による従軍要請があれば、それに従うのが王国民の義務だ。とはいえ、王令なので、権威の維持を考えれば、そうそう乱発もできない。


 8歳から14歳までの、特例措置が濫用されていた時期よりはずっと、ロッセの暮らしは静かだ。いまも、毎月、どこかの「最も危険な戦場」に呼ばれてはいるけれど。


 ロッセは、とても純白とは言えなくなったレースを、17歳になったいまも、洗い続けていた。

【用語解説】スタンピード

スタンピードとは、モンスターが大量に、街などに押し寄せてくる現象を意味する言葉です。ドラゴンに代表される強力なモンスターが、何らかの理由で、急にその環境に現れることが原因と考えられています。強力なモンスターが現れると、そのモンスターよりも弱いモンスターは、その環境に残っていたら危険です。その危険性が一定レベル以上に高い場合、弱いモンスターたちが一斉に逃げ出し、それがスタンピード化します。ロッセは、スタンピードの原因となっている、強力なモンスターを討伐する命を与えられた臨時パーティに、王令により参加しています。一般の冒険者や騎士団は、スタンピードしてくる比較的弱いモンスターを相手にします。


書いていて。ロッセのお母様の気持ちを思うと、やりきれません。自分で書いていて、泣いてしまったところです。かわいそうなロッセ。かわいそうなロッセのお母様。でも、ロッセの物語は、ちゃんとハッピーに回収しますので、ご安心ください。

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― 新着の感想 ―
白いレースをわざわざ穢れるようにアーマーに装飾するロッセのお母さんがえぐい。汚れたレースで何も語らない娘の業に向き合い、その罪をそそぐために向き合っているだろうけど…これじゃまるで娘に呪いをかけてるみ…
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