↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「だくだく」

作者: 霧夜シオン
掲載日:2025/02/12


落語声劇「だくだく」


台本化:霧夜(きりや)シオン@吟醸亭喃咄(ぎんじょうていなんとつ)


所要時間:約25分


必要演者数:2名

      (0:0:2)

      (2:0:0)【性別準拠人数比率】

      (1:1:0)

      (0:2:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


八五郎(はちごろう):この噺(はなし)の主人公。

    店賃(たなちん)を二年分も溜(た)め込んでしまい、大家(おおや)から退去するよう言われ

    る。


先生:絵の先生。絵師。

   八五郎とは友達のようなものである。


泥棒:八五郎の家に盗みに入った泥棒。

   近眼乱視、ついでに老眼の役満である。



●配役例


八五郎・枕:

先生・泥棒:




枕:皆さんは、私物というものはどのくらいお持ちでしょうか。

  部屋ひとつぶん、とかがまぁわりと平均的なものかと思いますが、

  中には旅行鞄(りょこうかばん)二つ程度、なんて極度のミニマリストもいたりします。

  こうなるともし泥棒が入っても貴重品の目星(めぼし)が付けやすくてあっさり

  盗られたりとか、あるいは貧乏そうだからそもそも眼中(がんちゅう)に入れられな

  かったりとか、もしくは何でもいいから全部持って行ってしまえ、

  なんて物騒(ぶっそう)な結論に至る泥棒もいるかもしれませんな。

  落語の世界にも泥棒が多く登場します。

  ま、たいていが間抜けだったり、悪い事をしているはずなのにどこか

  憎めない、そういうのが多いです。

  ところがあると思って盗みに入った先が、実は何もなかったなんて事

  になると、こういう反応をする場合もあるようで。


先生:どうした八(は)っつぁん。

   しばらくだったな。


八五郎:どうも先生、ついつい忙しくてご無沙汰(ぶさた)して。


先生:いや、無沙汰(ぶさた)はお互い様だ。

   忙しくて、結構な事だな。


八五郎:それがね、あまり結構じゃねえんですよ。

    実は今まで住んでたとこの店賃(たなちん)を、一年と十二ヶ月ほど溜(た)めまし

    てね。


先生:それを言うなら八(は)っつぁん、二年だろ。


八五郎:いやあ、一年と十二カ月って言った方が、何となく景気がついて

    いいやね。


先生:そんなのに景気をつける奴があるかね。

   しかしまた恐ろしく溜(た)め込んだな。


八五郎:ええ、まぁ早い話がそういうことで。


先生:遅く言ったって同じだよ。

   で、どうしたんだ。


八五郎:まあ、大家(おおや)が言うにはね、

    お前さんいつまで経っても店賃(たなちん)払うあてもねえだろうし、

    料簡(りょうけん)もねえだろうから、すぐに家を空(あ)けてくれと、

    こう言うんですよ。

    ただその代わりね、すぐに家を空(あ)けてくれたら、今まで溜(た)まった

    店賃(たなちん)は払わなくてもいいから、なんてふてえ事を言うもんですか

    らね。


先生:どっちがふてえんだよ。


八五郎:まぁまぁ、それならありがてえと思ってさ、

    何やったってすぐに家を空(あ)けりゃ、店賃(たなちん)を払わなくていいってん

    だから、これァありがてえ、助かったと思ったね。


先生:ふうむ、それはうまくやったな。


八五郎:ところがうまかねぇんですよ。

    てのはね、引っ越すったって引っ越す先がめっからねぇてぇと、

    引っ越すわけにいかねえんですからね。


先生:それはそうだな。

   そりゃ困ったな。


八五郎:ところがそれがね、困らねえんだ、へへへ。

    いい塩梅(あんばい)に安い店賃(たなちん)のとこがめっかったもんですから早速(さっそく)ね、

    引っ越そうかなと思ったんですけどね、

    ついちゃあまぁなんですがね、今まで使ってた家財道具(かざいどうぐ)やなんかを

    向こうへ運ばねえってえとね、これは引っ越した事にはならねえ

    んですよ。


先生:そりゃそうだろう。

   運んだらいいじゃないか。


八五郎:いや、運びてえんですけどね、あっしは力がねえんですよ。


先生:なら誰かに頼んだらどうだい?


八五郎:いや、頼む銭(ぜに)がありゃ、そもそも店賃(たなちん)滞(とどこお)らしてませんよ。


先生:ふうむ、そりゃ困ったなあ。


八五郎:ところが困らねえんですよ。


先生:さっきから何言ってんだい…。


八五郎:いや、これがまたね、いい塩梅(あんばい)に表(おもて)を道具屋が通ったもんだから

    早速(さっそく)呼びましてね、

    「おう、ちょいと済まねえけどな、うちにある家財道具(かざいどうぐ)、

    一切合切(いっさいがっさい)持ってっちゃってくれ。きれいに片付けてくれりゃいい

    んだから。」

    って言ったらね、二人ばかり仲間を呼んできてみんな持ってっち

    ゃった、何も無くなっちゃったんですよ。

    まぁ早い話がね、あっしァ身(み)一つでもって引っ越したと、こうい

    う事なんですよ。


先生:そりゃまたずいぶんとさっぱりしたね。


八五郎:ええ、もうさっぱりどころかさっぱりし過ぎちゃってね、

    何もねえ。

    ガランとしたところに座ってるとね、なんだか空き家に住んでる

    ような心持(こころも)ちがしてね、面白(おもしろ)くとも何ともねえんですよ。

    やっぱりこりゃ、家財道具(かざいどうぐ)かなんかなきゃいけないなと考えまし

    てね、部屋の壁という壁にまず白い紙をこうダーッと貼(は)ったんで

    すよ。

    それでそこにね、先生に家財道具(かざいどうぐ)の絵を描いてもらいてえなと

    思って来たんですけど、どうですかね、描いてもらえませんか?


先生:家財道具(かざいどうぐ)の絵だって?

   そんなもんわたしは描いた事ないよ。


八五郎:いや、描いたことねえって先生、昔から、

    「八(は)っつぁん、わしは下手な絵の一つも描くんだよ」

    なんてこと言ってたじゃないですか。

    あっしもね、何も上手い絵を描いてくれって言ってるわけじゃ

    ねぇんですよ。下手でいいから描いてくれって言ったんです。

    頼んますよ。


先生:これァ呆(あき)れたね、なんて口のきき方だ。

   人に物を頼むんなら、もう少し持ち上げなさいよ。

   下手でいいから描いてくれなんて言われたのは初めてだね。


八五郎:うん、あっしも初めて言った。


先生:なに言ってんだよ。

   少しは持ち上げたらどうだい…。


八五郎:それじゃ、褒(ほ)めりゃ心持(こころも)ちよく描いてくれるんですか?

    ならわけねえや。

    じゃ、褒(ほ)めるから聞いといてくださいよ。

    いいですか、褒(ほ)めますからね。

    いきますよ?

    ぁ~、先生、なんだね、先生は絵の名人だね。


先生:バカにしてんのかい。

   だいいちね、絵に描いた家財道具(かざいどうぐ)なんて役に立たないだろ。


八五郎:先生は気にしなくていいんですよ。

    あっしはどういうわけかね、気で気を養うってんですかね、

    何でもその気になっちゃうんですよ。

    だから先生に絵を描いてもらやね、あっしは本当にあるつもりに

    なってあとは面白(おもしろ)おかしく暮らせるってやつなんです。

    だから先生、描いてくださいよ。

    この通り、嫌な顔しねえでさ。

    お願いしますよ、頼みますよ、お安い御用(ごよう)だ。


先生:なんだい、お安い御用(ごよう)だって。

   …わかったよ、お前さんとじゃケンカにもなりゃしない。

   描いてやるよ。

   それでな、そこの筆立(ふでた)てに筆は五、六本入ってるだろ。

   あと絵具箱(えのぐばこ)もあるからな、それを一緒に持って案内してくれ。


八五郎:あ、これですか?

    それじゃ先生、こっちこっち、こっちです。


    【二拍】


    先生、あの家がそうなんですけどね。


先生:どれ…うん、なるほどな、これはまたずいぶん小(こ)ざっぱりとした、

   結構なお住まいだな。


八五郎:へへ、小(こ)ざっぱりったってね、小(こ)ざっぱりし過ぎちゃってますけ

    どね。

    ちょいと待ってくださいよ、いま開けますからね。

    っと…さ、先生、遠慮しねえでずっと入ってずっと入って、

    ずぅっとずぅっとずぅぅぅ~~っと。

    あまり奥へ行くとね、裏へ抜けちゃうから。


先生:余計なこと言いなさんな。

   ふんふん、ふんふん、ほぉぉ~~、しかしなんだなお前さん、

   よくこれだけ上手く紙を貼(は)ったね。


八五郎:へへ…そうすか?

    じゃあ早速(さっそく)ですいやせんが、まずその辺からとっかかってもらっ

    ていいですかね?

    そこはやっぱり床(とこ)の間(ま)だね、床(とこ)の間(ま)お願いしますよ。  


先生:なるほどな、まずは床(とこ)の間(ま)か、よしよし。


   【二拍】


   ふむ、こんなもんでどうだ?


八五郎:あら!!っはっはっは、先生うまいねぇ!

    こりゃ驚いた!てぇしたもんだ!

    さすが商売にしてるだけあるね!

    これァ気に入っちゃった、ようがす、ようがすよ!

    あ、それでね先生、その床(とこ)の間(ま)の真ん中に掛(か)け軸(じく)かなんか描いて

    くださいよ。

    絵柄(えがら)はね、色っぽいとこで女の山水(さんすい)かなんかをね。


先生:女の山水(さんすい)なんてあるかい。


   【二拍】


   こんなもんでどうだな?


八五郎:ほうほう!へえぇようがすようがす!

    いいねェ!いいねたまらんね!

    あ、じゃあその下のとこ空いてるでしょ。

    そこにね、お座敷用の金庫描いてもらおうかな。

    その上に大理石の置時計もね!

    金庫の扉はこう半開きになっててね、そうだなあ…、

    札束で八千万ばかり見えるってとこ描いてもらって……

    そう! そうそう!

    あ、すかしは要(い)りませんよ。


先生:絵のお札(さつ)にどうやったらすかしを入れられるってんだい…。

   金庫に置時計と…こんなもんでいいかい?


八五郎:えぇえぇ、ようがすよ!

    じゃ今度はこっち、こっちんとこにね、

    箪笥(たんす)を描いてもらおうかな。

    総桐(そうぎり)のいーいやつをひとつね、ズァっと!


先生:なるほどな、たしかに箪笥(たんす)は必要だ。


   【二拍】


   よし、できたぞ。


八五郎:そうそう!そうですそうです!!

    じゃ、今度その隣にね、茶箪笥(ちゃだんす)描いて下さいよ。

    こう三段になってましてね、

    上部分が扉になってて、真ん中がこう、違(ちが)い棚(だな)でね、

    下が引き出しになってるんですよ。


先生:また注文が細かいな。


   【二拍】


   こんなもんでどうだな?


八五郎:あぁえぇえぇそうそうそうそうです!

    で、その上の段にね、茶道具(ちゃどうぐ)を一式(いっしき)描いて下さいよ。


先生:いや、お前さん茶なんか点(た)てた事ないだろ。


八五郎:いいんですよォ、描いて下さいよぅ。

    そういうのがあるってぇとね、表(おもて)から家の中をちらっと見た奴が

    この人はなかなか結構(けっこう)なお道楽(どうらく)ですね、なんて言われるって言う

    からね。


先生:見栄(みえ)もそうあけすけに言われるとすがすがしいな。


   【二拍】


   …ほら、できたぞ。


八五郎:そーうですそうです、ようがすようがす!

    で、今度は下の段か、どうしようかなぁ…。


    あ、じゃあそこはこうしましょう。

    えっとね、羊羹(ようかん)の切ったのが菓子皿(かしざら)に乗っかってるってとこ、

    それをお願いしますよ。


先生:食べ物まで描かせるのかい。

   しょうがないねーー


八五郎:【↑の語尾に喰い気味に】

    あっとォ!厚く切って厚く!


先生:な、なんだい、いきなり大声出すんじゃないよ。

   厚さひとつにまで注文付けるのかい。


八五郎:当たり前じゃないですか。

    薄く切ってあったらね、しみったれだと思われるじゃないですか

    。


先生:しょうがないね…。


   ほら、とらやの羊羹(ようかん)だ。


八五郎:へへへ、いいねぇ!

    あとは…あ、じゃあここに長火鉢(ながひばち)描いて下さいよ。

    欅(けやき)の如鱗杢(じょりんもく)かなんかでもって、目がこう、こんなんなってるよう

    なの。

    で、南部の鉄瓶(てつびん)が乗っかってて、

    お湯がチンチン煮立(にた)っていて、湯気(ゆげ)がしゅーーっと!


先生:うるさいね。

   音まで描けるわけないだろ。


八五郎:いやだからまぁ、そういうつもりになって描いてくれりゃいいん

    ですから、そうぐずぐず言わねえで。


先生:やれやれ、お前さんにも困ったもんだね。

   ほら、できあがったぞ。


八五郎:よぉうがすようがす!

    じゃ、あとはね、そこの猫板(ねこいた)のとこでね、猫があくびしてるって

    とこ、描いてもらっていいですかね?


先生:なんで普通にしているところじゃないんだい…。

   

   ほら、これでいいかい?


八五郎:あら!あらあら!

    先生うまいね、本当に!

    可愛(かわい)いねこれ!仔猫(こねこ)で三毛(みけ)だね。これァいいや。

    気に入っちゃったね。

    あ、先生、悪いんだけど、猫の脇に「タマ」って名前、入れとい

    て!


先生:タマ?ひねりも何もないが、まぁいいだろう。


八五郎:そうそうそれそれ、いやぁだんだん賑やかになってきやがったね

    。あ、先生すまねえ、あすこんとこにね、踏み台描いて。


先生:踏み台?

   別にそんなもんいらんだろうに。


八五郎:いやそういうもんじゃないんですよ。

    家なんてものはね、いらねえなぁなんて思うものが、

    とかくもろもろあるもんなんだからさ、

    ぐずぐず言わねえで、手間を惜(お)しまねえで!


先生:まったく、しょうがないな…ほら。


八五郎:へへへ。ようがすようがす!

    先生あとはね、こっちのまだがら空(あ)きなんだ。

    いっぺんに済むようにこうしましょう。

    まず衣桁掛(いこうか)けを描くでしょ、そこに結城(ゆうき)の着物が帯(おび)と細紐(ほそひも)と一緒

    に引っ掛けてある。

    で、下の空(あ)いてるとこは…、

    そうそう、仙台平(せんだいひら)の袴(はかま)が表(おもて)から帰ってきて何気(なにげ)なく脱ぎっぱなし

    になっている態(てい)で!


先生:手数(てすう)のかかることを言うもんじゃないよ。

   まったくどうしようもない…


   【二拍】


   こんなもんでいいかい?


八五郎:ええようがすよ、ありがてぇなあ!

    それで今度はね、えぇっとやっぱりなんだな、台所だね。

    五合炊(ごごうだ)きの釜(かま)が掛かっててるへっついなんか描いてもらってね、

    でもってその中に薪(まき)がこう五、六本くべてあって、

    火がこうどんどんどんどん、ぼっぼっぼっぼって燃えててね、

    今まさにおまんまが炊(た)きかけになってるってとこをね!


先生:お前さんね…

   四六時中(しろくじちゅう)おまんま炊(た)いてるように見せる気かい?


八五郎:いいんですよ!

    のべつ炊(た)きかけで温かいおまんま食ってるように見せりゃ、

    それァ大した贅沢(せいたく)ってやつで!


先生:まあ、描くだけならタダだからね…。


八五郎:あとは玄関だね玄関!

    やっぱり玄関には下駄箱(げたばこ)だよ。それに傘立(かさた)て、こうもり傘(がさ)を

    五、六本と、その向こうには箒(ほうき)と塵取(ちりと)りを立てかけといてくださ

    い。


先生:立てかけといてくださいはないだろ。

   実際に物があるわけじゃないんだから。

   言い方がおかしいよ、まったく…。


   ほら、できたよ。


八五郎:いやぁようがすようがす!

    これですっかり揃(そろ)っちゃったなぁ、いやぁこりゃありがてえや。

    あっ。

    そうだ先生、あと一つだけありましたよ。

    長押(なげし)に槍(やり)を描いといてください。


先生:いや、長押(なげし)に槍(やり)って…お前さん武術の心得(こころえ)ないだろ。


八五郎:ないけど、そうじゃねえんですよ先生。

    表(おもて)からチラッと家の中を見た奴がさ、

    「あ、この家には長押(なげし)に槍(やり)が掛かってるな。

    さては士族(しぞく)、武士の出(で)だな。」

    ってなって、侮(あなど)られることがねえんだ。


先生:誰がお前さんを侮(あなど)るって言うんだい…。

   だいいちね、わたしはそんな高いとこへ手が届かないよ。


八五郎:だったらあそこに踏み台があるじゃねえですか。


先生:ありゃわたしが描いたんだよ。


八五郎:あ、そうだった。

    あんまり上手(うま)く描けてるもんだから本物があると思っちまった。

    じゃああっしが踏み台の代わりになるから。

    遠慮しないで乗っかって乗っかって。


先生:そ、そうかい。

   じゃ、失礼するよ…っと。


八五郎:おっ、おっ、先生やっぱり男だね。

    けっこう目方(めかた)があるよ。


先生:もう少し辛抱(しんぼう)してくれよ…っと、できたよ。


八五郎:あ、描けました?

    どれどれ…あらっ、これァいいねぇ、ちゃんと槍(やり)が鞘(さや)に収まって

    る。これなら誰が見たってぱっと見(み)、本物に見えますからね。

    いやぁどうもありがとうございます、ご苦労様でした。

    先生くたびれたでしょ、すいませんね。

    家へ帰ってさ、お茶の一杯もゆっくり飲んで。


先生:いい加減にしなさいよ。

   わたしがこれだけ描いてやったんだから、お前さんがお茶の一杯も

   出したらどうなんだい。


八五郎:いやぁ出してえんだけどさ、いま出来立てですからね。

    もしつまめるんだったらそこにとらやの羊羹がありますけど。


先生:そりゃわたしが切った…じゃない、描いた羊羹(ようかん)じゃないか。


八五郎:ままま先生、あとで改めてお礼にうかがうんでね、

    ここは嫌な顔しねえで諦(あきら)めて、

    今日はまっつぐ帰ってくんない。江戸っ子じゃないかね。


先生:まったく…はいはい、あてにしないで待ってるよ。


八五郎:じゃ、そういうわけで、どうもありがとうございました!

    あっそこ、どぶ板(いた)ねえんで気を付けて!


    【二拍】


    いやぁ、こんだけ描いてくれて…いい先生だなあ。

    これなら誰がどう見たって本物に見えるよ。

    はぁ、先生もくたびれたろうけど、こっちも指図(さしず)してくたびれち

    まった。

    そりゃそうだ、朝から何にも食ってねえもんな。

    よし、とりあえずはおまんま腹に入れて来るかぁ。


    【二拍】


泥棒:お…?確かここは空き家だったはずだが…誰か越して来たのか?

   どれ…ちょいとのぞき見…、

   はあぁ、近眼に乱視、加えて老眼…年は取りたくねえな。


   【二拍】


   なんでぇ、やけに物持ちの良さそうな家だな。

   こんな貧乏長屋(びんぼうながや)にしちゃ珍しいや。

   近頃は世の中不景気で、泥棒稼業(どろぼうかぎょう)も仕事がねえと思ってたが…、

   あるとこにはあるもんだ。

   とはいえ、こんなに人通りが多くちゃしょうがねえ。

   よし、ひとつ今夜はこの家に決めた。

   さっそく、支度(したく)にかかるか。


   【二拍】


八五郎:ふう、食った食った…。

    どれ、寝酒(ねざけ)でもちびちびやりますかねぇ。


    っ、っ…へへ、うまいねえ。

    しかし、絵に描いた餅(もち)…じゃねえ、絵に描いた家財道具(かざいどうぐ)でも、

    けっこう乙(おつ)な心持(こころも)ちになれるもんだ。

    酒も美味けりゃ絵も上手いってね…。

    ふぁ…いけね、眠くなってきやがったよ…。

    【寝息】


泥棒:えぇと…お、あれだ、確かにあの家だよ。

   俺の目に狂いはねえ。

   おや、明かりが付いてんな…誰かいやがるのか…?

   【ここらから声を落として】

   ちょいとこの隙間(すきま)からのぞいて……ッ!?

   おいおい、こりゃあ物持ちだねえ。

   よくこれだけの道具をそろえたもんだよ。宝の山だね。

   …にしても、やけに小汚(こきた)ねえ野郎が寝てんな。

   留守(るす)でも頼まれたのか?

   徳利(とっくり)が転がってやがんな。ははぁ、酒ェ喰らって寝てやんだね。

   へへへ、ありがてえ。

   どれ、しまりは…おいおい、してねえのかよ。

   こんな間抜けな野郎に留守(るす)を…っておいおい!

   へっついの中で火がぼうぼう燃えてんじゃねえか!

   火事になったらどうすんだよ…。

   まあいい、火事になる前に俺がいくらか盗み出しといてやらあな。

   かえって世の為になるって奴だ、ありがてえありがてえ。


八五郎:【寝息→目を覚ます。つぶやくように】

    っ、ぉおいけねえ。

    すっかり寝込んじまった。いけねえ、風邪ひいちまうよ…っ!?

    なんだ、見かけねえ野郎が入ってきてやがるよ。

    あのなりは…泥棒だな。

    こりゃいけねえ、大変なことに…ならねえな。

    あいつ、この家からいったい何を持ってくってんだ…?

    へへ、おもしれえや、寝たふりして見ててやれ。


泥棒:【声を落として】

   はぁぁこれァいい箪笥(たんす)だなぁ…総桐(そうぎり)だよ…どれ、中身は……?

   ん? んんん? 取っ手がつかめな……

   ってこれ、紙に描いた絵じゃねえか…!?


八五郎:【声を落として】

    ぷっ、くくく…バカだねえ、絵と本物の区別もつかねえでやんの。


泥棒:【声を落として】

   ははぁわかった。

   後からここへこういう箪笥(たんす)を置こうってんで描いたんだな。

   贅沢(ぜいたく)な事してやがるよ。

   まぁいいや、いまは現金の世の中だ。

   金庫は…って、おいおい、扉があけっぱなしじゃねえか。

   いやほんと間抜けな奴に留守番頼んだもんだよ。

   おかげでこっちは開ける手間(てま)がはぶけっ…!?

   んん?んんんんん!?


八五郎:【声を落として】

    うくくく…間抜けはてめえじゃねえか。

    それにしても先生の絵は大したもんだよ。


泥棒:【声を落として】

   んなっ、なんだこりゃあ、これも描いた絵じゃねえか!?

   も、もしかして……!

   やっぱりだ。あれも、これも、みんなそうだよ。

   猫はあそこでずーっとあくびしっぱなしだし。

   なに…タマ?ふざけんな。

   鉄瓶(てつびん)の湯気(ゆげ)も固まってるもんな。

   家財道具(かざいどうぐ)が全部絵って…どうなってんだ!?


八五郎:【声を落として】

    ~~っくくくく…やぁっと気づきやがったよ…。

    さすがにこれで退散(たいさん)するか…?


泥棒:【声を落として】

   てことは、この寝てる野郎が描いたのかな…?

   いや、入る前から寝てやがったぞ。

   もしやこいつも絵…じゃないな、息してるな。

   あ、そうか…わかったぞ。

   こいつ、家財道具(かざいどうぐ)が何もねえから絵に描いて、

   物があるつもりになってやがるんだな。

   とんだ間抜けな家に入って来ちまったもんだよ…!


八五郎:【声を落として】

    描いたのは俺じゃねえけどな…。


泥棒:とはいえ、俺も長年(ながねん)の泥棒稼業(どろぼうかぎょう)だ。

   何にもねえからって手ぶらで帰ったんじゃ、

   ご先祖の石川五右衛門(いしかわごえもん)様に対して申し訳が立たねえ。


八五郎:【声を落として】

    おや、何だか風向きが変わったか…?


泥棒:【声を落として】

   ようし、この野郎があるつもりになってるんだったら、

   こっちもひとつ、盗んだつもりになってやろうじゃねえか。


八五郎:【声を落として】

    おいおい、さっきよりおもしれえ事になって来たぞ…。


泥棒:【声を落として】

   さぁこうなったら、

   まずは箪笥(たんす)の一番下の引き出しをスーッと開けたつもり。

   大きな風呂敷(ふろしき)が入っていたつもり。

   こいつをバッと開いて広げたつもり。

   その上の引き出しをスーッと開けたつもり。

   博多帯(はかたおび)や西陣(にしじん)の帯(おび)とかがたくさん入っていたつもり、

   こいつをぜんぶ風呂敷(ふろしき)に入れたつもり、いちばん上の引き出しを

   スーッと開けたつもり。大島(おおしま)の着物がたくさん入っていたつもり、

   これをぜんぶ風呂敷(ふろしき)へ入れたつもり!

   

八五郎:【声を落として】

    ぷぷぷっ…盗んだつもりたぁ、この泥棒もなかなか粋(いき)だね。


泥棒:【声を落として】

   ようし、お次はこの金庫の中の札束を、

   懐(ふところ)に一億五千万円ばかし捻(ね)じ込んだつもり!

   ついでにその上の大理石の置時計を風呂敷(ふろしき)へ乗せたつもり!

   風呂敷(ふろしき)をゆわえたつもり!

   ぃよいしょッ、と背負(しょ)ったつもり!

   んッ…!んんッ…とっとっ…!

   重くて持ち上がらないつもり…ッ!


八五郎:【声を落として】

    ぶっ…くっくっくっ、ははは…!

    間抜けな泥棒が入ってきやがったもんだよ…!

    つもりだつもりだってさ…!


    ん?ちょっと待てよ。

    たしか先生に描いてもらった時、

    金庫の中の札束は八千万だったはずだ。

    そうだ、八千万しか入れてねえんだよ。

    なのにいま聞いたらあの野郎、一億五千万っつったよな…。

    おいおいずいぶん持って行きやがるなちきしょう。

    つもりとはいえ、そんなに持って行かれてたまるかってんだよ、

    この野郎。


    よォし、こうなりゃ向こうが盗んでいくつもりになってんなら、

    こっちもひとつ、つもりになって脅(おど)かしてやろうじゃねえか。


    【ここから普通に】

    バッと絹布(けんぷ)の夜具(やぐ)をはねのけたつもり!

    起き上がると脱ぎっぱなしになっている仙台平(せんだいひら)の袴(はかま)をはいたつも

    り!

    細紐(ほそひも)でもってたすき十字に綾(あや)なしたつもり!

    手拭(てぬぐ)いでもって後ろ鉢巻(はちま)きにしたつもり!

    長押(なげし)にかかっている槍をとって鞘(さや)を払い、りゅうりゅうとしごい

    たつもり!

    泥棒の脇腹(わきばら)目がけて、ブスーッと突いたつもり!!


泥棒:!!

   あたたたっ!!

   と、突かれたつもり…!


八五郎:ぐいぐいぐいッ!

    と、えぐったつもり!


泥棒:だくだくっ、と血が出たつもり…!




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


柳家喜多八

柳家一琴



※用語解説


・店賃(たなちん)

家賃の事。


・とらや

和菓子の超老舗(ちょうしにせ)。


・欅(けやき)の如鱗杢(じょりんもく)

稀に発生する魚の鱗のような模様の杢(もく)で、

別名、魚鱗杢(ぎょりんもく)とも。

2024年の価格は1㎥あたりざっと59000円也。


※上方だと、「書割盗人(かきわりぬすっと)」という演目になります。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。