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#1 「カレー」


 ――――配信開始



「……ども」



【どうも】

【どうも】

【どもども】

【こんばんは~】

【ど~も~】



 デスク上のパソコン用マウスを何度かクリックし、画面に必要なものを表示させる。


「雑談で配信枠とったけど、話題思いついてないので取り敢えず弾きながら考えます」



【雑談とは】

【雑談(演奏)】

【男なら黙って音で語れ】

【女の子だぞ】

【声低すぎて男でも違和感あんまりない】

【イケメンボイスだな】



 ギターのストラップを肩に掛ける。

 胡座をかいた足の上にギターを下ろし、チューニングをしながら鼻歌を歌う。


「――――」


 ペグを少しだけ回し、弦を弾く。

 数分ほどそれを繰り返した後、「……ふぅ」と息を吐く。


「オリジナルを適当に」


 それだけ告げ、演奏を始める。



【いい】

【落ち着く】

【コーヒーと合う】

【夜に合う曲】

【歌詞はネガティヴ系だけど良い感じ】

【ボーカルのない歌詞付きの曲】



 演奏中の曲はオリジナル。

 作詞・作曲者は

 歌詞はあるのにボーカルがいない曲を作り続ける個人動画投稿者兼配信者である。

 インターネット上で有名なボーカリストがカバーで歌うことはあっても、大元のオリジナルには一切歌い方など無く、

 カバーする人によって曲そのものが違うものに聴こえる。



「――――続けていくよ」



 次の曲をそのまま弾き始める。

 先程の穏やかな曲調から明るく、テンポも速い。

 緩やかなところから徐々にアップしていく選曲をするのがこの配信でのやり方だ。



 曲名は〘明日から外に出る〙。

 面倒くさがりが今日はやる気出ないから明日からやるよという怠惰な部分を綴った曲。

 自分の中にいる怠けた者としっかり者が衝突し、最終的に和解するといった擬人化表現を取り入れたものだ。


(俺はほとんど外に出ないから、こいつは偉いな)


 自身の作った曲中に登場する人物を褒める。



【わかるわあ】

【仕方ねえなあ感】

【毎日こんな感じ】

【共感性ある】

【歌ってないのに表示されてる歌詞が聞こえてくるみたい】

【それなー】



 配信を視聴しているリスナー達は次々とコメントを書き込んでいく。

 滝のように流れるコメントの数々にそれぞれの思いの欠片が込められている。



「……すぅー、ふぅっ」


 演奏が終わり、深呼吸をする。


「さて、今日はさっき作った晩御飯の話でもしようか」


 彼女は薄く微笑みながら語り始めた。







 ******……







 天音 在処(あまね ありか)

 それが彼、いや、彼女の名前だ。


「転生して早9年。何事も……なくはないけど過ぎ去ってしまった」


 暗い表情を浮かべて卑屈に笑う9歳の少女。

 年齢に対してあまり似つかわしくない光景である。


「前世もなかなかハードモードだったが、生まれた直後に両親が他界しているのは普通なら相当キツイよなあ」


 現在、彼女は母の妹、つまりは叔母に養ってもらっている。

 叔母は母と歳が離れているため、20代とまだまだ若い。


 ふと、時計を見ると短針が午後10時を指している。


「そろそろ準備するか」


 叔母は仕事柄、帰宅が遅い。

 おまけに家事は苦手という一人暮らしにとってわりと致命的なものを抱えている。


 昨日、彼女が明日の夕飯は何が食べたいか聞いたところ「カレーをガッツリ食べたーい」という要望があったため、

 前世流ではあるものの、カレーを用意した。


 玄関の扉の鍵が開く音が廊下から伝ってくる。

 どたばたという足音と共に「ただあーいまあ」と気の抜けた声が響く。


「おおっ! いい匂い。これはカレーだな?」


「うん」


「よく私がカレー食べたいって分かったね!」


「……昨日カレー食べたいって言ってたでしょ」


「おん?」と顎に手をあてて「ああっ!」と思い出したように手のひらを叩いた。


「ちょうど帰ってくると思って温めておいたから待ってて」


 手際よく皿に白米を盛り、鍋の蓋を取る。

 すると湯気と共に濃厚なスパイスの香りが鼻腔をくすぐる。

 溢れないように盛り合わせ、叔母の好物の福神漬を添え、テーブルへ運ぶ。


「わあ~、ありがとお~」


 少し大きめのスプーンを渡すと「いただきますっ!」カレーを口いっぱいにほおばった。


「うみゃい、うみゃい」


「落ち着いて食べなさい」


 29歳の大人が9歳の子どもに叱られるという世にも奇妙な状況。

 精神年齢で言えば39歳のため、一概に年上とも言える関係性だ。

 もちろん叔母は彼女が元男の生まれ変わりということを知らない。


「んぐ、ごくっ……ぷはーっ! 水がうまい!」


 酒を飲むような仕草で氷の入った天然水を飲み干す。


「水、注いどくよ」


「おっ、ありがとう……いやあ、ありか。いつも本当にありがとうねえ」


「ん」


 優しく頭を撫でられ、頬が緩む。


「ほんと、こんなんじゃ姉さんに顔向けできないなあ……」


 叔母はどこか遠い目をしながら、注がれた水にゆっくりと口を付ける。


「そんなこと、絶対ないよ」


「え?」


 在処は叔母が必死に働き、疲れて帰ってきたところをずっと見てきた。

 物心がつき、しっかりと意識が覚醒した頃からずっと。


「こんなに立派なお義母さんに怒るような母さんじゃない。

 もしそんなことするならゲンコツだよ」


 ぽかん、と口を開けた叔母は吹き出すように声をあげた。


「ぷっ、あは、アッハッハっ! ……あー、まさかありかからそんな言葉が出るなんてねえ?

 いやあー笑っちゃう」


 つられるように自分の言ったことに対して笑う。


 互いにひとしきり笑いあった後、カレーを食べきったところで叔母が声をかける。


「ねえ」


「ん?」


「ありかはさ、何かやりたいこととかないの?」


 突然の問いの内容に脳が少しだけ戸惑う。


「……ないよ」


「そう?」


「お義母さんこそ、私のために「私はさ」」


 在処の言葉を遮り、そのまま続ける。


「夢だったライブハウスの経営してる。これはね、学生の頃からずっと周りにも言ってたことなんだ。

 だからね、在処が気を使う必要はないんだよ」


 満面の笑みでそう言った。


「じゃあさ、やりたいことが見つからないなら、ギターとかどう?」


 思わず在処の肩が揺れる。


「インディーズ時代のお古が何本かあるんだ。今は埃被ってるけど、ちゃんとメンテナンスすればまだまだ使える」


 叔母が立ち上がり、私室とは反対側の物置部屋へ入った。

 咳をしながら「あったあった、埃すご」と何かを片手に持ち、戻ってきた。


「ぞうきんあるー?」


 椅子から下りて、洗面台の下から新品のぞうきんを取り出す。


「はい、ぞうきん」


 被った埃を大雑把に取り除いていくと、綺麗な天色が見えてきた。

 周囲に散らばった埃を掃除機で吸い上げ、空気清浄機を回す。


「……それ取りに行くなら事前に言って」


「ごめんごめん、まさかこれほどとは思わなくて」


 取ってきた本人も想定外の埃の量に驚いていた。


「でさ、どうよこれ。結構いい値段したやつなんだよー?」


(見れば分かる。これはとても初心者が使うような代物じゃない)


 天音 在処は転生者である。



 前世は男。

 男の時にやっていたことはギターボーカル。

 専門店で働きながらずっとギターを見て、触れて、弾いてきた経験が記憶にはある。


「試しに持ってみな。重いから私も少し支えるけど」


 ストラップを肩に掛け、ずっしりとした重みを肩に、腕に感じる。

 久しぶりの感覚に懐かしさすら覚えた在処は、渡されたピックで迷わず弦を弾いた。


「へ?」


 叔母の間の抜けた声が深夜のリビングに響いた。


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