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「いつまで経っても落ち着かないね、あんたらは。立派に大きくなったように見えるけどね」
「見ての通り、立派な大人になりましたよ」
ヨシキリの母、イエにアトリはふてぶてしく返した。イエは腹の底からはつらつとした笑い声を上げた。
四時通りと五時通りの間にある住宅街のはずれに、ハルガヤ家はある。築五十年以上の古い家で、子どもが五人もいるせいか一階は玩具や、本、洗濯物で溢れていた。玄関に入ってすぐに見えるキッチンの広いテーブルも、朝食のあとの皿が並べられていた。イエ・ハルガヤは看護師をしていた。ディープキャメルの髪をうしろでまとめ、逞しさと度胸と、温かな母性を持った、凛とした女性だった。ひとしきり笑うとイエはヨシキリにいいつけた。
「あんたは仕事に戻りな。怪しまれるからな」
「うん」
「しっかり気をつけてね。しっかり」
「わかってるって、母さん」
ヨシキリが家を出ようとすると、エナガは小さくあっと漏らし、ヨシキリを呼び止めた。
「ありがとう」
はじめてちゃんと聞いたエナガの声は、アトリの秘めた心の奥に触れたような声だった。非日常すぎる訳がわからない朝に、エナガの頭は追いついていなかったが、ヨシキリが手助けをしてくれたのはわかった。ヨシキリは照れたように唇を結んだ。
「いいよ。アトリは不愛想だけど、いい奴だからね」
アトリは言い返そうとしたが、ヨシキリはドアの外に出ていった。
「あの大人ぶった口ぶり、死んだ親父さんにそっくりだな」
「いい男だろう?」
わが子を自慢するイエにアトリは野暮な反論はしなかった。
「ヒック、病人を二階に。ツグミ、客間に案内してあげて」
「こっちよ、きて」
ハルガヤ家の長女、ツグミがヒクイを連れていく。階段を上がるたびに、外はねの茶色い髪が跳ねる。
「アオジはコップに水をいれて持っていってあげて。あと、タオル」
「はーい」
次男、アオジは唇を尖らせながら、キッチンへいく。
「ルリは?」
「俺は?」
一番下のルリとビタキの双子は母親のお願いごとを期待して待っている。
「ドアの前で誰か来ないか見張っていておくれ。誰か来ても絶対にドアを開けちゃ駄目だよ。母さんに知らせに来るんだ」
「わかった」
オレンジがかった茶髪のおさげのルリが手をあげる。
「わかった」
同じ髪色のビタキも真似をする。
「おろすぞ」
アトリはそっとエナガを床におろした。エナガは左足からゆっくりと床につけて立った。
「ご、ごめんなさい」
エナガは頼りないか細い声で謝った。イエがエナガにたずねる。
「あの背負われた人は、あなたの家族?持病は何かあるかい?」
「養父です。胃腸が弱いです。お医者さんからは、ストレスだといわれています。薬をいつもは常備してるんですけど、」
チャボは起きた身のまま、ケースとエナガだけを連れて家を飛び出した。あとは、昨夜運ばれて帰ってそのまま寝たため、左腕に腕時計をつけたままであった。余計なものがあっても、肝心な薬はない。
「朝はなにか食べたかい?」
イエの質問にエナガは首を振った。
「じゃあなにか胃に優しいスープを作るよ。それからわたしの働いてる診療所の先生に相談してみよう。今日、わたしが休みでよかったよ」
「色々悪い」
アトリは謝った。イエは優しく微笑んだ。
「あんたには川でおぼれたヨシキリを助けて貰った恩があるからね。旦那どころか、子どもまで失うところだった。それに、迷惑かけるのが子どものころからあんたらの十八番だろう」
「昔のことはいうなよ」
アトリは罰が悪そうにする。
「ほんの最近の話じゃないか。ほら、心配だろう、病人のところに行ってあげな」
アトリはエナガを一瞥する。エナガは頷いた。ふたりが階段を上がると、踊り場でツグミとアオジとすれ違った。
「客間は一番左の部屋だよ」
ツグミがアトリに教える。
「おお」
「あ、ありがとう」
エナガも礼をいった。
「いいよ」
「いいよ」
アオジが姉の真似をする。
「あんたにいってないわよ」
「あんたにいってないわよ」
「真似しないで」
「真似しないで」
姉弟は喧嘩しながらおりて行くと、イエからキャベツと玉ねぎを切るように頼まれていた。
アトリとエナガが客間に入ると、ヒクイがベッドに横たわるチャボの額の汗を拭いていた。エナガはチャボにかけ寄る。
「おじさん」
「ちょっと眠ったようだ」
エナガはケースを置くと、ベッドそばに座り、眠るチャボの横顔を心配そうに見つめた。アトリはドアの近くの壁を背もたれにして、床に座った。ヒクイも壁に背をあずけると、やっと名乗った。
「ぼくはヒクイ・ジュニパー。便利屋だ。あっちの赤毛は弟のアトリ・ピンパーネルヒガラ兄弟で有名なつもりだけど」
ヒガラ兄弟。その呼び名をエナガは耳にしたことがあった。喫茶店店主のマダム・ヒガラの養子の兄弟。目を引く容姿と、その自由奔放さのやんちゃから、噂を少し前までどこでも誰かがしていた。
「ちなみに弟は昨日まで博物館の警備員だった」
エナガははっとした。
「もしかしておじさんがクビにした……」
こわごわとエナガはアトリを見る。アトリは腕を組んで、そっぽを向いた。
「ごめんなさい」
エナガはいたたまれず謝った。
「別にお前にクビにされたわけじゃないから」
アトリはぶっきらぼうにいって、続けた。
「それで、お前は?」
「あ、エナガ・モックオレンジといいます。十六歳です。スイバは育ての父です」
「本当の両親は?」
ヒクイがたずねる。
「母は、わたしが産まれてすぐに。父は、わたしが九歳のときに病気で。チャボおじさんと父は時間マニアで、その集会で知り合って親友になったそうです。その縁でわたしを引きとってくれて」
アトリはふうん、とあまり興味がなさそうに鼻だけで返した。
「それで、あのやばそうな奴らはなに?」
話はやっと本題に入った。