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ウォッチアウト  作者: ヒルマ・デネタ
第一章 時計の町
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1-2



 ハーリキン市には街のかたちかつ、象徴である、アナログ時計があちこちにある。時刻は七時半になろうとしていた。店であろうが、アパートであろうが、民家であろうが、外壁に時計がかけられている。それは観光客のためにと、ずいぶん昔の市長が推奨したためである。観光業で成り立っているといっても過言ではないこの街でそれに異を唱える市民はほぼいなかった。だが、アトリ・ピンパネールにとって、その時計すべてが今朝に限っては、忌々しかった。アトリはカーキのパンツのポケットに両手を突っ込み、しかめっ面で自分が住んでいるアパートがある、三時通りを不機嫌に歩いていた。

 アトリの髪は太陽の光を吸い込んだようにきらめく赤毛だった。猫毛のその髪は、マヒワに理不尽になじられるほどの艶やかな白肌によく映えた。くぼみがある重たげな瞼、その先からのびる色素の薄いガラス細工のようなおぼろげなまつ毛。その下にある瞳は、ラブラドライトを思わせた。これだけの言葉を並べればどれほどの美青年かと思われそうだが、服はしゃれっ気よりも気楽を選び、今日もハイスクール時代から着倒している首元があいた、アイボリーのよれよれのシャツと、だぼだぼのパンツ。そして、冬でも夏でも、五回は修理している黒の短ブーツしか履かなかった。やさぐれた性根のせいか、容姿と佇まいからは、憂いを濁らせつつ、愛嬌の隙があった。飾り気のない気怠さの中に、消せない華やかさがあるのもまたアトリであった。はたから見れば、そんな矛盾の魅力を持った青年であるが、アトリ自身自分の容姿については、鷲鼻気味の鼻をこっそりと気にしている。

 アトリが日時計がある中央広場に出ると、広場はいつもにまして人でごった返している。八割ぐらいが観光客である。

「サンシ橋が老朽化で近々工事じゃって」

 その中で、じいさんふたりがベンチで話していた。片方は杖を持っている。

「そうなんかい。じゃあ、工事中は遠回りせんといけんのう。最近、あちこち工事中じゃろう?生まれも育ちもここなのに、最近は難解な迷路じゃ」

「道を間違えるたびに、じじいの膝が泣いて震えるわ」

「腰もな。俺らのからだも工事中だらけだ」

 じいさん達は老いを愉快そうにした。そのすぐそばに観光客のカップルがいた。

「昨日の強盗のせいで博物館今日、休館だって」

 彼女の嘆きが耳に入り、アトリはむっとした。

「観光センターの掲示板に、未来人歴史ツアーの本数増やすってあったよ。一本目は八時から。そっちに参加しよう」

 そういって彼氏は彼女を慰める。

「けどハーリキンまできたならやっぱり博物館見たいよ」

「明日になったら開くかもしれないよ。でも、タイミングは悪かったかもね。『時間犯』が捕まったっていうし。その前にもそれ関係で逮捕された人いたでしょ」

 アトリは歩くたびに不機嫌を募らせ、十時通りの方へ大股で歩いていった。

 ハーリキン市は世界屈指の観光地である。タイムマシンを造り、タイムトラベルが可能であった時代から、過去にやってきたタイムトラベラーたちがつくった街だ。それがハーリキン市だ。このハーリキン市をつくったタイムトラベラーたちを現在の人々は「未来人」と呼んでいる。しかし、この「未来人」は今現在から見れば、「未来」の人々ではなく、「過去」の人々である。タイムトラベルが可能だった時代は、技術面でも法的にも過去の話、だった。

 十時通りのちょうど真ん中あたりに「喫茶ヤドリギ」はある。その店はアトリたちにとって、実家のような場所であり、現在はふたりにとって姉のような存在であるマヒワ・マグワートが女主人として毎日店を開けている。

 店の前に真っ赤なピックアップトラックが止まっている。アトリは思わず嫌な顔をした。血の繋がりはない兄、ヒクイ・ジュニパーの車である。荷台にはタンクやら工具やらガラクタやら積んである。ヒクイの仕事は便利屋だ。アトリは最近、ヒクイに対してなんとなく気まずさを感じていた。隠しごとがばれているような、そんな気まずさだ。アトリはふてぶてしい顔のまま、ヤドリギのドアを開ける。ドアベルが店内に涼しい音を響かせる。カウンターに座っていたヒクイは入ってきたのが弟だとわかると満面の笑みを浮かべた。

「おはよう、可哀想な弟よ。無職になってはじめての朝をお兄ちゃんが癒してやろう。朝ご飯おごってやるよ。デザートのプリンもつけていいぞ」

 アトリは舌打ちをした。

「けっ。いってくると思ったよ」

 アトリはヒクイからひとつ空けてスツールに座ると頬杖をついた。

「おはよう、アイスコーヒーでいい?」

 マヒワがたずねる。マヒワは三年前に、アトリたちの育ての親、マダム・ヒガラから店を任されている。茶緑のボブの毛先にパーマをかけ、瞳は琥珀色で光の角度で金色に輝く。ぽってりとした唇の左下にあるほくろは、グラマラスな彼女の色気に拍車をかけている。そして彼女の包み込むような優しさに惚れたハーリキンの男たちによって「女神」と呼ばれている。

「ああ。あと、玉子とハムのホットサンド。それと、」

 アトリはヒクイの方を見て、「プリン!」と吐き捨てた。ヒクイは肩をすくめ、青い目を細めてほほえんだ。ヒクイのその青い瞳は色が濃く、宝石でも例えようのない美しさであった。神秘的な瞳がはめ込まれた一重の涼しげな切れ長な目には優しさがある。薄い唇にすっと伸びた鼻。清潔感のある白いカッターシャツに、細身のパンツをさらりと着こなす。そしていつでもホールカットの茶色い革靴を愛用している。まさに、色男であった。年齢はアトリのみっつ上で、身長も十センチ高い。それはアトリがふてる理由にもよくなった。

 マヒワがコースターを敷き、アイスコーヒーを置く。

「はいどうぞ。新聞は?」

「いらねぇ!」

 マヒワが意地悪く笑う。遊ばれているのが面白くないアトリはグラスの半分までコーヒーをすすり飲んだ。

「安心しろ、アトリ。時間教が自首したおかげでお前の失態は小さくしか書いてない」

 ヒクイがからかい半分にアトリを慰める。マヒワは新聞を広げた。

「あら、中面開いたらそこそこ書いてくれてるわよ」

「うるさい!」

 アトリがグラスをカウンターに叩き置いた。

「失態なんかじゃない!運が悪かったんだ。俺がトイレいっている隙に」

 アトリの脳裏に、あのおとなしい館長が顔を真っ赤にして怒鳴り散らし、卒倒した昨日の出来事が蘇り、思わず頭を抱えた。

「時間マニアで有名な館長さんだからね、スイバさんは。仕方ないわ」

「時間、時間、時間でわけわかんねぇよ。時間マニアも時間教もうんざりだ」

「時間マニアと時間『犯』を一緒にしちゃダメよ」

 マヒワは卵をボウルにふたつ割ると溶く。

「また一個増えた」

 アトリは嘆く。

「時間教も時間犯も同じだ。呼び方が人それぞれなだけだよ。一年前の世界統合機構本部前での宣言で時間教は犯罪者になったからな」

「ああ、なんだっけ。なんとかと、なんとかと、なんとかのために?」

 うろ覚えですらなかった。

「英知と真実と学問、そして現代人の尊厳のために」

 ヒクイがそらんじる。

「覚えてんのかよ。げえっ」

「社会の出来事には興味を持った方がいい。あいつらはタイムパラドックスの答えを知りたいんだろう?それは俺も興味がある」

「いやよ、身内から世界法に違反する犯罪者が出るなんて」

 マヒワはフライパンに油をひいて溶いた玉子を落とすとかき混ぜる。

「過去に行ってみるのも悪かないかなって」

 アトリは黙ったままだった。マヒワはほほえむ。玉子はフライパンの上で音を立てる。

「そしたら昨日に戻って、アトリのクビを防いでやるよ」

「あら、名案」

「うるせぇ」

 アトリが残りのアイスコーヒーを飲んだ。

「そういえば、世界法に触れた大学の先生がいるとかで、ハーリキンに世界機構の人が調査しにきたことがあったわよね」

「そんなことあったか?」

 アトリはマヒワの話に覚えがなかった。

「時間教が出てくるより前に『反秘史党』っていう団体がいたのよ。世界本部が真の歴史を隠してるとか、なんとかで。もう解散したらしいけど、少数は時間教に流れて行ったみたい。まあ、反秘史党の名前で新聞が盛り上がってたのは、あなた達がここにくるより前の話ね」

「なんだ、大昔じゃねぇか」

 大昔という言葉にマヒワはコンロの火を強くした。

「丸焦げを食べたくなかったら、口には気を付けなさい」

「失敬、失言」

「素直でよろしい」

 マヒワが弱火に戻すと、ドアベルが鳴った。

「郵便でーす」

 アトリは目線をさげる。そこには黒い郵便鞄を提げ、八重歯を見せて人懐っこく笑うヨシキリがいた。

「あ、アトリだ」

「ヨシキリ、夏休みもバイトか?小学校の宿題は?」

「ちゃんとしてるよ。日記も毎日書いてるよ」

「偉いな。アトリは一日で描いてたから、夏休みは全部晴れだったぞ」

「いらんこというな」

「アトリは嘘をつくのが雑だからな」

 ヨシキリは笑いながら、カウンターに郵便物を置く。

「ここに置いとくね、マヒワさん」

「ありがとう、ヨシキリ」

マヒワはコンロの火を切ると、手紙を見る。そしてあっと声を漏らし、はがきをアトリ達に見せた。

「ヒガラからだわ」

 はがきには海がきれいな港町で、青いサングラスをかけ、ピースサインをしたヒガラが写っていた。はがきの端っこに一言、「南の果てから果てのない愛を込めて」とだけ書いてあった。ハートマークも忘れていない。

「相変わらず元気なばばあだな」

 呆れながらも、元気なヒガラの様子にアトリは安心した。ヒガラはアトリがハイスクールを卒業した十八歳のときに、マヒワに店を頼みバイクで世界旅行に出かけた。そろそろ帰ると、はがきを寄こしたこともあったが、結局出かけた三年前から一度もハーリキンには帰ってきていない。

「じゃあね、アトリにヒック」

「おお、車に気をつけろよー」

 アトリが手を振る。

「わかってるよ」

 ヨシキリがドアを開けると、猛スピードで白い車が走り過ぎた。ヨシキリの髪が突風になびく。アトリは振った手で頬杖をついた。

「ほら、ああいう車がいるからな。観光地ではしゃいじゃって」

 すると今度は黒い車がまた猛スピードで白い車の後ろを走り過ぎていく。

「どいつもこいつも。ああいうのがいるから、この街の治安はよくならないんだぜ」

 アトリはぼやくが、ヒクイは顔をしかめた。

「あの白い車、追いかけられているんじゃないか」

 え、とアトリはヒクイを見る。するとヨシキリが叫んだ。

「あの白い車、スイバ館長だ」

 え、とアトリはヨシキリを見る。

「本当か?」

 ヒクイが念を押すと、ヨシキリは頷いた。

「うん、白の右ハンドル。今朝も郵便届けるときに見た」

 アトリとヒクイが顔を見合わせる。ヒクイが人差し指を立てた。

「スイバ館長が逃げているんだとして、お前がそれを助けたらクビが帳消しになるかもしれない」

「なにいってんだ、お前」

 ヒクイは手を叩くとスツールからおりる。

「ひと肌脱ごう。弟が無職じゃ、兄は心もとない」

 止める暇もなく、走って店を出るヒクイをアトリは目で追う。

「行ってみたら?ホットサンドはわたしが食べておくから。帰ってきたら、また作り直してあげる」

 マヒワが楽しそうに急かす。

「アトリ、ヒックが急げって」

 ヨシキリがドアを開けたまま、アトリを待っている。アトリは舌打ちをする。

「わかったよ」

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