私のキスの、未遂(みすい)と既遂(きすい)
私とサンタさんは、コタツに入りながら、正座で母親の前に座らされていた。お説教の時間だ。ベッドでは私がサンタさんを押し倒していたような構図だったので、母親の視線は、特に私に対してきつく感じられた。母親もコタツに入りながら、向かい側で私達と対面している。
「あの、おばさん。あたし正座は苦手なんで、ちょっと足を崩していいっすか? こう見えて、あたしは西洋育ちでして」
「誰がおばさんですか、殴りますよ。私の事はお母さんと呼びなさい」
サンタさんの懇願に、仏頂面で母親が答える。小さくなったサンタさんが気の毒で、「お母さん、私からもお願い」と私が言った。サンタさんは、まだ怪我をしてるかも知れなかったし。
「……好きにしなさい」という母の許可が下りて、サンタさんが足を崩す。ついでに私も足を崩した。私は西洋育ちじゃないけど、正座とは無縁の現代っ子なので。
「あの、お母さん。あたし一回、外に出ていいっすか? ちょっと駐車場の方に、トナカイの流星号を待たせてるんで」
「まだ話は終わってません。後にしなさい」
にべもなく母親が拒絶する。「流星号……」と、悲しそうにサンタさんが俯いた。トナカイの駐車料金が気になるのかな。
「ねぇ、お母さん。説明なら何度もしたよ? 彼女がサンタさんで、私のために外国の大統領と親衛隊を殴ってきたって。確かに、ちょっと突拍子もない話だけどさ」
「その話は信じますよ。だって暗い室内で、赤く発光してましたから。普通じゃない人なんでしょう」
あぁ、信じるんだ……話が早くて助かるけど意外だなぁ。
「それは、どうでもいいんです。まだ貴女は中学生なんですよ。それを何ですか、ベッドで年上の女性を押し倒して。会ったばかりの人と、そんな事をするなんて節度を知らないんですか」
うわぁ、言い方……反抗期の私に火を点けるには、それで充分だった。
「……ねぇ、お母さん。会ったばかりの人って言うけどさ。じゃあ何年も一緒に居る、私とお母さんが何で上手くいってないか分かる? お母さんが私の悩みに向き合わないからだよ」
「……」
母親が言葉に詰まる。いい機会なので、私は不満をぶちまけてしまう事にした。
「お母さんは、いつも正しいよね。だから同性愛者の私は、お母さんに取って間違った存在なんでしょ? 日本じゃ結婚もできないもんね。そしてお母さんみたいに、同性愛者を認めない大統領が私達を弾圧してくるのよ。そんな奴をサンタさんは殴ってきてくれたの!」
これまで胸に貯めていた想いが外に出る。黙っている母親に、私は言葉を続けた。
「そりゃあサンタさんは、ちょっと間違った行動を取ったかも知れないよ? でも私の事を想って、そんな行動を起こしてくれたの。お母さんは私に、そんな事をしてくれた? いつも気にするのは世間体なんでしょ? アパートの階段を鳴らしちゃいけない、目立つ行動をしちゃいけない。私はお母さんに取って恥ずかしい存在だもんね? いつも一人で働いて、『世話をしてやってる』から何でもお母さんの言う事を聴けって言うんでしょ? 冗談じゃないわ! 自分の都合ばっかり押し付けられると思ったら大間違いよ!」
言うだけ言って、私は息が切れる。更に言葉を続けようとして、母親の顔を見て私の口は動かなくなった。母が涙を流している。これまで私は、母が泣く所を見た事が無かった。
「違う……私は貴女を、恥だなんて思ってない……」
顔を覆いながら、母親が声を震わせて泣き続ける。私は何も言えなくなって、サンタさんは私の隣でオロオロしていた。しばらく誰も何も言わなくて、結局、サンタさんが発言してくれた。
「あの……一旦、落ち着きませんか? お母さんも、ケーキや食べ物を買ってきたんでしょう? 三人で食事しながら話しましょう。あたしも腹が減ったんで、ゴチになりたいっす」
母親が買ってきたケーキは、包丁で切って分けるような、大きめの物だったので。三人で食べるには丁度よい分量だった。チキンも食べて、それでも三人分には足りなかったので、母親は追加で鍋料理を作ってくれた。
その鍋を食べながら、母は一人でお酒を飲んでいる。これも母親の泣き顔と同様、私は見た事がない姿だ。母は私の前で、酔った姿を見せた事が無かったので。
「そのお酒……今日、買ってきたの?」
「クリスマスだもの。ワインくらい、飲みたくなる時もあるわ……というか、今日は親子で話したかったのよ。お酒の力を借りないと、話せないかも知れないと思って……弱い母親ね、私」
私と母親が話してる横で、サンタさんは黙って鍋を食べている。母はサンタさんに、「貴女も飲めるでしょう?」とワインを勧めてたけど、「いやー、トナカイの流星号を待たせてるんで。あたしが酒臭いと、トナカイが嫌がるんですよ」と断られていた。トナカイの飲酒運転は危ないよね。
「見て分かる通り、私は今、酔っぱらってます。だから、これまで言えなかった事も、この際に言ってしまいましょう。そこのサンタさんも、娘と一緒に聞いてください」
「は、はい……」
コタツの向こう側に居る母親に、鍋を食べながらサンタさんが頭を下げる。私は相変わらずサンタさんの隣に居て、何を言われるんだろうと思っていた。
「……私には、難しい事は分かりません。娘から、『私は同性愛者なの』と打ち明けられた時も、何も答えを返せませんでした。それは私に取って、未知の問題でしたし。私は何一つ、娘の悩みに寄り添う事ができませんでした。今夜、娘から怒鳴られたのも当然だと思います……」
ちょっと俯きながら、母親が話している。まるで母親が叱られてるみたいで、私は居た堪れない気持ちになった。
「言い訳をさせてもらいますが……娘は私の事を、『世間体しか気にしてない』という風に言いました。でも、この国で世間体は大事です。少しでも周囲と違えば、すぐに叩かれます。私のようなシングルマザーが働くだけでも、それなりの苦労があるんです。まして同性愛者の娘が社会に出れば、私よりも苦労をするのは目に見えてます」
神妙な顔で、サンタさんが母親を見ている。私も似たような表情なんだろうな。
「そんな苦労を私は、娘にさせたくありませんでした。だから何かと口うるさくなったと思います。アパートの階段を上り下りするだけでも、慎重に行うべきだと私は言いました。大げさに聞こえるでしょうけど、そんな簡単な事の積み重ねで、社会から排除されるかどうかが決まりかねないんです。女性というのは、たぶん何処の国でも弱い立場に居ます。だからこそ将来、娘が同性のパートナーと一緒になるのなら、今から慎重に動く事の大切さを学ばせるべきだと私は思っていました……」
そうかぁ、と私は思った。母親は、私を恥だと思ってた訳じゃなかったんだなぁ。そう安心していたら、そこから母は意外な事を言い出した。
「……ですが、私は間違ってました。娘の悩みに向き合わず、ただ抑圧するだけ。そんな遣り方は独裁者の社会と同じです。社会が私の娘を尊重せずに排除しようとするのなら、そんな社会の方が間違っているのに決まっています! 社会は娘の悩みに向き合わず、娘が声を上げたとしても何の関心も払わないでしょう。そして外国の馬鹿な独裁者が、罪の無い私の娘のような存在を弾圧するんです」
そこまで言って、母親が頭を私達に下げてくる。私もサンタさんもビックリだ。
「娘に必要なのは、社会を恐れて縮こまる姿勢ではありません。希望を持って、愛する人と幸せに生きていこうとする明るさです。そんな娘を傷つける存在は、きっと世の中に多く居る事でしょう。ですから、お願いです。貴女がサンタさんだろうが何だろうが構いませんから、どうか娘を幸せに……宜しくお願い、致します」
「お母さん……」と、私が絶句する。サンタさんが「……いいんですか、お母さん。自分で言うのも何ですけど、こんな無鉄砲なあたしですぜ?」と、そう言った。頭を下げたままの姿勢で、母親が続ける。
「構いません。たとえ貴女が頭のおかしな人だろうが悪人だろうが、娘を幸せにできるのなら、それが一番です。親が娘に望むのは、ただ娘が幸せである事。それだけなんです」
そこまで言うと、母親は一旦、頭を上げて。そして私に向かって、再び頭を下げた。
「駄目な母親でごめんなさい。でも貴女は、まだ中学生です。これからも私は、色々と煩い事を言うと思います。でも、どうか私を見放さないで。いずれ貴女が自立して、私から離れていくのは分かっています。それまでは今まで通り、このアパートで私と一緒に居てください。あと少しだけ、私に母親として、貴女の世話を焼かせて……」
母は泣いているようだった。私は馬鹿みたいに、「お母さん……」としか言えない。その横でサンタさんが「お義母さん……」と呟く。何だか言葉の響きが違って聞こえて、そのサンタさんが母に声を掛けてくれた。
「……分かりました。どうか頭を上げてください、お義母さん。大丈夫です。これからお義母さんや娘さんを泣かせるような社会の不条理があったら、今回みたいに、あたしが取っちめてやりますよ! このコブシで!」
サンタさんがコタツの上に、握り拳を突き出してみせる。気に入ってるのかなぁ、そのポーズ。何でも拳で解決しようとするのは良くないと思ったけど、サンタさんの気持ちは嬉しいので私は何も言わない。
それから、ちょっとして母親はコタツで寝てしまった。あまりお酒には強くないのかも。私は母の上に毛布を掛けて、頭の下に枕を置いておいた。そうしているとサンタさんが、帰る用意を始めている。
「流星号を駐車場に待たせてるから、そろそろ、お暇するよ。またね、お嬢ちゃん」
「あの、ちょっと待って……お母さんがサンタさんに、私の事を宜しくお願いしますって言ってた件だけど。サンタさんは、私を今後も大事にしてくれるの……?」
どうせ日本では、当分の間、同性婚は実現しない。それでもというか、だからこそ、私はサンタさんに確認をしたかった。永遠の愛を誓う儀式が無い分、大好きな人と、向かい合って見つめ合いながら。『これからも、ずっと一緒だよ』と、お互いを安心させられる愛の言葉を、私は彼女と掛け合いたかった。
「もちろんだよ、お嬢ちゃん。どうも正式なサンタクロースには、あたしは向いてないみたいでね。大勢の人間に愛を届けるのは性に合わないのさ。私の愛は今後、お嬢ちゃんとお義母さんに向けさせてもらうよ」
「嬉しい……じゃあ私も、サンタさんにクリスマスプレゼントをあげるね」
そう言って私は、背が高いサンタさんを私の前で、少し屈ませた。
「私のファーストキス。ベッドでは、お母さんに邪魔されちゃったから」
私は下から、サンタさんの首の後ろに手を回して。背伸びをして、今の私に与えられる、精一杯の贈り物を彼女へと捧げた。