あたしはサンタさん。そして相棒は、流星号(りゅうせいごう)さ。
家を出たのは良いけれど、中学生の私が行ける所なんて、そんなに無い。最近はファミレスも二十四時間営業の店が少なくなったし。少なくとも近所の飲食店は、既に閉まっている時間だ。電車で遠くへ行く訳にもいかない。母親と夕飯が待ってるんだし。
結局、近くの公園のベンチで、一人で座る事にした。この公園は通り抜けができて、なかなか広い。朝になると、犬の散歩をするおじさんなどを良く見かけたものだ。私が居るのは公園の端の方で、離れた場所にある道路沿いの街灯が、ベンチの辺りをぼんやりと照らしている。
「夜の公園は変質者が居るかも知れないから、近づかないようにしなさい」と昔、母親が言ってて、だから私も公園の端のベンチに居る。危ない人が居ても、道路に近いから逃げ出す事はできる……んじゃないかなぁ。冬は寒いから、変質者も家で寝てると思いたい。
十二月だから、今夜は風も無かったけれど、それなりに寒い。もっと厚着をしてくれば良かったなぁと後悔していた。だからと言って、一旦帰って着替えてから出るという訳にも行かないだろう。馬鹿な子供の逃避行は、風邪をひく前に切り上げた方が良さそうだった。
それでも帰りたくなくて、馬鹿な私はぐずぐずしている。何をしたいんだろう、私。悩みを解決してくれる人が、迎えに来るとでも期待しているのか。こんな夜中の公園で、変質者だって家で寝ていそうな今の時期に。
「よっ、お嬢ちゃん」
背後から声を掛けられる。その人が手袋をした手で、私の口を塞ぐ。驚いたけれど、不思議と恐怖は感じなかった。声は若い女性のもので、背後から抱き締められる。温かい、と思った。
「まず第一に、あたしは変質者じゃない。後ろから近づいたのは悪かったけど、正面から行っても怖がられるんじゃないかと思ってさ」
口を塞がれたまま、私の耳元に彼女から話しかけられる。優しい声だった。このまま、ずっと聴いていたくなるような、そんな声。
「そして第二に、あたしは、お嬢ちゃんが悩んでいると知っている。ちょっとばかり、あたしは特別なんでね。だから悩みをあたしに話してごらん。今から手を外すけど、悲鳴を上げたり、逃げだしたりしないようにね? 警察沙汰は勘弁。ノーポリス、オーケー?」
私は頷いて見せた。ゆっくりと、私の口から手が離れる。私は悲鳴を上げるつもりも逃げ出す気も無くて、ただ背後に居た彼女の姿を早く見たいと思った。ところが振り返っても、誰も居ない。
「こっちだよ、こっち。ああ、まだ声は出さないでね」
いつの間にか、私の正面に彼女が居る。足音なんか全く、無かったのに。どうやって移動したのだろう。背後から抱き締められた時も、断言するけど足音なんか無くて、まるで空から彼女が音もなく降り立ったような感じだった。
「そう、そのまま静かに。いい子だね」
私は目の前の、彼女を見る。赤いライダースーツ。漫画の中のキャラクターみたいに、はっきりと体のラインが分かる。背が高くて一七〇センチくらい? 髪は染めているのか金色で、外国人の血が流れていると言われても信じそうだった。
「……あ、あの……」
貴女は誰なんですか?と聞きたかったのだけど、上手く言葉が出てこない。恰好からして暴走族の人かも知れなかったけど、その割には仲間の方々が居ない。一匹狼、という言葉が頭の中で浮かんだ。
「『誰なんですか?』という質問に答えると、あたしはサンタさんなんだ。まだ見習いだけどね。あたしもベンチ、隣に座っていいかな?」
私の心を読んだみたいに、彼女が自己紹介してくる。からかわれたのかと思ったけど、私に向けた笑顔が魅力的で、「ど、どうぞ」と答えるのが精一杯だった。嬉しそうに、彼女が私の隣に座ってくる。そしてスムーズに、私の肩に手を回してきた。
「あの……これ……ナンパ……?」
彼女に引き寄せられながら、私が何とか尋ねる。「んー、そんな下心も少しはあるかな」と笑いながら言われた。二十才くらいだろうか。ライダースーツ越しでも柔らかな胸の感触があって、私は唯々、ドキドキしている。暴走族の人なら息がタバコ臭かったりするのかと思ってたけど、そんな事は無かった。むしろ、凄く、いい匂い。
「こうやって、お嬢ちゃんと一緒にくっついてると、温かいよね。こういう温もりを、君は求めてたんじゃないかい?」
きっと私は、ナンパが上手い人から見れば、簡単な獲物なのだろう。夜の公園で、ベンチに中学生女子が一人で座っていれば、ちょっと優しい言葉を掛ければ口説き落とされてしまう孤独な存在なのだと誰でも見当が付く。
でも彼女は、私の恋愛対象が同性である事を、知っていたように思えた。足音も無く近づいて、『あたしは、お嬢ちゃんが悩んでいると知っている』と、そう言った。たぶん私は、もう彼女に心を掴まれていたのだ。背後から口を塞がれて抱き締められて、優しく話しかけられた時から、私は彼女の温かさに包まれていた。
抵抗なんか出来る訳もなくて、私はベンチで抱き寄せられながら、自称サンタさんである彼女に悩みを全て打ち明けさせられていた。私が同性愛者である事、母親と悩みを話し合えない事。そして今年から戦争を続けている外国の大統領が、同性愛者を弾圧していて、まるで私の生存権が認められないような気がして怖くなった事。そういう内容を全て。
「そうかー。話してくれて、ありがとうね、お嬢ちゃん」
「あの、ごめんなさい。泣き言ばっかり、長々と話しちゃって……」
「全然、いいよ。話すように言ったのは、あたしなんだからさ。とりあえず、今夜は帰りな。お母さんと夕飯が待ってるんだろ?」
家に父親が居ない事は話してないのに、本当に私の事を知っているようだった。サンタさんの超能力だろうか。まだ見習いって言ってたけど。
「あの……また、会えますか?」
サンタさんと、このまま別れたくなくて、縋るように私が言った。携帯電話は持ってないのかな。サンタさんは身分証明が難しくて電話を持てないのかも。
「会える、会える。具体的に言うと、クリスマスの頃にね。今日は君に、クリスマスプレゼントを渡す前の調査みたいなものだから」
「調査って……私の悩みを聞いた事?」
「そう、お嬢ちゃんの悩みを解決する事が、最高のプレゼントになるだろうからね。まあ解決とは行かないまでも、悩みを軽減できるように頑張らせてもらうよ」
「どうして……? 私のために何で、そこまでしてくれるんですか?」
良く知らないけど、サンタさんって、もっと大勢の人のために働くものではないだろうか。そんな私の内心を読んだようで、彼女が答える。
「言っただろ、あたしは見習いなんだ。だから大勢の子にプレゼントを贈る事は出来ないのさ。あたしに出来るのは精々、一人の女の子を幸せにするようベストを尽くすくらいなんだ。ちなみに君を選んだのは、単純に、あたしのタイプだったから」
そう言ってサンタさんは、正面から私をハグしてくれた。どうやら私は、このサンタさんに気に入られてしまったらしい。それは、とても嬉しい事だった。
「じゃあ、お嬢ちゃんは、早く帰りなさい。あたしは公園の向こう側に居る、流星号を拾ってから帰るから」
「流星号って、バイクですか?」
「いいや、あたしが乗ってるトナカイ。人見知りで、いっつも物陰に隠れてるんだよ。対人恐怖症な奴だから、絶対に覗こうとしないでね」
サンタさんは軽く手を振ると、私に背を向けて公園の奥へと歩いて行った。ただのホラ吹きなんだろうか。そんな事はもう、どうでも良くて、私は再会を心待ちにしながら母親の元へと帰る。彼女の傍に居る事で得られた、温かさは長く続いて、もう私は全く寒さを感じなかった。