第9話 四人
五月某日。日曜日。
午後六時十五分。
地元の駅近にある焼き肉屋に一人でやってきた奥野は、店の前に竹崎と井崎の姿を見つけると嬉しそうに口元を緩めて早足で二人のもとへ向かった。
「わ~!二人とも久しぶり!元気してた?」
「元気元気!奥野も変わらず元気そうで良かった」
井崎がそう返すと、奥野は竹崎と井崎の顔を交互に見ながら
「二人は割とよく会ってる感じ?教習所、一緒に申し込んでたもんね」
と言った。
「うん。まあ、免許はもうとったけど、割と会ってるよ」
井崎は竹崎と顔を見合わせたあと、そう答えた。
「あ、そうなんだ。もう取ったんだね。さすが」
「奥野は栄斗とどんくらい会うの?栄斗、奥野と毎日会えなくなって耐えられてる?」
「大丈夫。俺がせこせこ会いに行ってるから」
「そうなんだ。電車代めっちゃ高くつくんじゃない?」
「んー…電車代は二人でお金出して定期買ったからいいんだけど。時間かかるのがちと疲れる」
奥野がちょっと口を尖らせてそう言うと、井崎は苦笑して「遠いよなあ」と言った。しかし奥野はすぐにヘラっと笑って…
「まあ、でも、俺が着いたら栄斗がすぐお茶とか入れてくれるし。俺が来るまでにご飯作ってくれてたり」
「マジ?意外にいい夫じゃん」
奥野の言葉に井崎は目を丸くしてそう言うと、それからふと思いたったように
「…そういえば、二人は大学で彼氏いること話してんの?」
と言った。
奥野はゆっくり首を横に振った。
「ううん。春休みに話し合って二人とも彼女がいることにしようってなった。俺は特に仲良くなった友達とかには話してもいいかなって思ってたけど、栄斗に俺がゲイってことは誰にもバレるなって言われて」
「あー…そっか。高校のときと違って栄斗が男除けできないもんな」
「俺が浮気すると思ってんだよ」
奥野が少しいじけた表情と声でそう言うと、井崎は奥野の肩をトントンと優しく叩いて
「奥野が可愛くって心配なんだよ。ちょっと窮屈かもだけど、あんまり怒んないであげて」
と言った。
その直後、ずっと二人の話を聞いているだけだった竹崎が小さめの声で「…でも、植村は彼氏いるって大学でも普通に言いそうなのに」と言うと、二人は同時に竹崎を見た。
「それは…俺が言わないでって言ったから」
奥野がそう言うと井崎はすぐに「なんで?」と返し、すると奥野はどこか空虚な目をして考えたあと
「…そりゃさ、栄斗が人目なんて気にせず堂々と俺と付き合ってくれたらめっちゃ嬉しいよ。でも、栄斗の黒歴史にはなりたくないなって」
と答えた。
井崎はぽかんという表情で奥野の顔を見つめた。それから遠慮がちに「え…黒歴史って?」とまた尋ねた。すると…
「…だって栄斗はもともと、こっち側の人間じゃないもん。いつか栄斗が本気で好きになれる女の子と出会ったときにさ、俺とのことって栄斗にとってはきっと隠したい過去になるでしょ?だから俺との関係は、言わなくて済む相手には言わなくていいの。過去を完全に消し去るなんてできないけど、ちょっとでも上書きしやすいように」
奥野は駅の方を見やりながらそう言った。それから井崎と竹崎の方に視線を戻すとニコッと笑って
「そうすればさ、いつか栄斗と別れることになったとき、二人で会うことはできなくてもこうして四人で集まって遊んだりすることはできるかなって」
と付け加えた。
奥野の思いを聞いた井崎と竹崎は、互いに顔を見合わせたりしなかったが、同じように戸惑った表情で少し首を傾げていた。
「んー…栄斗が聞いたら怒るぞー?」
「だよねえ。こんなこと、今の栄斗には絶対に言えないじゃん?だから、彼氏ってバレると栄斗の大学に遊びに行きにくいからって理由つけて、大学では俺のこと秘密にしておいてもらったの。ちょっとムリヤリだけどさ」
「そうなんだ…。なんていうか、無責任なこと言うのは良くないけど…俺には、栄斗が奥野じゃない誰かを好きになるとは思えないけどなあ」
そう言った井崎の声にはいつものハリがなく、落ち込んでいるように聞こえた。しかし…
「まあ…今は本人もそう思ってるかも。けど、栄斗がこれから進む道にはずっとさ、頭が良くて綺麗な…江藤さんみたいな女の子がいるはず。今、栄斗が通ってる大学だってそう。それなのに、もともと男を好きじゃない栄斗が俺のことずっと好きでいてくれるなんてさ、あったとしたら奇跡だよ」
そう言った奥野の声は妙に明るく、井崎と竹崎は心配そうな目で奥野を見ていた。そして、その直後、駅の方から植村が歩いてくることに気がついた奥野は、植村に向かって笑顔で大きく手を振った。
焼き肉屋の店内は六時半時点でもう満席状態だった。四人は予約時間通りに四人掛けのテーブル席に案内されると、奥野と植村が隣同士に座り、植村の前に井崎、奥野の前に竹崎が座った。各テーブル間の仕切りは結構しっかりしていて、前後のテーブルにいる客の顔はまったく見えない。また店内は人の声や食器の音、肉を焼く音などで騒がしいため、他人に話を聞かれることもなく気楽に話ができそうだった。
「そういや二人、もう免許取ったの」
席に着くなり植村がそう言うと、井崎が「取ったよ。先月」と答えた。
「ふうん。いいな」
「だから誘ったのに」
井崎がそう言うと、植村は横目で奥野を見て「だって幸太が…」と言った。
「俺は別に、三人でどうぞって言ったじゃん」
奥野の言葉に植村が不満気な表情で「そうだけど…」と言うと、井崎は苦笑して
「奥野を一人で免許合宿に行かせたくなかったんだよな〜」
と言った。
…井崎と竹崎が一緒に自動車学校に行こうと決めたのは高三の終わり頃だった。そして二人は植村と奥野にも声をかけたのだが、奥野だけが乗り気でなかった。曰く『この四人で一緒に教習所通って、俺だけ苦戦する可能性考えると…』というワケである。植村は早く免許が欲しかったが、奥野が大学生のうちに免許合宿に参加するつもりだというのを知って、すぐの免許取得を諦めたのだった。
「合宿、いつ行くか決めてんの」
竹崎がそう聞くと植村は、んーと言って首を捻る奥野の顔をじっと見つめた。そして…
「今年はまだいいかな。そんな急いで免許欲しいと思わないんだよね。いつかは欲しいけど」
「いつかっていつだよ。俺、出来るだけ早く免許とりたいんだけど」
「んー…じゃ、来年の春休みとかにする?」
奥野がそう言うと、植村はこくりと頷いた。…そして、井崎が頬杖をついて二人を見ながら「仲良しだな〜」と言うと、植村は井崎と竹崎を一瞬だけじっと見つめたあと
「選と竹崎は、今日久しぶりに会ったのか?」
と尋ねた。
「ん?いや、まったく久しぶりではない」
井崎がそう言うと、奥野は「割と会ってるって言ってたよね」と言った。…すると井崎は
「うん。それで…なんで会ってるかなんだけど…」
と言いながら竹崎と顔を見合わせ、奥野と植村は目を丸くして二人のことを見た。
「…え、何?」
奥野がそう言ったとき。店員がオーダーをとりにきたので四人はちょっと変な空気のまま慌ててメニューを開いた。二種類ある食べ放題のうち値段が安い方を選んだ四人は、とりあえず定番のカルビやハラミなど、五種類の肉と野菜セットを注文した。
それから店員が去っていくと、奥野と植村はすぐに井崎と竹崎を見た。そして漸く…
「えっと…実は俺ら、いっしょに会社つくることにしました!」
井崎がそう告げると、竹崎はその言葉に小さく頷き、奥野は目を大きく開いて「えっ…!」と驚きの声を上げた。
「えっ、会社…って、なんの?」
「ウェブコミックの」
「えー!そうなんだ!すごい!えっ、なんでそういうことになったの?」
「まあ…俺はもともと起業とかちょっと興味あって。具体的にどういう会社つくりたいとかってなかったんだけど、とりあえず今の自分にもできそうなことをやってみようと思って、いろいろ考えた結果です」
「そっかあ。じゃ、竹崎は井崎に誘われてってこと?」
井崎の話を聞いて奥野がそう言うと、竹崎は頷いて
「春休みに。深刻な顔して何事かと思った」
と言い、すると井崎はちょっと恥ずかしそうに「そりゃ緊張するよ!」と言った。
「いいね、いいね。きっとうまくいくよ。二人は俺が知る限りで最強のコンビだもん」
奥野は嬉しそうな顔で二人を見ながらそう言った。そして、その横で植村はさっきからずっと、なにか観察するような目で井崎のことを見ていた。