渇き者
「ねえ、この文字に見覚えは無いかな?」
「え…誰ですかあなた…」
「…」
やっぱり聞き込みを選んだのは失敗だったかな…。
そりゃそうか。ただでさえ危険な世の中に変貌した中で知らない人に話しかけられるのはそりゃ怖いだろうし。
でも誰かしら目撃者がいるかもしれないし、ここは警戒されても聞き込みを続けるほかないだろうと考えた。
そうと決まれば聞き込み再開だ。
「知らん」
「分からん」
「誰」
…この3つしか出てこない。そろそろ心折れそう。
うーん、やっぱりそれだけ目撃者がいないということか。
どこまでも謎に包まれた文字だ…。
けど、そんなところがボクの探究心に火をつけてくる。
是非ともボクの手で解明してやりたいところではあるけど…。
ここまで情報が集まらないと解明も何も無い。
いよいよ手詰まりだろうか…?
とりあえず、ここ数時間の調査結果を椿に報告しよう。
トランシーバーの電源を入れ、音量を調整してチャンネルを合わせる。
ザザッと雑音が入れば通信の準備は完了だ。
送信ボタンを押しながら、トランシーバーに向けて話す。
「こちらヒヨリこちらヒヨリ。もしもし、聞こえてるかな?椿。どうぞ」
…ちゃんと椿に届いてるかな?
多分これ古いタイプだし、壊れてたら話にならないのだけど…。
「こち……ばき。ちょ…雑音……りますけ…一応聞こ……ます……うぞ」
あまり間を空けずに椿から返答が来た。
ちゃんと届いていたようで安心したけど…。
…だいぶ雑音ひどいなこれ。
「確かに雑音がちょっとひどいけど…まあ許容範囲だ。このままつづけるよ?椿。どうぞ」
かなりやりづらくはあるけど…仕方ないしこのまま続けよう。
「分か……した…どう…」
「こっちは今探すのを終わらせた所なんだけど、なんも手がかりは無しだった。そっちはどうだったかな?どうぞ」
「私……は一…手……りが……か……した……真の裏………てあっ……。と同……片を……けた…で…………ぞ」
…かなり雑音ひどいなこれ。なにひとつ分からないし。
「えっと、ごめんもう一回いいかな?どうぞ」
この辺だと電波が届きにくいのかな?
ちょっと移動しながら通信してみることにしよう。
「…ふむ、あの文字と同じ文字が書いてある紙片。やはりあの写真に写ってた場所と関係があったのかな?どうぞ」
「はい、あ…写真に写…てた建物の中から見つ…ました。恐ら…関係はある…でしょうけど、今のとこ…その関連性は分か…ません。どうぞ」
あれから通信は安定して聴きやすくなっていた。
しかし…そうか、この世にあの文字と同じ言語が存在したという事はボクたちにとっても大きな手がかりだろう。
少なくとも、写真の裏に文字を書いた人物のオリジナル文字ではないことは明らかになったのだから。
「それじゃあボクもその紙片を見たいから、ここらで探索は切り上げよう。あとで帰ったら情報の交換をしよう。どうぞ」
「分かり…した。ではま…後でお願い…ます。どうぞ」
「了解。以上」
通信を切る。
しかし、彼女の故郷はどこまでも謎に包まれてることを再実感した。
前々から怪しんでいたけど…今回のことでその疑いは更に濃くなった。
…やはりもう一度、ちゃんと調べてみるべきか。
そもそも彼女にも関係があるのか…そこも知りたい要素だ。
これからも目を離さずにいよう。
「───ッ…!!!」
遠くの方で猛獣の様な雄叫びが聞こえてくる。
…異形種が動き始めた。
今日は能力の準備もしてこなかったし、ここで鉢合わせてしまうのは非常に厄介だ。
持ってるのは護身用の小さなナイフだけ…。
種類にもよるけど、これでアレと戦うのは現実的じゃない。
ここはなるべく見つからない様に戻るほかない。
ボクはすぐ近くの路地裏に入り、壁にぴったりと背を付けた。
足音はなるべく立たせないように、ゆっくりと踏み込み歩く。
路地裏から外の方を少し覗き見てみる。
…いる、小型サイズの異形種。
アレくらいなら護身用ナイフで太刀打ちできないこともないが…。
そもそも、ボクの体力は人類最低レベルだ。
そんなボクが異形種の身体能力の高さに着いていけるわけがない。
もちろん最初は逃げ惑うことくらいはできるだろう。
でもそんな人類最低レベルの体力はすぐに底を尽き。
体力の枯渇によって動けなくなったボクを…。
異形種がじっくりと痛ぶるのがオチだ。
…やはりここは絶対に見つからないようにするしかないか。
こういう時のために、非常用ルートを作っておいて良かった。
この道順であれば相当の例外が起こらない限り安全に戻れる。
着実に安全地帯まで近づいてる感覚がする中。
「あ────ッ!!!」
…遠くの方で男性の悲鳴が聞こえてくる。
恐らくあの異形種に襲われたのだろう。
「嫌だ─ッ!!助けて…誰か助け…ッ!!」
彼の悲鳴が、ボクの耳をつん裂く。
嫌だ嫌だと、何度も叫んでいる。
助けてと、見知らぬ誰かに呼びかけている。
…心が痛む。痛む、が…。
ボクは自分より他人を優先するほど、お人好しでもない。
そもそも、ここでボクが助けに入ったところで…。
ボクも殺され、彼も殺されるのがオチだ。
どちらも助かる方法なんて無い。
どちらかが助かる道しかない。
…助かるのは、安全な道で隠れながら行動しているボクの方だ。
不運にも異形種に見つかった彼は、多分もう助からない。
異形種は一度獲物を見つけたら、完全に見失うまで対象を追い続ける。
けど、逃げ切るなんてことは無理だ。
異形種の身体能力はボクたち人間を大きく上回っている。
故に、彼の命はもって1分…いや、1分も無いだろう。
そんな短い時間の中で、ボクにできることは何も無い。
ただこうして───。
「嫌だ…死にたくない…死にたく…なッ……」
見捨てることしか。
…辺りはすっかり静かになった。
先ほどまでの騒々しさが嘘だったように。
異形種も一時的な欲求を満たしたおかげか、どこかへ消えていった。
つまり、もう路地裏に入っている必要は無い、のだが…。
ボクはまだ壁に背を付けて歩いている。
自分でも、もうこうする必要は無いことは分かっている…。
…分かっているのだけど。
「……ごめん」
そんな言葉を、思わず漏らした。
ボクが壁から背を離せないのは。
彼を助けられなかったことに対する後ろめたさからなのだろうか。
…別にそんな感情を抱く必要は無い、無いはずだ。
だって、彼は顔も名前も知らない…声しか知らない人物にすぎない。
だから、ボクに彼を助ける理由なんてどこにも…。
…不意に、頭の中に椿の姿が映った。
───そうか。
「別に、理由なんていらないのか…」
ボソッと、そう呟いた。
呆れたように、あるいは感心したように。
喉から無理に絞り出したかのような声でそう呟いた。
でも、そう分かっていても。
「…ボクはキミにはなれない」
見慣れた建物だ。
天にも届きそうなほど、大きなビル。
その中のエレベーターで、特定の階のボタンを複数押す。
すると、本来ここには無いはずの地下へとエレベーターは降りていく。
体感で1分ほど経つとようやく着き、扉が開く。
蛍光灯で照らされた通路を歩くと、強固そうな扉がそこにある。
隣に設置されているキーパッドに、8桁のパスワードを入力する。
パスワードが一致し認証されれば、この強固そうな扉は開いてくれる。
中はLEDで眩しいほど照らされている。
白い壁や床に反射して、余計に眩しく感じる。
でも、今はこの眩しさすら何故だか心地が良い。
光に包まれるような、そんな安心感が───。
「ヒヨリちゃん?」
聴き慣れた男の声がし、ボクは正常な意識を取り戻した。
気付くと、そこにいたのは楓だった。
「ちょっ、帰ってきてたんなら言ってよ?ていうか、なんかぼーっとしてたっぽいけど大丈夫?疲れたん?」
やはりそうか、直近の記憶がはっきりしないのは。
「うん…いや、大丈夫…だと思う。ごめんね、心配させて」
「あんま無理せんといてよ?なんかコーヒーでも淹れようか?」
「いやいや、自分で淹れるから大丈夫!楓も休んでて?」
「そう?まあ俺も今日はちょっと疲れたしなあ…でも、なんか手借りたいときはいつでも助けになるからさ。遠慮なく言って?」
「…分かったよ、ボクが寿命で尽きるときにでも頼ろうかな」
楓はボクの返答を聞いて大きく笑った。
相変わらず明るいんだな、この人は。
昔の友人とも…ちょっと重なるところがあるかも。
「ああそうそう。そういえばちょっとヒヨリちゃんに紹介したい人がいるんだけど、ええかな?」
「…まさかまた」
「あ、分かっちゃった?」
分かるも何も、これで何回目なのやら…。
「ほら、自己紹介自己紹介」
「いや別に律儀にやる必要も…」
奥の方から見知らぬ女性の声がする。
やっぱりまた人を連れてきたんだ…。
困ってる人を見境なく助けるその精神。
それ自体は素晴らしいけど、楓の場合見境がなさすぎるというか…。
「わ、分かったって!やればいいんでしょ!」
彼女は楓のしつこさに痺れを切らしたらしい。
うん、分かるよその気持ち。
「え、えーっと…は、初めまして…?」
奥から暗い緑色の髪の毛をした女性が出てきた。
髪は腰まで届くくらい長く、細かく跳ね癖が付いている。
服は大きめのパーカーに丈の合わないジーパン。
配色はどれも地味で、あまりオシャレとは言えないファッションだ。
なんとなく、見た目で人間性が分かりやすいタイプかもしれない。
でも、悪い人ではないことは確かだった。
「初めまして。ボクはヒヨリ、気軽にヒヨリって呼んでいいよ」
相手に警戒されないよう、接しやすく優しい声で話しかけた。
「えっと、緑川皐月…です」
「皐月か…素敵な名前だね」
「初めて言われたそんなの…」
“皐月”と名乗る彼女は、困ったような顔をして控えめに笑った。
会話は難なくできるが、得意というわけではなさそうだ。
多分、ちょっと不器用な人なのかもしれない。
「じゃあ、仲良しの印として握手しよう。握手」
「あ、握手?」
「だめかな?」
「いやだめじゃないけど…まあいいよ、分かった…」
…“仲良しの印”。半分本当で半分嘘だ。
お互いの手を合わせて握る。
皐月の手はちょっと乾燥気味でカサカサしている。
今すぐにでもハンドクリームを塗ってあげたいけど…。
今はそれが目的じゃない。
この“握手”という行動。
これにはちゃんとした意味がある。
「…よし。これでボクたちは仲間だ、よろしくね?皐月」
「あーうん、よろしく…ヒヨリさん」
さて、これで相手の身体に触れられたわけだけど。
皐月が持っている能力は…。
能力、は…?
「…皐月。キミ、能力は…?」