ベッドタウン
あれからどれくらい歩いただろうか。
もう数時間ほど街の中を歩いていることは明らかなのだが。
一向に彼の言う“職場”には着かない。
途中には比較的小さめのバケモノも何体か出てくるし。
その度に楓さんがバケモノを容赦なくぺちゃんこにするから気分悪くなって来たし。
もう精神的にも身体的にも限界を迎えそうになっている。
ただでさえ十分に食事をとれていないというのに。
このままじゃ倒れてしまうのも時間の問題だ。
「ねえ、楓さん……まだ着かないの……」
私は息を切らした声で改めて確認を取った。
「もーちょっとかな。無理そうなら俺がおんぶでもしようか?」
「それは嫌……」
この歳になっておんぶされるというのは正直キツい。
そんな恥をかくくらいなら倒れてでも進んだ方がマシだ。
「何や、お姫様抱っこの方が良かった?」
「…」
もっと嫌だ。
「いや冗談だって〜!そんな顔せんといて〜?」
楓さんは私の顔を見ながら大きな声で笑った。
数時間歩いた割にはまだまだ元気らしい。
こっちはもう言い返す体力すら無いというのに。
これが関西のコミュ力というものだろうか。
いや、というよりこれはただ私をからかっているだけか。
だってまだ私の顔を見ながらにやにやしてるし。
なんかもう嫌になってきたな、この人のこと。
「と、皐月ちゃん。いい知らせだ!」
「え…?」
楓さんは急に声を張り上げた。
「着いたよ、俺たちの職場及び家!」
私はそれを聞いて落としていた目線を上げた。
するとそこには、ただの大きなオフィスビルが建っているだけだった。
「…えっと、本当の…職場?」
もしかして私たちは出社しに来たのだろうか。
確かに生活出来るくらいのスペースはあるだろうが、にしたってここに住むというのは…。
「あーちゃうちゃう、ここじゃなくてな…」
楓さんはずんずんとビルの中へ入っていった。
私は辛うじて残っている体力を使ってその後ろを着いて行った。
広いフロントの中を歩き、着いたのはエレベーターの前。
楓さんはボタンを押し、この階に止まるのを待った。
「どこ行くんですか…」
「ん?まあ見てなって」
現在の階層表示を見ながら待つ。
そこで私はある違和感に気付いた。
何故エレベーターが動いているのか。
あの出来事があって以来、どこにも電気は通っていないはず。
自宅も、他の家も、建物も、どこも電気は点かなかった。
だけどこのビル内は電灯まで全て点いている。
影になる箇所が見当たらないほど、隅々まで照らされていた。
キョロキョロと辺りを見渡していると、エレベーターがチンと音を鳴らし、ゆっくりと扉を開けた。
やはりちゃんと動いているようだ。
私たち二人は同時に中へ乗り込んだ。
階数は30階まである様で、ボタンが見たことないほどにたくさん並んでいた。
すると楓さんはその階数ボタンを慣れた手つきで複数個押していく。
2階、3階、5階、7階、11階と…。
目で追えたのはそこまでだった。
「何してるんですか」
「うーん、儀式?」
「儀式って…これどこに行くつもりで」
私が言葉を言い切る前に、エレベーターはガタンと大きな揺れを出し動き始めた。
突然の動きに私の心臓はバクバクと鼓動を早めた。
エレベーター内の大きな揺れっていうのはかなり心臓に悪い。
「何これ…どこに向かってるの…」
訳の分からない状況に不安が募る。
「まあそう怖がらないで?ただ地下に向かってるだけだからさ」
「ち、地下?」
「そ。もうちょっとかかるから、リラックスしてな?」
楓さんは壁に寄りかかり、口笛を吹き始めた。
明らかにリラックスしている様だが、私にはどうにも真似できない。
今になって、着いて行くべきじゃなかったかもしれないという後悔の念が生まれ始めた。
私の頭の中は無数の帰りたいでいっぱいになっている。
───体感で1分ほど経った頃。
ようやくエレベーターはチンと音を鳴らし、動きを止めた。
扉が開く。
すると最初に見えたのは、真っ白な広い通路だった。
パッと見15mほどある通路の向こうには大きな扉が見える。
照明は今の時代には珍しい蛍光灯で、少し薄暗い印象を受けた。
楓さんはその通路を大きな歩幅で進んでいく。
私はまたその後ろを速足で着いていく。
扉の前に着いてみると、向こう側からは見えなかったキーパッドが設置されていた。
どうやらパスワード式で開く扉らしい。
随分とセキュリティの頑丈な扉だなと思っていると、楓さんはまたもや慣れた手つきでキーパッドの番号を押していく。
その動きは速すぎるがために何番を押していったのか全く目では追えなかった。
一通り入力したあとエンターを押すと、ピーという甲高い音が鳴り、扉がゆっくりと重々しく開いた。
そこには一面純白で広い空間が広がっていた。
照明は蛍光灯などではなく、LEDの様だった。
LEDの強い光が部屋の真っ白な壁や床で反射を繰り返し、キラキラと輝いているように見える。
私は眩しくて思わず目を背けた。
その光に慣れるまでは時間を有しそうだった。
目がこの明るさに慣れると、ようやくその部屋の全貌が見れるようになった。
すると、そこはロビーの様な場所で受付のようなものが立ち並んでおり、ソファが整えて置かれていた。
その光景はどこかで見たことがある。
「…病院?」
そう、病院。
病院の様な…そんな雰囲気を何となく感じた。
この独特の空気感はどことなく病院を連想させる。
「病院かあ、確かにそんな様にも見えるかな〜。そういや俺の地元にもこんくらい広い病院があってその頃は…」
楓さんは話しながら一切の抵抗も無く部屋の中へ入っていく。
なんか長い話してるみたいだけど、正直この状況下だとそんな話は一切入ってこない。
実際、私は未だに入るのを躊躇っている。
「ん?ほら、行くよ皐月ちゃん」
彼はこちらを振り返り、早く出る様に促す手振りをした。
目の前の異様な空間に若干の抵抗を感じるが、来てしまった以上出る以外の選択肢は無い。
というか、帰るにしても帰り方が分からないし。
私はゆっくりと、恐る恐る足を踏み入れる。
「お、お邪魔しま〜す…」
そこには誰もいないのに、思わず挨拶をしてしまった。
「邪魔するんやったら帰って〜」
「…」
関西の人の定番な言葉を聞いて少しイラッと来た。
帰れるんだったら帰りたいよ、帰らせてほしい。
それにしても、少し入っただけで分かるこの空気の綺麗さ。
換気がしっかりされてるというか、外気の匂いがするというか。
でも外の空気ほど汚い感じはしないというか。
とにかく、地下とは思えないほどの過ごしやすさではあった。
そんな不思議な感覚をじっくり味わっていると。
「おい!」
楓さんとも違う男の声が空間中に響き渡った。
声のする方向にいたのは、髪の毛のボサボサな青年。
着ているシャツもシワだらけでどこかだらしない印象を受ける。
眉間にシワが寄っており、私からは目つきが悪い様に見えた。
容姿からして多分、中学三年生か高校一年生くらいだろうか?
どちらにせよ、私より歳下であることには変わりなさそうだった。
「お、木場くん!もう起きてた?」
「もうって…今15時過ぎなんだけど?」
“木場”と呼ばれるその人は、歳上であろう楓さんに高圧的な態度で喋りかけている。
「いやあ、だって木場くん最近昼夜逆転してるでしょ?」
「だからって15時過ぎまで寝てるわけないだろ!そんなことよりさあ…」
彼は私の方へ目線を向け、私のことを睨みつけてきた。
「…」
「えっと…何か?」
「これ以上人を増やすなよ!過ごしづらくて仕方ないだろ!」
彼は楓さんに目線を直し、怒号を浴びせた。
「いやあ、この子困ってたしさ。困ったときはお互い様って言うじゃない?やっぱここ、どこよりも安全だし」
「ふざけんな!そいつにここのこと広められたらどうすんだよ!これ以上人が増えられたら困るんだよ!」
彼の怒りは未だに収まりを知らない。
それどころかどんどんヒートアップしていく。
どうやら私が来たことをよく思っていない様だ。
「…その、私お邪魔かな」
心配になって楓さんに囁くような小声で聞いた。
すると楓さんは私に向かってウインクを飛ばした。
大丈夫…ってことなんだろうか…。
「まあまあ、そういう時は考え方を変えてみ?」
楓さんは彼を宥めるように喋りかけた。
「考え方?」
「そ。まあ人が増えたらそりゃ騒がしくもなるし、備蓄もその分減るかもしれないけど。人が増えたらその分生きる確率も上がるとは思わない?ここは能力持ちの人が集まってるし、そうすりゃ君のこと守ってくれる人も増えるってわけ。君にとってそう悪いことばかりでもないんじゃないんじゃない?」
「…」
木場は黙っている。
「マイナス面ばかりより、たまには視点を変えてプラス面を見てみなよ。案外、プラス面の方が多いかもしれないしさ」
なるほど、ごもっともな意見であるかもしれない。
その一方でものは言いようとも捉えることはできるとは思うが。
一つ問題があるとすれば、私はその能力が使えないという点だ。
私がここにいたとしても、この子のことを守ることはできない。
つまりこの子にとってのメリットが無い。
本来なら私のこと受け入れる必要は無いのだが…。
そんなこと言うと話がさらに拗れそうだったため、私は一切そのことを口にしなかった。
木場は呆れた表情をし、大きなため息を吐いた。
納得したのか、それとも諦めたのか。
彼はこれ以上何かを言うことはなかった。
私はこの子のことを騙してしまったような気がして、ちょっとした罪悪感に苛まれた。
「…誰かを増やすのはそいつで最後だからな!これ以上は認めないからな!」
木場は私のことを指差しながら怒鳴った。
やっぱり人を増やすこと自体は反対らしい。
どうやら私は許されたみたいだけど。
楓さんは木場のそんな様子を見てニコニコしていた。
木場はしばらく私のことを睨みながら奥の部屋へ入って行った。
「な、なんか第一印象最悪な感じ…?」
あの様子だと、私はとんだ邪魔者扱いのようだった。
「…木場くんのこと、許してくれるかな?」
楓さんは穏やかな声でそんなことを言い出した。
「え、まあそんな気にしてないので大丈夫ですけど…」
「そう?ありがと」
そんな返答を聞くと、楓さんは安心したかの様な顔で笑った。
「…ここさ、ただの秘密基地ってわけでもなくてな?」
楓さんはさっきと同じ穏やかな声で話し出した。
「ちょっとした…“訳あり”な人が集まってんだよね」
「“訳あり”…?」
「そ。心が傷ついたり…壊れかけたりした人。そんな人たちが集まってるのがここでさ」
「え…じゃあここにいる人って」
「しっ、ここでは分かってても口に出すのはダメ。察してても、心の中だけに留めといて。それがここのルールだからさ」
楓さんは口の前に人差し指を置く手振りをしてそう言った。
「だから、木場くんみたいに疑心暗鬼になる人もいるってわけ。…せめてそれだけでも、分かってくれる?」
改めてさっきの彼の言動を振り返ってみる。
…私はそう聞かれて、小さく頷いた。
「でも…そんな場に私がいるの、やっぱり邪魔なんじゃ…」
「え?でもさ、アンタ」
楓さんは不自然に途中で口にするのをやめた。
「?」
私はその行動にどこか違和感を感じた。
「いや、なんでもない!」
楓さんはすぐにいつもの調子に戻った。
「でも俺とか、あと椿ちゃんとかもう一人の子とか、アンタのことを拒みは絶対しないからさ。是非心休まる場として使ってくれよな」
“心休まる場”…。
元々そんな場所なら、木場の気持ちも少し分かる気がする。
自分にとって安心する場所だったからこそ、部外者に荒らされたくなかったんだと思う。
…なんか、本当に申し訳ないことをしてしまったな。
私はさらにそんな罪悪感に苛まれた。
「さて…とりあえず落ち着いたことだし」
楓さんは伸びをしながら、
「…ちょっと一回言ってみたいことがあるんだけど、言ってみても良い?」
唐突にそんなことを言い出した。
「え、いい…ですけど」
私は何のことか分からなかったものの、一応了承した。
すると楓さんは少し歩き、そのまま受付の前に立った。
こちらを振り返り、軽く咳払いをしてこう言った。
「ようこそ、俺たちの家へ!」