校内で指名手配された男子生徒
その日登校すると、掲示板に目を疑うような張り紙がされていた。
「WANTED」と書かれた紙の中心には、俺・浅岡太郎の顔写真が大々的に載っている。
そして下部には、「学食タダ券一年分」という一文が。
この張り紙と似たようなものを、俺はドラマやアニメで見たことがある。これは、指名手配というやつだ。
ごく一般的な私立高校には似つかわしくない張り紙は、当然多くの生徒たちの目に止まるわけで。道行く生徒たちのほとんどが、張り紙を見るべく足を止めていた。
「これ、誰かのいたずらか?」
「だけど右下に生徒会のハンコが押されているぞ? いたずらでハンコまでは押せないだろ」
「ってことは、学食タダ券もマジ?」
生徒たちが、口々に呟く。
俺も彼らと同意見で、この張り紙がいたずらだとは思えなかった。
つまり俺は生徒会から、公式に指名手配されているのだ。
……えっ、何で?
指名手配されているということは、俺が何かやらかしたということなのだろう。しかし、まったく見に覚えがない。
俺の学園生活でのモットーは、ズバリ目立たないこと。
だからテストで本気になって上位を取ったりしないし、体育の球技で大活躍もしない。かといって孤高を貫くみたいな、悪目立ちをすることもない。
そんなモブな俺がこんな形で衆目を集めるとは、夢にも思っていなかった。
どうして俺がこんな目に遭っているのか、考えていると、ふと周囲から向けられる視線に気が付いた。
視線だけじゃない。生徒たちは俺を指差しながら、ヒソヒソ話をしている。
「おい、あいつって」
「あぁ。学食一年分の奴だよな」
浅岡太郎という名前だけなら、「誰、そいつ?」という話になるだろう。しかしこうも顔写真が晒されているとなると、バレるのも時間の問題だった。
……この展開はよろしくないな。
学食一年分がかかっているとなると、生徒たちはなりふり構わず俺を捕まえに襲いかかってくるだろう。
おい、そこのボクシング部員! 徐ろにシャドーボクシングを始めるな!
捕まったら何をされるかわからないし、そもそも捕まる謂れもない。俺は一目散に、この場から逃げ出すのだった。
◇
「食券男はいたか!」
「いない! クソッ、校内の隅々を探している筈なのに!」
「あの食券、どこに行った!?」
校内に生徒たちの怒号が響き渡る。
……っていうか、食券呼ばわりってどうなの? 気持ちはわからなくもないけど、せめて名前くらい覚えて欲しかった。
大半の生徒から追われる身となった俺は、現在プールのトイレに身を潜めていた。
季節は冬。水の抜かれているプールを使う人間は、まずいない。
必然的にプールのトイレを使用する生徒もいないわけで、しかも俺は念を入れて女子トイレの個室に隠れているわけだから、そりゃあ見つかる筈もなかった。
「さて。問題は、これからどうするかだな」
生理現象はなんとかなる。だってトイレだもの。
問題は、食事だ。昼食を買いに行く為には、トイレから出なければならない。それは非常にリスクの高いことだ。
「一食くらい我慢しようかな」
俺が呟いた、その時だった。
「年頃の少年が食事を抜くなんて、感心しないわね」
「!」
個室のドアの向こうから、声が聞こえる。声の主は、明らかに俺に話しかけてきていた。
「……」
ここで返事をしてしまえば、自分の所在を認めることになる。俺は無視することにした。
「あなたに黙秘権はないわよ。そこにいるのはわかっているし、逃げ場もないんだから諦めて出てきなさい」
……これ以上無視を続けても、意味がないな。
彼女の言う通り、逃げ場がないのも事実である。
観念した俺は、個室から出た。
「……よくここがわかったな」
「簡単な推理よ。沢山の生徒から隠れるには、人の寄り付かないところが最適。そうなると、プールのトイレや視聴覚室、体育倉庫なんかが候補として挙げられる。更にその中で男子生徒である浅岡くんが隠れそうにない場所となると……女子トイレの個室の中しかないわよね」
「今日一日くらいは見つからないと思っていたんだがな。脱帽だよ」
俺は女子生徒に素直に賞賛を贈った。
彼女はクラスメイトの濱岡朱理。学年首席の生徒であり、確かIQが130くらいあるだとか。
まごうことなき天才であり、俺みたいな日陰者とは対極的な位置にいる人間である。
「それで、お前は俺をどうする気だ? 生徒会に差し出すのか?」
なにせ今の俺は、食券一年分の価値がある男である。
「別に。私、毎日お弁当持ってきているから、食券とか興味ないのよね」
「じゃあ何で俺を探したんだよ?」
「暇潰し。知ってる? あなたのせいで、今日の授業は全部なくなったのよ? 先生たちも、頭を抱えていたわ」
どうやら俺を見つけたいが為にサボる生徒が多発し、授業にならないらしい。本当、現金な奴らめ。
「いや、それ俺のせいじゃないだろ。俺を指名手配した生徒会のせいだろ」
「突き詰めれば、指名手配されたあなたが悪いのよ」
理不尽だ。こっちは追われている理由すらわからないというのに。
……ちょっと待てよ。
確か濱岡は、生徒会長とも仲良かった気がする。彼女に聞けば、俺が指名手配されている理由もわかるんじゃないだろうか?
「なぁ、濱岡。指名手配の理由、生徒会長から聞いていないか?」
期待を込めて尋ねてみるも、濱岡は申し訳なさそうに首を横に振った。
「残念ながら、何も聞いていないわ。ごめんなさいね」
「いや、お前が謝ることじゃないだろ」
そう、濱岡は何も悪くない。悪くないのだが……折角罪悪感を抱いているのだ。多少心が痛むが、その罪悪感に漬け込むことにしよう。
「だけどもし本当に悪いと思ってくれているなら、一つだけ頼みがある」
「頼み? 何かしら?」
「焼きそばパン、買ってきてくれるか?」
誤解のないよう言っておくが、これは「焼きそばパン買ってこいよ」とパシっているわけじゃない。「昼食を買ってきて下さい」とお願いしているのだ。
無論、きちんとお金を渡して。
恐らくだが、濱岡以外にプールの女子トイレを突き止められる生徒はいないだろう。そして彼女が俺の居場所を漏らさない以上、この場所がバレることはない。
目下の問題であった、昼食もこれで解決する。
どうにか今日一日は、乗り切れそうだった。
◇
翌日も、俺の指名手配は解除されていなかった。
普通に登校しては、校門前で数多もの生徒に待ち伏せされるに決まっている。その為俺は、始業の2時間も前に学校に到着していた。
時刻はまだ7時にもなっていない。これだけ早いとなれば、案の定待ち伏せしている生徒はいなかった。
……ただ一人を除いて。
「おはよう、浅岡くん」
「濱岡……お前、何でいるんだよ?」
「誰にも会いたくない浅岡くんなら、きっと物凄く早い時間に登校すると思って。私も早く来たのよ」
「……因みに、何時頃学校に着いたんだ?」
「時間までは覚えていないけど……まだ日は昇っていなかったかしら?」
いや、マジでどんだけ早く来てんだよ。
「それで、どうしてお前は早く登校したんだ? まさかと思うが、心変わりして俺を突き出すつもりじゃないだろうな?」
「そんなことしないって。言ったでしょ? 私は毎日お弁当を持ってきているって」
そう言うと、濱岡は鞄の中から弁当箱を取り出した。
女子の弁当箱にしてはいささか大きめな気もする。濱岡って、意外と食べる方なんだな。
「浅岡くんのことだから、どうせ今日も「お昼ご飯どうしようー! トイレの水を飲んで我慢しようかな?」とか考えていたんでしょ?」
「考えてねぇ。主に後半は、微塵も考えていねぇ」
トイレの水を飲まざるを得ないくらい追い詰められたら、潔く自首するわ。
「そんなあなたの為に、お弁当を作ってきてあげたのよ」
「弁当……ってことは、これは俺の為に作ったものなのか?」
「べっ、別に! あなたの為に作ったわけじゃないわよ! 自分のを作るついでに、あなたの分も作ってあげただけ! でも……唐揚げとか甘めの卵焼きとか、あなたの好物を沢山作ってあげたわ」
……マジですか。
わかりやすすぎるツンデレに、流石の俺もドキッとした。
「だけどそんなに美味そうな弁当をトイレで食うのは、気が引けるな。他に良い場所を知らないか?」
「そうねぇ……だったら、茶道部の部室なんてどうかしら?」
「部室なんて、それこそ見つかる可能性高いだろ?」
「他の部活ならね。茶道部員で、昼休みに部室に来る生徒はいないし、なんなら部屋の内側から鍵をかけられるわ。寧ろ安全だと言えるわよ」
「なんなら、お茶を立ててあげましょうか?」。それはなんとも、魅力的な提案だ。
2日連続でトイレ生活というのは回避したかったのだ、俺は濱岡の厚意に甘えることにした。
◇
指名手配三日目。
このままいくと、それこそ一週間授業を受けられず、生徒たちから身を隠す生活が続いてしまう。
いや、一週間で済めば良い。
下手すると一ヶ月、いや、最悪このまま卒業まで追われる日々が続くかもしれない。
被害妄想甚だしいと考えるかもしれないが、今の俺はそこまで追い詰められていた。
逃げてばかりではダメだ。こちらからも、打って出なければ。
その為には、俺が指名手配されている理由を突き止めなければならない。そして生徒会に指名手配をやめさせないと。
放課後、俺は見つからないよう細心の注意を払って、生徒会室に侵入した。
ラッキーなことに、生徒会室には生徒会長一人しかいない。
生徒会長以外にも人がいたならば、押さえ込まれる可能性があった。しかし彼女一人だけなら、問題なく問いただせる。
生徒会長は、未だ俺の来訪に気付いていないようだった。
「副会長? 今日はお休みだって聞いていたけど?」
「悪いな。副会長じゃないんだ」
「!?」
でも恐らく、今お前が一番会いたい人間の筈だ。それこそ、副会長なんかよりも。
「あなたは……食券の人」
「浅岡な。浅岡太郎」
あんたが俺を指名手配した張本人だろうがよ。名前を覚えておけ、名前を!
指名手配されようが、どうやらモブという宿命は変わらないらしい。今や俺は一躍時の人だが、本名を呼んでくれるのなんて濱岡くらいじゃないだろうか?
「生徒会長。あんたに聞きたいことがある」
「……私は何も教えないよ」
「いいや、何が何でも喋らせるさ」
身の危険を感じたのだろう。生徒会長は椅子から立ち上がる。
しかし俺とて逃すつもりは毛頭ない。
俺は彼女の行く手に立ち塞がると、壁際まで追い詰めた。
無意識のうちに、俺は生徒会長に壁ドンする。
俺に至近距離まで迫られた彼女は、顔を真っ赤にした。
「ダメだよ、こんなこと! 朱理に怒られちゃう!」
……朱理? それって、濱岡の名前だよな?
どうしてここで、濱岡の名前が出てくるんだ?
「全て説明してくれるよな?」
俺は有無言わせず笑顔で生徒会長に問いかける。彼女は諦めたように、ゆっくり頷いた。
◇
生徒会室をあとにした俺は、プールの女子トイレに向かった。
一番奥の個室。そこは、俺が濱岡に見つかった場所。
ここで全てが始まったんじゃない。ここで全ては終わっていたのだ。
「あら、浅岡くん。もしかして、女子トイレが恋しくなっちゃったの?」
「それはお前の方なんじゃないか? なんたってこの場所は、お前の目的が達成出来た場所たからな」
「!」
俺は一つ、大きな勘違いをしていた。
俺を指名手配したのは、生徒会だ。ハンコが押されている以上、そこは間違いない。
しかし俺を指名手配したかった人間は、他にいた。その何者かが、生徒会長に「浅岡を指名手配しろ」と頼んだのだ。
では、その何者かとは誰なのか? ……言うまでもなく、濱岡である。
「そう、全部知られちゃったのね」
「あぁ、生徒会長から聞いた。どうしてこんなことを? 俺に恨みでもあるのか?」
「恨みなんてないわ。あるのは好意よ」
……好意だって? ますます意味がわからなくなってきた。
「指名手配されれば、あなたは隠れようとするわ。これまでモブに徹してきたあなたは、身を潜めるのに慣れている。恐らくあなたを見つけられるのは、私だけ。もし私があなたを見つけられれば、二人きりの時間が取れる。そう思ったの」
「つまり俺と二人だけで過ごしたかったから、こんな真似をしたと?」
「えぇ、そうよ」
俺を捕まえる為ではなく、俺を誰にも捕まえさせない為に指名手配にしたというのか? なんとも突拍子もない発想である。
「なぁ、濱岡。指名手配は、どうしても取り下げてくれないのか?」
「取り下げる方法ならあるわよ。これからも私と二人で会ってくれれば良いのよ」
二人きりの時間を確保出来るのなら、わざわざ俺を指名手配にする必要となくなる。確かに、その通りだ。
やれやれ。指名手配の次は、脅迫かよ。
卒業まで指名手配され続けて過ごすか、濱岡と甘酸っぱい青春を送るか。そんなの、悩むまでもない。
翌日。
掲示版から、指名手配の張り紙が剥がされた。
生徒たちは噂している。
「食券男は、どうやら濱岡さんに捕まったらしい」と。