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隣人に親切したら、3回だけお願いを聞いてくれることになった

作者: 墨江夢
掲載日:2022/10/23

 俺・三原航(みはらこう)が自宅に帰ると、隣の部屋に住む女子大生が自宅の前でうずくまっていた。


 隣同士だから何度か見かけたことがあるけれど、話したことはない。こうして彼女の顔をじっくり見るのだって、これが初めてだ。


 すれ違った時も思ったけど、やっぱり綺麗な人だな。

 そうなことを思いながらも、当然ヘタレの俺に話しかける勇気なんてない。

 俺は見て見ぬフリをして、自宅の中に入る。


「……」


 鞄を置いた俺だったが、靴を脱ぐことはせず玄関で考え込む。

 ……どうして彼女は、自宅の前で座り込んでいるのだろうか?


 誰か人を待っている? だとしたら、わざわざ冬の寒空の下で待つ必要もない。家の中で待っていれば良い。

 なぜ、それをしないのか? ……もしかして、しないのではなく出来ないのか?

 例えば――鍵を失くしているとか。


 俺はゆっくりと玄関を開く。

 彼女は依然、玄関の前でうずくまっている。

 このまま放っておいて、それこそ風邪でも引かれたら、流石に目覚めが悪い。

 俺は勇気を出して、彼女に声をかけた。


「あの〜」

「あなたは……確か同じ大学の?」

「三原航だ。えーと……」

寺島梗子(てらしまきょうこ)よ。……隣人の名前くらい覚えておきなさいよ」


 そんなこと言われても、会話するのはこれが初めてだし、表札だってないし。ていうかそっちだって俺の名前知らなかったじゃないか。

 現代社会のご近所付き合いなんて、その程度のものである。


「家に入らないのか? 風邪ひくぞ?」

「そうしたいのは山々なんだけどね。鍵、失くしちゃったのよ。だから大家さんが帰ってくるのを待ってるの」


 ……やっぱりな。

 予想していた通り、寺島さんは鍵を失くしていたようだ。

 そんな彼女に、非常に残念なお知らせがある。

 

「……大家さん、来週まで帰ってこないぞ?」


 この時期大家さんは、毎年恒例の海外旅行に行っている。今年はオーストラリアに行っているそうだ。


「嘘でしょ? ってことは、私来週まで家に入れないの? それは困るんだけど」


 そう思ったから、声をかけたんだよ。


 ここまでしておいて「じゃあ、あとは頑張れ」と見捨てる程薄情な男じゃない。

 俺は大家さんじゃないから合鍵を持ってくることは出来ないし、合鍵を作ることも出来ない。


 俺にも出来ることがあるとすれば、それは――


「……鍵、一緒に探してやるよ」

「良いの?」

「構わないよ。この後予定もないしな」


 結論から言えば、寺島さんの家の鍵はアパートの階段に落ちていた。

 寺島さんもアパートの周りはひと通り探したらしいけど、暗くて見落としてしまったらしい。


 人騒がせ感はあるけれど、何はともあれ無事に鍵が見つかって良かった。


「ありがとう。そして、迷惑をかけたわね」


 寺島さんは、深々と頭を下げる。


「何かお礼をしたいんだけど……」

「お礼なんて、別に要らないよ。俺が勝手にやったことだし」

「だとしても、あなたの時間を無駄にしたのだから、それ相応の対価を支払うべきよ。取り敢えず、五千円で良いかしら?」


 そう言って、財布の中からお札を取り出そうとしたので、俺は慌てて止めた。


「金銭的なやり取りはなしにしよう。そういうのは好きじゃない」

「そう……。だったら、体で支払うというのはどうかしら?」

「それって……」


 俺の視線が、無意識のうちに寺島さんの胸部や臀部に向いてしまう。

 ゴクリと、俺は生唾を飲み込んだ。


「……何やましいこと想像しているのよ? 体で支払うっていうのは、そういう意味じゃないわよ」


 ……ですよねー。

 邪な想像をしていた俺を、寺島さんは諌める。

 それから寺島さんは、指を3本立てた。


「常識と道徳の範囲内なら、何でも3つだけお願いを聞いてあげるわ」

「例えば……食事を作って欲しいとか、出席代行をして欲しいとか?」

「そういうこと。……これ、私の連絡先。お願い事が決まったら、連絡して」


 こうして俺と隣人の、奇妙な交流が始まったのだった。





「なぁ、航。俺、彼女出来たんだよ」


 翌日。

 大学の食堂で、俺は友人の有沢宗吾(ありさわそうご)にそんな報告をされた。


 報告を聞いた俺の反応はというと、「そうなのか」と返すだけだった。それからすぐに、昼食のきつねうどんをすすり始める。

 友人からしたらその反応が、どうも不満だったようだ。


「淡白な反応だな。親友に彼女が出来たんだぞ? もっとこう、「おめでとう!」とか「羨ましいぜ!」とかあるだろ?」

「そう言われてもなぁ……」


 確かに宗吾は親友と言って、差し支えない。

 しかし親友に彼女が出来たところで、俺の日常生活が変わるわけじゃない。バイトの時給が上がるのか? 単位が免除されるのか? 勿論、そんなわけがない。

 つまりは所詮、他人事なのだ。


 依然としてきつねうどんを啜り続ける俺を見て、宗吾はため息を吐く。


「まぁ、お前みたいな恋愛に縁のない奴にはこの幸せがわからないよな。この幸福が共有出来なくて、俺は悲しいぜ」


 ……この野郎。

 昨日まで一緒に「この世は金だ! 女なんて必要ねぇ!」とか言っていたというのに。


 彼女が出来たというだけでマウントをとってくる宗吾にムカついた俺は、つい「俺も彼女いるし」と言ってしまった。


 言うまでもなく、嘘だ。彼女どころか、女友達すらろくにいない。

 しかし「マジか!」と驚く宗吾を見て、「あっ、今更嘘だとは言えないな」と悟った。


「マジだし。スゲェ美人で、スタイル良くて、その上めちゃくちゃ優しい女でさ。彼女と付き合えたことが、俺の人生で一番の幸せだと言っても良いね」

「お前にそこまで言わせるなんて……そんなにも良い女が航なんかの彼女になるなんて、嘘みたいだよ」


 みたいも何も、正真正銘嘘だからな。


 しかし俺にも彼女がいると言っておけば、宗吾からウザいマウントをとられずに済む。

 安堵していた俺だったが……現実はそう都合良く進まなかった。


「じゃあ今度、互いの彼女も交えて飲み会しようぜ」


 ……嘘はついてはいけない。ついた嘘は、後でツケとなって自分に降り掛かってくるのだから。

 昔婆ちゃんに教えて貰ったその言葉を、俺はふと思い出した。





「てなわけで、俺と恋人のフリをして欲しい!」


 俺はアパートに帰ると、自分の部屋に行かずに隣の寺島さんの部屋を訪ねた。

 ドアが開き、彼女が姿を現すなり、俺はその場で土下座をする。


 連絡先を教えて貰ったから、電話で頼んでも良かったんだけど……フリとはいえ、彼女になってくれと頼むわけだ。面と向かって伝えるのが、筋というものだろう。

 

「ご飯を奢れとか言われると思って、昼間に銀行でお金を下ろしたばかりだったんだけど……まさか彼女のフリをしてくれって頼まれるなんてね。予想外だったわ」


 寺島さんはしゃがみ込むと、可愛らしく小首を傾げる。


「でも、彼女のフリなら別に私じゃなくても良いじゃない。女の子の知り合いはいないの?」

「友達はいない。知り合いはいるっちゃいるんだけど……宗吾には、美人でスタイル良くて、優しい彼女って言っちゃってさ。その条件に当てはまるのが、お前以外に思い浮かばなかったんだよ」

「……」


 急に寺島さんが黙り込む。


「どうした?」

「……別に」


 そう言う割には、顔が赤いような。

 

 寺島さんは立ち上がると、どこか誤魔化すように咳払いをする。


「コホン。……私しかいないのなら、仕方ないわね。お願いを聞くって約束したわけだし、彼女のフリを引き受けるわよ」 

「本当か!?」

「嘘をつくくらいなら罵詈雑言を浴びせた上ではっきり断るわよ。……で、私はあなたの彼女として、何をすれば良いの?」

「それならまずは……今週末、俺と一緒に飲み会に参加してくれ」





 週末。俺は寺島さんを連れて、大学近くの居酒屋に来ていた。


「おーい、航! こっちこっち!」


 居酒屋には宗吾と彼の恋人が既に到着していた。


 宗吾の彼女は、綺麗というより可愛い系の女の子だった。

 宗吾の奴、よくこんな可愛い子を口説き落とせたな。まぁ、ウチの彼女(嘘)も負けていないけど。


「紹介するよ。俺の彼女の梗子だ」

「寺島梗子です。いつも航さんがお世話になっています」


 航さん……航さんかぁ。

 寺島さんという美人から呼んでもらえたというだけで、自分の名前が妙に綺麗な響きのように思えた。


 それから夜がふけるまで、俺たちは四人で飲み続けた。

 二人の馴れ初めや初デートの思い出なんかを根掘り葉掘り聞かれたわけだけど、そこはアドリブと作り話でなんとか乗り切った。


 クソッ。常時頭をフル回転させっぱなしだったから、全然酔った気がしないぜ。


 ダブルデートならぬダブル飲み会は思いの外盛り上がり、会計を済ませる頃には、既に日付が変わっていた。


 俺はスマホで電車の時間を調べる。しかし……。


「ヤベッ。終電、1分後に出ちまうぞ」

「1分後って……あと1分で駅に着くなんて、現実的に無理よね」


 通常時でも不可能なんだ。酒の入った現状では、120パーセント無理である。


 俺たちの話を聞いていた宗吾が、「マジか〜」と呟く。


「仕方ないな。それじゃあラブ――」

「ビジネスホテルを探しましょう!」


 宗吾のセリフを遮るように、寺島さんが提案する。うん、賢明な判断だ。


 ビジネスホテルは、駅前に一つだけあった。

 眠たさもあったので、俺たちは真っ直ぐビジネスホテルに向かう。


 チェックインしようと試みるも、ここでまたも問題が発生した。


「申し訳ありません。ただいま、2部屋しか空いておりません」


 2部屋、か。

 そこのバカップルは同じ部屋に放り込むとして、問題は俺と寺島だ。

 付き合っているのが嘘である以上、同じ部屋で一晩を過ごすなんて出来ない。


「……俺、野宿するわ」


 そう言ってビジネスホテルから立ち止まろうする俺に、寺島さんは静止をかけた。


「ちょっと待ちなさい」


 襟を掴み、言葉だけでなく物理的にも待ったをかけてくる。……寺島さん、苦しいっす。


「あなたと私で一部屋使えば良いじゃない。野宿する必要なんてないわよ」

「いやいや。同じ部屋で過ごすなんて、そんなの嫌だろ?」

「あら? 美人でスタイル良くて、その上優しい彼女と同じ部屋で過ごすのは、嫌なの?」

「嫌なのは俺じゃなくて、お前の方だろ? ……そういうのは、本当の彼氏とするべきだ」


 そう、俺は本当の彼氏じゃない。強制権のあるお願いという方法を用いて、彼氏になりきっているだけだ。


「あなたの考えはよくわかったわ。だったら、お願いすれば良いだけでしょう?」


 寺島さんは、唐突にそんなことを言い出す。


「「一緒の部屋に泊まってくれ」って、お願いしてみなさいよ。あと2回あなたのお願いを聞かなければならない私は、それを受け入れるしかないのだから」


 これは寺島さんなりの優しさだ。

「お願い」という形を取ることで、俺たちが同じ部屋で過ごさなければならない理由を作り上げたのだ。


 俺は寺島さんの厚意に甘えることにした。

 二つ目のお願いを使い、彼女と同じ部屋にチェックインする。


 美女との予期せぬ一夜は、とても刺激的で。童貞男子の俺は一晩中寝られない……なんてことはなく。今になってアルコールが回ってきて、20分後にはぐっすりだった。





 週明け。

 俺は大学の構内で、ある光景を目の当たりにした。


「寺島さん、好きです。俺と付き合って下さい」


 寺島さんが、告白されている。それも、俺みたいなモブ男子ではなく、誰もが認めるイケメンに。


 寺島さんは、魅力的な女性だ。モテない方がどうかしている。

 話している限り彼女に恋人はいなさそうだけど、好きな人がいるかどうかまではわからない。


 ……いや。もしかしたら、無意識のうちに知ろうとしていなかったのかもしれないな。

 真実を知るのは、時に恐ろしいものだ。だから俺は、彼女と恋人のフリを続けているのかもしれない。

 偽りの関係の方が、傷つかずに済むのだから。


「ごめんなさい」


 寺島さんは男子学生に謝罪をする。どうやら彼をフったみたいだ。


 俺はその事実に安堵すると共に、ある種の恐れも抱いていた。


 もしこの先、寺島さんに本当の彼氏が出来たとしたら? その時俺との偽りの交際は、枷になるとしか思えない。


 ……もう十分だ。俺はリア充というものを堪能した。

 そろそろ寺島さんを解放してあげるべきなんじゃないのか?


 俺の使用出来る「お願い」は、まだ一つ残っている。

 俺はその日の夜、最後のお願いを履行した。


「寺島さん。俺との偽の恋人関係を、解消して欲しい」


 未練ならある。でも、後悔はない。

 好きな人の幸せを願って身を引くなんて、男としてこれ程の誉れはないだろう。

 しかし――


「それは無理よ」


 あろうことか、寺島さんは俺のお願いを拒否した。


「どうしてなんだ? 俺のお願いを、何でも聞いてくれるんじゃなかったのか?」

「3回だけね。でも、あなたは既に3回のお願いを使い切っているわ」

「使い切っている? そんなバカな……」


 一つ目のお願いは、「彼女のフリをしてくれ」というものだった。二つ目のお願いは、「一緒の部屋に泊まってくれ」。……じゃあ、三つ目は?

 それ以外のお願いをした覚えが、まるでない。


「覚えていないの? ビジネスホテルに泊まった夜、あなた寝言で「キスしてくれ」って言ってたのよ。だからその、ね」


 唇に手を当てて、頬を紅潮させながら、寺島さんは言う。

 もしかして……無意識下のそのお願いを、叶えたっていうのか? キスをしたというのか? 


 俺は自身の顔が熱くなっていくのに気がついた。

 キスされたからというのもあるけれど、それ以上に、寺島さんの気持ちに気付いてしまったからだ。


 だって、そうだろう? 

 俺のことを何とも思っていないのならば、偽の交際をやめようという俺のお願いを拒む理由なんてどこにもない。

 交際をやめたくない。そう思っているから、彼女は拒絶したのだ。


「借りは全て返したわ。これであなたと私はあくまで対等。絶対に、別れてなんてあげないんだから」

 

 翌年。デジャブと言わんばかりに、寺島さんはまたも鍵をどこかに落とした。

 その日も丁度大家さんは海外旅行中で、一週間日本に帰って来ない。

 しかし俺は寺島さんに、「鍵を一緒に探そうか?」とは言わなかった。


 去年と同じ状況だとしても、俺と寺島さんの関係は去年とは違う。


「来週まで、俺の部屋に泊まらないか?」。俺は寺島さんに、そうお願い……いや、提案するのだった。

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