最終話 エピローグは信じ始める話
「朱遠さん、大丈夫?」
「つ、椿岐........................」
病室に入ると、白く清潔そうなベッド、その上体部分を起こしてぼんやりと窓を眺める朱遠さんがいた。
いつもと変わらない声音を意識して声をかけると、ビクッと肩を跳ねさせてからこちらをチラッとみたかと思うと、すぐに目を伏せて僕の名前を呟いた。
そりゃあ、まぁ、気まずいよね。「来てくれたんだ」とかそういうポジティブなことは言えないよね。
浮気............っていうのかはわからないけど、彼氏以外の男に身体を許して。そのことがバレて復縁を迫っても断られて。将来に絶望して首をつったけど生き延びてしまって。
結果、下半身不随状態に陥ってしまったらしい。
「あぁごめん、大丈夫なわけないよね。............足、動かないんだって?」
デリケートな問題だしあんまり聞かない方が良いかとも思ったんだけど、気づいたら口をついてでてた。
「............うん、そうみたい。全然感覚がないんだ。首のとこが一気に圧迫されて神経がいくらかダメになっちゃったんだってさ。あ、あはは。だっさいよね。首吊ろうとしたのに失敗して、こんな身体になっちゃってさ」
「......いや、ダサくなんてないよ。生きてたのはラッキーだよ」
「......そうかな......生きてる意味、あるのかな......」
「そういうこと、言わないでよ。しばらくは仕方ないかもしれないけど......朱遠さんならいくらでも未来あるよ」
正直、あんまり思ってもない無責任100%なことを口にした、と思う。
すでに別れたとはいえ、一度は愛した彼女、しかも結果はどうあれ僕のために自らを売ってくれたヒトが自分で命を絶つだなんて、胸糞が悪いから。
とかカッコつけた(?)ことを言ってはみたけど、すでに朱遠さんが入院してから1ヶ月、あの豚を処刑してから半月は経ってる。
なんだかんだで立ち直るのに時間がかかってしまって、お見舞いに来るのがこんなに遅くなってしまった。
いや、今となっては他人なんだから、実際にはお見舞いに来る義理もないんだけどさ?
「私の未来..................そこに、椿岐は............」
「......いない、かな。さすがに。ごめんね、僕のためだったのに」
「......それじゃあ意味ないじゃん......。未来なんて......」
僕の将来を脅しの材料にされて肉体関係を迫られ、それに応じた朱遠さん。
僕への想い故に、自らを差し出したんだから、僕も責任を感じざるを得ない。でも、それでも僕は彼女の未来に関わるつもりはない。
無責任だよね。情がないって言われるかもね。
でもさ......。
「追い打ちをかけたいわけじゃなく、僕のことを忘れるきっかけになればいいなって気持ちで話すんだけどさ。あのこと、朱遠さんは僕には相談できないって思ったんでしょ? 僕は朱遠さんの身を売らないと自分で未来を掴むこともできない程度の男って思われてたんだよね」
「ち、違うよ!」
違わないでしょ......。
けど、もしかしたら僕が僕らの関係を終わりにすることにした理由、まだ誤解してるのかも。
「実際がどうなのかわからないけど、結果としてそういうことなんだよね。僕はさ、別に淡井との行為についてはそこまで怒ったりしてないんだよね。そりゃあ腹立つけどさ。でもそれに関して悪いのは全部あいつで、朱遠さんはなんも悪くない。そこじゃないんだよ」
「............?」
何が言いたいのかわからないというように眉を潜めた怪訝な表情で首をかしげる朱遠さん。......あぁ、そういう仕草も、やっぱ可愛いな。
でも、今日はちゃんと終わりにしようってつもりで来たんだ。最後にはちゃんと言っておかないとね。
「僕が悲しかったのはね。それなりの時間を一緒に重ねて、信頼関係を作れてたって思ってたのに、その程度の信頼もしてもらえてなかったってことなんだよ」
「......っ」
表情を見るに、朱遠さんにもある程度伝わったのかな。
それでも一応、自分の考えは言葉にしておかないと後悔することになるかもしれないから。
「湯冶椿岐は、やばいときも相談できない。将来も面倒見てあげないといけない。助けてくれない。そういう、朱遠さんが与える側、僕は受け取る側ってだけの関係。5年も経って、普段からそういうことも話し合ってて、それでこの関係ってのはさ。もう、だめじゃん? 実際、僕は朱遠さんのピンチに気づけなくて助けられなかったわけだしね。僕ら、最初から釣り合ってなかったのかもね......」
「そ、そんなこと............」
そう。こんなのは詭弁だ。僕らの関係を終わらせるためだけの、朱遠さんを傷つけるだけの言葉のナイフだ。
でも、僕自身そう感じたんだからしょうがない。
それに、こういう非道いことを言うことで、朱遠さんがちゃんと僕とのことを終わらせてくれるきっかけになるといいな。
なんて、元カレの分際で調子に乗りすぎか。
「で、でも! 私にはもうなんにも残ってないの! こんなこと言う資格はないかもしれないけど......。私、これからは椿岐のことちゃんと信じて、それで尽くすからっ。だから、............だから椿岐。私ともう一度......」
「ごめん、それは無理なんだ。だって僕にはもう......」
ごめんね、朱遠さん。
「ま、まさか............」
朱遠さんの賢い頭脳はこの前置きだけで続きを察してくれたらしい。
もしかしたら朱遠さんを絶望の縁に叩きつけるかもしれない、いや、多分そうなるだろう宣言。
病院のヒトには、ぜひともしっかり見張っててあげてもらいたいものだ。
「うん。ごめんね。でもこの1ヶ月、ぼろぼろになった僕を支えてくれてさ。信じてみたいなって、思わせてくれたんだ」
「........................私の知ってるヒト、なの?」
落ち込んだ僕を支えてくれた僕の新しいパートナーの話。
この短期間で新しい相手を作るなんて不義理で冷たいって思われるかもしれないけど、こういうのは理性とか時間だけじゃ語れないでしょ。
「そう、だね。知ってる人だよ。依綯さん、っていったら、わかるかな?」
「......依綯..................。梗さん......かな」
「うん、そうそう。梗依綯さん。研究室での僕の先輩で、朱遠さんの後輩だったあのヒトだよ」
僕の1つ上の先輩だった依綯さん。
僕らの周りで起きたことを知って、僕を慰めに来てくれたんだとか。
死人みたいな生活をしてた僕の家に、ほぼ同棲みたいに押しかけてきてくれて、ご飯とかもろもろ面倒見てくれた。
それで昨日、告白を受けた。
彼女は、「昔から好きだったの。華姫さんと一緒になっちゃったから諦めてたけど......湯冶くんが落ち込んでるところに付け込むのはずるいかもしれないけど、また後悔しちゃわないように、どうしても言っておきたかった」なんて言って、言い逃げしようとして。
1ヶ月ですっかり絆されてしまってた僕は、肯定的な返事をしたいと思った。
ただ、今のままだといろいろと引きずってしまう気がした。
だからこそ、途轍もなく身勝手で独り善がりな行動だと思うし、朱遠さんを傷つけて自分だけ楽になろうとする最低の行為だともわかってるけど、それでも今日、朱遠さんとの関係をちゃんと終わらせてもらおうと思った。
そうやって過去を精算してからじゃないと、もう一回ヒトを信じられるとは思えなかった。
そういうわけで、今更朱遠さんの前に顔を出した、っていう経緯だ。
「............そっ......かぁ。梗さんかぁ。確かに、昔からずっと、椿岐に色目、使ってたもんね......。そっか、そうなんだぁ。私、全部なくしたんだなぁ......。どうしたら......よかったのかなぁ......」
どうしたら良かったのか、か......。
マジで、どうしたら良かったのかな。
もっと早くに「朱遠さんを信じて疑わないでおこう」だなんて愚かな自分の考えを信じさえしなければ、今とは違う、悲劇が少ない別の結末があったかもしれない。
そうやって考えたところで、今更何かが変わるわけじゃないんだけどさ。考えずにはいられないよね。
「次は、朱遠さんの素敵さに見合うヒトと、本当に信じ合える関係を、築いてほしい、かな」
出てきたセリフはやっぱり無責任で中身のない願望だった。
2人の間にしばし流れた沈黙は、個室のドアを叩く『コンコンッ』という小気味よいノックの音に洗い流される。
「華姫さーん、入りますねー。検査のお時間で............。あら、ごめんなさい、お邪魔しちゃいました?」
何も知らない看護師さんが、脳天気なことを呟く。
けど、ちょうどいいタイミングかもね。
「いえ、ちょうど話も終わったところでしたので、僕はそろそろお暇します。それじゃあ朱遠さん。元気でね」
「え......? う、あ、あの......」
今朱遠さんを一人にしたら、またヤラカシかねないし、看護師さんが来てくれてよかった。
背後から朱遠さんの引き止めるうめき声が聞こえるけど、僕らの終わりの意味も込めて、振り返らずに部屋を後にした。
扉を締めてから、朱遠さんの絶叫と形容すべき悲しい叫び声が、胸を締め付けた。
*****
「湯冶くん。本当によかったの?」
「ん? なにがですか?」
「華姫さんだよ。彼女にはもうほんとに湯冶くんしかないのに......。ちょっと......冷たい判断だったんじゃない? いや、横から奪った形になる私が言っても何言ってんだって感じなんだけどさ......」
病院からの帰り道。
流石に朱遠さんの前に顔を出してもらうのは色んな意味ではばかられたけど、どうしても病院まではついてきたいって言ってくれたので、依綯さんにはエントランスで待っててもらって、一緒に帰路についてる。
そんな中で聞かれた素朴な質問。
彼女の言う通り、冷たい判断だったと思う。見る人が見れば、独善的で気持ち悪い行動かもしれない。
それでも朱遠さんと共倒れみたいに人生を消化する気にはなれず、結果としてこういう形に落ち着いたんだ。
「今更、後悔するのは、むしろよくないでしょ。僕は鬼畜の烙印を受けても、新しく始めるって決めたんだよね」
僕は自分のやってることのダメさを自覚しつつ、正当化する言葉を吐く。
と、依綯さんは真剣な面持ちで返す。
「湯冶くんだけじゃないでしょ」
「......え?」
「私も、湯冶くんを奪った責任があるんだから。一緒に背負って行かないとね」
重々しい口調で、そう告げる依綯さん。
もともと彼女はなにも悪くないはずなのに、そうやって一緒に重りを背負ってくれると言う。
うん、自分は幸せになって良い人間なのかわからないけど、わざわざ不幸になりたいとは思わない。
できることなら、彼女と信頼関係を築いて、ちゃんと生きていきたいと思う。
「............ありがと。依綯さん、一緒に、信頼関係、作っていきましょうね」
「うん......そうだね......」
僕らはまだまだ詰めきれない微妙な距離感を保ったまま帰路についた。
それ以降、朱遠さんが学問の場に戻ってくることもなく、皆朱遠さんの話題はタブーと言わんばかりに話さないので、彼女がどうなったのかを僕が知ることは、ついぞなかった。
ヤバイ状況でも、本当に信じてるなら、ちゃんと話し合うのって、マジで大事だよ。