おしどり夫婦
鴛鴦夫婦――男女の仲がいいことを鴛鴦に例えるが、実際のオシドリは毎年必ずパートナーを変え、卵を抱きかかえて温める抱卵もメスのみが行い、つがいで協力して雛を育てることもない。
◇
「御社は結婚相談所を経営されているわけですが、最近はデータマッチングを活用した婚活アプリなど、ライバルも多いのではないですか?」
若い女性記者が訊ねると、紗衣が答えた。
「ネット婚活は優れたツールだと思いますが、手軽に始められるぶん、本気度の低い人も多いと聞きます。ウチは真剣にご成婚をお考えの方からご支持をいただいています」
会社の応接室のソファ、紗衣の隣には夫で常務の涼太がいた。対面には記者が座り、テーブルにはICレコーダーと名刺が置かれている。
部屋の隅にはカメラマンが立ち、地元紙の取材に答える二人の姿を撮影し、時折りシャッター音が洩れる。
女性記者が隣にいる涼太に目を向けた。
「香月常務はどのようにお考えでしょうか?」
そうですね、と涼太が言った。紗衣と同い年の34歳だが、見た目はかなり若く、ジーパン姿だと大学生に見られることもある。
「データマッチング婚活の成婚率は10%程度です。ようは成婚に至るのは10人に1人、ほとんどの人は結婚できていません。ウチは経験豊富な社員による細やかなカウンセリングと成婚率の高さが売りです」
紗衣が横から微笑みながら言った。
「ウチには〝仲人の達人〟なんて呼ばれるスタッフもいるんですよ」
「達人ですか」
「その社員によれば、この人にはこの人が合いそう、というのが直感でわかるそうです」
「それはすごい」
涼太が話を引き取った。
「婚活ってすごくパワーと時間を使いますよね? データマッチングで何十人もの人に出会えても実際に成婚するのは簡単ではありません。我々ならその方にふさわしいお相手をピンポイントでご紹介できます」
「たしかに。大切なのは出会いの多さより実際に結婚できるかですよね」
「ええ、結局、結婚する相手は一人ですから」
記者はノートにメモをとると、今度は質問の趣旨を変えた。
「結婚相談所を経営するお二人は、地元では〝おしどり夫婦〟として有名ですね」
紗衣は苦笑いでうなずいた。
「まあ、こういう名前の結婚相談所を夫婦で経営しているわけですので……自然とそう言われることが多くなった感じです」
「お父様が創業されたとお聞きしましたが……」
「亡くなった父の代からオシドリ結婚相談所は地元の人たちに愛されてきました。昔、ウチで結婚された方が、自分の娘さんや息子さんに入会をすすめることもあるんですよ」
なるほど、とうなずいた記者が涼太に目を向ける。
「家では妻かもしれませんが、会社では社長、厳しい上司です」
記者が笑い、どちらへともなく訊ねた。
「夫婦円満の秘訣はなんでしょうか?」
二人は顔を見合わせ、涼太が答えは譲るという表情をしたので、紗衣は言葉を選ぶように口を開いた。
「……そうですね。あまりお互いのことに干渉しすぎないことでしょうか」
妻の言葉に涼太がうなずく。
「互いを尊重するのは大事だと思いますね」
「なるほど。結婚生活を長続きさせるコツかもしれませんね」
こうして取材が終わり、最後に改めて写真撮影をすることになった。ソファに並んで座る二人にカメラマンが指示を出す。
「もう少し寄っていただけますか? おしどり夫婦っぽく仲が良さそうに」
涼太が笑いながらカメラマンに提案する。
「腕でも組みましょうか?」
「あー、それいいですね」
夫婦は肩を寄せ合い、肘を絡める。
「はーい、笑ってください」
二人が満面の営業スマイルを作ると、カシャカシャとシャッター音が響いた。
◇
ホテルの部屋、30代半ばぐらいの裸の男がベッドのヘッドボードに背中を預け、新聞を読んでいた。
腰から下を布団が覆い、サイドテーブルには、吸い終えたタバコの灰皿と水のペットボトルが置いてある。
記事の見出しは「おしどり夫婦が経営する、親子二代にわたって愛される結婚相談所」。仲睦まじく腕を組む紗衣と夫の涼太の写真が載っていた。
脱衣所のドアが開き、白いバスローブ姿の香月紗衣が出てくると、土井義彦はからかうように新聞を見せた。
「おしどり夫婦だそうで」
紗衣はタオルで毛先を拭きながらベッドに上がり、男の隣でヘッドボードに背中を預けた。ミネラルウォーターを手を伸ばし、ちらっと記事に目を向ける。
「オシドリって仲のいい夫婦の象徴みたいに言われてるけど、実際はパートナーを頻繁に変えるからね。離婚しまくり」
「でも長く付き合ってるじゃないか」
「……まあ、結婚して6年だから長いと言えば長いのか」
「いや、俺とおまえだよ。もう4年も続いてる」
義彦は同い年の34歳、高校時代のクラスメイトだった。
眉のくっきりした爽やかな顔立ち、日焼けした健康そうな肌、肩幅が広く、贅肉のない引き締まった身体……中高と野球部に所属し、エースで四番だった面影を今も残している。
ペットボトルの水を飲み、紗衣は言った。
「どっちかっていうと、おしどり夫婦はそっちじゃないの?」
「政治家の夫婦なんて、どいつもこいつもおしどり夫婦だらけさ。家では口ひとつ聞かなくても、後援会のパーティでは笑顔で夫婦円満をアピールするんだよ」
義彦は祖父の代から三代続く政治家一家だ。土井家といえば、この地方で名士として知られていた。今は県会議員だが、いずれは国政に打って出ると噂されている。
紗衣はベッドに並んで座るかつてのクラスメイトを見た。
(私があの土井とねえ……)
高校時代、義彦は成績もトップクラスで花形運動部のキャプテン。当時からどこか斜に構える癖のあった紗衣とは接点がなかった。それが今、同じベッドで寝ているのだから人生はわからない。
「家では奥さんと口ひとつ聞かないの?」
「いえいえ、外でも家でも良き夫、良き父を演じてますよ」
ペットボトルをマイクに見立て、演説調で言った。
「みなさまが住んで良かったと思える町作りを全力で進めて参ります。清き御一票を土井義彦、土井義彦にどうぞよろしくお願いいたします!」
紗衣はぷっと吹き出した。
「でも奥さんを本当は大切にしてるんでしょ?」
からかうように言うと、義彦が肩をすくめる。
「ええ、ええ。大切にしてますとも。妻と子供を愛していますよ」
義彦は将来の国政進出を睨み、より地盤を安定させるため、地方財閥に連なる娘と結婚した。小さな男の子もいて、たしか幼稚園に通いはじめたところだ。
「じゃあ、なんでこんな三十路の女と付き合ってるの?」
「いろんな女と付き合うのは俺にとっちゃ保険みたいなもんだ。愛や友情ほど頼りにならないもんはないからな」
義彦は政治家でもある父の庶子、つまり愛人の子供だ。実子が事故で亡くなり、急きょ土井家の跡継ぎになった。だからどこか醒めている。
長く付き合っていた彼女もいたそうだが、今の妻との婚約が決まると別れを告げたという。自分の成功の邪魔と見れば、女も友人も容赦なく切り捨てる。
以前、紗衣に「夫婦を続けるのは俺にとっちゃ仕事みたいなもんだ」と言っていた。
(だから、こっちも気が楽なんだけどね……)
どれだけ肌を重ねても、互いに本気になることはない。恐らくそんな紗衣を義彦も気に入り、こんな関係が4年も続いているのだろう。
「でも、おまえらも変わった夫婦だよな。夫婦公認で、お互い外で別の相手と付き合ってるなんて」
「なんで別れないのかって?」
「まあな」
「仕事の都合が大きいかな。結婚はすばらしい。家族を持って子供を作りましょう。ウチはそうひと様に力説するビジネスだからね。これからも〝おしどり夫婦〟を看板にしないと」
義彦が薄い笑みを洩らす。
「ま、売り物が違うだけで、政治屋も似たようなもんだ。でも、おまえらがうらやましいよ。女の髪の毛がついてないか、口紅の痕が残ってないか、あれこれ気を回さなくてもいいんだから」
「いっそ奥さんに紹介してみる? 彼女が僕の愛人ですって――」
「そうしたいのか?」
「いやよ。梨園の妻じゃあるまいし。私 奥さんから、ウチの主人をよろしくお願いしますって、お歳暮を持ってこられたくないし」
新聞記事で義彦の妻を見たことがある。地方財閥の箱入り娘で趣味はお茶と着物。上品を絵に描いたような女性だった。
ふとベッドに沈黙が落ちた。壁越しに隣の部屋から女のあえぎ声らしき音が聞こえ、義彦が顔をしかめる。
「ったく、このホテル、壁が薄いんじゃねえのか? おーい、うるせえぞ」
ヘッドボードの後ろの壁をドンと叩く。
「やめなさいよ、お互い様なんだから……」
「なんでいつものこのボロホテルなんだ? もっといいホテルでもいいのに。金なら俺が出すって言ってるだろ」
「不倫なんてのは、こういうさびれたホテルの方がいいのよ。ここは地下駐車場があるし、あんたの地元からも離れてるでしょ」
「不倫御用達ってわけか。どおりでいつも隣から妙な声が聞こえてくると思ったよ」
紗衣がなだめるように手を重ねた。
「私たちもすればいいでしょ?」
珍しく紗衣から誘われ、義彦が一瞬たじろぐが、すぐに女の肩に腕を回し、ベッドに押し倒した。
◇
エレベーターが開き、紗衣と義彦が出てきた。鈍い蛍光灯の明かりが落ちる、ホテルの地下駐車場を歩く。
ポケットから出したスマートキーで愛車のロックを解除したとき、物陰から二人の男が飛び出してきた。
カメラマンがフラッシュを浴びせ、もう一人の男が名刺を差し出す。
「週刊東都の記者の伊島と申します。県議会議員の土井義彦さんですよね?」
受け取った名刺に義彦が黙って目を落とすと、記者が紗衣に目を向ける。
「こちらの方は奥様ではありませんよね?」
「あの……彼女は一般の方なので、取材は遠慮してもらえませんか?」
務めて冷静に義彦は言った。
「お二人のご関係を奥様はご存知なのでしょうか?」
「事務所を通してもらってもいいですか」
「土井議員は次の衆院選で国政に打って出るとお聞きしています。この大事な時期に奥様以外の方とこのような関係を続けられることについて、県民に説明することはありますか?」
「すいません。ノーコメントでお願いします」
義彦は腕で記者の身体をどかせ、車に向かう。なおも記者が食い下がろうとしたときだった。
「あー、すいませーん」
エレベーターの方からジーパンにジャケットを着た男がやって来た。夫の涼太だ。34歳だが、見た目が若いので私服だと大学生ぐらいに見える。
「あの、僕の妻が何か?」
涼太が紗衣の顔を指さし、記者に訊ねる。
「奥様……ですか?」
「はい、彼女は僕の妻の紗衣です。二人で結婚相談所を経営しています」
オシドリ結婚相談所の名刺を差し出す。
「ホテルの部屋で、さっきまで妻も交えて藤堂議員と少子化対策のお話をさせていただいたところです」
「……あなたも同席されていたんですか?」
記者が半信半疑で訊ねる。
「ええ、僕もいましたよ。何か問題でも?」
「いえ、そういうわけでは……なぜこんな町から離れたホテルで?」
「ここで農家や漁師の方と町の女性を引き合わせる婚活イベントを計画してるんです。実際に農家や漁師の方が作っている食べ物を提供しようと思ってます。藤堂議員に現地に来てもらって試食を……と思いましてね。別にいいですよね?」
「え、ええ……」
「国から地域少子化対策の重点推進交付金が支給され、地方の婚活イベントも予算がつくようになったんです。我々も力を入れています。記者さんもぜひ取材に来てくださいよ」
苦虫を潰した顔を記者がカメラマンに向ける。
「あ、三人で写真を撮らなくてもいいんですか? ポーズをとりますよ」
紗衣と義彦の間に涼太が割って入り、記者に笑顔を向ける。
「いえ……失礼します」
記者とカメラマンが悔しそうに引き上げていく。それを見送った涼太が、ふう、と息をつく。
「あぶねー、あぶねー」
「来るのが遅いわよ」
紗衣が唇を尖らせて夫を睨み付ける。
「おまえからLINEがあって、光速で降りてきたんだぞ。下はパンツもはいてねえよ。スースーする」
涼太がそばにいる義彦に頭を下げた。
「妻がいつもお世話になってます」
「あ、いえ……」
不倫相手の夫から挨拶をされ、義彦が戸惑いの表情になる。
「じゃあ、俺は戻るわ。部屋に女を待たせてるから」
エレベーターに向かった涼太が足を止め、義彦に言った。
「あのー……壁ドンは勘弁してくれませんかね」
義彦が一瞬、戸惑った顔になり、やがて、ああ、と合点する。
「……すいません」
涼太が了解したように腕を上げ、エレベーターに消えていく。
「……隣の部屋だったのか?」
涼太の後ろ姿を見送りながら義彦が訊いた。
「何かあったときのために、保険はかけておいた方がいいでしょ。あなたもそう言ったじゃない」
義彦と会うときは、いつも隣り合わせで部屋を予約をしていた(少し〝入り〟の時間をずらして)。隣の部屋では夫の涼太が誰とも知らない女を抱いているわけだが、それは紗衣の関知するところではない。
今日のようなことがあっても、夫がいれば言い訳ができる。義彦は政治家だ。リスクは考えていた。
「でもこのホテルももう使えないわね。次はウチに来る?」
「旦那も在宅でか?」
「涼太は別に気にしないって」
「……遠慮しとく。隣の部屋に旦那がいて、そいつの妻を抱けるほど俺は豪胆じゃない」
義彦が運転席のドアノブに手を掛けると、紗衣が言った。
「外に記者がまだいるかもしれないから、今日は一人で帰ってくれる? 私はどこかで時間を潰して、涼太と――旦那と一緒に帰るから」
義彦はわかった、と手を上げ、運転席に乗り込んだ。
走り去る車を見送り、紗衣はエレベーターに戻った。ロビーの喫茶店で仕事でもして時間をつぶそうと思った。
そばにゴミ箱があった。肩にさげたトートバッグから新聞を出した。会社が取材された記事が目に入る。
――おしどり夫婦が経営する、親子二代にわたって愛される結婚相談所
見出しを黙って見た後、紗衣は新聞をゴミ箱にねじ込んだ。
(完)
オシドリ結婚相談所を舞台にした短編は他に……
「自慢の息子 ―オシドリ結婚相談所物語―」
「理系の婚活必勝法 ―オシドリ結婚相談所物語―」
「リモートお見合い ―オシドリ結婚相談所物語―」
……があります。