チョコレート・リップ
今日は教室、いや校舎全体がソワソワ、ザワザワしている。
私が在籍しているのは、中高一貫の女子高等学校。
新年度からは最終学年になる。
この時期に、そこかしこから聞こえてくる少し甲高い声にも、もう慣れてしまった。
そして今、私は小さくて四角いチョコレートを自分の机に並べている。
昨日、コンビニで買ったものだ。
不規則に置かれた色とりどりのソレは、まるで『おはじき』のようだ。
この個包装されたチョコは、知らぬ間に味の種類が増えていく。
そして、いつの頃だったか価格も倍になった。
小さいのに、そこそこの価格。
それを20個以上、衝動買いしてしまった。
コンビニのレジ前の戦略は恐ろしい。
私は、とても理想的なカモだ。
スーパーやドラッグストアで買えば、もっと安く手に入るのだが、あの時に勢いで買っておかなければ、きっと尻込みしてしまっただろう。
机に並んだ小さなソレを、指先でトントンッと弾く。
お腹が膨れるような質量でもないのに、ひとつひとつがなんて重いのだろう。
いや、普段なら「重い」なんてことは感じない。
今日だから、重いだけだ。
眺めているのか、睨んでいるのか、自分でも分からなくなった頃に、少し低めのアルトで声をかけられた。
「仁菜、まだ残ってたの? 外、雪が降り出したよ――って何ソレ?!」
「美奈、お疲れ」
「お疲れ……っていうか、ほんとに何コレ? 何か儀式でもしてるの?」
美奈は私の前の椅子に座りながら、チョコたちを間近で眺め始めた。
「昨日、ちょっと衝動買いしちゃって」
「衝動買いって量じゃないでしょ、コレ……」
ははっ、と私は乾いた声で笑う。
どう切り出そうか、と考えていると、パタパタと廊下を走る音がいくつか聞こえてきた。
「あ! いた! 美奈先輩、仁菜先輩、ハッピーバレンタイ〜ン!」
部活の後輩たちから、小ぶりな透明セロファンの袋を差し出された。
可愛らしく包装された中身はブラウニー。
見た目もよく、素人でもわりと簡単に作れて、量産できる。
女子校のバレンタインイベントには、ぴったりだ。
美奈には水色のリボン、私にはパステルピンクのリボンが結ばれている。
(私の印象って、このコたちから見たらパステルピンクなのか)
美奈に水色は合っていると思う。
美奈はバスケ部キャプテンでショートカット。
ボーイッシュなイメージだけど、実はかなりの美人。
いわば、歌劇団の男役。
性格もサッパリしている。
私はテニス部キャプテンで、だいたいポニーテール。頭の高い位置で結ぶだけだから、楽なのだ。
見た目や性格にはあまり共通点はないが、不思議と気が合い、よく一緒にいる。
名前も似ているため、二人で一つ扱いされることが多い。
「ありがとう。大事に食べるね」
後輩からのプレゼントを受け取った美奈は、ニコリと王子様スマイルを浮かべた。
キャー!!
私たち以外には誰もいない教室に、黄色い声が反響する。
(そういうとこだぞ、美奈)
興奮が冷めないうちに、私も彼女たちに声をかけた。
「じゃあ、私からも。ハッピーバレンタイン! ここから好きなの持っていってね」
そう言って、私は机の上に両手を広げた。
「え?! 良いんですか?」
「もちろん」
後輩たちは、しばらく悩んだ後に期間限定や癖のある物を選んだ。
(こういうのって、個性出るよね)
私は、心の中で少しだけ笑う。
「本当に、ありがとうございます!」
「いいえー」
「あ、ごめんね! 私は何も持ってなくて…… 3月にちゃんとお返しするからね」
そう言った美奈が、すまなさそうに微笑めば、「受け取ってくださっただけでも、十分ですから……」と、彼女たちはゴニョゴニョ、モジモジしだした。
そして、ハッと気付いたように後輩の一人が大きな声を出した。
「仁菜先輩にも、きちんとお返ししますので!」
「いやいや、そんな小さなチョコでお返しもらったり渡したりしてたら、キリがないでしょ? 奢られたとでも思って受け取ってよ」
(奢るにしても、細やか過ぎる額だけど)
「ありがとうございます! では、これで失礼いたします!」
何だか最後だけ、妙に体育会系なノリで立ち去っていく後輩たちを、二人で笑いながら見送った。
「仁菜、このために用意してたの?」
「あぁ……、うん。まぁ、そんなとこかな」
「えらいねー。私は3月にお返しすれば良いと思ってたから」
「いや、それが正しいよ。『バレンタイン当日に渡して、お返しして』だと、ホワイトデーにも同じ現象が起こって、お菓子メーカーが喜ぶだけ。企業は女子校の慣習を甘く見てる。というか、それを見越してるのかも?」
それを聞いた美奈がケラケラと笑う。
美奈の脇に置かれた紙袋2つにぎっしり詰まったチョコを見ると、決して笑い事ではないのだが。
そして、私にとっては今が絶好の機会だ――
「美奈も欲しいの選んで」
「良いの? んー。じゃあ、コレ」
「今、食べる?」
「うん」
そう言って、美奈の指先がチョコを摘む前に、私はそれを自分のほうに引き寄せた。
そして、ゆっくりと包装紙を捲っていく。
すべて剥がし終わると、素手でチョコの端を摘み、美奈の口元に寄せていく。
「はい、あーん」
美奈は伏し目がちに、うっすらと唇を開いた。
白い歯が少し見え、その奥には艶のある舌が覗いている。
これは、賭けだった。
女子校では、お菓子やらお弁当のおかずの交換で「あーん」というシーンはわりとある。
回し食べ、回し飲みに抵抗がない人もいる。
しかし、私は今、フォークなどの物を介さずに、素手でチョコを口元に運んでいる。
それに対して、美奈も躊躇なく口を開いて許した。
いまだ残る不安と、新しく生まれた高揚感で体温が上がっていく。
教室内の暖房と私の体温で、チョコがじんわりと溶け出す感触を指先で感じた。
美奈がチョコを歯で挟んだことを確認してから、そっと手を離した。
やはり、指には溶けたチョコが付いている。
――そのまま、チョコを塗るように、美奈の小さな唇をなぞりたい衝動に駆られる。
「ありがとう。美味しい」
その言葉で、唇に触れる寸前で手が止まった。
「それは良かった」
薄く笑いながら、手を自分のほうに戻した。
しかし、指先にチョコは付いたまま。
自分の舌で舐め取ろうかと考え、小さく首を振る。
結局、ポケットティッシュで拭った。
「ごめん、汚れた?」
「ううん。大丈夫」
外を見ると、美奈の言う通り、粉雪が舞っている。
高校2年生の2月。
卒業まで、あと約1年。
お読みくださり、ありがとうございました。