第六十四話「ロックオン」
――あんなにも闇の槍に刺された筈の床を、俺はゆっくり歩く。老朽化している床は割れておらず、パフィルが先程使った闇の魔術は生物のみを対象にしていたみたいだ。
問題は、ミアの作戦が上手くいくかどうかだ。
俺は深呼吸をして、天井を見上げる。
そこには、パフィルが相変わらず余裕綽々な笑みを浮かべながら旋回していた。
……そして、彼女の高度が下がっていた。
猶予が無い。これ以上何もしない訳にはいかない――。
そんな、俺の心情をパフィルは気にする素振りを見せずに話し掛ける。
「あら!どうしたのかしら~?会いたくなったの?それとも、体力的にキツい田舎娘から何か頼まれたの~?もしくは、先程聞こえてきた――いつの間にか侵入してた中年のかしら?」
……ッ!
ミアについて言及するパフィルの表情は不気味な位に口角を吊り上げていた。不味い、バレてるッ……。
今にも撤退したい位に心拍数が上がり始める。それは、先程のミアが提案した作戦を忘れてしまう位にッ……。ああ、怖い、こッ――。
『落ち着け』
「……は」
カルミアの幻聴が聞こえた途端に、心拍数が元に戻る。
そ、そうだ。落ち着こう……。俺一人で戦う訳じゃない……。ゆっくりと再び深呼吸をして、楽しく嘲笑うパフィルを見つめる。
そして、俺は両手を真上に翳す――。
「ウィンニスッ……!!(風よッ……!!)」
次の瞬間、身廊に有った全ての長椅子は空に舞い上がる。パフィルにぶつける訳ではない――、
「あらら、安直ね~♡視界を遮るつもりかしら?」
そう、視界を遮る事でレヴィンが雷の魔術を放つチャンスを作るのが目的だ。
しかし、パフィルの声のトーンからして何の問題も無いかもしれない。俺が居た場所以外を、先程の大量の槍で貫けば良いのだから……。
でも、そんなの此方も承知済みだ。
「トウヒよ、生えよ……!!」
「はぁ……?」
トネリは、俺が長椅子を宙に上げた瞬間に駆けつけていた。そして、天井まで届く木を魔術で生成した。目的は勿論――、
「感電させる作戦、バレバレなのよッ!!闇、腐食させよッ!!」
パフィルによって、トウヒは一瞬にして腐食する。木は跡形も無く消えたが……、
「ト、トウヒよ!生、生えよッ!」
トネリは、宙に上がっている長椅子を遮蔽物にして、すかさず木を生成する。
「しつこいッ……!闇よ、腐食せよッ!!」
遮蔽物の隙間から、パフィルが簡単に木を腐らせるのが見えていた。そして、退屈そうに旋回を再開する。
このまま、続けても此方側が体力が尽きるだけ。
だから、ミアは仕掛けていた。
「なによ、これ……?」
パフィルはある異変に気付いた様だ。
旋回している軌道上に、垂れている糸が現れていた。糸にしては頑丈で、艶が有る。間もなく、彼女に糸が当たる。彼女が糸を視線で辿ると、そこにはミアが得意気に笑いながら釣竿を持っている。
トネリが木を生成している内に、ミアも遮蔽物に隠れながら工作をしていた。トネリの木がだめなら、ミアの釣糸でレヴィンの雷を流す作戦だ。
「よ!カルトなマドンナ!釣られてくれないか?なあ、レヴィン……!」
「チッ……!腐食せよッ!!」
ミアは俺達が先程まで居た側廊に釣竿を投げ様とするが、パフィルはミアの予想通り糸を腐らせた。
千切れた釣糸の先がゆっくりと落ちようとしていたけど、ミアは指を差して糸の先端に水の塊を生成した。先端を鳥の様に動かす、そして――
「リトライだぞっと!」「……トウヒよ、生えよ!」
「無駄なのよッ……!」
ミアが再び釣糸をパフィルの軌道上に垂らすのと同時に、トネリが魔術を使った。
ボードゲームで王の駒が二つの駒に何度も王手を掛けられているような状態に、パフィルは先程の余裕な表情は消えていた。先程のレヴィンの魔術をもう一度受けたら終わるのを理解しているのだろう。
そんなパフィルに、俺とレヴィンが王手を掛ける。
俺は、恐らく体力的に最後の魔術を放つ。地面に手を翳した――。
「ウィンニス・オルシ・ブラウス!!(風よ、俺自身を吹き飛ばせ!!)」
しかし、三ヶ月前に使った時とは違い、魔術が荒い。風が真っ直ぐに放たれず、不安定なまま宙へ吹き飛ばされる。
そして、想定外の軌道でパフィルに向かってしまった。
「あら♡」
「ヒッ……」
ミアの作戦では、俺が跳んでパフィルの後ろへ回り込む筈だった。しかし、パフィルの目の前に来てしまった。
パフィルは、再び不気味な笑みを浮かべる。怯えていた獲物が、自ら来てくれたのだから当然だろう。
間もなく、落下する。
その前に、襲われる。
間もなく、絶望する。
そして、終わる。
そんな大量の感情が、頭を刹那的に廻る。今度こそ、終わりだ――。
「ニゲラ君ッ!!」『ニゲラッ!!』
その時、カルミアの幻聴とレヴィンの声が俺の頭を貫いた。
そうだ……、諦めては駄目だっ……!
唇を噛み締めて双剣の片方を両手で掴むあと、力強くパフィルに突き刺した。
「あら~?学習しないのかしら?」
先程と同じで、手応えは無い。パフィルは呆れながら笑うと、俺の両手を闇で包み込んだ。俺はほぼ宙吊りになり、身動きが取れなくなってしまった。
「く、くぅっ……!」
「わざわざ、会いに来てくれるなんてね……♡」
両手で体重を支えている苦痛と恐怖のせいで、唯悶えるしかなかった。ミアの計画通り、剣を手から離す。
剣は浮力により俺の手から離れていく。
後は、レヴィンに望みを託す――。
*
「悔い改めなさいッ……!」
下を向くと、レヴィンが双剣のもう片方を持っていた。ミアの計画通りに。
「は?」
パフィルは訝しげにレヴィンを見た。何をしているのか、――と。
レヴィンの短剣は変形し始めた。
あの双剣が持つ人間の魔力に反応して変形するのを、俺は覚えていた。
俺が始めて持った時、レヴィンの魔力と俺の魔力が混ざったせいで刃が伸びてしまった。
俺が双剣を使い慣れた時、刃が反れている短剣になった。
アウルスさんが持った時、刃が極端に小さくなった。
では、レヴィンの場合は――?
「久し振りね、輝きの双剣」
真っ直ぐで、細く、長い。
ロングソードへと、変形した。双剣として扱うのには、不向きに違いない。
きっと、真っ直ぐな精神には不要なんだ。
「雷よ――!!」
次の瞬間、レヴィンの刃先から眩い光線が放たれる。先程みたいな落雷の音ではなく、聞いた事が無い高音が鳴り響く。
そして、この先は――。
「アギャギギギギガガガッ!!?アアアアアアアアアアッ!!!」
俺が刺した双剣の片方の刃先、――もしくは、パフィルの心臓だ。パフィルによる人間とは思えない断末魔の叫びと共に、パフィルの胴体は土塊の様に変わっていく。
遂に、彼女に取り込まれていた俺の手は、重力によって引き離された。
「うわあああっ!?」
パフィルを置き去りにし、俺は勢い良く落下する。やっと動かす事が出来る両手を、両足と共に悪足掻きで激しく動かした。しかし、パフィルや鳥では無い俺の落下速度は変わらない。
ああ、今度はもう駄目か。
目を力強く瞑り、地面の衝突を覚悟した一秒っ――。
「ニゲラ君ッ……!せいっ!」
レヴィンの掛け声と共に、俺の身体は二本の細くも頑丈なレヴィンの腕で受け止められた。
「あ、あり、有り難う……」
「もう、大丈夫――」
レヴィンの眼差しは凜々しくも優しい。まるで、眠りから覚めない姫を救う王子の様に……。
レヴィンは俺に微笑むと、直ぐに怪物に目を向けた。
パフィルは、俯いたまま宙に浮いていた。白目を剥き、口からは黒い煤が零れている。彼女の翼から黒い煙が上がっていた。
翼は徐々に小さくなっていくが、煙は益々大きくなる。
そして、翼は消えた。
パフィルは俺とは違い、ゆっくりと落下していく。枯れ葉よりもゆっくり落下し、枯れ葉よりも枯れている。
彼女が床に着地をすると、座り込んでしまった。視線は俯きながらも、レヴィンを睨み付けている。
「クソッ……」
彼女が呟いた瞬間、出入口の扉が力強く開かれた――。




