(35)もう離さない
シャワーから出ると、結莉は寝室のベッドの中で、本を読んでいた。
が、残念なことに、枕の垣根は、ちゃんとある。
「おかえり、はな たれお君(鼻垂れ男)」
結莉は、本に目を落としたまま言い、
「ただいま…」と、
俺は、ベッドに潜り込んだ。
うつ伏せになって、顔を結莉の方に向けて、枕の垣根から本を読んでいる結莉を見つめた。
結莉の横顔は、少し髪の毛で隠れている。
結莉のことを、大好きだと思った。
そして、絶対、誰にも渡したくない。
ただ……この垣根が邪魔だ…。
少しして、「ごめん、眩しい? ライト。もう消すから」そう言い、結莉は、ベッドサイドのスタンドライトを消した。
「結莉…」
「ん? 何?」垣根の向こうから結莉が、返事をする。
「俺…慶さんの…代わりにはなれないけど、代わりになんてなりたくないけど、彼以上に結莉のこと愛してる。結莉の体のことも知ってる…でも、結莉を愛してる…」
俺がそう言うと、顔の部分の枕の垣根を、結莉が退かした。
「…誰に…聞いた? 体のこと! 小沢? ナベさん? よっちゃん?」
「拓海…」俺は、結莉を見て言った。
「あの、おしゃべり坊主…」 結莉はそう言うと、自分の枕に顔をうずめた。
俺は、二番目の枕の垣根をどけ、結莉の髪を撫でた。
結莉は、一瞬ビクッとなったけど、顔を上げ俺を見て、言った。
「慶のことは…慶の愛は二十歳の時から止まったまま。未来にも…過去にも行けない。そんなことはわかってる…でも彼に対する愛は、変わらない。ずっと愛してる」
結莉は、小さな声で話した。
「うん…」
「でも…その愛も…思い出になるって…ことも、わかってる…」
「うん…」
「修平くんに答えを出さないままでいるのも、ずるいよね。私」
「うん、ずるい」 俺は、結莉の顔を見たまま、言った。
そして、俺は続けた。
「結莉の体のこと…結莉、気にしてるんでしょ?」
結莉は、少し間を置いて言った。
「私はもう気にしてない…、一人でいいと思っているから…。でも、好きな人ができたら、気にしちゃうから…」
「だから好きな人作らないように…してたの?」
俺は結莉の頭をポンポンと、叩いた。
「…うん」 結莉はうなずいた。
俺は、そんな結莉が、ものすごく愛しいと思った。
あの日パーティ会場で、慶のことを話し終えてから、拓海が教えてくれた。
結莉が、なぜ俺の気持ちに応えてくれないのか。
結莉は昔、大きな病気をして、出産が難しいと医者から勧告されていた。
彼女が妊娠、出産することは体に大きな負担がかかり、100%でないにしろ、結莉自身が危険になってしまうという。
慶は、JICレーベルの跡取りだったが、結莉の体のことを了解しての婚約だった。
女性にとって愛する人の子供を産めないということは、どれほどまでの苦しみなんだろう。
悲しみなんだろう。
拓海からその話を聞いた俺は、慶と同じ気持ちだったと思う。
自分には愛する結莉だけいればいい…。
他のものなんて、何一つ要らない。
「慶さんの気持ち、俺、すごくよくわかるよ」
「慶の?」
「うん。慶さん、結莉が子供産めても産めなくても、そんなの関係ないって思ってたんでしょ? だから婚約して、結婚するつもりだったんでしょ?」
「…うん…」
「結莉を愛してた…から、結莉が必要だから一緒にいたいって言ったんでしょ?」
「そう、そう言ってくれた」
「俺も、同じだから…」
そう言うと、結莉の目が俺を見た。
「俺も慶さんと同じ思いだから。結莉、わかる? 俺には、結莉が必要だから、一緒にいたい。結莉といると俺幸せだもん。誰でもなくて結莉なんだ、結莉だけなんだ」
俺は、結莉を抱き寄せた。
「俺さぁ、子供がいない生き方もありだと思う。子供ができて一人前なんて、よく言われてるけどさぁ、一人前な人間なんて、どこにもいないと思う。二人で歩いていくのも、俺たちの人生、というか、生き方だと思うよ。だから……ずっと俺の傍にいて、一生俺を幸せにしてくれ!」
俺は、これで決まった!と、思った。
……が、
「…あのさ、私と一生を過ごして幸せなのは修平くんで、私の幸せは? 何?」
ものすごく冷静な声で、言ってくれた。
ええっ!? 鋭いところを突っ込んでくるぜ…
「結莉の幸せは…俺が…俺が幸せなことだ! ということは……? 俺が幸せにならなければならないので、結莉が俺の傍にずっといて…えーと…」
…なんだ…?
「……おやすみ、寝る!」
そう言うと、俺の話を途中までしか聞かず、結莉は、俺から離れ、背中を向けてしまった。
「ええーーー!!!」
俺はあせって三番目の枕を急いでどけて、結莉を後ろから抱きしめ、ピトッと引っ付いた。
「俺のこと、好き? 愛してる?」
俺は答えがほしくて、訊いた。
「…はな たれお を?」
いや、それは蒸し返してほしくない…
結莉が、俺の方を向きなおし、少し見つめあった後、結莉が言った。
その声は、とてもやさしかった。
「あいしてる……と思う」
最後の「と思う」というところは、この際、聞かなかったことにしておこう。
「ちょっ、ちょっとーーー何すん、」
がまんなどできるはずもなく…
「しゅう…」
結莉の唇に俺の唇を重ね、結莉は、それを受け入れてくれた。
ずっとこのまま深いキスをしていたい。
俺は、女々しいかもしれない。
結莉の顔を上から見て、また涙が出て結莉の顔に落ちた。
さっきとは違う、喜びの涙だ!!
「うっ…」
「な、なに泣いてるの…?また?」
結莉は、あはは~と言って、笑いながら俺の頬にキスをした。
お、男前だ! 結莉!
このままの流れでいくと結莉は俺のものになる…
が、男の責任「スキン」がない!
「スキン? あぁ大丈夫、その中にある…」
あせっている俺に結莉は、ベッドサイドの引き出しを指さした。
ええーー!! うっ、うそだろ!
「誰だよ、相手。誰とヤッてんだよ!」引き出しを開けた俺は叫んだ。
「誰って。たまーーによ、たまーに。最近はヤッてないって」
「じゃ、なんでこんなに、あんだよ」
引き出しの中には、ダース買いかよ! くらい入っている。
「えっ、修、修平くんのため…かなぁ…なんちゃって…」
…うっ、うそつき…だ。
その日を境に、俺は通学時以外、結莉に頭を叩かれながらも、常に、くっ付いて離れなかった。