(31)行動開始
午後二時過ぎ、俺は、結莉からやっとゲットした香港の携帯番号に、電話をかけた。
「あっ、もしもし? 結莉?」
「ん? あぁ、修平くん? どうしたの?」
いつもの結莉の声だ。
「今、大丈夫?」
「うん、いいよ。家に居るから」
結莉は午前中、大学内にあるランゲージスクールに通い、残りの時間は、仕事にまわしたりしていた。
「何? どうしたの?」結莉の軽い問いに、「今ね、空港~」と、俺も軽く答えた。
「ふ~ん。どこいくの? 自粛を利用してどこに遊びに行くんですかぁ」
結莉は、何かを食べながら言った。たぶん棒飴だ。チュパチュパいっている。
「もう着いてる、目的地!」
「そう。いいわね~のんびりと」
「だから迎えに来て!」
そう言った俺の言葉に、電話の向こうの結莉が無言になった。
「もしもし、結莉? 聞こえてる? 迎えに来て! 俺、場所わかんないし、結莉の家!」
「……げほっ、げほっ」結莉は、咽始めた。
飴が喉に刺さったのかと思い、「大丈夫?」と訊くと、
「って! あ、あんたーーーどこにいるのーーーー?!」
ものすごい大声で叫んでいた。
「香港国際空港!!」と、俺が言った。
結莉は、受話器の向こうで、また咽て、ガラガラガチャーンという、何かにぶつかって落したような音が聞こえた。
黙ってしまっている結莉に言った。
「早く迎えに来いよ…」
「……わ、わかった…。空港に着いたら、電話する…」
結莉はそういうと、電話を切った。
俺は、機内食では足りなかったので、腹を満たそうと、到着ロビーにある『バーガーの王様』というハンバーガーショップに向かい、そこで結莉の来るのを待った。
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結莉は、修平との電話を切ったあと、慌てて、勘太郎に、国際電話をかけた。
「か、勘太郎さん!? どういうこと? 修平くんが今…」
「あっ、着いたって?」のん気な声の勘太郎が言った。
「ちょっ、ちょっと! 知ってるなんら先に知らせてよー」
「修平が、言うなというもので…驚かせたかったらしいし」
「いやいや、そういうことではなくて…」結莉は、動揺していた。
香港まで来るとは思ってもみなかった。
前に小沢が言っていたことを思い出した。
「結莉さん、ヨロシク頼みます! 下僕として、こき使っていいですから!!」
「ええーー!!」
「あっ、とりあえず、半年ほどお願いします」
「は、半年ぃ―――!?」
「でも、二ヶ月くらいしたら仕事を少しずつ入れて、そのたび日本に戻ってまた香港に戻る…と、本人は言っていますので! じゃ、よろしくお願いしますね!」
そういうと、とっとと勘太郎は、電話を切り、横にいた吉岡と顔を見合わせ笑った。
結莉は、携帯を持ったまま、しばし立ちすくんでいたが、「はっ!」と、我に返り、急いで着替え、タクシーで空港に向かった。
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俺は『バーガーの王様』で、ダブルバーガー大きいサイズを食っていた。
周りの香港人か、何人かわからないけど、若い人達がチラチラと俺を、見ている。
俺って目立っちゃうのかな…サングラスのせいかな? などと思いながらサングラスを外し、炭酸飲料をズズーっと、飲んだ。
Mサイズを頼んだのに、えらいデカいサイズだ。
さすがアメリカのチェーン店だ!! でもここは香港だ! などと考えていたら、一時間もしないうちに結莉から電話が入った。
市内から空港まで案外近い。日本と大違いだ。
食べているのは『バーガーの王様』だが、「モスモス」と、俺は、のん気に電話に出た。
「どこにいるの? 今、…空港に着いたよ…」結莉の息が、ちょっと切れている。
「あっ、ハンバーガー屋さ~ん」
「わかった…」
俺は、飲みかけの炭酸飲料を持ち、席を立って出口に行った。
結莉が見えた。
俺は、ダッシュで駆け寄った。
そして、ハグろうとしたら先に頭を叩かれた。
「なにやってんのよ! ったく…」
「でへへへ! 会いに来た!」そう言い、ハグろうとしたら、また頭を叩かれた。
ハグれない……。
「はぁ……。家、行こうか…」
結莉は、深い溜息をついたが、あきらめたように笑って言った。
ルンルンな俺と、ルンルンに見えない結莉は、タクシーの中で話をした。
「事務所も甘やかしすぎだよね…修平くんのこと…」
「うん。いい事務所に所属したよなぁ、俺~」
「そういうことじゃなくて…。私、来週から学校が始まるから、観光するなら」
「あっ、観光とか別にいい。俺、明日、友達と会うし!」
「友達いるんだ、香港に!」結莉は驚いた顔をした。
「うん、まぁね!」
「勘太郎さんから半年頼むっていわれたけど、何にもしないで半年いても、つまんないわよ、香港狭いし、観光だって一日で終われるし。まぁ、滞在なんて三泊四日くらいでいいんじゃない?」
早く日本に返そうとしているのか、結莉はいろいろ言っているけど、俺は帰る気なんてないし、結莉の傍にいられたらそれでいいし…、それにちゃんと準備してあるし。
「うん、大丈夫。俺、勝手にやるから」と俺は結莉を見ながら言うと、「……あっそ…」と、結莉は黙った。
俺は、車の中で、ずっと結莉を見ていた。
うれしすぎて、どうしようもない。
「…ちょっと…気持ち悪いから、こっち見ないでよ」
「いいじゃん」
「……」
結莉は、俺の顔を、手のひらで覆い、前を向かせた。
が、俺はまた、顔を結莉の方に向けた。
俺たちは、マンションに着くまで、幾度となくこのアクションを繰り返し、タクシーの運ちゃんに笑われていた。
結莉の住むマンションは、五十五階建てだった。
下からマンションを見上げた。
「でけーーーー! 結莉のとこ何階なの?」
「香港じゃ普通よ、このぐらいの高さ。ちなみにうちは、五十五階よ」
「ふーん、ペントハウスかぁ、さすが結莉だよね」
「知り合いの人の家、安く貸してくれるって言うから借りてる。持ち主は香港の音楽人だからリビングにはピアノもあるし、少し狭いけど、ありがたいことに、防音のスタジオもあるのよ」
「そいつぁ、丁度いい~」
俺は香港にいる間も、ちゃんと曲作りだけはやれ、と事務所から言われていた。
だから大切なギターも、持ってきていた。
結莉のフラットに着き、玄関のドアを開けると、目の前に香港サイドの景色が広がっていた。
「修平くんが来るなんて聞いてないから、何にも用意してないんだけど。空いている部屋はあるからいいけど、掛け布団とか買いにいかなきゃ」
「えっ、別にいらないよ~俺、結莉と同じベッドに寝る予定だから!」
真面目に言ったのに、結莉から超痛い拳骨を、いただいた。
俺は、一つのベッドルームに連れて行かれた。
「ここ、使いなよ。ゲストルームだから」
そこはベッドが一つ置かれた、きれいな部屋だった。
「ねぇ、結莉の部屋で寝るから、マジで!!」
俺の言葉を結莉はシカトして「なんか飲む?」と、言って、部屋から出た。
中二階に作られたキッチンで、飲み物を入れ始めた結莉に訊いた。
「ねぇねぇ、結莉の部屋どこ?」
「ん? 左の一番奥よ」
結莉が飲み物を入れている間に、俺は、とっとと荷物を置きに結莉の部屋に行った。
そこの部屋は、デカかった。
そして、なんといってもベッドがキングサイズだぁぁぁ。
一瞬喜んだが、このベッドだと大きすぎて結莉と密着度が低くなるなぁ~、などと考えながら、俺は、勝手にベッドに大の字に寝ころんだ。
「…ちょ、ちょっと…」
ベッドルームに入って来た結莉が、低い声で言い、俺の頬を突付いてきた。
が、シカトして寝たフリをした。
「たぬき…起きなさい!」
結莉をシカトし続けた。
「あのね…あなたの部屋はここじゃないでしょ? 私のテリトリーを犯すのは止めてちょうだい!」
俺は、寝転がりながら、結莉の手首を掴んで、力いっぱい引き寄せて、言った。
「テリトリーも犯すけど、結莉のことも犯す…」
うっ…決まったぜぃーーーー俺!!
溜息と共に、結莉が力を抜いたので、俺も力を緩めたら、いきなり結莉が、俺の顔を両脇からバンッと、叩き、抓って伸ばして、両手でもう一度叩き挟んでぎゅぎゅぎゅーーーっと、力をこめて俺の顔を潰した。
非常に、非常に、痛い。
やはり、加減と言うものを持ち合わせていないようだ…結莉は。
立ち上がった結莉に、
「もぉ! あんたは早く自分のハウスに帰りなさい! ハウス!!」
と言われたが、俺は全然動かなかった。
ぜってーーーこの部屋で寝てやる。
結莉となんにもなくても、ここで寝る!
「やだ! ここで寝る!」駄々をこねてみた。
「ハウス!」
「ここ!」
「は~う~すっっっっ!」
「こ~~~こっっっっ!」
俺は、大の字に伏せ、ベッドにしがみ付いた。
結莉は、力一杯、俺を引き剥がそうとしたが、力の差は見えている。
「はぁぁ……もぉ勝手にして…」結莉がうなだれ、折れた。
やっ、やったぁぁぁぁぁ…粘り勝ち!
「よし! じゃ! お茶飲も~っと!」
俺は起き上がり、リビングに行った。
結莉はほとんど、というより完璧に呆れた顔をしている。
「あっ、週に五日間、メイドさんが来て掃除するから。あと必要な時はご飯も作ってもらえるから、そこら辺は自分で彼女に指示して」
「OK~」
俺は、これ以上にないご機嫌だ。
これからの結莉との勝手にラブラブ生活。
俺は、結莉が入れてくれた紅茶を飲みながら訊いた。
「ねぇ、ここから地下鉄って近い?」
「ん? うん、五分もかからないよ。あとでご飯食べに出たとき教えてあげる」
「うん、よろしく!」
俺は、明日のために確認しなければならなかった。
地下鉄の場所を。
そして、俺と結莉はその日、夕食を食べ、地下鉄の場所を教えてもらいマンションに戻った。
「明日、何時に友達と約束なの?」結莉が訊いてきた。
「えーっと、十一時」
「どこに?」
「えーと、セントラル? っつーとこ」
「じゃ、二十分もかからないで着くわね」
「あっ、でも少し早く出る。迷うと困るし…街も見ながら行きたいし」
あぶねーあぶねー、テキトーにセントラルって行ったけど結構近いんだ…
俺の目的地は、一時間は見とかないと…、なんせ一回しか行ったことなし。
前はJICの人と行ったけど、明日は一人で行かなきゃならないからな。
その日の夜、結莉の部屋のキングサイズのベッドに一緒に寝た。
ただし、俺と結莉の間には、枕が三つ縦に並べられている…
それでも俺はめげずに、結莉との間に置かれた枕ギリギリに寄り添って寝た。
同じベッドに寝ているなんて! 昨日までは考えられなかった。
始めは結莉が横に寝ていることで、嬉しさと胸のドキドキがすごかった。
多少、俺の下半身は盛り上がっていたが、我慢した。
あっ、でも、もし、このままこの先何もできなかったら俺は…
俺の息子の処理はどうする…?
日本に居る時は一人エッチできたけど、結莉を横にして一人エッチはできない…
風呂場か? トイレか? トイレは…ねーよなぁ、などと考えているうちに熟睡してしまった。
そして、目覚ましの音で、目が覚めた。
九時だった。
ベッドの中に結莉は、もう居なかった。
俺が、リビングに出て行くと、結莉がソファの上で新聞を読んでいた。
「あっ、おはよ。よく寝てたね」
俺の寝顔を見ていたということか! 嬉しいぜ!
「うん、よく寝れた」
「それはよかったです! あっ、出かける前に何か食べてく?」
結莉はキッチンに行き、ダイニングテーブルの上にサンドイッチを用意してくれた。
結莉はもう食べてしまったようだったが、一緒にテーブルについてコーヒーだけを飲んだ。
朝の日差しの中で結莉と二人で…俺はマジ、『超×10億』以上、うれしかった。
結莉の「行ってらっしゃい」という言葉をいただき、俺は、十時に家を出た。
これでお出かけ前のキスがあれば言うことなしだったが、まだそれはない。