98.妖精のココ
身長は二十センチ程度だろうか。空色のポニーテールを揺らしながら、背中の羽をパタパタと動かし、可憐な女の子はオレの顔をじぃっと覗き込んでいる。
「それにしてもアナタ、変わった匂いがするわね? 普通の人間族とは少し違うみたいだけど……」
女の子がその小さな手でオレの頬をペチペチ叩いている最中、今度は聞き慣れた声がオレの耳に届いた。
「……もしかして、妖精?」
「まさか、実在するなんて……」
振り返ったリアとクラーラはあんぐりと口を開けたまま、一点を見つめている。視線の先にいる女の子は振り返ると、品定めするような眼差しでふたりを眺めやった。
「あら、龍人族にサキュバス族までいるのね。ここに来る途中、ワーウルフたちは見かけたんだけど」
「……えっと、キミ、誰?」
ようやく口を開けたものの、声に出せたのは片言の質問で、我ながらつまらないこと聞いてるなあと思うものの、これでも平静さを取り戻すのに割と必死なので許していただきたい。
「レディーに名前を尋ねる際は、まず自分から名乗り出るのが常識よ?」
ふいっと横を向く女の子の声に戸惑いながらも、オレは姿勢を正し、改めて自己紹介をした。
「すまなかった。オレはタスク、一応、ここの領主を任されている」
「ふぅん、大陸では聞き慣れない感じだけど、とても素敵な名前だと思うわ」
「ああ、信じてもらえるかわかんないけど、別の世界からやってきたんでね。この世界だと変わった名前だと思う」
「まあ! あなた、異邦人だったのね!」
キラキラと瞳を輝かせ、女の子はスカートの裾をちょこんとつまみ、優雅に頭を下げてみせる。
「私の名前はココ。見ての通り、妖精よ。よろしくね、異邦人サン?」
「へえ、妖精かあ。こっちにきて初めて会ったな」
「それは光栄ね。私も異邦人に会うのは初めてだわ」
「お互い様って事か。まあ、よろしく頼むよ」
ニコニコと笑顔を浮かべるココの先に、驚愕の面持ちのまま身を固めているふたりの姿が。
「……ふたりともどうしたんだ?」
「ど、どうしたもこうしたも……。た、タスクさん……」
「ア、アンタ……。いま、とてつもなく大変なことしてるってわかってる……?」
「は?」
大変なこと……? 妖精と話をするのはそんなに大変なことだったのだろうか?
「ボク、八十年生きてるけど、本物の妖精って初めて見たよ……」
「それは私もよ……。本の中にしか載っていない存在だって思ってたから……」
え、マジで? ツチノコとか雪男とか、そんなUMA的扱いなのか、妖精って? ファンタジーの世界では当たり前だと思っていたのに?
「失礼しちゃうわねえ。人前がちょっとニガテなだけよ」
リアとクラーラの言葉に拗ねたような態度を見せるココ。人前がちょっと苦手、ねえ?
「それなら何でまた、ここに姿を見せたんだ?」
「いい匂いに誘われて来たの。そしたらビックリ! 冬の花だけじゃなくて、春の花も満開になっているじゃない? どんな魔法を使ったのかと思って」
饒舌に語るココは一休みとばかりにオレの肩へ腰を下ろして、さらに続けた。
「でも、納得したわ! 異邦人は超越した力を持っているって話だもの。花畑を作る事なんて造作もないことなのね!」
「造作というか何というか、それがオレの能力らしいからなあ」
「いいことじゃない。普通の人間たちと違って、アナタからはとってもいい匂いがするし。力を悪用するようなこともなさそうだわ」
「そりゃどうも」
毎日、お風呂に入って清潔を心がけているけど、ココが言っているいい匂いというのは、そういうことじゃないんだろうなあ、多分。
その程度ぐらいはわかると心の中で頷いていると、肩の上ですっかり落ち着いたらしいココは、再びオレの顔をじぃっと覗き込み、それから口を開いた。
「タスク。私、アナタのことを気に入ったわ!」
「ん? あ、ああ……。そっか、それは何より」
「ええ、冬の季節にこれだけ素敵な花畑を用意できるんですもの。きっと心も美しい人なんでしょうね」
……色んな味の蜂蜜が食べたいから、花の栽培を始めましたとは言い出せない雰囲気だな。そんなオレを気にも留めず、ココは高らかに宣言した。
「決めたわ!」
「何を?」
「アナタのことよ、タスク。アナタを私のお婿さんにしてあげる」
「……は?」
頬にココの小さく可愛らしい唇が触れる。その瞬間、オレとリア、更にはクラーラですら、時間が止まったような感覚を抱いたのだった。
***
その日の夜。
いつものようにリビングで夕飯を囲みながらも、奥さん方の視線はオレの右肩から動く気配がない。
「……大体の話はわかったんじゃが」
ジト目を向けながら口火を切ったのはアイラである。
「なんで、その妖精とやらがおぬしと一緒におるのじゃ!」
声を荒げながら指差した先には、両手にイチゴを持ったココの姿が。
「仕方ないだろ。オレはもう結婚してるって話しても聞いてくれないしさ」
そうなのだ。昼間、ココから突然の逆プロポーズを受けたオレだったのだが、突如そんなことを言われても困り果ててしまう以外の何物でもなく。
オレにはすでに可愛らしい奥さんが四人もいると説得したところで聞く耳を持ってくれず。一向に帰る気配もないので、それなら直接会わせた方が納得してもらえるんじゃないかと、家まで連れ帰ってきたのだった。
「ココと言ったな! これでおぬしもわかったであろう。タスクには私たちという妻がおるのじゃ! おぬしの出る幕など……」
「ねえ、タスク。この果実、とっても甘くて美味しいわ!」
「人の話を聞かんかっ!!」
尻尾を立てた猫人族などお構いなしに、ココはその身体に不釣り合いな大きさのイチゴを頬張っている。
「おあいにく様。私にとってはそんなことどうでもいいんだから」
「なんじゃとぉ?」
「つまるところ、結婚とか妻とか夫とかもういいの。タスクのことを気に入ったから、側にいたい。それじゃダメかしら?」
「ダメに決まっておろう!」
「イヤだわあ。長命種の猫人族はヒステリーなのねえ?」
「ココ。オレの奥さん方と仲良く出来ないようなら、今すぐ追い出すぞ」
肩に腰掛けたココをテーブルの上に座らせると、ポニーテールの妖精は途端にしおらしくなった。
「……ゴメンナサイ」
「わかればよろしい。アイラもあんまりムキになるなよ」
「言われんでもわかっておるっ!」
ぷいっと横を向いて、アイラはしらたまとあんこをぎゅーっと抱きしめている。やれやれ、後でフォローするか……。
「わ、ワタシ。妖精さんと初めて会えたので、ちょっと感動ですっ」
重苦しい空気を、ほんわかとしたエリーゼが中和する。
「おとぎ話で、妖精はハイエルフの国や獣人族の国に住んでいるって聞いたことがあるんですけど……」
「半分正解。半分ハズレね。私たち妖精族は、自然からのマナが溢れ出る場所を移動しながら暮らしているの」
「へぇ~☆ それがハイエルフの国だったり、獣人族の国だったりするワケ?」
「比較的多い場所はその二カ国だけど、ダークエルフの国にも行ったりするわよ」
遊牧民族みたいな暮らしだなあ。しっかし、人前が苦手とは聞いていたけど、本当に誰も妖精と会ったことがないんだな。
「それはそうよ。大体の場合、姿を消す魔法を使っているもの」
「なんでさ?」
「天敵が多いのよ。世の中には悪趣味な連中も多いし、危険がいっぱいなの」
「噂でしか聞いたことないけど、中には小鳥感覚で妖精を飼っている貴族がいるそうよ」
表情一つ変えないまま、クラーラは冷静に呟いた。
「特殊な魔法を掛けた檻の中に閉じ込めて鑑賞するんですって。清々しいほどに下衆の極みね」
「詳しいんだな」
「まあね。サキュバス族の歴史を紐解いていくと、昔、そういうことがあったっていうのがわかっちゃうのよ」
暗い歴史を背負ったサキュバスだからこそ理解できることがあるのかもしれない。淡々と野菜スープを口元へ運ぶクラーラを眺めやっていると、「ああ、もう!」とココが声を上げる。
「重苦しい空気ってキライなのよ! こう、悪いマナが身体に入ってくるっていうか」
「すまなかったな。そんなつもりじゃなかったんだが」
「悪気はなかったんだし、別にいいわ。ね? それよりもお願いがあるんだけど」
ココは再びふわふわと宙を漂って、オレの肩に腰を落ち着ける。
「ここの花畑、もっと大きく出来ないかしら?」
「花畑を?」
「そう! 季節を問わず、色んな花が咲き誇っているんだもの。こんな素敵な光景、私ひとりだけが楽しむなんてもったいないと思うの!」
「はあ」
「どうせなら他の妖精たちも呼んで、大勢で楽しみたいわ! 広ければ広いほど、いっぱい仲間を呼べるでしょう?」
「それはかまわないけどさ。妖精って人前が苦手なんだろ? 呼んだ所で仲間が来るのか?」
「私がいるもの、大丈夫よ。それにタスク、アナタだっているんだし」
そういってウインクすると、ココはとびっきりの笑顔を見せた。
「この私が気に入るほど、とってもいい匂いがするんだから。みんな安心してやってくるに決まってるわ」
***
ココの願い事を叶えるため、翌日からオレは花畑の拡張を始めた……んだけど。
ある程度広くすればいいかなと、二倍程度の面積になるよう畑を耕し始めたところ、近くで漂うポニーテールの妖精は、
「全っ然狭いわ! もっともーっと広くしてっ!」
なんて、いちいち言ってくるもので。その要望に耳を傾けながら、黙々と作業を進めた結果、縦百メートル、横三十メートルの巨大な花畑が出来上がってしまい。
……これは種を植えるのも大変だなと、やり過ぎたことを後悔するハメになったのだ。隣にいるココはココで、これでいいといわんばかりに満足そうな顔で頷いているけどさ。
ま、やっちゃったものは仕方がない。咲いている花々を次々に再構築し、種子へ戻してから畑一面へ植え戻していく。
三日後には咲く予定だとココへ伝えると、「じゃあその頃に仲間を連れて戻ってくるわ」と飛び去ってしまった。たった一日だったけど、なかなかに騒々しかったなあ。
しかし仲間といっても、どのぐらい連れてくるのだろうか? あれから聞いた話をまとめると、妖精って相当にレアキャラっぽいし、三~四人とか、多くても五~六人かなとか、そんなことを考えていたのだが。
三日後、花畑の周りを優雅に飛び回る、少なくとも四十体以上は確実にいる妖精たちの姿に、オレは言葉を無くすのだった。




