71.下水処理(前編)
「確かに、それは私が研究してたことだけど……」
畑の作物を見学していたクラーラは、軽く肩をすくめてみせる。
「あくまで論文でしかまとめていなくて、実用化は一度もされたことがない方法よ? それでもいいの?」
もうひとつの懸案事項、それは下水処理だ。
水路を作り上水道を整備するなら下水道も一緒に……とは思ったものの、下水処理についての知識など、小学生の時、社会科見学で下水処理施設へ行ったことぐらいしか記憶になく。
頼りになった翼人族たちも、下水道に関しては別種族が整備を担当していたようで、そのノウハウはないらしい。
それならば直接ジークフリートに頼んで方法を聞いてみようかと考えたが、以前、水道に関しての技術知識は国家機密だという話を聞いていた上、領地の開拓や税のことで散々配慮してもらっているので、これ以上甘えるのも心苦しいと思ったのだ。
まさか汚水を海へそのまま垂れ流すわけにもいかず、かといって、穴を掘っただけのトイレや、生活排水を近くの森へ流すなど、衛生面を現状のままにもしておけない。
そういったわけでリアに相談を持ちかけたのだが、下水処理に関してはクラーラの方が詳しいらしい。
何でも、昨年、『僻地及び発展途上地における汚水処理技術の確立』という論文をまとめ、偉い賞をもらったほどだそうだ。へー、人は見かけによらないもんだな。
「……見かけによらないって、どういう意味よ?」
「そのまんまの意味だよ。っていうか、いきなりリアに抱きつくんじゃない!」
一緒にきたリアを無言でぐいっと引き寄せたと思いきや、背後から抱きついて、クラーラは身体をすり寄せている。
「ふーんだ。生まれてからずっと、八十年近くこうして来たんだから、これはもう一種のライフワークなのよライフワーク。一日一回はリアちゃんの体温を確かめないと落ち着かないっていうか」
「あ、あはははは……」
「……リアも嫌だったら嫌って、ハッキリいってやった方がいいぞ?」
「ま、まあ、クラーラに変なことされているわけではないので……」
「そうよ! まったく失礼なことをいう旦那様ねぇ? せいぜい匂いを嗅ぐ程度でっ゛ぇ゛ぇ!!」
……はっ。いかん、つい無意識のうちに、頭上へチョップを放ってしまうクセがついてしまっているようだ。
「っ痛ぁぁぁぁ!! 何すんのよっ!」
「少しは黙ってろ、変態」
「だから、その妙な当て字止めてよね!」
「やかましい。まずは自分の行動から見直せっての」
ようやく二人を引き離すことに成功したので、リアの両肩を掴み、ぐいっと身体を引き寄せる。
「まったく……。本当に優秀な学者なのかよ?」
「あ、あの……。タスク、さん……。その……」
ブツブツと文句をこぼしていると、胸元の辺りから、リアの恥ずかしそうな声がかすかに漏れ聞こえた。身体を引き寄せたことで、リアを抱きしめるような体勢になってしまったようだ。
「おっと。ゴメン、いきなり……」
「い、いえ……。その、ボク、嬉しかった、の、で……」
見る見るうちに、かぁぁぁっと赤面していくリアと、対照的に落ち込んでいくクラーラ。うーむ、話が遅々として進まん。
「とにかく、だ。リアが言うには、お前の知識は素晴らしいと。実用化されてなくても構わないので、その知恵を貸してくれないか?」
わざとらしく、リアが推していたことを強調したことで、気持ちを立て直すことができたらしい。クラーラは胸元へ片手を当て、自信ありげに言い放った。
「ふふーん。そんなに言うなら仕方ないわねえ。リアちゃんのためにも、一肌脱いであげるとしますか」
***
クラーラがまとめたという下水処理の理論は、次のようなものだった。
各家庭の生活排水やトイレの排泄物など、下水管を通してひとつの大きな池にまとめる。池には水と共に、汚水を分解する生物を放流し、排泄物などを処理させる。
処理された排泄物は泥として溜まり、池から溢れそうになった上澄みの水だけが管を通って、田畑の予定地へ排水されていく。肥料となる栄養素を含んだ水のため、いずれ土壌は豊かになるはずである。
また処理されて残った泥もある程度の量が溜まったら、再利用の手はずを整える。新たに別の池を作って、下水をそちらへ流し、その間に溜まった泥を乾燥させ肥料として使う。
……想像していたものよりずっと先進的で、この世界にしてみたら、かなり革命的な研究論文だと思うんだけど。どうして実用化されないんだろうか?
「革命的すぎるから誰も信用しないのよ」
ため息交じりに呟くクラーラ。オレは思わず首を傾げた。
「え? でも、偉い賞をもらったんだろ?」
「もらったところで、ねえ? 受賞したのはサキュバスの論文ですしぃ? 実際に取り上げることは抵抗があるみたいでね?」
「……自分の国を悪く言いたくはないのですが、水道技術者には保守的な人が多く……。その、かなり偏った考えが多勢の状況でして」
リアの補足によると、水道の知識と技術は、二千年前の英雄であるハヤトさんから授かった神聖な物で、それは不可侵の領域であると信じ込んでいる重鎮がたくさんいるらしい。
「お父様も何度か組織の再編を試みたのですが、抜本的な解決には至らず……」
「研究をまとめたところで、机上の空論扱いされちゃうワケ」
それでも研究を止めなかったのは、龍人国の首都以外にも水道を普及させ、より豊かで衛生的な環境を生み出したい一心だったそうだ。
「知識は人の役に立ってこそ、その存在意義があるのよ。ごく一部の限られた人たちだけが、その恩恵を受けるとか、そんなの絶対間違ってる」
熱弁を振るうクラーラを、オレは感心の眼差しで見やった。同じようにリアも敬意を込めた視線を向けている。
優秀な学者としての一面を初めてみたような気がする。特殊な変態じゃなかったんだなと考えを改めていると、熱弁を振るっていることに気付いたクラーラは、我に返ったのか、見る見るうちに顔を上気させた。
「ふ、ふん! と、とにかく、サキュバスの研究なんて誰も見向きしないってことよ!」
「そんなことないよ、クラーラ! ボクはクラーラの研究がムダだなんて、一度も思ったことないし!」
「おお、そうだぞ。立派な志じゃないか。馬鹿にしてた奴らを見返してやるためにも、ここでお前の研究を実用化させてやろうぜ」
思わぬ励ましに、クラーラはどう反応していいのか迷っているようにも見える。と、その時、背後から馴染みのある声で呼び止められたことに気が付いた。
「何やら面白そうな話をしているじゃないですか、タスクさん。よろしければ僕も加えていただけませんか?」




